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2 トレーネ・ゲミュート





その後、トレーネに用意されたのは北側の部屋だった。


子供を牢屋に入れるのは流石に気が引けた為、本来なら妾用の部屋になるがグランツには妻も妾も居ないので問題ない。

最初は豪華過ぎると文句を言っていたものの、「そんなに不満なら私の部屋に来るか?」と冗談半分で言ってみたら黙ってしまった。



トレーネにつけた使用人の報告によると、1日中椅子に座って窓の外を眺めているらしい。

何をするでもなく、ただ座って外を見ているだけだった。



食事を運んでも拒まれ、何日もろくに食べていない。嫌いな物があるのかと問うても首を横に振るトレーネだが、切っていない果物なら少しずつだが口にしてくれるようになった。

最初は“沈黙の民”という事もあり警戒していた使用人達も恐怖より心配の方が勝り、日毎に相談に来る時間が増えてきた。







「それで、成果は?」


「……申し訳ありません」


「どうしたものか。果物が好きなのだろうか。いや、そんな事は食事をしない理由にはならないな」


「ぁ……あの、陛下。1つ気になっている事があって……その、当たっているかは分からないのですが、よろしいでしょうか?」


「構わん。どんな不確かな情報でも今は必要だ」


「では、僭越ながら申し上げます。毒の混入を疑っておられるのではないでしょうか」


「あぁ……なるほど、そっちの可能性があったか」


「陛下は何故、あの子を?」


「ん?瞳がな、綺麗だったのだ。狂人の1歩手前のようにも思えたが……瞳が綺麗で、喋らせてみたくなった。後はいつもの勘だ、何かを変えてくれる気がした」



使用人の問い掛けに口角を上げたグランツは楽しそうにクスクスと笑いながら答える。


実際、トレーネが来てからの生活はガラリと変わった。

グランツの屋敷に居る使用人達は優秀な為、多少のトラブルなら自分達で解決してしまう。一応報告はされるものの全てが終わった後であり、グランツもソレを良しとしてきた。



その優秀な使用人達も、流石にトレーネには対処出来なかったらしい。



「あぁ、すっかり忘れていた。トレーネの世話係りをする気はないか?」



ふと顔を上げ、紅茶を注いだカップをグランツの前に置いた男を見上げて問い掛けると、男は悩む事なく頷き了承する。



「えぇ、別にいいですよ。いつから?」


「たった今」


「は?」


「丁度いいからお茶にしよう。天気もいいし南の東屋に用意してくれ。私はストレートで、トレーネには甘いミルクティーを。それから、生クリームとシロップ漬けのフルーツとパンケーキ、あと……」


「クスッ。蜂蜜も、ですね」



唐突な指示に一瞬目を丸くした男はすぐに意図を察して笑い、厨房へと向かった。









「あの…………これは…」


「パンケーキだ、知らないか?」



屋敷の南側には大きな池があり、その中心に東屋が建っていた。池の周囲を色とりどりの花が咲き誇り、更に木々が外側を囲んでいる為東屋の中から殆ど屋敷が見えなくなる。


日常から切り離したような幻想的な庭がグランツは気に入っている。



東屋に居るのは給仕をしている男を含めた3人だけだった。



「食べた事はありません」


「食べてごらん、きっと気に入るから」


「…………」



グランツに促され、改めて目の前に置かれた皿を見下ろす。

こんがりキツネ色のパンケーキにたっぷりの蜂蜜と生クリームが盛り付けられ、丁寧にカットした桃のシロップ漬けが添えられていた。


いつまでも手を出さないトレーネを眺めながら考え込んでいたグランツは席を立ってトレーネの隣りに座り直し、皿を引き寄せると優雅な手つきで一口サイズに切ったパンケーキを食べてみせた。

直後口元を押さえて苦しそうにするグランツにトレーネは焦り、男は深く溜め息をつく。



「ッ、ぐ……」


「陛下!?まさか、毒……吐いてください、早く!」



人を呼びに行こうと僅かに腰を上げたトレーネの腕を掴んで引き留めたグランツが少し時間をかけて飲み込むと手を伸ばして自分のカップを取り、煽るように一気に飲み干して空のカップをアイトへ向ければ直ぐに水が注がれ再び一気に飲み干した。



「甘過ぎるぞ!!」


「当たり前ですよ、お馬鹿。クリームと蜂蜜が見えませんか?」


「ったく」


「改めて僕が毒味しましょうか?あぁ、申し遅れました。僕はアイト・ゼーンズフトです。君と似たような立場です、アイトと呼んでください」



男――アイトは片膝をついて腰を落とし呆然としているトレーネと目線を合わせ、にこりと微笑む。


淡い青藤色の髪と深海のような紺碧の瞳は、トレーネの記憶が正しければこの国のモノではない。少し長めの髪は後ろで細工物によって束ねられ、簡素な服装は動きやすさを重視しているようだ。


グランツに対する態度は使用人のソレより気安く、グランツより5才くらい若い彼との関係が全く推測出来ない。



「私、と?」


「いろいろ省略しますがグランツ様に拾われました。この屋敷では気安い態度が許されていますので、トレーネ君もリラックスしてください」


「今日からトレーネの世話係りをさせる。何か必要な物があればアイトに言うといい」


「よろしくお願いします。さ、どうぞ食べてください。おかわりもありますから」


「は、はい……いただきます」



カトラリーを交換するか?と問われたものの首を横に振ったトレーネはこくりと息を飲み、食べ方は先程のグランツを見習って一口サイズにカットし、おそるおそる口に入れて咀嚼する。



「……甘い、です……美味しいです」


「それは良かった」


「ぁ……あの、アイト様」


「アイトです」


「えっ?アイトさ「アイトです」


「……アイト…」


「はい、なんでしょう?」


「紅茶、おかわりください」


「はい」



空のカップを差し出すとアイトは少し嬉しそうに笑ってミルクティーを作りテーブルに置く。


その間生まれて初めてのお菓子に夢中になっていたトレーネは半分程まで食べて紅茶を一口飲み、いつの間にか正面の席に戻っていたグランツを見据えて口を開く。



「王よ…………グランツ皇帝陛下。少し、私の話を聞いて頂けますか?」


「あぁ、聞こう」


「……私は本家の人間ではないのです。分家の、そのまた分家の、もはや一族の血など残ってないのではないか、という程に本家から遠い家に生まれました」


「だが、お前は」


「はい、間違いなく私が長です。証明が必要なら此処が“国”と呼ばれる前からの歴史を語りましょう。貴方は長になる資格がある者を“直系の第一子”だと言った……そもそも其処が間違いなのです。正しくは私の、この白銀の髪」


「髪?」


「“沈黙の民”は何故か次期後継者のみ白銀の髪に生まれ、他の者達の髪は漆黒に生まれた(のち)徐々に白銀へと変化します。私が生まれた時両親は喜び、同時に嘆いたと聞きました」







トレーネは一族の末席に生まれながら苦労無く長の座を手に入れた、本家の者達にとっては災厄でしかない。卑しい子供だと疎まれ、蔑まれながら過ごした日々は辛いという言葉で表せない程だった。


余程辛かったのか、所々の記憶が抜け落ちている事もある。





生まれた直後本家に実子として引き取られ、物心のつく前より後継者として教育を受けた。


産みの親とは一度だけ話をする事が許された。

優しい人達だった。

美しい人達だった。

笑顔が似合う人達だった。


泣きながら、ごめんなさい、白銀に産んでしまった事を許して欲しいと繰り返した母親。何度も何度も、愛していると言って抱き締めてくれた父親。


たった数時間の触れあいだったものの、産みの親を笑わせる事も大丈夫だと言う事も出来ない自分が哀しかった。





当時の長は200を超える老人だった。

“沈黙の民”では何故かは分からないが、長のみが不老長寿の力を持っている。不老不死では無いものの常人よりも長く生き、ゆっくりと老いていく。そして先代の長に死が近付いた頃、次代の長が生まれる。


“沈黙の民”が不可思議だと言われる所以は、おそらくコレのせいだろう。



トレーネが5才になると同時に信用出来る数人に人払いさせ、2人きりになると長は挨拶もそこそこにトレーネの額に指先で触れると、何十年、何百年もの歴史が一気に流れ込んできた。

数日間寝込んでいたトレーネは知らなかったが2人が面会した翌日、長が亡くなりトレーネが長を名乗る事を強制された。







「余程私を殺したかったのでしょう。死んだ方がマシな扱いを受け、食事に薬を盛られた事もあります。“沈黙の民”は歴史を知る為には手段を選ばない。金を惜しまず、自分の娘であろうと平気で売り……彼等は10にもならない子供に同じ事を強要した。逃げ出しても白銀は闇夜に適さない」


「…………」


「白銀は“沈黙の民”の証、この髪は死ぬまで私を縛り付ける……何故私は白銀の髪に生まれたのですか!?何故私を生かしたのですか!?何故、殺してくれなかったのですか……」


「トレーネ……」


「貴方達は、この庭のようだ。温かくて、穏やかで、優しい。でも……知らなければ良かった。此処から離れる事を怖くなるくらいなら知りたくなかった……こんな事なら、あの日…産みの親と共に死んでいればよかった」



ぽたり、ぽたりと暁色の瞳から大粒の涙がテーブルの上へと零れ落ちた。


少し離れた場所で空気に徹していたアイトはグランツのカップに紅茶を注いでポットを置き、怯えさせないように気を配りながら腕を回してトレーネを抱き締める。



「死んじゃ駄目です。少なくとも僕は、君に死んで欲しくないと思っています。君に見せたい物や教えたい事がたくさんあります。だから、死んじゃ駄目です」



最初は背中を撫でるアイトの手が触れる度に緊張していたトレーネだったが、何度も繰り返すウチに慣れてきたのか、そろりと手を伸ばしてアイトの服の裾を握る。



その小さな手に笑みを浮かべたアイトが、トレーネが泣き止むまでの間、死ぬなと言い聞かせる声はトレーネの短い人生では産みの親以外に聞いた事も無い、とても柔らかい色をしていた。

【追記】



《長以外の髪色は10才を目安に変化する》と表記してましたが、じゃあなんで進軍した時に10才以下が居なかったんだよ……と思い直した為年齢についての記述を削除しました。

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