第3話 最初の疑問
③
館内が完全消灯された午後10時。非常灯のみとなったオフィスで青山健太はデスクスタンドの灯りを頼りに翌日に控えた商談のためのプレゼンを1人残って作業していた。三和ホームは10年ほど前、内部告発による労基署の監査で数億円に上る未払い残業代が発覚。それ以降、徹底した労務管理を行うようになったため、夜10時以降の残業は原則禁止となった。とは言え営業職の場合、商談客が重なったり、今日依頼を受けたものを明日までにというような顧客のニーズに対応するため杓子定規にはいかない。社内のルールでは事前に深夜残業の届けを出すことになっているが、やってみないとどれくらいの時間が必要かも分からないので、半ば有名無実化していた。
ふー、と大きな息を吐き目頭を押さえる。何気なく窓の外に目を向けると、完成した例のオフィスビルが見える。あの日、川上奈々美と法務局で土地の登記簿謄本を確かめた。もともとの所有者は個人だったが、売買により帝都建設に所有権移転されていた。通常貸店舗の場合、所有者が建物を建てて店子を集い家賃収入を得るケースがほとんどだ。生保会社でもない限り投資目的での建築は考えにくく、何よりこの地域では供給過剰でテナント募集の看板を至るところで見かける。
よっぽど気になったのか、奈々美は管理会社であった不動産業者を訪ねている。街の小さな不動産屋という風情の会社で社長が1人で営業しているような会社だった。以前は積極的に不動産仲介もしていたようで、三和ホームの社員が来ても不思議がられることはなかった。社長によると、オフィスビル建設の3ヶ月ほど前にオーナーから解約通知が届いたらしい。駐車場の借主は近くの企業だけだったため、明け渡しは容易だったが、長い付き合いにもかかわらず連絡もなかったことに釈然としない様子だった。
物流センターのように全面道路側に2階分ほどはあろうかという大型シャッターが取り付けられていたが、海も高速もないこの場所に拠点を作るとは考えにくい。その時、その大型シャッターが開き、道路にハザードランプを点灯させて止まっていた4t車が建物の中へと入っていった。時刻は夜の11時。こんな時間に?しばらく建物の入り口を見ていた健太だったが、スマホの鳴動音で我に返った。
奈々美からのラインだった。茶化すようなスタンプに続き、「まだやってます??」。ちょうどいい。健太は貸与されているガラケーから奈々美に発信した。コール音が聞こえる前に相手が電話に出る。
「すいません、怒りました?」
「まだやってるけど、そんなんで怒らないよ。それより、あの日社長何か言ってなかったか?オーナーのこと。」
「不動産屋の?どうしたんですか、急に。」
「今、大型車がビルに入っていったんだ。資材積んで。テナントの引越しにしてはおかしいだろ、こんな時間に。」
「うーん、確かに。でも社長は何も知らなそうでしたよ。一方的に破棄されたって怒ってはいましたけど。」
うーん、と健太は考える仕草をしたあと、ややあって奈々美が続けた。
「ちょっと調べてみません?青山さん火曜日ヒマでしょ?」予想だにしていなかった発言に健太は情けないことに少しどもってしまった。
「は、はぁ⁉︎決めつけんなよ!」
「あれ?忙しかったです?」
「い、いや、特別予定はないけど。」
「じゃ決まり。お仕事頑張ってください!」そう言うと奈々美は健太の返事も聞かず通話を切った。先輩舐めてんのか?健太は毒づきながらも嫌な気はしなかった。