朝鮮誅伐5
朝鮮平壌にある今は使われていない廃ビルに王伯蓮たち主力が陣取っていることを捉えた中国影組織たちから聞きだした一刀たちは、主力組織にビルを囲ませた。前後左右に構えられた組織たちは各々で連絡を取り合い、不審な者がいないかを確認し合っている。
一刀、彰、王輝は三人でビルの中へと侵入。護衛の一人も付けてはない。それほどまでに自身たちに自信がるのか。それとも主力たる者たちの実力が取るに足らないものと判断しているのか。その理由は包囲する彼らの誰にもわからないことだった。
「ようこそ。二極の狗たちよ」
ビルの中へと入り、ロビー中央まで歩いたところへ何者かの声が耳に入る。
「たった三人でこちらをどうこう出来ると思われるとは、随分と舐められたものだな」
「大胆に舐め切った事件起こした奴の言うセリフとは思えないな。伯蓮」
互いの顔を確認するやそれぞれ違った表情で相手を見つめる。目の前の敵が悪の権化とも言わざるもがな身体全体で怒りに震える状態を見せる王伯蓮。それに対しとても冷静に、相手の状態を見て面白い物でも見えるかのように口元に笑みを浮かべる桔ヶ也一刀。
双方が双方に何を思ってこの場にいるのかを把握しているために、彼らを囲む空気は恐ろしく冷たく震えが止まらない。吐き気を催す者もいる中、一刀の左右後ろに立つ彰と王輝は全身の筋肉を緊張させて対戦の構えを取った。
「迷いはしたさ。自身の愛する祖国だ。我が兄弟姉妹を傷つけることに本当の意味があるのかどうか。見定める相手が果たしてこれをどう見るのか。緊張と不安は常に隣にあったよ」
「それでどう見られた。答えはすでに出ているのだろ?」
「見ての通りさ。貴様がここにいる事が何よりの証拠だろう」
隣に四段に積まれた鉄箱に身体を任せて立つ伯蓮。彼の一つ一つの動きに警戒心を向けていた王輝は身体を前のめりに差し出し、あと数ミリでも動けば殺す――そういわんばかりのオーラを全身に醸し出し、敵を睨む。
「二極の狗となり果て、私を殺しに来た。貴様が訪れた理由はそれでよいのだろ? 桔ヶ也」
「狗とは嫌な言い方だな伯蓮。俺は俺の意思でこの場に来ることを二極に申し出たのだが」
「だが結局は奴らは誰かを朝鮮へ招き入れるつもりだった。過程は違えど辿りつく結論は同じだ。貴様がここに来ることは偶然ではなく必然。この国と縁多き桔ヶ也一刀を使えば容易くこの反乱を鎮圧できるとでも思ったのだろう」
舐められたものだ――。王輝を警戒しつつ、失笑する笑みを浮かべた彼は、そのまま言葉を続けていく。
「それで桔ヶ也。今の朝鮮を貴様はどう思う? これでも十分な発展をしてきたと私は考えている。このままいけば高度経済成長期のかつての日本に辿りつくことも夢ではないだろう。あの時の二倍。十二年は続く成長時代を迎えさせてやれるやもしれん」
一刀への向けられる眼差しは、彼の朝鮮の今そして世界に思う意向がどういうものかを試すもの。ここで下手に言うことはこれからの戦闘にも大きな影響と中国影組織と密接な関係を持つであろうこの国との状態に亀裂を持たせてしまう可能性がある。
慎重にかつ正確に。求められる内容が何たるかを理解しているのならば大丈夫。一刀の左に立つ女房役務める彰がその後ろ姿へ視線を向ける。帰ってくる筈はないその背を見ながら、彼もまた王輝のように戦いへの始まりを予期し、拳を握った。
「一言言えば見事だった。確かにこのままいけば朝鮮はどの国よりも最先端な国へと目指す事が出来るだろう。高度経済成長の長期化も夢ではなく理想として、いつか現実化する」
彰の思いを汲み取ったか、一刀は伯蓮が求めていたであろう感想の答えを見事に言い当てた。答え述べたその表情からも偽りなく本当にそう思ったと感じ取れる意見であることがよくわかる。
一度はそれに不審を抱くように弓状に眉を上げていた名家の男も緩んだ頬を隠さず晒し、素直に褒められる。
「それで……目指す先はユーラシアの長か? それとも太平洋の主か?」
「そんな生易しいものではない。私の目的はあくまでもさらに上。王の座だ」
「王の座――それは二極の椅子と解釈していいか? あくまでもそこにある権力に固執する意味とは一体何だ? 名家の誇りがそんなに大事か?」
「貴様とてわかるであろう。同じ深くこの裏組織の歴史に関わってきた家系ならば。共に世界の汚職を、面汚したる凡俗どもを討ち果たしてきた。在り処もわからず、よるべき場所を手に入れる為に略奪してきた人間たち。そんな彼らから人々を守らんがために我らは戦い続けて来た。今までも――そしてこれからも!」
それが長年の歴史持ち、世界を守り続けた自身たちの使命だと。伯蓮は言わんばかりに地面をよく踏み締めビル全体に届かんばかりに声を張り上げる。
王家はこれまでも数多くの政策を裏からこなし、世界と人々を支え続けて来た。伯蓮の祖父そして父も、極位の座から下ろされようとも使命への責任は最後まで通し続けこの世を去っている。彼らの後姿を見て育って来た彼の心にもその使命の炎は宿っていた。
「桔ヶ也。貴様の祖父も、かつてはこの国を憂い、立ち上がり戦い馳せた歴戦の勇士。誉れ高いではないか」
「……ああ。そうらしいな。俺は爺さんを見たことがないからよくわからないがな」
「だが知っている。その事実は父君から聞いているのだろ」
身体を預けていた鉄箱から上体を起こし、伯蓮は一刀へ近づく。
「先ほどまでの怒りの矛先を許せ。二極への恨みからあのような態度を取った。私は本当は……貴様と共闘の関係を持ちたいと願っていたのだ。共に歴史深き家系に生きている者同士。そして共に二極への怨讐を持つ者同士。願わくば手を取り合い、共に極位に座して世界の安寧を築きたい」
何事でもない、王伯蓮の心の底からの希望だった。消え得ぬ怒りは決して一刀へと向けられたものではない。たとえかつて二人の知らぬところで互いの家族で戦いが起きていたとしても、現実にそれを証明しうるものがない。今存在するのは、卑劣なやり方を用いて家族たちを殺し、裏切りを重ね最高の地位を手にしこちらを嘲笑う悪鬼たる老齢者。彼らは本来その地位に座るべき者たちではない。真に座すべきはかつてこの世界の行く末を案じ戦った名家たる自身たちなのだ。
(故に取り戻さなければならない。かつての場所を。故に戦わねばならない。かつての誇りを胸にし)
伯蓮は本気だった。そのために三年もの間苦しきを行って来たのだ。朝鮮の復興は単なる兆しに過ぎない。これからの熾烈な争いを生き、落ち目にあるであろう国々を生き返らすための序章。自信に身の丈を超える思いを発しながら、彼は一刀の前に手を出した。
共闘の意が組まれると信じていたその思いは、大きく跳ね返された。
「冗談だろ。いつまでもかつての栄光に縋るような男と、俺を一緒にしないでくれないか」
目の前に出された手を払い、退屈しきったような表情に一刀は笑みを浮かべる。
「終わったことに何を求める。見たわけでもない癖に何を語る。憎しみとか怒りとか、そんなの結局自分が座りたいところに誰かがいることへの嫉妬だろ? 下手に取ってつけたような言い訳するの止めろよ」
「言い訳……だと!」
伯蓮の顔は自身の家族を侮辱する一刀の言動に対し赤くなっていく。
「所詮、形を維持できなかった事が招いた結果だ。そこをつけられ、崩されたのは仕方のないことさ。やらなきゃやられる――そんな世界を生きてるんだよ。俺たちは」
この世は弱肉強食。弱ければ生き残れず食われるだけ。強きものはいつでも弱者を食らえ、世界の主権を握ることも許される。下からいくら喚き事が聞こえようとも、聞き入れるか流すかは自身たちで決めることができる。
「かつては豪遊たちが各地で争い覇権を握ろうと躍起になっていた時代があったが、今は誰もが仲良く平和に暮らしましょうと願うばかりになってしまった。それは悪くはないが決して良いとも言えない。人は本能的では争いごとを行って生きる生物だ。なのに現状は不自然に生まれた平等社会。おかしいと思えど、人間の集団社会で生きるにはそれに適応しなくちゃならない。その中で、今時珍しく名家名家と未練タラタラな言葉吐く奴がいる。呆れるぜホントに」
「協和もまともに取れない癖に平等を訴えるこの時、適応することに何の意味がある。それに私は、栄光に縋っているわけではない!」
一刀の言葉を目の前から払わんとばかりに伯蓮が腕を大きく振った。
「嫉妬……確かにそれはあるだろう。かつては我が王家が座っていた地位だ。何故私が今座っていないのだと疑問に思い、羨ましく妬みもあった。しかしそれ以上に、二極が生み出した無意味と無価値の平等。集団主義の短所を取り入れたこの状態に世界の危険を感じているのは本当だ!
変えねばっ。誰かが立ち上がり、権力を取り戻す必要があるんだ!」
「ならばそれはお前でなくてもいいということだな。今を塗り替える者がいるのならば、二極を討つ者は誰でもよく、世界権力を握る者も好転へ進めるのなら他でもいいんだな」
「揚げ足ばかり取りやがって……!」
「言葉の裏にあるお前の真意を割り出すためだ」
どこまでも冷静さを失わず笑みを浮かべる一刀に対し、伯蓮の顔は見る見るうちに赤くなり、握りしめた拳から血が滴り落ちていく。二人の会話が悪い方向へ進んでいくのに並行して周りの空気がざわつき始める。空気に触れた反乱者側の人間たちが次々と動き出し、彼らを囲っていく。
「もういい……桔ヶ也。よくわかった」
伯蓮はこれ以上の交渉の余地なしと判断し、一度手で顔を覆うとそのまま後退。開いた指の隙間から親の仇でも見るかのような鋭い視線を向けてくる。
「どうやら……貴様とは根本からなのか、価値観の違いがあったようだ。世界を思う気持ちも、二極への恨みの強さも。何もかもが」
「俺は気付いてたよ。最初から違うんだ俺とお前は。向けるべき矛先が最初からな」
ふっと鼻から乾いた笑いを吹いた音がすると同時に、反乱者たちが腰に収めていた銃器を持ち一斉に乱射。
「義兄さんっ!」
兄の危機を救わんと王輝が一刀の前へ身を呈する。銃弾は王輝の全身を襲い、されど貫通することなく肉体の中で留まり停止した。彼のおかげで一刀に怪我はなく無傷。しかし王輝は全てをまともに食らったがために血を吐いてそのまま冷たいコンクリートへと身体を沈める。
その光景を見る伯蓮は、顔から血の気を引かせ口を開いて唖然とした。。
「こいつ……!」
己の死を覚悟してまで大切な兄を守って倒れた弟分を見ながら、何とも思わず平然とした表情をしている一刀。
何故、何とも思わない? 伯蓮は血液の循環が早くさせ脳で処理しようと考える。裏組織という世界で生きて来て血も涙もない性格へとなってしまったのか。桔ヶ也一刀の尋常とは思えぬ頭の中に、こちらがどうにかなってしまいそうだ。
だがそんな彼の思いも、次の瞬間には谷底へと姿を消した。
「なん……だと……」
一刀の前で息絶えていた筈の王輝の腕が動き、上体を起き上がらせようとしているのだ。地面のコンクリートに四散する血液の量からして、体内に残っている量で身体を動かす事など不可能の筈。なのに、今少年は膝を折り曲げて顔を上げている。
「まさか! いやそんな」
彼の部下たちも殺した人間が立ち上がり、自身たちの前に再び立ちはだかろうとしている様を不気味に思っていた。王輝の身体の中には今も銃弾が残っているはずなのに、痛みも何もないのかけろっとしている。普通ではない。
「諦めろ。俺たちは裏組織だ」
王輝の後ろから一刀がここぞとばかりに、伯蓮たちに心に不吉さを思わせるような音色で紡ぐ。ここから戦いの始まり。王輝が構えを取り、その両手両足に忽然と姿を現す。西洋のシンボルを思わせる鉄の素材を用いながら、作られた構成はどこか和風を感じさせる籠手と脚甲。どちらも主を守る盾の役目と人間の骨を砕くだけの破壊力を感じさせる作りとなっていた。
武具を見た途端、彼らの気持ちが後ろへ下がる。ただ物が良さそうという感じではない。あれは別の何かがある。本能がそういっているのだろう。
彼らがたじろぐその様を見た一刀は、不敵に笑った。
「これが――レムナントだ」