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ソープオペラ

作者: こま

 気が付くと、カップアイスをかき混ぜていた。


 のちのちのちのち


 とけかかって柔らかくなったアイスは空気を含み、スプーンに適度な抵抗を与えながら渦を描いている。甘ったるいバニラの香りも一緒に部屋に溶け出し、エアコンの効いていない部屋は、粘度を持ってもったりと暑い。梅雨が明けきらない7月の中旬。

 紙製のカップは既に汗をかき、へたりかかっていた。

「あつい」というのもだるい。なら、だつい。


 エアコンも、部屋の隅に置いてあるカラーボックスも白い。床に適度に散乱したTシャツ達も無彩色が多い。静かで白い空間。そのままカップアイスの中にすっぽりおさまっているみたいだ。

6畳バニラハウス。ぬるいけど、何となくねとねとしてる。


 汗をかいているのは、コウも同じだ。

 ブラトップの黒いタンク1枚にも関わらず、脱げるなら皮膚まで脱ぎ捨ててしまいたい程、あつい。

 濡れた髪は、気化熱を伴って少しはコウの頭を冷やしてくれるかと思ったが、そうなってはくれず、むしろ蒸れたようにもあもあと嫌な感触を耳に与えていた。

 もう少し長かったらまとめてしまえるのに、あいにくコウの髪は耳たぶより少し長い位だ。

それ以上伸びると、落ち着かなくなり切ってしまう。寝癖がついて、案外手入れが面倒なのはわかっているが、衝動をおさえられない。我慢つよいのか、忍耐がないのか。


 スプーンをぐるぐる回しながら、コウはいらいらしていた。

 風呂上りで火照り、白いショートパンからぷらぷらさせている脚は、時々その先にあるバニラアイスのような少し黄味がかった貴奈の腹にぶつかる。


 貴奈は貴奈でパンツ一丁だ。

 左腹を床につける形でうなだれるように目を瞑り、横たわっている。

 見るからに情けない。

 しかし、過剰な脂肪も筋肉も持たない貴奈の腹は、思いのほかひんやり湿っていて、あんがい気持ちがよい。触れた瞬間、ぺたりと軽く吸い付く感じがする。

 ふにゃんと笑いそうになる。いらいらが吸い込まれていく。

 コウは飽きずに足をくっつけてははなした。


ぺちぺちぺちぺち


 足の甲が触れる度、振動は貴奈全体に伝わり、貴奈の元・茶髪、現・黒髪といい張るこげ茶色の髪の毛が揺れる。ケアしないから傷みっぱなしの髪の毛は、軽く引っ張っるだけでぱらぱら千切れてしまう。とてもはかない。

自分で似合うからといってショートにしているけど、ロングだと持たないのだろう。今時、男でロングも無いだろうが。違う意味で持たないだろう。正直、ロングだったら脂とかでべたべたしてそうな気もする。ケアしそうに無いし。

想像しただけでげんなりする。

今もフローリングには貴奈の毛が何本か散乱している。無常だ。


 またそろそろ切らないと、と思いながら、だるくてなかなか切りに行けないでいる水気を含んだ自分の黒い前髪を上目使いで視界の端に捉えつつ、しんでもあんな髪にはなりたくないとコウは思う。

 あんなんになるくらいなら全部剃るか抜く。いさぎよく一本残らず。


 文字通り毛嫌いしている貴奈の髪だが、髪型は結構コウと似ていたりする。

更に言ってしまうと、背格好のみならず佇まいも似通っているらしく、構内を歩いていると貴奈だと思って声を掛けられることすらある。入学当初は、姉弟だと思っていた面子も多い。

 皆いい加減なのだ。

声を掛けた相手がコウであろうと貴奈であろうと、どちらでもよさげでもある。

実際、そんなものだろう。授業や課題、サークルの事、話す事自体も話しても話さなくても一緒であったりするものも多い。だから心地よかったりするのだけども。

 繋がりとはいえない程度の束ねた感じの関係。ラインは引っ張ったらするりと、どこに絡まる事無くほどけていくのだろう。


ぺちぺちぺち


 髪といっしょに腹も揺れる。

というよりもふるえる。こっちはうらやましい。過剰でもなく少なすぎる事もなく。

もちもちとしてさわり心地がよい。女子ならば、きっとモテ腹である。

 自身のそれは、ホライズンっといった趣でつるりと平たくそっけない。

ダイソーに並んでいるプラスチック製品に質感が似てる気もする。仕方がないから買うけれど、目にする度に何かが薄く削り取られていく残念な感じ。ぺらぺらしててなるべく視線を合わせたくない。


 コウにはない、ちょっとあやういあのやわらかさが貴奈と自分の違いかもしれない、などと考えてみる。腹だけを見たら、きっと誰もコウと貴奈を間違えたりしないのにな。

 憧れを込めたため息を吐いて、コウはまた腹を見つづけ触れつづける。


 あれもたべときゃ良かったな。

貴奈の腹の上に貼りついたカップアイスのふたを見て、見得をはったことを後悔した。

 ちょっと舐めてみようかと思ったけれど、恥ずかしくなって貴奈の腹に貼り付けてみた物体。結構おいてみると様になってるような気もする。ロゴがちょっと斜めになっていい感じ。

舐めなくて良かったかな。でもだれもみてないんだから、気にするんじゃなかった。


だれもみてなのに。


だれもいないのに。


コウはふふぅと息を吐いた。



だれもいないだれもいないだって貴奈はしんじゃったもんね!



 コウはふふぅと笑った。

漏れでた笑いはふくふく膨れて、大きな口を開けて笑いつづけてしまった。おかしくて、仕方がない。

                   ※

もた。


 気配に気づいて目を向けると、カップからアイスがこぼれ落ちていた。

笑いがアイスに吸い込まれていく。とたんにたべものに見えなくなる。

 フローリングの溝を溶けたアイスはついついと走っていく。海にでも帰る気だろうか。うへ。でも貴奈の腹の上のふたにはまだ未練がある。ある、ような気がする。

 アイスのふた、おそるべし。


 そのふたがすべった。

あ、と思う間もなく、バニラアイスの手が腹をぽりぽりとかきだした。ふたが乗っていた場所は、ちょっと赤くなってる。かゆかったんだと見ていると。

 ぽりぽりぽり。貴奈の目が薄くあく。ちょっとまぶしそう。また閉じた。

閉じたまま眼球をふにゃふにゃ動かしてから、仕方がないなという感じで薄目を開け、ふたをはたき落とす。貴奈が、すいっと立ち上がる。


思い出したようにコウはいつものせりふをつぶやく。


「立った。貴奈が立った。」

抑揚無くいうのがポイントだと思う。

「あ、いきかえりました。」

貴奈も片手を挙げて軽く頭を下げながら抑揚無く返す。ポイントなんだろう。


 しんでいる貴奈の時間が終わった。

貴奈はまたいきてる貴奈の時間にもどってきた。


「――いくじなし。」

 これはアドリブ。サービスのつもりだったのにふぁあぁぁと貴奈は大きく息をはくだけだった。

無視かよ。ちょっと恥ずかしい。というかかなり失敗した気がして、変な汗が、脇にじとっと浮かんでくる。

 しかし貴奈はなおもコウを無視し続け、鼻をすんすんしている。犬みたいだ。しんでるときは息も殺さないといけないから大変らしい。


 しんでもしんでも平気でいきかえる貴奈はいう。へん。いくじなし。


                   ※


 毎週1回1時間、水曜日の午後9時から10時まで貴奈はしぬ。

それはもう、規則正しく。


「自分ひとりだとねてるだけのような気がするから」

とかいうよくわからない理由で、コウが呼びだされる。

 コウがしんだ貴奈を見て、やっと貴奈はしんだ事になる。らしい。

コウは貴奈がしぬ為に必要な人間。らしい。


 コウは実はよくわからない。わからないけど、この時間はきらいじゃない。

イベントだから?ちょっとちがうかもしれない。

もっと当たり前の事に位置づけられるような気がする。

月曜の次が火曜と決まってるのと同程度に空気に馴染んでいる出来事。やっぱりちょっとちがうか。


 わからないけど、この時間が過ぎるとコウは貴奈の部屋から速やかに追い出される。それは明瞭で明確だ。

お礼をいわれる訳でもなく、コーヒーを飲むわけでもなく、談笑も挨拶もない。余韻なく、あっけなく、あっさりと。


 今日とてそれは変わりなく、寄ってきたハトを追っ払うレベルの邪険さでコウは貴奈の部屋の外に放り出された。

 アイスも、そのふたも、そのままだ。コウだけが追い出された。これも貴奈のしぬ時間のイベントの一部なのかもしれない。


 いきている貴奈にはコウはいらない。

 いらないならコウもそんなコウはいらない。


 願い下げだ。いらないならいるというところに行くだけ。

洗面器を抱えてコウは10時の住宅街を歩く。

外の方が貴奈の部屋より断然涼しい。

重さがちがうというか。まず密度がちがう。街灯がぽつぽつある位でほとんど人は歩いてないけれど、よっぽどウェルカムな空気が漂っている。

 ここはいても、いなくてもいいけれど、少なくてもきっといらないとはいわれない。

ちょっとだけ安心して、ほっと息をつく。


しゃしゃしゃしゃ


 コウの履いているビーチサンダルがアスファルトにすれる音が響く。

鼻緒の部分を指のまたに食い込ませながら、その音に追いかけられるようにせっせせっせとコウは歩く。


 帰ったら、何しよう。風呂は入ったし、後は寝る位しかする事もない。

普通に歩けば5分でアパートには戻れるが、何となく歩きたい。帰る気になるまで歩いてみようかな。考えがまとまらなくて、とりあえず足が動くのに任せる事にする。


                    ※


…かこん

そうとは決めたもののしばらく歩き続け、急につまらなくなって、コウは洗面器を落としてみた。

洗面器は転がりもせず、落ちた音はそのままアスファルトに吸い込まれてすぐ消えていく。何にも、本当に、何にも起こらない。

 つまらない。つまらないって思う事自体が既にもう、つまらない。

何にも起こせない洗面器が不憫になって、拾いあげて抱えなおした。

無かった事にしよう。

 コウは気を取り直し、歩き出した。またしゃしゃしゃという音だけが広がっていく。


 洗面器とフェイスタオル2枚。貴奈の部屋に行くときは必ずもって行くのは、これだけだ。タオルは体を洗う用と拭く用の2枚。


 貴奈がしんでいる間、何をしていても基本、貴奈は何もいわない。

しんでいるから、当たり前といえば当たり前な気もするが、手持ち無沙汰でもある。

 最初はテレビを見たり、雑誌をめくったりで暇を潰していたが、相手にされないとはいえ、同じ空間に人がいるのにそれを気にせずひとりで気ままに振舞うのは、結構つらかったりする。

 どうしても、相手の気配を窺ってしまう。1時間がとてつもなく長く長く感じるのだ。


 あまりにもする事がなくて、冗談で風呂に入ってみたら意外に快適で、いつの間にか貴奈の部屋=銭湯という意識が染み付いてしまった。正直40分は潰せるから、気が楽でもある。


 週イチで貴奈がしぬように、コウは週イチで銭湯・貴奈の湯に入るのだ。


 銭湯なんて意識があるのは貴奈の部屋の風呂には富士山がかいてあるからだ。

ただし文字で。しかし、極太だ。しかも何回もなぞったらしく、太さがブレている。


 酔った勢いで貴奈の友達がよってたかってかいたらしい。

でも何回みてもコウには貴奈の筆跡のように感じる。左上がりでちょっと長体の文字。

太くなってても、なさけない感じのする文字だ。

 大体よってたかる程貴奈に友達なんていたかなと思う。

風呂場で大挙して余計な事をするやさしい面々。そういえば昔、古典の授業で「あまたぐして」ということばが大層だなと思った事を思い出したりする。


「全然あまたぐしてねぇ。」

 歩きながら声に出してみた。黙ってると夜の空気に吸い込まれそうで、ばかばかしくて、

だからこちらも対抗して、ばかばかしく振舞ってしまう。

 聞き役は洗面器。黄色で気立てのいいヤツ。

駅前のダイソーを故郷とする丸いヤツ。貴奈の湯に向かうようになってから、マーキーでケロリンとノリでかいてしまって後悔した一品。

落とした拍子に擦り傷がついてしまったがそれは見ない事にする。

 見てしまったら、やっぱり何か負けだ。そむけるように意識を貴奈の湯に戻してみる。


「あんなん大家にみつかったらやばいだろうなぁ。」

 酔って充血した赤い目をとろんとさせた貴奈が、空のバスタブの中で足を踏ん張り、執拗に文字をなぞる姿がぼんやり浮かんだ。


 口の端は少し開いたまま、自分のものと気づかないまま呼吸音をBGMに作業を続けるのだろう。せつない。せつないよ貴奈。その場にいたら背中思いっきり叩いてやるのにな。

 貴奈だとその姿がはまりすぎてて、そこから抜け出せなくなったらどうしよって不安になってしまう。引っぺがしたい。そこまでする義理はないんだろうけど、こういうものって衝動だもんな。


 一心不乱に富士山とかき付けている貴奈が、一瞬動きを止め、振り返る。

 その顔がコウに入れ替わり、あわてて思考を打ち切った。


 いっそ今度大家にチクッてやろうか。ふいと立ち止まって考える。

どうだろ。あんまりおもしろくないか。

 夜道を歩くととりとめない事がくるくる後を付いて来て、パレードを始める。コウは少し勇気付けられ、元気を取り戻す。


                    ※

ぱっぱっぱっぱ


 ビーチサンダル以外の音がする。

曲がり角に人影を見つけてコウはだまった。



 通り過ぎて5秒数えてからまた声を出す。

今度は少しだけ調子に乗ってみる。


「何故、貴奈家に向かうのか…。

そこに風呂があるからだ。」

居心地はいいんだけどとか、少しでも貴奈に有利になる事はいわない。いうものか。


 また物音がして誰かがやってくるのに気付く。

何だか音が不規則だと思ったら今度は酔っ払いだった。

 ふらりくらりとやけに意思的にこちらに向かってくる。上着は無いけどネクタイは締めているからサラリーマンかもしれない。

 でも3本も締めてる。何を考えてそうしてるのかも分からないし、コウは知りたいとも思わない。歳もわからない。中肉中背?40歳位?不惑。それも知りたいとは思わないから考えない。

 惑わないのは昔からのコウの性分だ。と思う。気になる事しか、気にできないのだ。


「よう、酔っ払い。」

 気にしないはずなのに、楽しげなのが何だか妙に癇に障り、つい声を掛けてしまった。

洗面器に。じゃなくて酔っ払いに。あ、と思った時には遅かった。

 でも。酔っ払いは酔っ払いだ。

それ以外の何者でもない。年齢とか格好とかなんてどうでもいい。どうでもいいのはコウも同じだから、どうなったっていいや。やけっぱちで、腹をくくる。


 しかし、コウの緊迫感をよそに、酔っ払いはふらりくらりと気持ちよさそうに歩いていき、通り過ぎていく。

コウは見えないようだ。見ない事にしているのか。

コウは洗面器を持ち直す。


「コシガエさん!」

 適当な名前で呼んでみる。酔っ払いはひくりと動きを止め、ぼんやりした顔をこちらに向けた。よし。よしじゃないかもしれないけど、取り合えず、よし。

知らずどきどきと耳の後ろが熱くなる。

「なんだ。君か」

 酔っ払いコシガエはコウと向き合った。

コシガエがコウを見る。コウを見て、コウの手元、洗面器を見る。見つめる。凝視。


「ややすま、すまん。本当にすまん」

 たっぷりは10秒、洗面器を覗き込んでから、突然彼は謝りはじめた。

明らかにコウに向けてでは、ない。洗面器に、頭を下げている。無視。

あっけに取られて、謝ってるのにえらそう、なんて事が気になってしまう。


 へこへこと酔っ払いは気持ちよさそうに洗面器に謝ったあげく、謝ったら、気が済んだという感じでそばにあった電柱に向かって3度敬礼した後、おもむろにベルトを外し、それも首に巻きつけ、立ち小便をし始めた。


 何がすまんか。じょぼぼぼぼという音を聞きながらコウは歩き出した。不惑なんか嫌いだ。FUCK。


                    ※


 しばらく歩いて、どうにも収まりが付かなくなって、今度は歩きながら泣いてみた。

ツボを外さなければ、心なんて単純だから涙なんてするするっと呼び寄せられる。

 酔っ払いの立ち小便よりは勢いが悪かったが出そうと思えば多少なら出るもんだ。よしよし。洗面器を抱えながらコウは半笑いで泣いた。


 洗面器は叩きつけたかったけれどできなかった。

これが無くなったら、貴奈の風呂にもきっと入りづらくなる。

 やさしくふわふわした、手に余るイラつき。ひよこを手のひらに乗せている時のような、不安定な安心感。貴奈がしんだ後は、大なり小なりいつもこんな気持ちを持て余す。

 とはいえ今日も無事に貴奈をしなせる事ができたのだから、良いのだろう。

良いとするしかないだろうと結論付け、いい加減帰路に向かう。

南無。


                    ※


「ゲーム、あるじゃん。ちょっと昔系のRGPとか。

 …そう、あんな感じ。おれ、あんな感じにしんでみたい。」


 あの日、学校に向かう環状線の車両で隣り合って座っていた貴奈はそういった。

日差しを浴びた貴奈の髪の毛が普通に茶色だった頃だから、2月位か。不覚にも猫の毛みたいで綺麗だなって思っちゃったんだっけ。

「しぬ。」

 ピザまん食べたいと思いながら聞いたから、多分それであってる。

少なくとも冬だった。

電車の座席がもあもあ暖かかったから。貴奈もしましまの変な色のマフラーをしてたような気がするし。


「そ。しぬ。

 ほら、イベントとかでキャラ死んじゃう時は、ちょっとかわいそうとか思うけど、

 普通の戦闘の時とかさ。

 あれじゃん?あんま何も思わないじゃん。あ、しんだ・みたいな感じで。」

「むしろムカツクよね。」


 昼の環状線は人もまばらだったが、斜めの優先座席のおばさん、と面と向かってはいいにくい位の年齢の、でもやっぱりおばさんが目をつぶったまま眉毛をひょことあげた。 

 がっつり聞き耳を立てられるのは嫌だけど、聞こえるか聞こえないかの距離感が、ちょっとうれしい。

「そそ。それ。倒れてしんじゃってるのに、基本みんな無視で、

 戻ってきたらまた普通に仲間に入ってるだろ。」

 そんなような気もするけど、そこまで考えてプレイしたことがコウにはない。ゲームをする時ゲームをする以上の事なんか考えないんじゃないのか。

 ハムスターが車輪をくるくる回している時の気分って、あんなものかもしれないとは思うけど。

「うざすぎて逆に笑える。うん、うざい。」

でもそういっておく。おばさん、何かリアクションしてくれないかな。しないか。

「そういう場合復活してもHP1とかだし、またすぐしぬし。」

 まあ、おばさんなんかどうでもいいか。


「おれはそんな感じでしんでみたい。」

みたい。何が?


 おばさんから視線を移して覗き込むと貴奈は目をつむっている。

口の端が程よく緩んでいる。その口の先はあの変なマフラーに軽く当たっている。よく見るとマフラーには、貴奈の茶色い髪の毛も所々ついている。うわ、きたない。しんでもあのマフラーには触りたくないなと思う。


「しんでみたいんだ。」


 貴奈はもう一度いった。

 すごく満足そうな顔。

 これはすでに何回も反芻した上でコウにしゃべった感じだ。練習しないとあんなにうまくいえないだろう。どこで、どのように反復したのか。風呂場かな、とアタリをつけてみたが、貴奈はそれっきり言葉をつながない。どうもあとはコウのリアクション待ちらしい。


「それ、いいの?」

 どうかえせば判断しかねて妥当かなと思う返事をしてみる。

まあギリギリ及第点の応答だったらしく、さっき程は嬉しそうではないものの貴奈は薄く笑った。


「たぶん。ま、やってみないとわからないけど。でね。」

コウが必要だ、と貴奈はいったのだ。


 電車が緩くカーブする。

 それに合わせて体が貴奈の方に傾きそうになるのを、反射的に反対側に膝に力を込めて姿勢を保った。

傾いたらあの変なマフラーに触ってしまう、そう思いながらコウは頭がくらくらした。あぶない。あぶない。必要?

「ひとりでしなよ。それで不甲斐ないとかいわれなよ。」

必要。

「それじゃ嘘ぽいんだって。てかそれエフエフじゃねえよ。」

 エフエフベースだったのか。

 そうじゃなくて。うーんとちょっとコウは考えてみる。

 電車乗ってる間を埋めるいつもの意味無しトークだと思っていたが、どうも迂闊だったらしい。

うん、必要?どう返せばいいんだ。


「彼女に頼みなよ。」

これは思惑通りの疑問だったらしくて貴奈はいい終らない内にこたえた。

「…佐々木さんはだめ。」

妙にきっぱりいう。


てか未だに何で苗字なんだよと思ったがそれはいわない。

 貴奈は大事にしたいもの程、うんと遠くに置く。きらって微かに光る位の位置に、そっと置く。そして、光り続ける事に安心してながめて満足する。つるんでまだ一年経っていないけど、そうした事は割りと見えてしまうのだ。


 その内消えてしまってもしらないけどねっていってやりたいけれど、そこまでの義理がないからそれもいってやらない。いつか身をもって思い知るがいい。

 とはいえ佐々木さんとはうまくやってるみたいだから、貴奈がそれを知るのは、多分もっとずっと先だ。

 いわないから多分、踏ん張らないと触れてしまうような位置にコウは、いるんだろう。それもそれで面倒なものなんだけど。


 何となく直接覗き込むのははばかれて、窓に映った薄い輪郭の貴奈を眺める。

飛行機みたいな眉毛が眉間で衝突しそうになってる。こんなにどうしようかなという顔がわかりやすい奴もいないだろう。


 こっちが助け舟を出さないでいると、金魚みたいに口をもぐもぐさせ始めた。たまにこの人、おじいちゃんみたいになるなとわらいがこみ上げてきたが、ぐっと押しとどめる。

さらにもぐもぐさせてふーっと息を吐くついでに、ようやく貴奈はつぶやいた。


「何ていうかさ、コウは必要以上いないから。

 必要な時必要最低限必要でいてくれるわけ。」


 これも用意してた答えらしい。何とも用意周到な事だ。

 それにしても。

 必要必要いいすぎてるけど、それって結局必要なのか必要でないのかわからない。

それに

「ほめてるの?」

そこもわからない。

「とりあえず。」

 気恥ずかしくなったのか、口をもぐもぐしたまま目をつぶって貴奈はマフラーに鼻を突っ込んでいる。

自分の保有物って何であんなに無頓着になれるんだろうなぁ。安心ってこわいなぁ。って。ほめているのか。

「ほふーん」

と妙な声がでてしまう。


 それを合図にしたみたいに電車のアナウンスが遠くわしゃしゃと聞こえてくる。

何をしゃべってるのか分からないけど、とりあえず次の駅が近いのは分かる。聞く方も話す方も必死さが足りないから、単なる空気の流れに近い。でも。電車のアナウンスなんてその程度でOKだ。

 音が鳴ったらそれでいい。必要最低限の合図。

貴奈がいってるのはこれの事なのか。それだったら微妙だな。

「…あのさ。」

 電車のスピードが落ちていくのが分かる。

窓の外のビルの並びで、次が降りる駅だと確認する。正直アナウンスって、いらないかも。


「とりあえず保留。」

 貴奈はまあそうだろなという顔をする。

飛行機は衝突したままだ。あんまり表情のバリエーションがなくて、またわらいそうになる。

 けれど、きっとそれは必要がなかったからなのだろうと思い至る。思った事がきちんと伝わるなら、ツールは複雑化する必要はない。それですむならそのままの方がきっと幸せなのだろう。

 健やかな貴奈少年のこれまでを勝手に想像し、あたたかな気持ちになる。


 わけが分からない事を頼んでいるのは自分で分かってるらしいから、よしとしよう。保護者のような気持ちで、そのまま電車がホームに滑り込んで扉が開くのをぼんやり眺めながらそのまま降りようと立ち上がった貴奈を見上げて、ちょっと悪い事したかなと思ったから


「ちょっと待っててよ。」

電車のアナウンスみたいにすらっと出た。


「一周まわって考えるから。そこで待ってて。」

 ふはっと半笑いの貴奈をホームを残してコウは出発した。衝突したままわらってやがる。

まあこの時点で90%はOKしてる事になるだろうな、と思いながらコウはくるくる回り始めた。


                   ※


 結局一時間後、ホームに降り立ってみると、ガタガタ震えながら本当に貴奈は待ってた。

 ただ、そのせいで当然のごとく風邪を引き、肺炎になり、軽くしにそうになったりしたのだがそれが何だか落ち着いた3月、はじめて貴奈はしぬ事になった。


                   ※


 星が3個も見える。

 晴れていて、「しにはじめ」の日としては、お日柄がいいのかもしれない。何だかんだいって初日だしと、張り切ってしまって30分も前に家を出た。


 仏花用の菊と線香、ローソク・線香、数珠を携え、黒っぽい服を着ていった。喪服はさすがにやり過ぎだと判断した。そもそも実家にしかないし、取りに行くのも送ってもらうのも何だか恐ろしくてできる訳ができなかった。


 それでも、貴奈はそんなコウをみてちょっとびびったみたいだった。

扉を開けたまま固まってしまい

「うっ。」

とかいいながら鼻をすこし赤くして半泣きになった。

そして、あろう事か扉をそのままばたんと閉めた。


 あっけに取られていると、流石に悪いと思ったのか、そうっと扉を開けなおし、

「そんなにかしこまらなくていいって。」

ぼそっと目を見ず、つぶやいた。

嘘でも本格的に死ぬのは嫌、なのだそうだ。


「…意味がわからない。」

思った事をフィルターを通さずに言葉にするのは、あまり好きではないが、この時ばかりは脳が考える前に、言葉が音になっていた。

「いや。お前の方がたいがい意味がわからないって。

 つか、わかっててもらわないと困るし。

 びっくりしたのは、悪かったけど。」

「取り合えず一旦部屋に入れてほしいんだけど。」

「はぁ。」


 仕方なくといった形で、奥に引っ込んだ貴奈に続いて部屋に入る。

 何だか釈然としないまま、貴奈は貴奈で自分の思いを語り始めた。

あくまで貴奈が求めるのは日常の延長線上にあるナチュラルな死。

それでいて復帰可能な「し」なのだ。…そうだ。

 貴奈はフローリングに自分はクッションも敷かず正座しながらこんこんと話した。

それってしぬって事なのか。何か納得いかない。気がする。


「都合が良すぎるよ、貴奈。」

「…都合が悪くなったら困るし。

 ちょっとは常識でものを考えてくれよ。」

憮然とした態度で貴奈は答える。

 まあ確かに落ち着いて考えて見ると、本格的にしなれたらコウも困るといえば困る。

事が起こった時、何をどうすればいいのか、さっぱり見当がつかない。

…ふがいない位でちょうどよいのかもしれない。

 だいたい貴奈は「しにたい」のではなくて「しんでみたい」といっていたのだ。お試しクーリングオフ付きお手軽のし。


 うーん。しょっぱなから出鼻をくじかれたような気がした。

コウと貴奈の考える「し」はだいぶニュアンスが違うらしい。

 まあ、ばっちり合致していたら、それはそれで気持ちが悪い気もする。

うやむやな気持ちをそのままにして、コウは納得した振りをした。


 それにしても。

だいたい少しは身辺整理というか、掃除をするなり部屋をこぎれいにでもしてるのかとも思ったがそういった事もまるでない。

 テレビは付いたままで、画面の中ではばたばたと芸人が飛び回っているし、コタツの上にはコンビニ弁当が半分残ったままおいてある。この男は、腹ごしらえを済ませてからしぬつもりだったのだろうか。たるんでいる。気合入れて損した。


 がっかりしたけど、がっかりしたから、安心した。だから続けてしまったのだ。

ポイントは、深く考えないこと、なのだろうとコウは思う。気が付けば既に十数回も、貴奈のしに立ち会っているのだ。

 こういった事は、流れに任せてしまうのが一番いいのかもしれない。

貴奈が満足するまで、ただ付き合ってやるだけだ。

付き合ってやる義理も、意味もないのだろうけど。

 意味がないから、続けられるのかもしれない。

意味のないのに繰り返している事なんて、毎日嫌という程ある。無理にラベリングせず、

そのままそっと受け入れてやればいいのだ。


                   ※


 水曜日、いつも通り風呂から上がってくると


むーんむーんむーん


床に放り出された黒い携帯電話が、ちょうど振動をはじめた。

いつもはこの時間、電源を切っているようなのだが、元々連絡が来る事も少ないためかオフにするのを忘れていたらしい。

「…携帯、鳴ってるよ。」

 貴奈に声を掛けるが、むろん貴奈は微動だにしない。わかってたけど。

携帯電話も心得ているのか、3度ふるえた後はしんと大人しくなった。

メールなら、放っておいてもいいか。

何気にサブディスプレーに目を向ける。


「りか」


 飛び込んできた文字は、きらきらと穏やかな光を放ち、ゆるぎがない。

星座のように遠くにあるから、近くに感じられる光。

メール着信を知らせるランプが、蝶が羽ばたくリズムでゆったりと明滅する。

くらくらとして、倒れそうになる。

「佐々木さんじゃん。」

つぶやきは、しかし貴奈まで届かない。予想以上に貴奈も遠くにいる。


「佐々木さんだよ。」

携帯電話を手に貴奈に近寄るが、貴奈は動かないままだ。

「ねぇ。佐々木さんだってば!」

しゃがみ込み、肩を揺するが反応がない。

佐々木さんが。佐々木さんが。佐々木さんなのに。

 貴奈は向こう側に横たわったままだ。佐々木さんだから、貴奈は動かない。


 白い腹の透明な産毛が見えるまで、つくづくと貴奈を見やったが、こちらに帰ってくる気はないらしい。そのまま床に吸い込まれていきそうだ。

 それ以上、見つめていたらコウまで一緒に吸い込まれていきそうで、うなだれて腹にそっと頭を載せてみる。腹枕。

 貴奈はそれでも身じろぎしないし、相変わらずしんだままだ。


 ならばこちらもしんでやろう。コウはゆるゆると目を閉じた。


 呼吸に合わせて、腹が微かに上下し、コウの頬を押し上げる。

たぷたぷと腸の中を何かが移動する音がする。

ふわぁとまぶたが、あたたかくなる。すごく、気持ちいい。

自身の鼓動を耳が拾い、どくどく、どくどく振動がひびく。

 自分がとても小さくなったようにも、無限に伸びていくようにも感じる。


 この腹は、やはりすごい。


 それでも、貴奈はしんだままだ。しんでいるから、とてもあたたかい。

「--なさけないね。」

つぶやくと。

 つぶやくと貴奈のてのひらが、ぽんぽんと2回、コウの頭に触れた。

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― 新着の感想 ―
[一言] 先日は感想ありがとうございました。 読んでみて、中学高校の頃に所属していた部活の後輩みたいな文章だなー、と思いました。大衆受けはしないと思いますが、十代のあの瑞々しい感性で切り取った描写だ…
[一言] 落選するのも当然のつまらない話でした。
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