第十九話 第5小隊出撃
文机で腕を組んでの、まどろみの中で綾瀬コウはその時を迎えた。非常呼集を告げる喇叭の音で立ち上がる。外套の上から身に付けた装備品を確認し、背嚢を背負ってコウは白夜の外に走り出た。午前2時20分、独立歩兵第283大隊の将兵が司令部壕の前に集結した。
一、〇二一〇竹田浜方面に於いて国籍不明軍推定二個大隊が上陸、交戦中なり。
二、独歩第283大隊は天神山まで進軍し、第二線を構築すべし。
三、帝国陸軍の威信をかけ断固反撃、敵上陸部隊を撃滅すべし。
中隊長の「かかれっ!」の号令とともに、部隊は一斉に行軍を開始した。占守島の気温は真夏でも最高15度ほど。この時間帯は体感では5度を下回っていそうだ。にもかかわらず、コウは緊張で額に汗が滲み出ているのを感じていた。前線へは行かずに済むのではないかというコウの願望は儚く破れ去った。考えてみれば至極自然なことだ。第73旅団を麾下におく第91師団15,000の将兵が隣のパラムシル島から増援される。島内に張り巡らされた永久陣地と寄せ集めではない精強な23,000の将兵。これがこの地の日本軍だった。
怯えた顔つきの者は誰一人いなかった。どの顔にも闘志が溢れ、国と国土を守るという決意に満ちている。気がはやるのか、彼らは今にも走りだしそうな勢いだった。もう戦争は終わっているというのに。
軌道音とともに、地下壕から戦車が躍り出る。1輌また1輌と、真横を通り過ぎた戦車は合計10輌。コウは思わずGPSを確認した。やはり。最後のプレイヤーは戦車連隊だったのだ。音とともに霧に消えゆく戦車に乗っているであろう顔も知らないそのプレイヤーにコウは、死ぬなよ、と小さく呟いた。
三つの足音が聞こえてきたと同時に、背中越しに声がした。コウは小隊を止めて振り返る。
「申告します。野戦病院衛生隊椎名さくら少尉以下三名、第一中隊にお供します。二名前へ。」
まなじりを決して、さくらが敬礼する。
「さくら、何でここに⁉︎」
兵の中には不思議そうな顔をする者もいたので、コウは小隊を先に進ませた。
「ごめんなさい、わたし知ってたんだ。だから平気。それより綾瀬さんと一緒の部隊で良かった。」
白い息を吐きながら、さくらが言う。命令を受けてここにいる以上、帰らせることも出来ない。
「装備はちゃんと持ってるのか?」
先日と同じ2つの赤十字鞄、短剣、水筒、拳銃に背嚢。
「これ持ってる。」
ベルト部分を肩にかけた小銃を見せる。
「弾も定数あるよ。」
腰にはコウたちと同じく弾入れが左右に2つ。赤十字鞄の分だけコウより所持品が多いようだ。
「わかった。危ないから、さくらは小隊の最後尾につくんだ。必ず守る。」
「うん、任せる。」
この時、初めてコウは覚悟が決まった気がした。
天神山までの約20kmを3時間以上かかりながらも走破し、部隊は陣地に到達した。ここから竹田浜までは5kmといったところか。日の出の時刻を過ぎており、霧の合間から薄い陽が後光のように射してくる。遠く砲撃の音が聞こえるが、どちらの軍のものかは分からなかった。コウたち5小隊は同じ塹壕に身を落ち着け、背嚢を下ろした。さくらが塹壕の天端から音の方に目を凝らしたが、霧が濃く何も見えない。
ソ連軍の上陸からすでに4時間が経過している。目的は当然全島制圧のはずだから、第一線を突破する部隊もあるだろう。傍の杉田軍曹がコウに話しかける。
「この霧では航空機による着弾観測は出来ません。艦砲射撃がないなら恐るるに足りませんね。」
その言葉に周りの兵も頷く。やがて、天神山通信隊から戦闘詳報がもたらされた。
占守島北方に配備された重砲によりロパトカ砲台五門全てが沈黙。上陸用船艇多数も海上で撃破。戦車の揚陸は無いが対戦車砲数門を視認。推定損害上陸軍800、我が方200。
「椎名少尉。」
下士官兵の手前、あえてコウはさくらをそう呼んだ。
「衛生隊は国端岬の方にもいるのか?」
さくらは首を振った。
「最も北で四嶺山です。負傷者はそこまで後退させねばなりません。」
両軍合わせて死傷者が既に1,000名。コウには想像もつかなかった。ふいに左手に振動を感じ、コウは時計を見た。GPSに表示された灰色マークが1つ点滅し、そして反応が消えた。さくらがコウの腕を掴む。
プレイヤーの誰かが死んだのだ。