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1話:ゴーストは放課後に

 窓に差す光が赤みを帯びてきた放課後。

 広大なグラウンドでは運動部が片付けに入る前のラストスパートによる声を響かせ、敷地内に複数ある部室棟では吹奏楽の規則的な演奏に交じって軽音楽の劈く音が反響していた。

 そんな指向性の違う音があちらこちらから飛び交う第一部室棟のとある部室で、その男子は椅子に腰を掛けて静かに手元の文字に視線を落としていた。

 彼の手元からは時折ページをめくる『ぱさり』という音がするが、ほんの僅かな物音は男子の耳に届く前にグラウンド、或いは校舎からの濁流に呑まれて消える。

 男子の手にあるのはこの学園内のいくつかの文化部が発行している新聞やフリーペーパー。新聞社が発行しているものに比べればはるかに薄いものだが、彼の机の上にはそれらが2つの山となって置かれていた。

 彼は今まで読んでいた『朔新聞(ついたちしんぶん)』を右の山に置くと、左の山から『月刊:ツキアタリ11月号」と書かれた新たな印刷物を手に取り、読み始める。これを繰り返して彼の前から左の山が消えた頃には、右の山は新聞社の朝刊とそれに夕刊を足したものより厚く、多くの文字の抱えたものになっているのだ。

 そうして毎日の放課後を過ごす男子だが、彼の居る部屋は廊下へと続くドアが僅かに開いている。そこから入り込んだ風と音は解放された窓へ、もしくはそれとは逆のベクトルで抜けていく。

 一般的に物を読むのに適した環境とは言い難いが、この環境で1年と半分ほどを過ごした彼にとってはグラウンド、そして同じ校舎から響いてくる全ての音が正しく自然な環境音であり、週単位、月単位で規則的に繰り返されてきたこの部屋での変わらぬ日常だった。

 こつん。こつん。

 そんなひと時の中に廊下から同年代のものより少しだけ早いリズムの足音が響いてくる。

 足音は男子の居る部屋の前で止まると、いくらかの沈黙の後に引き戸を開いて『文芸部』の部室の中へと入ってきた。

「お疲れ様です、先輩」

「ああ、硝子か。お疲れさん」

 見る人すべてに好感を与える笑顔を浮かべて挨拶をしたのは1年生の沢渡硝子(さわたりしょうこ)

 この文芸部の部員で、ついさっきこの部内での役職を拝命したところだった。

「ええ、本当に疲れましたよ。部活会議ってあんなに大変なんですね」

 本来のすらりとした体躯を曲げて疲労を表しながら、入って来た扉をピタリと閉める。

「ははっ。まぁ、これだけ大変なのはこの学園だけだろうさ」

 優しげな笑みを浮かべて答えると、先輩と呼ばれた男子は丁度良く読み終えたツキアタリを右の山へと置いて硝子の方へと顔を上げる。

 男子の目に映る硝子という後輩は腰に届きそうな長髪をツーサイドアップにし、愛嬌のある仕草が似合う明るそうな女の子という印象だった。その印象は新入生だった彼女が文芸部に新入部員として来た時から大きく変わることなく、彼の日常の一部になっていた。

「それはそうなんでしょうけどね。あ、部長はもう少し遅れそうです」

「はいよ。――って、思わず返事しちゃったけど、俺にはあんまり関係ないだろ」

 苦笑しながら背もたれに背中を預けてリラックスした姿勢をとる男子。

「いいんですよ。『あんまり』でも関係してるんですから」

 硝子は人懐っこい笑顔を浮かべて男子の向かいの席へ座る。

「沢渡()()()がそこまで言うなら、そういうことにしておくよ」

「あははー、そうでしたね。私、もう副部長なんですよね……」

「さっきの部活会議で挨拶してきたんだろ?」

「してきましたけど……」

 困ったような笑みで頬を掻く硝子。

「じゃあ、ほら」

 男子は部長席の机に置かれていた2つのプラスチック製役職プレートの内、『副部長』と書かれた方を硝子へ放る。

「うわっ、とと。もう、投げないでくださいよ」

 なんとか受け取った硝子は少しだけ抗議するが、手元にある副部長の文字に目を落とすと、また少しだけ困ったような顔をする。

「……」

「いいんだよ。アイツ以外には硝子しか純正な文芸部員は居ないんだから。堂々とそれを置いて座ってればいい。割り切った後は、慣れるだけだ」

 男子は右の口角を上げ、『そうだろう?』と口には出さずに硝子に向けて笑いかける。

 硝子は「むぅう……」と唸りつつも役職プレートをおずおずと自分の机スペースの右前へ置く。

「これで、いいんですか?」

 何故だか少し拗ねたような、もしくは叱られて反省を促されたような顔で男子へと顔を向ける硝子。

 しかし男子の表情は硝子の予想していたものとは違っていた。

「……くく。ああ、良いんじゃないか?硝子がそこまで自分に『副部長』だって言い聞かせたいなら」

「え?」

 自分の一大決心からの行動に何故か温かい笑みを浮かべている男子を見て、硝子はその笑みの理由を探す。が、すぐにその理由は見つかった。

 片面にしか表示のない副部長のプレートを自身に向けて置いていたからだ。

「あっ!えーと、これはそのーつまりですねっ!わざとと言いますか、いえわざとじゃないんですけど――」

 顔を上気させながらプレートの向きを『あーじゃないこーじゃない』と何度も変える硝子。

「全く。かわいいよな、硝子は」

「――かっかわっ!?」

 そう言って男子は椅子から立ち上がると部屋の隅に置かれた備品棚を漁り始める。

 その間、硝子はあたふたしていたところに(言った側と捉え方の違いはあれど)「かわいい」という言葉を被せられたことで限界を迎えて、机に顔から突っ伏していた。

「あったあった」

 男子は棚から目当てのものを見つけ出すと、硝子の横からプレートひょいと持ち去り、硝子はなんとか落ち着きを取り戻す。

「……おほん。いったい何をするんですか?もしや、副部長の座を早くも剥奪ですかっ?」

「だから俺が文芸部でそんな権限持ってるわけないだろって。まぁ、待ってろ」

 首を傾げる硝子に対し、男子はわざとらしい鼻歌を歌いながら机の上に置かれたテープ台からテープを長めに切っていく。

「せっかく2つあるんだし。ほい、完成だ」

 今度は投げることなく硝子へと渡された副部長のプレート。

 それはもう一つ予備として保管されていた副部長プレートと接地面の部分でテープ接合され、簡易的な両面型副部長プレートへと改造されていた。

「こうすれば副部長の自覚と責任を感じながら他者にもにも示しがつく。これで解決だな」

 満足げに頷く男子。

「これで解決って……。先輩のいつもの仕事に比べて、ずいぶんとテキトーじゃないですか?」

「まぁ、テキトーだし、適当だろ。簡単な作業で現状最大の効果があるだろうし」

「むー。先輩の仕事にしてはチープです」

「確かにシャープでは無くなったな。けど部長さんは多分、気に入ってくれると思うぞ」

「そりゃあ部長はそうでしょうけど。はぁ、この部だと私の味方が少ないなぁ」

 机の上に上半身を突っ伏しながらぼやく硝子。

「何言ってるんだ。俺を含めてみんな硝子の味方だぞ」

「わーい、嬉しいでーす」

 男子の『俺を含めて』の言葉に、思ったより卑屈な雰囲気が出せなかった自分にまた少し恥ずかしさを覚えながら硝子はそっぽを向く。

「そうだよ硝子くん。私は君が文芸部の扉を叩いてきた時から君の味方さ」

「うわっ!部長!いつの間に戻ってたんですか!?」

 そっぽを向いた硝子のすぐ目の前にはミディアムの長さでワンレングス・ボブの毛先にクセのついた髪型の女子、文芸部部長の七橋涼(ななはしりょう)の顔があった。

「そんなに驚かなくてもいいじゃないか。私だって乙女なんだから傷つくよ?」

「あー、いや、えっとそれはーっ」

 言葉とは裏腹に薄く笑みを浮かべていた涼だが、妙に絵になる涼の雰囲気に押されたのか、硝子は真に受けて慌てる。

「わざわざ音も立てずに入って来た挙句に、気づかれないまま隣の席に座って見せてる人間の言うことじゃないだろ」

 卓越した涼の潜伏技術だったが、その一連の動作を見ていた男子は呆れていた。

「いやいや、それを全部見ていたのにも関わらず、硝子くんに伝えなかった旋司も共犯だろう?」

「えっ!?」

 旋司と呼ばれた男子の裏切りの発覚に硝子が勢いよく振り向く。

「バレたか」

 そう言って2年男子、高瀬旋司(たかせせんじ)は元の席へと戻る。

 2人から弄ばれた硝子は「やっぱり味方がいない」と口を尖らせて不満を漏らす。

「ところで硝子くんのそれ、いいね」

 そしてさっきまでの2人の予想通り、涼は両面型副部長プレートに興味津々だった。

「旋司、私にもこれ――」

「作らないぞ」

「食い気味で言わなくてもいいじゃないか」

 自身の後輩と同じ顔で抗議する涼。

「ていうか作れない。部長のプレートは2枚も置いてないからな」

「むぅ。じゃあ私には部長の自覚が芽生えなくてもいいって言うのかい?」

「お前は去年から部長やってるだろ」

「え?部長、その話の時から居たんですか……?」

 涼と旋司の2人はちょうど今から1年前の11月から同じ肩書きでこの空間を共有していた。

 そして硝子は思っていたより早い段階で部室内に涼が侵入していたことに静かに驚愕していた。

「ていうか1年間やってて自覚ないなら剥奪だ」

「そうなると、硝子くんが副部長兼部長になるね。もしくは、あとの誰かかな?」

 おどけてそう言った涼だったが、その言葉に硝子が即座に反応する。

「それは断固拒否です」

 机に『ばんっ』と手をついて立ち上がる硝子。

「あのメンバーには絶対任せられないですし、私は副部長という役職で忙しいので」

 ついさっきまで年上の2人にからかわれていた愛嬌は鳴りを潜め、硝子は真顔で拒否の姿勢を示す。

「それじゃあ、しょうがない。硝子くんがそこまで言うなら今期も私が責任をもって務めよう」

 涼は場の雰囲気を気にするでもなく立ち上がると「この件は終わりっ」と言って自身の席へと向かう。

 旋司側の長机とその向かいに平行するように設置された硝子側の長机、その2つの長机をコの字で繋ぐ机が文芸部の部長席だった。

「さて、今日は部活会議であんまり時間も無いし、活動内容は自由ということにしようか」

「はい」

 硝子は返事をするとバックからてきぱきと道具を取り出し始める。

 広げられたのは、メモ帳。メモ用端末。数冊の文庫本や書籍。そして原稿用紙。

「やっぱり硝子の机を見ると『文芸部』ってカンジがしていいな」

 再び学内新聞を手に取りながらしみじみという旋司。

「そうですか?私はもうちょっと少なくできたらなーって思ってるんですけど」

「いや、硝子が来てから分かったんだけど、俺の中では現実味がある文芸部っていうのはこうなんだよ」

「おや?部長である私の活動スタイルが文芸部らしくないって?」

 涼は何か文句でも、という様に両手を広げて自分の机の上を見せつける。

 そこに置かれているのはペンケースに原稿用紙と国語辞典。この3つだけだった。

「個人的な『絵になる』『絵にならない』で言えば涼のスタイルは絵になるんだけどな。たまにラジオまで持ち出してくるから本人の見た目と相まって抜群に雰囲気出るんだけど」

「おおっと2年目にして初めて知る私への高評価」

 おどけた口ぶりだが、涼は内心で素直に驚いていた。

「でも現実味は皆無だし、実際に書くってなったら俺は硝子みたいな感じになるんだろうなって思ってさ」

「私も部長の書き方には驚きました。普段何かいいフレーズとか場面を思いついたらメモとかしないんですか?」

 硝子は外出先ではメモ帳。家や部活動中はメモ用端末に思いついたことを書くようにしていた。

「うーん。これだって思いついたものは忘れないし、大体ぼんやりとしたイメージみたいなものしか浮かばないから文字としてメモ出来ないっていう感じだね」

 何でも無さそうに言う涼だったが、硝子と旋司からは白い目を向けられていた。

「な、なにさ。二人そろってその顔は」

「いや、別に。初めて会ったときから感じてたことを再認識しただけさ」

「そうですそうです。別になんでもありませんよ?ちょっと天才肌っぽい発言だったなーとか思ってませんし」

 白い目に白々しい態度まで重ねられた涼は口を尖らせる。

「ぶー。上げてから落とすなんてひどいじゃないか」

「落としてないし、元から上げてもない]

 片目を閉じて肩を竦める旋司。

「んじゃ、部長さんも帰って来たところだし、俺は()()()にも挨拶してくる」

 そう言って旋司はカバンを肩にかけると、まだ手を付けていない発行物の山の中から日刊のものだけを引き抜き、席を立つ。

「おいコラー。自由活動とは言ったけど部員がサボるなー」

「……なんだか今日はそのフリが多いな」

 気のない棒読みで叱責してくる涼に、旋司は乾いた笑みを浮かべながら答える。

「だから俺は、文芸部じゃないんだって」





 文芸部のある第一部室棟を離れ、3階の連絡通路から本校舎へと向かう。

 今みたいに本校舎へ向かう時に自分の根城が第一部室棟(イットー)でよかったと常々感じる。

 イットーから本校舎へのアクセスは、3階まであるイットーの各階に連絡通路があるので何の不便も無いが、この通路からも見える第二から第五までの部室棟はそうもいかない。

 特殊なシステムで生徒を評価することで話題と人を呼んだこの三弦坂(さんげんざか)学園。今もなお入学希望者を増やし続けるこの学園はその受け皿として校舎や学生寮、そして評価システムに重要な関わりを持つ部室棟を猛スピードで増やし続けていた。

 結果として後続の部室棟は創立当初から本校舎裏手に建つイットーの、さらにその裏手や周囲に乱立するように不規則に建てられることになり、本校舎はおろか、他の建物にさえアクセスの悪い部室棟まで出来てしまうことになった。

 そんな部室棟群を眺めながら歩いているうちに本校舎へと到着。そのまま階段で4階まで上がって突き当りへ。

 そこには他の部屋とは違ってノブの付いた西洋式の扉があり、その上部に掲げられた表札には『生徒会室』と書かれていた。

 ドアノブの上辺りを3回ノックすると室内から「どうぞ」という返事。

「失礼しますよー」

 開いた扉の先には見慣れているが、新しい生徒会の面々が並んでいた。

「あ、高瀬。新生徒会の最初の訪問者はお前か」

 上座に位置する生徒会長用の大きな机には書類の山が出来ていて、その山の裏からご来光よろしく新しい生徒会長様が顔を覗かせる。

「なんだ、最初が俺じゃ縁起が悪いとでも?」

「それも無きにしも非ずだが、そんなことより生徒会顧問が一般の生徒より来るのが遅いのもどうかと思うわけよ」

 前年度の生徒会副会長にして、本日付で生徒会長となった楠原洋輝(くすはらようき)がオーバーに肩を竦める。

「あらら、こまっちゃんはまた遅刻か」

 そして縁起悪いのは否定しないのか。

「しっかし今年も引継ぎシーズンの生徒会室の書類連峰は見頃を迎えてるな」

「そう思うなら手伝ってあげれば?書類仕事は得意でしょ?」

 会長席から正反対の下座席、そこには新顔の1年生9人に混じって俺と()()()の『庶務』が居た。

「いやいや季節の物だからさ、皆で景観を守っていかないと」

「そんな価値があるものじゃないから。その意識は迷惑な花見客にでも分けてあげなさい」

 綺麗なロングヘアをゴールデンポイントでポニーテールにした庶務さんは、鋭い目付きで手元の書類に目を通しながらやれやれといった感じで息を吐く。

「それに――」

 庶務さんは読み終えた書類の束を机で叩いて綺麗に揃えると席を立ち、容赦なく洋輝の前の書類連峰へ追加。

「まだ見頃はピークじゃないからね」

 鋭い目はそのままに、にやりと笑顔を浮かべる。

 目は口ほどにものを言う。なんて言うが、その言葉はこの古閑莉桜(こがりお)は当てはまらない。

 強く鋭い目つきはそのままに、彼女は表情をころころと変える。

「おーい、去年の会長の時より書類多くないか?そろそろ俺の顔、隠れちゃうよ?」

「そう思うならペースアップ、ペースアップ」

 ぱんぱんと手を叩いて生徒会長を急かす庶務という構図。

 要は意外と気さくなヤツなのだ。

「無理無理。これ以上は無理。今の俺、承認印を握ってサインを書こうとしてるくらいオーバーワークよ」

「本当だ。逆に黒ボールペンは朱肉に突っ込みすぎて赤に変わってるね」

 莉桜の言葉に洋輝は「だろ?」と言って背もたれに体を預けてぐーっと伸びる。

「しょうがない。部外者に出来る範囲で少しだけ手伝ってやるかね」

 書類連峰を洋輝側に回り込むと、すでに生徒会承認印の押されているプリントの山からお目当ての書類を探す。

「これ。これ。これ。あとこれ」

 左手で山を抑えながら右手で下から撫で上げるようにプリントの端をめくっていき、ごく一部の『活動内容提示書』だけを抜き取っていく。

「地味にすごいな、その技」

「本当ね。このシーズンだけ雇いたいくらい」

 二人は感心したように声を漏らす。

「でもこの仕事が終わったらすぐに派遣切りで路頭に迷わされるんだろ?」

「それは勿論」

 莉桜が笑顔で即答し、その隣で洋輝が「ひでぇ~」と苦笑する。なんて切れ味の庶務だ。

 そんな会話をしているうちに書類のピックアップが終了。

「それじゃ帰りがけにこれだけ配ってくるよ」

「おうよ。あ、一応これ持って行っとけ」

 洋輝が裏の棚から取り出した『生徒会臨時補佐』と書かれた腕章を受け取る。

「どうも。じゃあ配り終わったら返しに来る」

「別に明日でもいいんじゃない?」

「そうだな。別に悪用されるもんでもないし」

 莉桜の言葉に洋輝も同調してくれる。

「んー、じゃあ配り終わったときの気分に任せる」

「りょーかい。どうせ俺と古閑はまだしばらく残ってるだろうし、お好きにしてくれ」

 洋輝の言葉に「あいよー」と答えて出口へと向かう。

「……ところで旋司は何をしに来たの?生徒会を手伝うためだけに来たわけじゃないでしょ?」

 振り返った俺の背中に莉桜の声が届く。

「……あー、すっかり忘れてた」

 莉桜の言葉で本来の目的を思い出した。

「いや、大したことじゃないんだけど――」

 俺は半身だけ振り返って用件を済ませる。

()()()()()()()

「――うん。今期もよろしく」

 莉桜に向かって告げると、莉桜は真っ直ぐに俺の目を見つめ返しながら答える。

 あの様子じゃあ、今期も手加減はしてもらえないな。

「じゃ、今度こそ行ってくる」

 後ろ手に手を振りながら生徒会室を後にする。

 





「あ、おーいセンジー!」

 生徒会室のあった4階から1階へ降りると、相変わらず伸びやかな親友の声が俺を呼んでくる。

「おーっすヘージ」

 廊下を歩く俺から窓を挟んだ校舎裏で手を振る金髪のイケメン。

 手を振り返すと振っていた手をさらに加速させて溢れんばかりの笑顔を向けて来る。恐らく大体の女生徒はイチコロだ。多分、顔からそういうビームが出てる。

 そしてそのイケメンは満足したのか振っていた手を降ろすと、辺りを軽く見まわしてから俺の方へ駆けてくる。

 その速度は中々のもので、窓との距離が大幅に近づいて尚、減速をしない。

 ああ、なるほど。()()()()()()()()()()()()、こっちか。

 元から窓と俺の間に距離は開いていたが大事をとってもう一歩分だけ窓から離れ、更にもう一歩分だけ歩いてきた廊下を後ずさる。

 一応廊下の前後を見て人影がないことを確認すると、今まさに壁と激突しそうな距離まで近づいてきていたヘージへ目配せする。

「……ッ!」

 目の合ったヘージは「ニコッ」と俺に白い歯を見せると、勢いはそのままに窓枠に向けて上半身から跳び込むようにして鋭く跳躍。

 真っ直ぐに伸びたその体は窓枠を潜った指先部分から順に体の中心に向けて抱え込まれていき、足先が窓枠を抜けると同時に床に手を着いて鮮やかなダイブロール。そしてロールの勢いのままに立ち上がり、そのまま床を踏み切って飛び上がり、壁に高く、そして大きく手を突いて自身と壁の間に生まれた隙間に足を通してサマーソルトキックのようにその場で宙返りをしてみせる。

 バン!という鋭い着地の音がリノリウムの床に響き、その音が鳴りやむとヘージは俺に向けてまた笑いかける。

「最後の難しそうな格ゲーっぽい技、なんだっけ?」

「パームフリップだよ。絶対跳ぶぞ!って思ってれば見た目ほど難しくない技さ」

 廊下での受け身で汚れた肩の汚れをパンパンと叩きながらヘージが笑顔で答える。

「多分、センジでも出来ると思うよ?」

「簡単に言ってくれるなよ。跳ぶぞ!って思うどころか、自分がやるって考えただけで震えてくる」

 肩をすくめておどける。

「それならウチに入って自信がつくまで飛ぶかい?」

 首にかけていたタオルで床と壁についた自分の足跡と靴底を拭きながら言うヘージ。

「やめておく。お前といると女子からの視線が怖いときがあるんだ」

 親友からの提案を丁重に断り、届け物を渡す。

「ほらよ、これで正式に今期から『Xスポーツ部』だ」

 承認印の押された活動提示書をヘージに渡す。

「おおーありがと!本当にセンジ様々だー!」

 受け取った紙を掲げてオーバーに喜ぶヘージもとい、Xスポーツ部部長。

「俺は提案しただけで、実際に頑張ったのはお前らなんだからそんなに気にするなよ」

「分かったよ。()()()()()、気にしないでおく」

 含みを持った笑みで言うヘージ。おうおう、そうしておくといい。

 そうやって何気ないやり取りをしているとヘージの跳び込んできた窓枠から二人の男子生徒が顔を見せる。

「先パーイ。急に走り出してどうしたんすかー?」

 先に顔を出したのはスポーティな短髪と光る汗が眩しい一年、近嵐健吾(ちからしけんご)。続いて顔を覗かせたのはクセ毛でやや長髪の一年、蓮沼京(はすぬまけい)

「あ、旋司さん。お疲れ様です」

 髪型の割に視野の広い蓮沼は俺の存在にも気づく。

「おーっす。蓮沼もお疲れさん」

「なんだ、旋司さんも居たんですね」

 近嵐にも「おっす」と手を上げると「おっすッス」と良い笑顔で返してくる。こっちも相変わらずイケメンだ。

「二人も見てよ。さっきの会議で言われてはいたけど、やっぱり実際に手渡されると実感が湧くよね」

 ヘージの手にある承認済みの活動提示書を見て後輩二人も「おおー!」と声を上げる。

「とりあえずこれで来月から部費が出るようになるな。それと、これまでより活動に融通が利くようになる。まぁ、ヘージ達からすれば部費よりこっちがメインだな」

「そうだね。今までより実践練習の場所提供とかもしてもらいやすくなると思うし、その実践で上手く技を決めるための練習に必要なマットとか砂も部費でいくらか賄えるようになる。うーん、やっぱりサークルと部活とじゃ出来ることが全然違うんだね」

 部長らしく今後の部の展望を考えているというよりかは、これから広がる期待に胸を膨らませる少年という表情のヘージ。

「ま、だからこそどの同好会も部活への格上げを狙ってるんだけどな。しっかり活動していかないとそういうヤツらに足元をすくわれるぞー」

 俺が軽口で釘を刺すと後輩二人は気を引き締めた表情をするが、ヘージは俺の方を見て笑顔を見せる。

「それはもちろん。僕らもどこかの部活の足元をすくったから部活になれたんだし。障害があってこそのパルクールやフリーランニングさ。それに――」

 俺の肩をポンと叩くヘージ。

「いざとなったら頼りになる親友もいるしね?」

 それだけ言って風のように走り出した親友はモンキーヴォルトで窓枠を越えて外へと戻る。

「またね、センジ!」

「ああ、またなヘージ」

 後輩たちと走り出しながら手を振る親友に手を振り返す。

「先輩、ところでなんで旋司さんは先輩をヘージって呼ぶんですか?」

小金井誠一郎(こがねいせいいちろう)……。どこにもヘージなんて要素なんて無いですよね?」

「んー……それは秘密」

 そう言ってXスポーツ部部長、小金井・()()()・誠一郎は夕暮れの校舎裏へ消えていく。






「部長って今はどんな話を書いてるんですか?」

「んー?」

 自分の作業が一段落したので部長の様子を伺うと、部長はペン回しをしていた。しかもなんだか難しそうな技だ。

「中世のとある町で5人の悪党が暗躍しているのさ。で、それを赤髪の男子高校生と中年の変身ヒーロー、匂いフェチの女子大生の3人が成敗していく話」

「……え?」

 今、とんでもない設定を聞かされたような。

「うーん。普通はそういう反応だよね」

 困ったように笑う部長。

「でも結構楽しいんだよね。これだけぶっ飛んだゲームのシナリオ考えるのも」

「ゲームのシナリオ、ですか?」

 いまいち情報が頭の中で纏まってくれない。

「うん。TRPG部……ああいや、今期からはもうサークルだったね。とりあえずそこからのお仕事さ。愉快なシナリオを考えてくれっていうね」

「あー。テーブルトークRPGでしたっけ。ネットで見かけたことはあります」

 紙と鉛筆とサイコロだけで遊ぶ、というキャッチコピーを何度か目にしたことがあった。

「でも……あんまり詳しく知らない私が言うのもなんですけど、それにしたって随分な設定じゃないですか?」

「うん。私もそう思う」

 指先のペンを止めて苦笑いをする部長。

 部長のミステリアスさには底の知れないところがあると思っていたけれど、流石にこの設定はおかしいと思って書いているみたいだった。

「あ、ちなみにいま言った成敗する側の3人は向こう(TRPGサークル)の考えた主人公たちだからね」

 部長は「勘違いしないよーにっ」と人差し指をピンと立てて念押しをする。部長のお気に入りのポーズだ。

「でも途中の設定を見せに行ったときに遊んでるところをちょっとだけ見せてもらったけど、すごく楽しそうだったんだよね」

 そのまま部長が「自分たちでキャラクターを作り上げて、そのキャラになりきって誰かが用意したお話を遊ぶんだってさ、すごいよねー」とTRPGについてざっくりと教えてくれる。もしかしたら教えてるというよりかは、部長がその時の楽しさを伝えたいだけなのかもしれないけど。

「まさかそのまま混ざって遊んだりしてないですよね?」

「あははー、魅力的だったけど流石にやめておいたよ。ま、やるにしても頼まれた仕事を終わらせてからだね」

 部長はそこまで言うと最後にもう一度だけペンを回してから、机の原稿用紙にペンを走らせ始める。

 私も自分の作業に戻ろうかな。

 そう思って自分の席に着くと、壁掛けの時計が目に入る。

「……先輩は一度戻ってきますかね?」

 そろそろ部活動の終了時刻。夕日に倣って帰る時間が近づいてきていた。

「んー。カバン持って行ってたからどうかな。……硝子くんは戻ってきてほしい?」

 部長はペンを止めずに答えてくれるけど、同時に質問を返して来る。

「……帰りが二人だけだとちょっとだけ寂しいですし、戻ってきてほしいです」

「……そうだね。私も戻ってきてほしいと思ってるよ」

 チャイムまで、あと20分。





「おいーっす。臨時だけど生徒会でーす」

 写真部の部室に腕章をつけた旋司が入ってくる。

「っげ。生徒会—―ってなんだ、誰かと思ったら小金井の友達か」

 PCを操作して写真の整理をしていた写真部の部長は『生徒会』という言葉に顔を歪ませたが、振り返った先にいる人物が知り合いと分かると人当たりの良さそうな笑顔を浮かべる。

「高瀬な、高瀬旋司。」

「心配しなくても覚えてるって。俺も小金井も助けてもらったクチなんだからさー」

 その笑顔のままに近づいてきた部長に肩を組まれる旋司。

「逆に高瀬こそ俺の名前覚えてるか?」

「ああ、勿論。……えーと確かこれに書かれてたな」

 旋司はわざとらしく間を作った後に手元の活動提示書から写真部のものを探す素振りをする。

「覚えてないんかーい!そんでもって堂々とカンニングかーい!」

 写真部部長は仰け反ったかのようなオーバーリアクション。

「冗談だよ。ほら、写真部部長、千駄木翼(せんだぎつばさ)さん当てだ」

 旋司は移動中にあらかじめ先頭に持ってきておいた写真部の活動提示書を千駄木へと渡す。

「ちぇー、これじゃほんとに覚えてたか分かんないじゃんかよ」

「こういう時は覚えてたってことにしておけ」

 そう言って今度は旋司が肩を組み返す。

「だな。とりあえず配達ありがとさん。いやぁこうやって文章で見ると今期はかなりやりがいがあるなぁ」

 千駄木に渡された提示書に書かれた内容。それは例年に比べて活動内容が明確に、そしてアクティブなものになっていた。

 その中でもとりわけ重要な活動が『入学案内にて使用するXスポーツ部による学園紹介動画の撮影』。

「何と言っても高瀬が取り持ってくれたXスポーツ部と合同の撮影。これは確実に()()()()!」

 彼の言った『点になる』。それこそがこの学園の根幹、評価点システム。

 大学の単位と似たような物ではあるものの、この学園は後期中等教育、いわゆる高等学校なのだ。

 そして授業に単位があるのではなく、生徒の行動に単位があるということが大きな違いである。

 普段の授業、試験は勿論のこと、運動部の大会実績から文化部が発行した冊子類の頒布数。さらには学園に関係した事柄であればSNSのアクセス数や動画の再生回数までもが評価の対象であり、それらに応じて生徒個人に与えられるもの、それがこの学園で『評価点』と呼ばれるものだった。

「おいおい確実って、大きい仕事だからこそしっかりモノにしないと学校から点はもらえないぞ?」

 心配する旋司に対し、千駄木は自信に満ちた顔をする。

「いんや、やっぱり確実だ。なんてったってあの小金井の動きにこの写真部の力が合わさるんだぜ?」

 千駄木は近くの机にあったカメラを持つと、シャッターを切るフリをした。

「って言われてもな。俺はヘージ……じゃなくて、小金井の実力は知ってるけど、写真部の方は知らないからさ」

「ははーん。高瀬、お前さてはこの前の俺らの大仕事知らないなぁ?」

 旋司は「いや、だから知らないって」と千駄木の言葉をいなしながら先を促す。

「次の新入生から制服のデザインが増えるだろ?あれ、実は教師が外部に依頼したデザインに対して、ウチの服飾部が真っ向勝負で挑んだ末に大勝利で決まったデザインなんだぜ」

「へー、知らなかったな」

 腕を組んで感心する旋司。

「部室に籠ってるだけじゃダメだぜ()()()。文字ばっかりじゃなくてもっと外にも目を向けないと」

 言いながら千駄木は手近なファイルケースから数枚の写真を取り出すと、それを旋司に突きつける。

「で、やっと話は戻ってくるわけなんだが、その服飾部のモデル写真を撮影したのが俺ら写真部ってわけ」

 そこに映っているのは膨大な数の生徒がいるこの学園の中で、旋司でも美男美女といった肩書と共に見聞きしたことのある生徒達だった。

「御見それしました」

 制服と生徒の魅力を最大限に引き出している写真に、旋司は頭を下げる。

「ってわけでこの時と同じように、俺らは確実に点をモノにする」

 そう言って手をぐっと握りしめて決意を示す千駄木だったが「と言っても今度の学園案内は動画がメインで写真はオマケだから俺じゃなくて副部長が頑張るんだけどさ」と言うと、握っていた手を開いてプラプラと脱力する。

「そうか、動画がメインになるのか。じゃあ副部長にもよろしく言っておいてくれ」

「おうよ。もう行くのか?」

「時間見ろよ。もう部活は終わりだ」

 旋司が指さした時計の時刻は17時30分。最初の部活終了のチャイムまで残り15分。

「そんじゃなー。またなんか仕事くれよー」

「そんなこと一般生徒に期待すんなー」

 見送りの言葉に応えながら扉へと向かう旋司。

「そういうのは、()()()()()()()()にでも頼むんだな」

 最後にそれだけ言って、旋司は廊下へと消えていく。

 





「ただいまーっと」

 私はその声に顔を上げる。

 そこに居たのは旋司。

「おかえり」

「先輩。おかえりなさい」

「なんかメイド喫茶に来たみたいだな。いや、行ったことないけど」

 軽口を叩きながら旋司は自分の席へ腰を下ろす。

「随分とかかったね。そんなに商売敵と会話が弾んだのかい?」

「どっちかっていうと、俺と『ガリレオ』は商売敵じゃなくて異端者と審問官の関係に近いな」

 旋司は「そうなると歴史のガリレオと生徒会のガリレオじゃ、面白いくらい反対の立場なんだけどさ」と言って手元から読んでいた日刊誌とは別の紙を引き抜くと、机の上を器用に滑らせて私の手元に飛ばしてくる。

「なるほど。遅れた理由はこれってわけだね。たしか去年も手伝ってたけど、先代から続く伝統かい?」

 生徒会の承認印の押された活動提示書。書かれている内容は去年と比べてもほとんど変わってはいない。

「いや、単に俺がやってるだけだ。伝統とは関係なくな」

 旋司は口の端を上げて薄く笑う。

「うん?どういうわけですか?」

「ああ。こういうわけだよ、こういうわけ」

 状況が分からず首を傾げる硝子くんに、旋司は腕章を見せる。

「ああー、生徒会をお手伝いをしてたんですね」

「そういうわけ。ってことで腕章(こいつ)を返すためにまた生徒会室にとんぼ返りだ」

 旋司はそう言って自分の席にある大量の発行物をまとめると、挟むタイプのファイルを2つ使って綴じ、カバンに仕舞う。

「ふむ。私が思うに洋輝くんと莉桜なら、腕章を返すのくらいは明日で良いって言うと思ったのだけれど」

「お、さすが涼。ばっちし正解だ。今日でも明日でも良いってさ」

 会長である洋輝くんのことは詳しく知っているわけではないけれど、莉桜がこういう場合に何て言うかくらいは分かってるつもりだった。

「やったね。じゃあ景品として腕章は明日に回して旋司と一緒に帰る権利でも貰おうじゃないか」

「オッケー。じゃあパパっと帰るか」

 よし。さり気なくお誘い作戦成功――。

「――と言いたいところなんだが、実は今日のうちに返しておかなきゃいけないんだ」

 やっぱり。

 捕まえようと思ったら、その姿が揺らぐ。

「腕章を返してくるだけだったら時間もかからなそうですし、ここで待ってますよ?」

 硝子くんが旋司の姿を捉えようとする。

 けれど、多分それは叶わない。

「いや、腕章とは別で生徒会室に野暮用があってさ。俺を置いて先にいってくれ」

「――」

 呼び止めようと声を出そうとしたのは私か硝子くんか、それとも二人ともだったのか。

 旋司がそこまで言ったところで部室のスピーカーから大音量のチャイムが鳴り響く。

 部活終了の最初のチャイム、文化部の帰りを促すためのチャイムだ。

 そしてその音が響く中、旋司は口パクだけで私たちに「じゃあな」と伝えるとそのまま部室を出ていった。

 確かにそこに居るのに、近づけば揺らいで、手を伸ばせば掻き消える。

 だから私は前にこう言った。

 まるで煙みたいだね、と。

「まったく、連れない男だね。綺麗な花を両手に持って帰るチャンスだったのに」

「私もそう思います」

 でも彼はそれを聞いて薄く笑って、こう言った。

「じゃあ、帰ろうか」

「はい」

 ――煙じゃなくて、亡霊だ。


 



 不認可。

「……」

 不認可。

 期が変わって部活や同好会の入れ替わりが確定した当日だというのにも関わらず、部活の設立や格上げの申請をしてくる熱意の込められた書類。

 そこに不認可印の冷たい朱肉を落とす作業も今ので最後。

「ふぅ」

 一息吐いて室内を見回すと先に帰らせた後輩役員たちは疎か、結局は書類の山に完全に隠れることになった楠原の気配も書類連峰の裏からは消えていた。

大方、休憩にても行ったのだろう。

「さて……」

 書類をまとめて、その上に『ハリーくん』を置いてから許可印や参考資料を戻しに行く。

「……」

 その途中で窓から外の景色が目に入る。

 外はもう、紫と青のグラデーションの綺麗な空になっていた。

 そのままなんとなく滲んでいく空を見ていると、後ろの方で静かに扉の開く音がする。

 扉の音は足音に変わって私の隣に立つ。

「くくっ。ただの目的も無く傀儡のようにこの学園へ登下校を繰り返す無垢な学生たち。お前たちを操る数多の糸の内、一本はこの生徒会室から伸びている。そしてその糸を伝ってお前たちの浪費した時間や情熱を養分として吸い上げ、この学園、この私の生徒会は大きなものとなる……」

「勝手にモノローグ風にアテレコしない」

「悪い悪い、そういう雰囲気に見えたからつい、な」

 なんて言いながら、一つも悪びれない旋司。

「まず、私の生徒会って……。私はただの庶務だし」

「庶務ではあるけど『ただの』は付かないと思うな」

「それと、時間や情熱を養分にするのはどっちかっていうと旋司の方じゃない?」

「うーん。すげー悪く言うと、そう言えないことも無いな」

 腕を組んで考えるポーズをとった割に、否定するでもなく受け入れる旋司。

「って、そうじゃない。本来の目的を忘れるとこだった」

 そう言って旋司はさっき渡した腕章を返してくる。

「私と話すのが楽しくて?」 

「ああ、もちろん。スマホに会話アプリとしてインストールしたいくらいだ」

「怖っ!新手のSFサイコホラーか何か!?」

 思わず体を抱えて後ずさる。

「冗談だよ、冗談」

「知ってるよ、知ってる」

 ああ、知っているとも。

 君は誰かに執着しないだろう?

「あ、手伝ってもらった手前申し訳ないんだけど、一応生徒会の備品を返却したサインだけ書いてくれる?」

「あいよ。確か去年もそうだったしな」

 渡したペンを受け取ると、旋司は自然な動きで壁に掛けられている大量のバインダーの中から迷うことなく備品管理表が挟まれたものを選んでサラサラと記入していく。

「備考欄のとこに腕章装備してプリントを持って行った部活名を書いておけばいいんだよな?」

「うん。それで大丈夫」

 相変わらず態度も仕事も軽いヤツだなぁ、としみじみ思う。

 そうして旋司の横顔を見ていると、その視線が一度だけ横に流れた。

「どうかした?」

「ん?何がだ?」

 本当になんでもなかったように自然な流れで手すら止めずにペンを進める旋司。

 けれど彼の()である私は、それを逃さない。

「今、ハリー君を見てたでしょ?」

「……っち。バレてたか」

 私に指摘され、旋司は降参とでも言う様に両手を上げる。

「やっぱり仕事モードじゃないと隙があるね」

「プライベートにゆとりがあるから仕事ではキッチリするものなのさ」

 旋司の言う通りだろう。

 仕事で彼の敵になっているとき、旋司に隙は無いのだから。

「まぁ、ハリー君の他の追随を許さない可愛さになら、見惚れるのもしょうがない」

 ハリー君。それは私がペーパーウェイトとして使っているハリネズミを模した、小さなとても可愛い焼き物。

 彼(?)との関係は今期の生徒会メンバーよりも長い。

「いや別に可愛いからとかじゃなくて、まだ綺麗なまま使ってくれてるから『ガリレオ』は物持ちがいいんだなって思ってさ」

 む。

「おだてられて悪い気はしないけど、隙を突かれた仕返しにそのあだ名で呼ぶのは良くないと思う」

 あとハリー君は可愛いのだ。

「なんだ、まだ気に入ってくれてないのか」

 旋司は心底残念といった顔で私を見てくる。

「そもそも女の子をイメージする名前じゃない時点でアウト」

 なんのひねりもなく『古賀莉桜』という響きが『ガリレオ』に近いからという理由でつけられたことも許してないけど。

「そんなもんか、俺がこの前買ったアーティストのアルバムにはガリレオって名前が付くラブソングがあったけど」

「少数派の意見は求めてません。ていうか私のことなんだから私の意見が優先されますー」

「それもそうか」

 でもそれとは別にそのアルバムは今度借りよう。

「じゃあいつも通り、庶務で」

「パス」

「庶務さん」

「そうじゃなくて」

「じゃあ…………庶務ちゃん?」

「いや敬称以外に引き出しないのかーい」

 発表までの溜めを待った私の時間を返せ。

「これでガリレオがダメなら、もう普通に古閑って呼ぶしかないんだが」

「普通でいい。でも、そっちじゃない」

「……名前の方か?」

「それは……違う」

 そう、違う。

 少しだけ臆病風を感じて俯いてしまうが、それはきっと、()()()()()()()()()()()()()()

「じゃあ他の案でも――」

 だから私は顔を上げて、ニヤリと笑ってみせる。

「『名前の方でいい』じゃなくて、『名前の方じゃないと』ダメ」

 母親譲りの目つきに、私らしい笑顔で。

「……分かったよ」

 旋司は一度だけ呆気にとられたような顔をしたが、すぐに『それくらいなんともない』というような態度で笑って見せる。

 仕事じゃなければ、私が一矢報いることもあるのだ。

「今度からはそう呼ぶことにする」

「うん、よろしくお願いするよ」

 けれど報いたところで、その『今度』をずっと先送りにするのがこの男だ。

 一年間も相手をしてれば、それぐらいは分かる。

 でも、彼に約束させたのだから、とりあえずはよしとしよう。

 涼が名前で呼ばれているのに私だけこのニックネームじゃ、悔しいから。

「あー……そういえば服飾部と写真部を組ませる件、相変わらずのお手柄だったね」

 そしてさっきまでのくだりのせいでなんとなくに気恥ずかしくなって話を替えてしまう自分のことも、もっと理解している。

「依頼を受ければこなすのが役割なんでね。それよりこっちの筋書きを完璧に実現してくれる生徒会の皆さんと、掴んだチャンスを確実にモノにする当事者達の方が大手柄さ」

「ふーん。私からすれば今回の服飾部みたいに実力と熱意のある部活を見抜く旋司も十分凄いと思うけど?」

「そりゃあ失敗したらこっちの沽券に関わるし本気で選ぶさ、俺だって確実な『点』が欲しいからね」

 謙遜かと思えばニタリと笑って利己的なセリフ。

 旋司は相変わらず掴みどころのない動きをする。

「ま、それが旋司の仕事だもんね」

「そういうことだ。つっても今回のも本業じゃないけどな」

「そうだね。今回みたいな仕事ばかりだと、私が今期も庶務をやってる意味が無くなっちゃうし」

 勿論今回の服飾部からの依頼も彼の仕事だけど、本業ではない。

 後から旋司に振り込まれる評価点を考えれば本業を軽く上回る点ではあるが、実際に行動する旋司と、その相手である私にとっても副業みたいなものだった。

「今期は今のところこの7件か」

「そうだね」

 旋司が手にしたのはハリー君で抑えていた申請書。

「うーん、新顔が多いからまだ何とも言えないなぁ」

 旋司は顎に手を当てながら書類を流し読みする。

「はてさて、今期はそのうち何件を旋司が持ってくるかな?」

「さぁな。前期より少ないのは確かだろうけど」

 旋司は申請書を綺麗に戻し、ハリー君を再びその上へ。

「でも、旋司の想像通りでしょ」

「ああ、悲しいことにね」

 肩を竦めあからさまな態度の旋司。

「けど、俺のところまで来た依頼は確実に通すさ」

 口元に薄い笑みを浮かべ、横目に私を見る。

「あらゆる手段を持って、本人たちの代わりに生徒会に受理される申請書を書く」

 そう、生徒会の()()が判断する部活申請書。それを評価点を見返りに、本人達に代わって、或いは加わって通してくる存在がこの学園には居る。

 いつから居るのか分からないソレは、けれど確実に私の代まで存在する。

「それが亡霊(ゴースト)――」

 そして1年前のあの日からゴーストになった高瀬旋司、この男こそが現在のこの三弦坂学園の――。

「――ゴーストライターさ」

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