新米天使
僕は、背中に生えた羽を動かしながら、久しぶりの人間界を見て回る。そして――見付けた。
初めての延命の仕事の対象者だ。
***
僕は、天使だ。
いや、天使みたいに癒されるからそう呼ばれている、というわけでも、天使の如き優しい良い人だからそう呼ばれている、というわけでもなく、本当に、「天の使い」、天使なのだ。
僕はもともと普通の人間だったのだが、魂が死ぬ直前に洗われたらしく、そのおかげで輪廻転生の輪から外れ、晴れて天界の住人となり、更に天使として、仕事に就くことが出来たのだ。
そして今は、仕事を始めんとしているところ。初めてなので、最初は先輩天使の付き添いなのだが。
天使としての仕事は初めてではない。だが、この仕事は今までやってきた『死んだ人の魂を迎えに行く』という仕事ではない。理不尽な理由で死なんとしている子供の命を永らえさせる、という仕事だ。
僕自身、この『命の延長』の仕事の対象者になった事があり、そのおかげで老人になるまで生きることが出来た。
だから今度は、僕が他の子供の命を守る番なのだ(と勝手に使命感に燃えた)。
「ミライ、対象者はあの子。出生届けが出されていないので名はない。年齢は十四歳。これまで外に出たことがなかったが、今家出の最中。たった一人の肉親である母親、細川里香から虐待を受けている。このままだと、母親に連れ返されて、熱せられたアイロンで殴られ、死亡してしまう」
隣にいる先輩天使ナノハが、辛そうな顔をして、対象の子の説明をする。
この天使は、昔僕を延命してくれ、僕の人生を変えてくれた恩人(恩天使?)だ。
「わたしたちの任務は、名の無いあの子を、児童相談所に行くように説得すること。幸い、言葉は理解しているようだし、一般教養というか世間の常識は母親のいない間に勝手に見ていたテレビのおかげで、少しは分かっているみたい」
僕は、頷く。
「じゃあ、話しかけるよ」
「うん」
僕等は、ゆっくりと裸足で歩く女の子の方に向かって、下降していく。
「こんにちは!」
ナノハが、そう話しかける。
天使には、人間の考えていることが筒抜けだ。ダイレクトに、その気持ちがこちらに伝わってくる。
現れた、羽の生えた少年と少女を見て女の子はこう思った。
――天使だ。
え?
僕等は混乱した。
なんで納得しているの?
……あ、そうか。
彼女は、親から知識を与えられなかった。だから、初めて知った『知識』を最初から全て信じてしまう。疑う事を知らない。その情報源が、絵本や小説だったとしても。
だから、背中に羽が生えた人間がいるはず無い、という『常識』を知らない。
それ故に、僕等の事をすんなりと受け入れたんだ。
まあでも、そのおかげで話は早い。
ナノハが、もう一度口を開く。
「そう、わたしたちは天使」
「えっ? わたし喋って無いけれど」
「天使だから何でもお見通しなの」
「すごい! それで、何でここにいるの?」
「あなたを、助ける為」
「わたしを、助ける?」
不思議そうに首を傾けた女の子に、ナノハが延命について説明する。
「――というわけなの」
「ああ、やっぱりわたしは殺されるんだね」
「殺されるんじゃないよ。殺されるかもしれないんだよ」
「ややこしいね」
「人の生なんて、そんなものよ」
「そう。そうなんだ……」
「え、あ、あの、そんなに真に受けなくても良いからね」
「え、嘘なの?」
「嘘じゃないけど、その、取り立てて信じるとかそういうのじゃなくて、言い回しというか何と言うか……」
「ストップストップ!」
永遠に続きそうな押し問答に、僕はストップを入れた。
「話が進まないから、一旦ストップしよう。それに君、裸足で立ちっぱなしじゃ辛いでしょ? どこか座れる場所を探して、そこで話そう」
「そうだね。その方が良いよ」
「分かった」
僕の提案に、ナノハ、女の子の順で返事が返ってくる。
僕等は、移動を始めた。
******
僕等が着いたのは、ごく小さな児童公園。ブランコと砂場と鉄棒と滑り台とベンチがある。
そこのブランコに、女の子は座った。
「これが、公園なんだね。ブランコも初めてだよ」
そう言って、笑う。
この年の少女にしては、幼い笑顔。
ああ、世界に触れてなかったんだな。
そう気づき、僕は哀しくなった。
でも、そんな顔をしちてはならない。
僕は天使なのだから。
哀しげな顔をしても、誰も助けてくれない。助ける側にならなくてはいけないから。
――この子を、不安にさせてはいけない。
女の子は、ブランコに飽きたのか、いつのまにか滑り台へと移動していた。
暫く、彼女は公園の遊具で遊んだ。
「これって、どうやって遊ぶの?」
鉄棒の横の棒を握って、僕等に問う。
ナノハが、レクチャーする。
「手で、自分の体を持ち上げるの。ジャンプして。そうそう。で、前に体を倒す。おおー! 見た、ミライ!」
「うん、見た見た」
「すごーい! 楽しい!」
それから何回か前回りをやってみせて、ブランコに戻った。
ギィ、ギィ、とゆっくり前後にブランコを揺らしながら座る女の子と、作戦会議をすることになった。
「まず、あなたに質問があるの」
ナノハが口火を切る。
「あなた、今の自分の状況を知った上で、生きたい、生きて行きたいと思える?」
「思う。思える。絶対に、死にたくない」
「それならいいの。じゃあ、作戦会議だ! えっと、死なない為にはまず、お母さんの手の届かないところに行かなくちゃいけないの。で、わたし達には心当たりがあるの。それは、児童相談所」
「じどうそうだんじょ?」
「そう。児童相談所。他にも色々仕事はあるんだけれど、虐待を受けている子供の一時的な保護をしてくれたりするの。あなたには、今からそこに行ってもらおうと思っているの」
「児童相談所。分かった。場所はどこ?」
すんなりと、女の子は受け入れてくれた。
これならすぐに、この子を助けることができそうだ。
「じゃあ、今から行きましょう」
******
夕方の薄暗さに包まれた住宅街を、少女が歩き、その隣を天使が飛んでいる。天使の姿は他の人には見えないが、どちらにしろ不思議な光景だ。少女は裸足で、来ている服も襤褸だから、幽霊だと見間違えられても疑問の余地は無い。
やがて……。
僕にとって見覚えのある景色が僕等の横を通り過ぎていく。
生前の僕が住んでいた町だ。家には、息子とその家族が住んでいるはずだ。
なんだか懐かしい。
もし僕が生きていれば、涙を流していたろう。
それほどの感慨が胸を占める。
……なんて、そんなことしている場合じゃない。仕事だ仕事。
更に道を歩く。
ナノハと女の子は、ずっとお喋りしている。
女が三人集まれば姦しい、なんてよく言うけれど、二人でも十分喧しい。これだから、擦れ違う人々に好奇の目線を向けられるのだ(一人で存在しない人と話している様に見えるから)。
やがて、住宅街を抜けて大通りにでた。
夕方だからか、人がまだ多い。
「もうすぐ、児童相談じ……」
「アンタ、何でこんなとこに居んのよ」
ナノハの言葉を遮って、女の子に向かって言う、女の人が現れた。
「お母さん……」
女の子が呆然と呟く。
こいつか……自分の娘を、虐待する、最低の、母親――もとい、こんなのは母親とは言えない――この子を産んだオンナ。
「逃げるよ!」
僕は、女の子に言った。
女の子は、ハッと我に返り、踵を返して走り出した。
僕とナノハが少し後ろからついて行く。
オンナも、走って追いかけてくる。
僕は、女の子に方向を指示する。
「真っ直ぐ! 真っ直ぐ! あと三つで右に曲がって! 次、次、そこ! もう少し走って……ストップ! この家にピンポン押して!」
女の子は、僕の指示に素直に従い、インターフォンを押した。
お願い、早く……。
やがて、玄関の扉が開いた。
出てきたのは、若い女性。
僕は思わず叫んだ。
「美久!」
「ど、どちら様?」
美久は、襤褸を来た少女を見て、戸惑った様子だ。
女の子は、言った。
「た、助けて! お母さんに殺される!」
******
美久は、この女の子を家に招き入れた。
そして女の子を一晩家に泊めた。
お陰で僕は、自分の家族の今の状態を見ることが出来た。
永久という名の息子とその奥さんは、白髪が増えていた。
美久という名の孫は、成人していた。
それ以外は、殆ど何も変わっていなくて。
妻も――まだ健在だった。
泣きたくなった。
涙はもう出ないけれど。
その代わり、届かない言葉を呟いた。
愛していたよ。今も、愛しているよ。
と、笑顔で。
言葉は届かないが、気持ちは伝わっているはず。そう信じて。
次の日、美久と永久は、女の子を連れて児童相談所に行った。
女の子の親は、見当たらなかった。
見失って、どこかへ探しに行ったのか。
それとも、どうでもいいやと家に帰ったのか。
兎に角、女の子は保護された。
僕の初仕事は、こうして終わった。
******
女の子は、子供のいない夫婦に引き取られ、育てられることになったそうだ。
名前も与えられてこれから、愛されながら、生きて行く。
「笑い上戸な名無しの天使 ――ミライの未来」の番外編となっていますが、本編を読まなくても楽しめます(でも読んでくれたらもっと楽しめます。ついでに作者も嬉しいです)。