朝鮮誅伐2
運送業界。よく耳にする言葉であるこの職業は、本来運輸業と呼ぶのが正式である。
運輸業には、単に輸送する以外にも搬出入のような荷役業務。荷主から貨物を預かり、運送するフォワーダー業務。流通の段階で商品を加工する役目を担う流通加工業務など様々な業務が存在する。
この業界を聞いて最初に連想させるのは、バスや飛行機などで人々を運ぶ業務、旅客輸送だろう。交通技術が発展し、一家に一台車があるのが常とでも言えるこの朝鮮でも、旅客輸送はよく活動を行っている。
朝鮮にある運送会社は三百。連結連動して共に働き、その中心として回している会社に絞れば、約五十ほどが経営活動として運送、運搬を生業として生活していた。
「義兄さん。目標にと到達した。周りに殺気だった気配がちらほらあるよ。どうやら予感は的中したみたいだ」
運送を目的とする朝鮮でも五本の指に入る屈指の大手会社の前に到着した王輝は、周りにやっと聞こえる聞こえないか程度の声で耳に装着したイヤホンへと話しかける。
会社が建つこの周辺はビジネス街。その中でもこの会社は他のビルに比べ四、五倍は大きいのではないかと思わせるくらい悪目立ちしている。
大手としての威厳を周りに見せたいためなのか、それとも今や数多くの人々が車を持っているため、自分たちの存在に陰りが見えていることを思わせないための処置なのか。平日ど真ん中、多くのサラリーマンたちが休めていた胃を動かそうと行き交いしている中で、王輝はその小さな努力に乾いた笑顔を浮かべる。
『気配をぶつける敵を視認できるか?』
「見えるのは五人。殺気は俺自身にぶつけられているものではないらしい。ともかく不審な相手がい次第、速攻で殺しに行けるため、そんな感じだよ」
『五人のうち、指揮する者がそこにいるのがわかるか?』
「感じ的に……いや、いない。どいつもこいつも互いに距離を取ってるみたいで、全体に合図を出してる奴ってのはいないよ。全員、ただ傍観してるだけって感じ」
王輝は今、会社の前に設けられた噴水の前で座っている。大人に片足を入れたぐらいの少年がここにいる事に不審を感じる者がいるが、特に話しかけることはなくその前を通り過ぎて行く。
会社の中にいた警備員たちが中から彼を覗き見て困り顔をしており、様子を伺っている。
『仲間は?』
「みんな構えてる。視線は外すようには言ってるけど、おそらく敵は彼らを見てる。下手に動かすのは自殺行為だよ」
『なら敵は今、お前だけを確認できていない状態にあるということだな。あいつらは一度下がらせろ。会社を包囲するように陣を引かせ、突入はお前一人で行え』
「了解。外の敵の始末はどうする?」
王輝の質問に対し、通信越しの一刀から抑揚のない答えが帰ってくる。
『必要ない。目標を拿捕すれば、相手は根を上げる』
「どうしてそう言えるの?」
『簡単さ……敵にそれだけの団結力はない』
決めつけるようなハッキリとした声を出した一刀。その意味について聞こうと口を開く王輝だが、声の主はそれで終わりだというように通信を閉じてしまった。
些か勝手だと思ったが、彼は言われた通りの事を実行に移すため、仲間たちへ指示を出す。数字を用いた暗号文をメールで彼らへ送信し終えると、彼はスクッと立ち上がり、会社に背を向ける。
ずっと様子を見ていた警備員たちがいよいよ動き出すぞと思って扉の前に立ったのを見越しての立ち上がりだった。
そのまま会社から離れて行くと、息がつまりそうなほど狭苦しい気配が無くなっていき、彼はフウと息を吐く。
裏組織たる彼ならば、先ほど殺気放つ者たちを打ちのめす事は容易であった。しかし、今は昼時。出歩く人間が多く乱雑するこの場所で騒動など起きれば、敵は間違いなく動き始め、収拾のつかない事態にまで発展したかもしれない。
そのような事態は好ましくない。人の動きとはいつも論理に従ったものではないため、表の人々に邪魔されて身動きが取れなくなってしまうということは避けたかった。
「……よし。やるか」
運送会社から離れて約五十メートルほど。信号を渡って中規模のビルが互いに身を寄せ合う形で並んでいるその間に、王輝は入りこむ。
そこはちょうど殺気放つ者たちから見えない死角。事前にシャーレイが調べ上げて送ってくれた地図を頼りに訪れたのだ。
幾つも建つビルの間をすり抜けた歩いて十分。現在王輝がいるのは先ほどまでいた入り口とは反対の、運送会社の背中部分へと辿りついていた。
「本当に行けたな。むかつく女だけど、この正確性は尊敬に値するよ」
王輝は己の前に浮かぶ地図を見つめながら苦笑する。
情報技術のスペシャリストであるシャーレイ。その実力は本物。世界でも通用するほどの力を持っている彼女が自分たちと同じ裏組織の人間となった経緯を彼はよく知らないでいる。
前に一度問い質そうと王輝は試みてみたが、
『はあ? そんなこと聞いてどうすんの? あたしの履歴見て脅そうって考えてんのかよ。マジで最低だわ。ストーカーだわ。変態だわ』
などと冷たくあしらわれてしまった。
彼は必要以上に罵倒されたことに怒りを覚えたが、その時の彼女の表情が彼を馬鹿にすることで平気を装ったような無理をしている感じがしたために、何も言えないでいた。普段のどこか楽しんでいる風を見せる彼女とは違う一面を見てしまった事に、彼はどこか申し訳なさを感じてしまったのだ。
それ以降、王輝はシャーレイにその質問を投げる事を自身に禁じた。どんな人間に出さえ聞かれたくはない問はある。そんなことは、彼自身が一番理解している筈なのに。
会社清掃員専門の裏扉から中へ潜入することに成功した王輝は、この会社に潜む二人の影の仕事場へと足を進めた。シャーレイが得た情報源から、彼らはこのビルの三十六階に個室を持っていることがわかっている。エレベーターから行くのは自分の存在をアピールすることになるため、彼はやむを得ず階段を使って目的の階を目指すことにした。
「とまれ」
階段を昇る第一歩を踏み出そうとした王輝へ、女性の声が掛けられる。
「君。ここへ何か用かな? 清掃員にしては格好が私服だね。うちは社員全員がスーツを着るのが当たり前だから、君のような格好の者はいない筈なんだ。何をしに来たんだい?」
中々棘のある言い方をする彼女に、王輝は身を緊張させた。
「今日の午後一時から清掃するよう言われていた友人の変わりに来たのですが、彼は服をロッカーの中へ入れてあると言われていて、仕方なくそこまでは私服で行こうと」
「そうか。ではなぜ階段を? エレベーターを使えばいいのに」
「社員は全員スーツ。清掃員は作業服と決まっている中、私服姿の人間がその中へ入り込んだら悪目立ちするじゃありませんか。作業服があるロッカーは二階ですので、それならエレベーターは使わずに階段で行っても問題はないと思ったので」
「……」
王輝の言葉に若干の疑いの視線をぶつける女だったが、述べることに筋が通っているためにそれ以上の疑問をぶつけることが叶わないでいるようだ。
目を泳がせず、しっかりと両足でたち、自信ありげに話すことで、人はそれが嘘であることを見抜きづらくなる。
しかも王輝は午後一時にここで働く清掃員は協力してくれる南影組織の一人。彼とはすでにコンタクトを取っており、作業服をロッカーの中に入れておくよう依頼をしておいてあった。
真実と嘘の両方が織り交ぜられている事によって、相手を信じさせる。人に嘘を信じさせる常套手段だ。
「……わかった。ただし私もそこまで共に行こう。本当に君が変わりの作業員であるのを確かめるためにな」
「ええどうぞ。構いなく」
にっこりと笑みを浮かべる王輝は、心中で嘆息した。
(まさかとは思うけど、部屋にまで入るなんてことはない……よな?)
王輝は階段を昇り、彼女がその後に付かず離れず付いてきている。彼は間違いなく確信していた。後ろにつく女性は敵影組織の一人であることを。一介の社員が、わざわざ身元を確認するためにここまでの事をするとは考えにくい。それも清掃員の身元をだ。
ここまでするとなると、疑っているのは本当の清掃員であるかどうかではなく、敵であるかないかの真偽だろう。
階段を上がって二階。清掃員たちが使う着替え部屋について彼が扉を開けると、
「もしかして、一緒に入るんですか?」
「当たり前だ。何を言っているんだ」
「いや、だってここ男部屋――」
「君が本当に清掃員であるのならば、それを証明するために作業服を見せてくれればいいだけの話だろ。それ以外に何かあるのか?」
「あ、そうですね。はい、わかりました」
彼女の何を言っているんだという不思議そうな視線に当てられ、王輝はそそくさと部屋の中へ入った。
仲間に聞いたロッカーの場所は入口から左三番目。開いたそこには確かに作業服がハンガーに掛けられており、王輝はそれを手にとって彼女へ見せる。
「ほら。これが作業服。確認はこれでいいですか?」
「……」
彼女は未だ納得がいかないといった感じの表情をし、その場に立ちつくす。
相手の諦めの悪さに嘆息する王輝だが、いい加減自分から離れて欲しい旨を伝える為に口を開いた。
「そろそろ仕事が始まるんで、出て行ってもらえませんか? 女性に身体を見られながら着替えるなんて恥ずかしいですよ」
「……ん。わかった。では、外で待っていよう」
「は?」
相手の意外を付く台詞に、王輝は口を開いて固まる。
「待つって、何故?」
「いやなに、君がちゃんと仕事をしてるのかどうかを見ていて上げようと思ってな。私は、ここの清掃員とは顔なじみ。もといよく話すからね。彼らがどういう風に仕事をしているかなどもわかってる。わからないことがあるだろうから、教えてあげようと思って」
「……はぁ」
王輝は開いた口が閉まらない。今なおしつこく密着することへの憤りを通り越して、執念めいた行動をするこの女性に対して感嘆してしまっている。
(一体何が、彼女をここまで動かすんだ。組織への忠誠か? それとも……)
ともあれ、任務の妨げになる事は確かな女性。止む負えず、王輝は実力行使に踏み込むことにした。
握りこぶしを作り、背を向けこちらへの意識をそいだ彼女へ振り上げた腕を一気に下ろす。
「っ!」
その時、頭上に大きな異変を察知した王輝。彼は身体を後ろへ下げ、落下してきたクナイから回避する。
「やはり二極の犬か!」
噛みつく声で敵意を露わにして王輝へ振り返った女は、スカートから刃物を取り出して前進してきた。
横から殴るように斬撃を刻む一閃を躱すも、天井に張り付いて者がこちらへクナイを再び投擲される。王輝はそのクナイを寸でで左へ動いて避けると、それを掴む。下から斬り上げる女の一撃を逆手で掴んだそれで防ぐと、空いている手で彼女の鳩尾を殴る。
短く呻き声を上げる彼女はそのまま意識を消失。倒れ込む彼女の身体を盾に、もう一人の敵の攻撃を禁じさせた。
かと思いきや、敵はお構いなしにそのままクナイを投擲。クナイは彼女の頭と背中に突き刺さり、勢いを付けて王輝へ被さる。
(味方でもお構いなしか。義兄さんの言った通り、こいつらに団結力はないのか!)
意識なく絶命する女の身体を離れ、王輝は相手へクナイを投げる。敵はそれを右へ移動して避ける。それを隙だと言わんばかりに、王輝は一気に敵へ肉迫。床を蹴って同じ高さに到達したところで、十分に後ろへ引っ張った右腕を反動を生かして相手の顔面へ叩きこむ。肉の引き千切れる感触と砕かれた骨の音を確かめると、そのまま敵を壁へ衝突させる。崩れ堕ちる敵の顔面はほとんど原形を留めてはおらず、男なのか女のか区別が付かない状態にまでなり果てていた。
見事に床へ着地した王輝は、小さな部屋で起きた惨事をそのままに、場を後にする。
どうせいつかは戦いになったこと。そうすれば、いずれは表舞台にも多少の変化は訪れるのは当然である。
そう割り切った彼は、本来すべきことをなすために、今この場で死んだであろう敵のデスクへと向かった。
営業部のフロアであるこの階に仕事場を与えられた者たちは皆それぞれ個室。運送を行う者たちのために仕事を用意することが日々彼らが行う業務である。
彼らのモチベーションを保つためにと提案されたのがこの個室制度。与えられた部屋はそれぞれがどのように扱っていても仕事さえこなしていれば特段罰するといった事がない。自宅のみならず、仕事場でも完全な自分の空間があるというのは人間の気持ちを楽にさせ、やる気を促す効果がある。この制度はこの大手会社がまだ小さな時から行われていたようで、その効果が絶大的に社員の原動力となっているのかが見てわかる。
社員のやる気を組むために労力を惜しまなかった上層部の人間の働きに感心しつつ、王輝は目的の部屋に辿りついた。
プライバシー保護も万全。入室には個人IDカードが必要なようだ。彼は先ほどの二人を身体を物色した際に手にしたカードを翳す。反応したのは女の方のカード。カチャリと言う鍵の開く音を確認すると、そのまま部屋の中へと入った。幸い、誰も王輝の姿を見た者はいないようだ。
「シャーレイ。中に入ったぞ。どうすればいい」
『モニターがあるだろうから、その隣に行く前に渡した物を置いてくれればいい。後は勝手にこっちでするから』
「渡した物って、この石ころみたいなやつか?」
王輝はポケットに中に仕舞っていた手の平に収まるくらいの石ころを取り出す。それを彼女に言われた通り、部屋の最奥で主の帰りを待つように光るモニターの横へ置いた。
すると石ころはモニターに合わせて光り出し、少しずつ姿が分裂していき、形を保てない状態にまで粉々になっていく。そして最後の足掻きのように強く光ると、そのままモニターの中へと消えて行った。
『そ。それを置いたら任務終了。後はこっちでするから、あんたはすぐにその場を離れて。外にいる奴らが敵の動きがないことを不審に思ってるみたいだから』
「わかった。敵を見つけたら一掃してやる」
『何言ってんの? ダメに決まってんじゃんそんなの。あんたが強いのは認めるけど、一刀みたいな事は出来ないんだから敵に増援を呼ばせる時間を与えちゃうでしょうが』
「……なら、奴らが少数に別れた所を各個撃破し――」
『それって要は自分たちに何かあった場合に備えて準備をさせる処置をくれてやるってわけでしょ。だったら初めから戦わずに引けっての』
「グッ……!」
ピシリと叩くように言葉を遮るシャーレイ。氷のように冷たい表情をしているのが電話越しからでも伝わってくるかのようだ。
シャーレイは今自分勝手な行動をとることは仲間たちの身に危険を与えかねない事を懸念しているのだろう。
全くの正論言う彼女に王輝は何も言い返せない。ここで変に言い返せば、二人の性格上言い争いになりかねない。どちらかが身を引く勇気を持たなくてはならない場面、それは必ず王輝の方から。彼は人間としての情を内の中へと唾と共に飲み込むと、彼女の言う通りこの場を後にする旨を伝えた。