朝鮮誅伐4
「全員捕まってしまったのか……」
仲間たちが捕縛された事実を知り、王伯蓮は愕然とする。ここまで積み重ねてきた物が全て散り去ってしまったかのように。
「いやまだだ。南部が制圧されようとも、北部と平壌は生きている。この場を死守し、中国との友愛をしかと固めることができれば、我らは生き延びる」
それでも彼の目からは絶望は見えず、一縷の望みも消えぬ強い光が立ち込める。終わらせるわけにはいかないという強い意思が彼の心を支え続けているのだ。
朝鮮南部は陥落。共に支え、復興のためにと国を動かしてきていた同士たちが一刀たちの手によって打ち倒された。二極を背に置いた彼らの力は強大であり、たとえ勝てたとしても次を見出せない者たちの声に押され、降伏していく。
白旗が上げる仲間たちの中、最後まで雄たけびを上げ戦い挑む者たちが倒れていく。その姿は、伯蓮の心に深く根強く住み着いていた野心を焚きつける。生きてなすべきをなさせる強い意思を彼へ運んで来てくれていた。
「大変ですな。伯蓮殿」
椅子に座し、次の講じ手を思考する伯蓮の前に、状況を読みこまない弾むような足取りでこちらへと進む男が声をかける。
「今日は面会の予定はなかった筈だが――毒島竜輝」
「ええ。ですから今日は、私情でこちらへ。極位との戦には関わりはしませんので、ご心配なく」
捉えどころのないまるでマネキンのような作られた笑顔を見せる毒島に、伯蓮は不信感を募らせる。
「私を捉えようとは考えないのか? 貴様たち中国の一部を利用したことに」
「さあ? ご自身で理解している者へ、一々質問を投げるほど私はへそ曲がりではありませんよ」
「疑問に思うことが普通だ。なのに貴様はそれをしようとしない。今回に限ったことではないとしてもだ。中国は多くの区内によって織りなす地。国一つまとめ上げるのにたくさんの組織が必要で、しかも意見の不一致を最小限に捉えなくてはならないというのに。ここに来てどこの馬とも思えぬ若造で且つ別の国の救援に向かうなど、言語道断だろうが」
「恩赦に振り回されるような者たちならば我々には必要ありません。あなたに全てを責任がないとは言いませんよ。勝手な契約制をご意向されたことにはご立腹ではあります。しかし、それが全てではないでしょう」
伯蓮の向かいにある厚みのある柔らかいソファへ腰かけた毒島が、ふっと息を吐くような笑い声を出しながら言葉を並べる。
「己が欲望に忠実に従うのが本来人間のあるべき姿。彼らは本能に駆られあなたに従っただけのこと。罰することもなく、かと言ってあなたを罪に問う真似もありません」
「契約を持ちかけたことはどうする?」
「所詮過ぎたこと。水に流して差し上げましょう」
毒島は優しく言った。
これは罪を許されるかのような言動に他ならない。だがしかし、伯蓮は事の真相には何かあると気が気でなく、素直に喜ぶことが叶わないでいた。
「つまり、貴様にとって仲間たちの死は国の大事には至らないと――そう言いたいのか?」
「何もそう言うわけではありませんよ。私とて苦楽を共にしてきた友たちの死を嘆かないわけがありません。ただ、彼らの思いを先んじてやるのであれば、こんな所でいつまでも悲しんでいるわけにはいかないと申している所存です」
「立ち止まっていると? 王家の私が」
弁えぬ憮然たる毒島の言葉に伯蓮のこめかみの血管がイラつく。腰に収めているハンドガンに手をやり、目の前にいる男にいつでも一発をお見舞いすることができる距離を把握する。
「いつまでも……このままとは行かぬでしょう。敵は二極の狗――と言っても、かつては裏組織アンヴァースの下で戦い馳せた英傑。桔ヶ也は東南アジア一帯では強く名の知れた者です。一枚岩二枚岩ではない。伏線による伏線を張り、我らを困惑させるでしょう。
もしかすると、あなたの心を鷲掴みするような卑怯なやり方も行うでしょうな」
「望むところ。元よりその程度の覚悟ではならん相手であることも重々承知よ。たとえどのような所業でこようとも、私の復讐心はちょっとやそっとでは動かぬぞ」
伯蓮は力強く、雄々しく威勢のいい声を上げる。かつて世界の中心として戦い続けた王家の血脈としての誇り。失っては行かぬプライドと闘志を胸にし、この一戦を勝ち抜く。そして証明してみせなければならない。世界を統べる覇者たる王家の血脈は絶えていないということを。世界を納める裏組織たちたる者たちに猛々しきこの姿を刮目させねばならん。
使命と覚悟が、背水に陣敷く男の闘争心に触れれば火傷するほどに火を点けた。
「なるほど。あなたの覚悟は見ました。ならば、やって見せなさい」
勢いの止まらぬ伯蓮の闘争が空間を覆い尽くそうとするのに対し、毒島はどこまでも冷静で沈み切った雰囲気を保ったまま席を立った。
「ですが、中国からの援軍はこれ以上は難しいかと。我らとて背中に預けるカザフスタンとモンゴルにも視線を向けなくてはなりませんから」
「今は不可侵条約が締結されている筈だが。二極の目を掻い潜ってまでそのような愚劣な算段を仕掛けるとは思えないが」
「普通ならばそうでしょう。しかし敵地を治めるはあのアサシン。現リーダーであるアルタイルはかつての戦線でも一年以上も遡る二重三重にも仕掛けた罠を張り巡らせた戦を行った人間です。何があるかわかったものじゃない。それに、内乱がないとも限りませんしね」
「トルキスタンか……新疆とウイグルの動きが怪しいのだろうな」
「ええ。それ故に油断も休むこともできませんよ。本当に――疲れる連中だ」
肩を大げさに上下に揺らして息を吐いた毒島。そのまま伯蓮に背を向け、扉に手をかけたまま何かを思い出しように首だけを向ける。
「この一件が済み次第、中国からの援助金を出しましょう。中朝の関係を良好にしておけば、モンゴルと東南アジアも手を出す事をこまねくでしょうしね」
「助かる。すまんな毒島。色々と世話を掛ける」
「いえ。別に構いませんよ。困ったときはお互い様です。我らの関係は一致しています」
「討つべきは裏組織。簒奪するは二極の座――だったか? 二極の座はともかく、裏組織全てを滅ぼすつもりなら相当な時間と労力を必要とするぞ。良くて五年。長くなれば二十年は掛るやもしれない」
途方もないと感じる伯蓮の表情には、未来の疲労の大きさに身体中の節々の痛みがよく伝わった。途方もない大きさの桶に運んできた水を流し込むのは一苦労だ。何者にも遮られない太陽によって時間が過ぎれば水は浄化していく。無駄だと思われる行いは極力避けるべきではないのだろうか。
二極への復讐心を利用しようとしている毒島の甘い誘い。感じ取っている伯蓮は、できればこの男との関係を断ち切っておきたいところなのだが、今の朝鮮には中国の助力なくして活動することは難しいほどに追い詰められている。先行きのわからぬ明日を思えば、今は苦汁をなめることも我慢しなければならないのかもしれない。
「安心してください。すでに案はあります。裏組織を滅ぼすことは容易い。あなたの望む王家の復興も一年もかからず果たすことができるでしょう」
「馬鹿な。一国の安寧を保つのに三年も掛ったというのに、全ての組織を滅ぼすのがそんな簡単にできる筈がない。奴らの強さは貴様とてわかっているだろう」
「勿論ですとも。しかしだからこそ、そこに慢心があるとは思いませぬか?」
身体ごと向き戻し、両手を広げて大きくジェスチャーして見せる毒島の声には強烈な熱が籠っていた。
「数多くの戦を乗り越えているから。数多くの国を管轄してきたから。数多くの人々を見て来たから。自分たちは他よりも優れており、寄せ付けない。同等ではない者たちを蔑み下に見る上流階級な貴族共の価値観を持ったような裏組織たち。そんな奴らが、下に見た者たちに敗北するなどお思いですか?
否! 断じて思わぬ。断じて敗北などあり得ぬ! 奴らが敗北すると思うのは、常に同じ高みに存在する者たち。断じて下などではない! 奴らは敵わぬなど微塵にも思い描く事はないのだ!」
さらに熱を上げていく毒島の声は雄たけびへと変わり、伯蓮が包んだ闘争の炎を巻き込んでいく。
「故に今! ここであなたが二極の狗を打ち倒すことには最大級の意味がある。ここが始まり。全てを繋ぐ懸け橋となります。朝鮮の王家が二極傘下を殺した。そこへ私があなた方に参いれば、世界中は一気に我々を警戒視するでしょう」
「そうなればますますアサシンが動きを見せるやもしれんぞ。たとえ今勝てたとしても、生まれたての状態では強いとは言えない。この機を好機と見て奴らが狙いを定めるとも――」
「問題はありません。そこの一手もすでに考えおります。あなたの味方は何も私一人ではございませぬから」
頼もしき言葉を口にした毒島は破顔し、伯蓮を見る。それに影響されたように彼は微笑みを返すも、一定の距離を保ってこちらを見る男に肥大化しつつある不安と恐怖を隠せない。
手が込んでいる、そんな一言では言い切れぬ毒島の動きの速さに強大な何かが後ろに隠れているのを王伯蓮は感じていた。二極への座を奪い取った復讐。それを己の原動力として生きて来た伯蓮とは違う毒島竜輝の行動理念。
(この男をここまで動かす力とは一体何なのだろうか……)
大国家中国を動かす日本人リーダー。この男の世界を掴む野心の強さは、名族として歴史に名を残す王家の思いをも超える何かがある事を、伯蓮は気付きつつあった。