4 お話ししたいんだけど 前編
翌朝
まだ眠そうに目をこすりながら身支度を整えたトレーネを横目に扉を開けると既にグランツは朝食を済ませて城へ向かった後であり、代わりに椅子に座っている男が2人に気付きひらりと手を振る。
「やぁ、おはよう」
「えっ?楽士、さん?」
「おはようございます」
「オーサマはとっくにお仕事に行ったよ」
「相変わらず忙しい人だ。トレーネ君、紹介しますね。彼はヘルヘーレン、楽士をしながら旅をしていて、この国に立ち寄った時は屋敷に滞在する事を許されている人です」
「レンでいいよー。よろしくね」
「はぁ……よろしくおねがいします」
軽薄そうな笑顔を浮かべるヘルヘーレンに会釈をして席に座らせてもらったトレーネは使用人の女性の給仕を受けて朝食をとりながら、ヘルヘーレンと親しげに会話をしているアイトに視線を向けた。
トレーネが知っているアイトはいつも優しい笑顔を浮かべ、トレーネの意見を尊重しつつ周囲との調整をして、知らないと言えば丁寧に教えてくれる。
その《優しいお兄さん》と評価出来るアイトが、同じような年齢に見える男と、トレーネの知らない顔をして話している姿が新鮮で嬉しかった。
「今回は?」
「1週間くらいかなーって思ってたけど、トレーネ君と仲良くなりたいし1ヶ月に伸ばそうかなー」
「おやおや、暇なんですね」
「オーサマにも言われた……」
頬を膨らませて拗ねていたヘルヘーレンは、ふと何かに思い当たりアイトに声を掛ける。
「なぁ、アイト」
「今はトレーネ君が食事中です。黙れ小僧」
「トレーネくぅん、アイトが酷いよぉ」
「……アイト?」
「はい、なんでしょう?」
「えっと……レンさん、は…アイトにとって、どういう人?」
「えっ?」
「アイトのはなしかた……初めてきいた、から…」
「…………えっ、と……」
「俺から話そうか?」
「嫌だ。トレーネ君、いつか聞いて欲しい事があるって言ったのを覚えてますか?」
「うん」
「それに関係する話になります。もう少し……もう少しだけ待ってください」
「わかった」
少し辛そうな、少し淋しそうな表情のアイトを見上げて頷けばホッと息を吐いてトレーネの頭を撫でる。
「神官サマには会わせたの?」
「いや、外出させていいと知ったのも数日前だから」
「ふーん……」
「神官、様?」
「また今度、グランツ様の意向を確認してから説明しますね」
「うん……スープ、おかわりください。すこし少なめで」
「っ、はい」
トレーネの言葉に給仕をしていた女性が嬉しそうに声を弾ませ、壁際で待機していた使用人達は涙ぐみながら互いに身体を叩きあって喜びを噛み締める。
屋敷に来た頃全てを警戒して何も口にしようとしなかったトレーネの「おかわり」に、信頼を向けられたように感じるのは気のせいではないだろう。
「美味しいですか、トレーネ君」
「今日のスープはリョーリチョーが作ったんじゃないね」
「……そう、なんですか?」
「あ、はい。あの……お口に合いませんでしたか?」
「ううん。やさしい味がする」
目の前に置かれたスープを見下ろす。
これまでの食事から肉が苦手ではないかと推測し、小さめに切った野菜をとろとろになるまでじっくりと煮込まれたスープには料理人の想いが詰まっていた。
本家で過ごしていた頃ほぼ監禁状態で出されていた食事内容を誰かに話した事は無く、これからも話す事は無いだろう。
かぴかぴに固くなったパンと冷めて油が固まり具材がほとんど無いスープ、明らかに食べ残しらしい肉の欠片等、囚人や捕虜に近い扱いが当たり前だった。
「……うん。なかなか面白いね、君」
「そうですか?」
「うん」
「おはようございます」
「ト、トレーネ様!!何故このような所に!?」
ひょっこりと顔を出したトレーネに、一気に室内が騒がしくなった。
下げ渡しの食事を取っていた数人の料理人と使用人達がわたわたと口元を拭って服装を整えテーブルを隠すように整列すると、申し訳なさそうに苦笑したトレーネは入り口から入って来ようとはしなかった。
「今日のスープを作った人は?」
「わ、私です。お口に合いませんでしたか?」
「ううん。おいしかった、ありがとう。それが言いたくて来ちゃった」
トレーネが照れ臭そうに笑うと男は息を詰め、そっと目を伏せてゆっくりと深呼吸をすると少し涙の滲んだ瞳でトレーネに微笑む。
「っ…………光栄です、トレーネ様。亡くなった母に教えてもらったスープです。皇帝陛下と料理長にお許しいただけたら、また作ってもよろしいでしょうか?」
「ホント?いいの?」
「ただし、此処は火も刃物も使います。1人では決して近付かないように」
「ふふっ、はぁい」
《1人ではないなら、アイトや使用人の誰かと一緒なら来てもいい》と取れる言葉に笑みが溢れた。
他の使用人達とも少しだけ会話をして厨房を離れ、中からは見えない所で待機していたヘルヘーレンと共に廊下を進む。
仲良くなりたいので今日1日だけでも一緒に過ごしたいとの要望に、アイトは気にしなくていいと言っていたもののトレーネが了承した為、トレーネが拒絶するかヘルヘーレンが飽きるまで後ろを着いて回る事に決まった。
「おはようございます、ゼクスさん」
朝食の後トレーネはアイトと別れて庭に移動し、庭師の手伝いをするのが最近の日課になりつつある。
「おはようさん。ん?後ろのニーチャンは?見た事ある顔だな」
「アイトの……お友達?の、楽士さんでレンさん」
「ヘルヘーレンです。挨拶するのは初めてですよね?」
「合ってるよ。ゼクスだ、親父の代から此処で庭師をしてる」
「ゼクスさん、こっちお水あげていいの?」
「いや、今日は東屋の方から始めてくれ」
「はぁい」
2人から離れてパタパタと東屋の方へ駆け寄ると何処からともなく発生した水がトレーネの周囲を囲み、小さな粒となって草花や木々に降り注ぐ。
水撒きを始めると周囲の植物達は少しでも多くの水を得ようと大きく葉を広げ、風は吹いていない筈なのに草花がさわさわと身体を揺らす。
浴びた水が太陽の光を反射してキラキラと輝いて見える光景がトレーネのお気に入りだった。
「んな顔しなくてもイイコだぞ、アイツは」
「…………」
「ヘルヘーレン、だったか?何のつもりで坊主と居るのか知らねぇが、泣かすなら屋敷に勤める全員を敵に回すってのを覚えとけ」
「レンでいいっすよー。あの子はいつもああやって?」
「この間片腕が使えなくなってな。俺は水魔法は使えねぇし、此処に連れて来れる程信用出来るような知り合いも居ねぇから使用人の1人に手伝ってもらってたら坊主が、俺がやるよって言ってくれたんだよ」
水撒きを頼んだ男は井戸から水を汲むのにも苦労していた。
ゼクスが水撒きに使う井戸は屋敷から離れた場所にあり、生活水を汲み上げる井戸のモノよりも桶が大きめなので一度にたくさんの水を汲み上げる。
困り果てていた2人を屋敷の窓から見ていたトレーネが事情を聞くと笑って自分を指差した。
『俺がやるよ。だってお兄さん、お仕事あるでしょ?』
水が汲めないから出来ない訳ではなく、彼には他に仕事があるから普段は暇をもて余している自分が手伝うのだという主張に2人は互いに顔を見合せ、不甲斐ない自分達に溜め息をつきながら頼む事にした。
「まぁ、頼んでみたら憎らしいくらいに花達が喜ぶんで腕が治った今も変わらず手伝ってもらってんだよ」
「そう……」
「ゼクスさん、あっち終わったよ」
「疲れただろ、もういいぞ」
「魔法つかってただけだから平気だよ。次はどこ?」
「ったく……西側の花を頼むわ。疲れたら休めよ?」
「はぁい。レンさん、ここにいる?」
「ゼクスさん、其処って危なくない場所?」
「ゼクスでいい。心配しなくても危険なのは東屋の周りの池くらいだ」
「なら待ってるよ」
「そう?いってきまーす」
トレーネは大きく手を振ると慣れた様子で木々の向こうへと姿を消した。
暫くして戻ったトレーネは「木がくれた!」と言って大きな果実を手にしていたのだが、ゼクス曰く果実が出来るような木は植えた覚えがないらしい。
トレーネ達を屋敷に戻した後でゼクスが探索しても見付からず、謎だけが残った。
果実を毒味しても問題なかった為グランツとアイトの話し合いの末に、トレーネにと与えられたモノが毒物でないなら問題ないという結論に達し、昼食後にコンポートにして出してみたら大変喜んでいた。
「ねぇ、トレーネ君。2人だけでお話ししたいんだけど、いいかな」
「…………はい」
投稿が遅くなってすみませんでした。
あれれー、おかしいぞ?
アイトをつんけんな態度にさせる予定じゃなかったし、庭師の登場はまだまだ先だった筈なのに……。
キャラ達が勝手に動くので困ります。
長くなったので一度切ります。