朝鮮誅伐
「んで? 何であんたしかここにいないわけ?」
「義兄さんたちは別件で後で来る。別にいいだろ、そのくらい。俺だって、一人でお前を待つなんて嫌だったんだから」
「大好きな義兄さんの頼みだから断れなかったってことでしょ。はいわかります」
「そう言うわけじゃない。相変わらず、人を馬鹿にするのが好きだな糞アマ」
「はん! そっちだって相変わらず食ってかかるような言い方しか出来ないの? 屑野郎」
公園に設置されたベンチに座る少年とその前に腰に手を当て見下ろす少女が、互いを馬鹿にする発言をし合っている。昼時のため、辺りに子供連れの親子がいなかったのが幸いか、二人の放つ冷めた空気には誰も当たらないでいた。
「チッ! 止めよう。このままやっても平行線だ。俺はお前と喧嘩するためにわざわざ朝鮮にまで来たわけじゃないからな」
「自分の生まれ故郷に帰ってこれたのに、そんな風に言っちゃうんだ。故郷不孝者だよ。あんた」
「生まれ故郷だろうが縁ある土地だろうが関係ない。私情を挟むようなほど、子供じゃない」
言いあいを制止した少年の思いに関わらず、少女は顔に喜色を浮かべながら尚続けた。少しばかり茶色の入った黒髪を手で掻くと、彼はその軽視発言に対せず、地面に目線を下げる。
相手にされなかったことを何とも思わない少女は、手入れのされた栗色の肩まで伸びた髪を払い、その百五十ほどの小さな身体を少年の隣へと腰下ろさせた。
二人の身長差は大体十センチほど。どちらも小柄な方であるが、両者とも共に十六の青春をかける少年少女。今が一番楽しい時期を送っている筈の彼らが、何故今昼休み時のこの時間に公園で罵り合っているのだろうか。
それは、彼らが普通の人間ではないからだと、今は述べることにしておこう。
「それで。どうだよ」
「二人が来てからの方がいいでしょ。二度手間になるような事させないでよ」
「ああいや。そっちじゃなくて。最近どうだよってことだよ。ちゃんとした生活送ってんのか。お前」
「……別に。あんたに言うことでもない。あたしはあたしなりの生き方をしてるだけ。体調管理なんて、ありふれた日常を送っていれば、自然と慣れていくもんなんだから」
「……」
気だるげに言葉を返す少女。下ろした顔を上げず、少年は視線だけを彼女へと向ける。
よく見れば、いやよく見なくとも、この少女が女性の中でも綺麗な分類に入ることくらいは異性間との付き合いがあまりない彼にもわかることだ。前髪に隠れているが、澄んだ琥珀の瞳。スンと伸びた鼻筋。潤った唇。その身体にあった小さな顔。そして何より、美しく肌あれもない白い肌。本人は手入れなどしたことがないと言っていたが、それにしては管理の行き届いた綺麗な肌を保っている。彼女くらいの歳となれば、自身の身体に何らかの施しをするのが普通だ。それをせずにこの美貌とは、世の中が平等にできていないことを痛感させられる。
「ちょっと。何見てんだよ変態。あたしに欲情すんな」
少女のこの罵倒させなければと、少年は常々思っていた。天は人に二物を与えず、とはこの事を言うのだろう。
彼がため息を吐き、何気なく視線を公園の入口へと向けると、そこに二つの人物がこちらへと向かっていた。
互いに百七十そこらの身長で、一人は暖かくなって来ているこの時期に黒のジャケット羽織っている。どこにでもいそうな顔だちする男は、二人を見て眉を上げて怪訝そうな表情をしていた。
「なんだお前ら。再会して早々に喧嘩か。よくまあ飽きないなホントに」
「誰も喧嘩したくてやってるわけじゃないっての。こいつがあたしに突っかかるような話し方するから」
少女はフンと鼻を鳴らして男の言葉にうんざりした表情をする。
「終わったの?」
「ああ。南の影はな。北の方は連絡が、と言うよりは連絡先さえわからない。二極に対応してもらったが、どこも通じなかったそうだ」
黒を基色とした白のラインが入る衣服を身に纏う青年が、少年に答える。整髪剤を使ったわけでもなく自然と立つ髪の毛が特徴的なその青年は、少女へと視線を向けた。それに気付くや、彼女の先ほどまでの態度が一変。ここぞとばかりの引き締まった表情となり、ポケットから取り出した小さな水晶体を手に取り、何やら操作をし始めた。
彼女の動く指の動きに呼応するかのように水晶体は頭の上から宙へと映像を映し出す。映像の中には朝鮮半島全体の地図が表示されており、そこには大きく目立つように赤いバツ印が二つ半島の上両端に記されている。
「朝鮮半島の西側、平安道西にある箋偶郡で連続殺人事件が相次いでるみたい。東アジアでは結構有名な事件だけど、犯人は未だ逮捕されてない。と言っても、一件で十人も殺されるなんて事があるくらいだから、組織だった犯行なのは明白だね」
「この件に関して、朝鮮影組織はどうしているんだ?」
「平安道を任されてる影に動きはない。でも定期的に見回りは行ってるみたい。三日前に隣接する威鏡と黄海の行政区組織たちと会談を行ったらしいけど、それについての調査報告は無し」
「怪しいな。国の機関だけでどうにかなるとでも思っているんだろうか。こいつらは」
男が影組織たちの取るべき行動程度の低さに眉根を寄せる。逮捕されず、未だに隠れて暴れ回る悪逆の存在は国民たちの恐怖と不安の対象となる。早急に手を打つべきなのが国を守る者の務めの筈。
だというのに、その一手が講じられていない。講じられないどころか、そもそもこの事を問題とは思っていないのではないのかと考えられる影組織たちの動き。甚だ不審である。
「まだあるよ。これとほぼ同時期。威鏡道の都心部で留学生を乗せたバスがジャックされたって事件が起きてる。都市に住んでる大学生で、日本、イギリス、アメリカが主な留学生バスだったみたい。
連続殺人が起きたのはこれの二日前。ジャックの方はなんだか機を狙ったかのような犯行だったから調べておいたの」
連続殺人とバスジャックは共に朝鮮北上部で起きた事件。それぞれの国の両サイドで行われており、この二つが結び繋がるというのは中々考えにくい。
西側部分で殺人が起きたからと言って、バスを盗む必要が果たしてあるのだろうか。逃走用に使うとなっても距離があまりにも離れている。現代の自動車技術が発展しているからと言っても、たとえ交通経路が空中に伸びたからと言っても、国の端から端へ渡るのはそう簡単にできることではない。ましてやそこへ警察の妨害が入り込んでくれば、もう二日そこらでできるわけがないのだ。
この二つの事件を結びつく事など可能性として低い。少年はそう思っていた。
「……バスジャックの方の事件は、その後どうなった?」
「何時間か警察と追いかけっこをした後、バスは止まった。留学生たちの中に死者も負傷者もなし。だけど、犯人たちは未だ逃走してるみたい」
腕を組み、指で顎を持ちながら青年は少女へ聞く。
答えた彼女の返答に、少年の表情が変わる。
「捕まってない? 警察たちがバスを止めて見せたのにか?」
「それは違う。事実はこう。警察たちは、止まっていたバスを発見し、中を確認してみたら、乗客たちは全員無事だった。ジャックした犯人たちの姿はすでになく、乗客たちは全員黒い袋で顔を覆われていたために何がどうなっているのかわからなかった。バスから出ていく者たちの足音は聞こえたみたいだけど、その時に彼の会話は一切なかったそうよ」
「そんな……」と少年は愕然とした声を小さく呟く。
「どうなってやがる。影組織たちはこの事について隣接区分との会議だけで終わらしてるって言うのかよ。おかしいぞ、それ」
不愉快極まりなし、と思うかのように男の表情が強張る。少年も同じ気持ちだ。いくらなんでもこれは酷い。事件というものがそう易々と終わるものではない事は、彼らもわかっている。表の者たちだけではどうしても対応しきれない事があることもわかる。
だから、だからこそ自分たちの様な裏や影で支える者たちがいるのではないのか。表に住む平穏と安寧を望む人々のために、自分たちが泥を被る覚悟であることが常ではないのか。自身たちが守るべき国のためにしなくてはならないことを、まだ彼らは果たしていない。これは責任放棄と同じだと取っていい行いだ。
「……」
悲憤する二人を余所に、青年は目を閉じて思案する。
「……ジャックされた留学生たちの国は、それで間違いないな? ジャックされたバスはその一台だけなのか?」
「うん。他にもう二台。フィリピンとインドネシア。ギリシャと中国のもあったけど、襲われたのはその一台だけ」
「そうか……」
青年は閉じていた目を刃のように鋭い形で開く。
「そのジャックはきっと、俺たちへの挑発。奴らは俺たちが自分たちの国に入ってきていることに気が付いているだろうな」
「挑発? 一体何のために」
「予想は付く。朝鮮を仕切る影の頂点は、かつて裏組織を作り上げた王明令の曾孫。王伯蓮。これら不審相次ぐ事件はおそらく、奴の仕業だろうな」
王伯蓮。かつて裏組織を作り、この世界を支える為に戦い続けてくれた王家の四代目。誠実で穏健。己が才気を世界のために尽力できる男だった。
そんな彼が、自身の国の人々の生活を脅かすような真似をする理由が浮かばない。少年は青年の言葉にただ困惑するだけであった。
「今の自分の置かれている立ち場に満足していない――と言うよりは、納得がいっていないんだろう。元々、自分たち王家が作り上げた裏組織。その組織に自らの名が上がっていない。それどころか、曾祖母が座ったその席に、赤の他人がいる。服従している体を見せながら、実は奴の腹の中は煮えくりかえってたんだろうな今までずっと」
「つまり、これらは全て私怨……だって言うのか?」
「バスジャックで襲われた留学生。アメリカとイギリスは二極たちの出身地だ。彼らが今回の事件に首を傾げたのはきっとこれが理由だろう」
「確証はまだないがな」と、青年は最後に付け足す。そして徐に三人の見回すと、いやらしく口元を歪ませて笑った。
「王輝。バスジャックされた運送会社へ行け。もしかしたらこの会社はグルかも知れない。先んじてここを潰す」
「わかったよ」
名を呼ばれた少年は力強く頷き、ベンチから立ちあがった。
「彰。お前は連続殺人が起きる箋偶の調査だ。標的は、見つけ次第捕縛。口を割らせろ」
「ああ」
彼の隣に立つ男がやる気に満ちた声を返す。
「シャーレイ。このまま継続して情報を集めろ。わかったことがあればすぐに全員へ知らせろ。時には指示を出して仲間を動かせ。いいな」
「了解了解。任せなって」
少女はヒラヒラと手を振って応じる。話が終わったのかと見えたのか、先ほどまでの気だるい感じに戻っていた。
「よし。ならやるぞ。この一件が、早急に終わらせる」
全員の了承を確認し、青年が踵を返して歩き出す。その背中はどこか勇ましく、頼りがいがある。
王輝をこの背中に救われ、そして共に歩みたいと願った。彼と共に世界を守る。きっとできる。そう確信できる何かが彼の胸中にはあった。それを具体的に言うことは、今は出来ないであろう。何故ならば、彼自身、この気持ちが何であるのかをハッキリと理解しえていないからだ。
この昂りは、心のざわめきは。一体何を意味しているのだろう。何を思って滾っているのだろうか。
青年と出会い、三年が過ぎた今も、その答えには辿りついえていない。
だが、いつかわかり来る時が来るだろう。その日まで、王輝はただ彼と共に戦場を駆けるのみ。
今、王輝たち三人と彼らのリーダーたる青年――桔ヶ也一刀による、朝鮮誅伐が切って落とされる事となる。