16 「先生の感想なんて知りません!」
十和たちの通う学校は、ほどほどの進学校だ。
のんびりした生徒が多いため、周辺住民からの評判も上々。
このような校風に合わせてか、授業内容にもほどよく息の抜けたものが紛れている。
その内の一つが、英会話の授業で行われる寸劇だった。
寸劇と言ってもあなどるなかれ。
外国人教師の決めたお題に基づき、三、四人程度のグループで脚本から作るのだ。
もちろん台詞は、全編英語。
衣装や小道具の使用も推奨されており、ある程度の道具代は学校から支給される。
そして十和と友人たちは本日、学校近くの百円ショップに立ち寄っていた。
来週の寸劇に備えての、小道具の買い出しだ。
なお、今回のテーマは「ギャング」であった。当の外国人教師が先日、ギャング映画に感銘を受けたためらしい。
「ギャングのボスが、天使と出会って恋に落ちて足を洗うって、単純じゃない?」
ヒゲ眼鏡を試着しながら、八重が脚本の書かれたノートをにらむ。
その様が滑稽だったので、十和ともうひとりの友人はプッと吹き出した。
「一グループ辺り、五分しかないもの。安直な方がいいよ」
「そうそう。この前みたいに凝り過ぎたら、台詞覚えるのも大変だし」
「あー、それもそうか」
三人は前回「おとぎ話」というテーマで、斜め上の解釈をしたラプンツェルを演じたのだが、とにかく飛び交う英単語がややこしく、台詞の暗記に難儀する羽目となった。
クラスメイトや教師陣からは絶賛されたのが救い、だろう。
女の子三人できゃいきゃいと騒ぎながら、買い物をなんとか予算内に収める。
そして外へ出たところで、十和の表情が曇った。
「どうしたの、十和?」
八重が親友の怯えに気付く。
その声に十和は、束の間我を取り戻し、
「ごめんね、もう帰らなくちゃ」
言うや否や、駆け出して行った。
今度は残された二人が、顔を引きつらせる番だった。
「ちょっ……十和ぁ―!」
十和は友人の声も、信号も無視して強引に道路を渡った。いや、どちらも五感に入り込んでいないのかもしれない。
そのまま彼女は、向かいのビルの狭間に消えた。
「どうしたんだろ……」
「トイレ?」
二人はぼんやりと立ち尽くしながら、彼女が買い物袋も持って行ったことに今更気づいた。
一方の十和は、それどころではなかった。
道路の向こうに、あの男を見つけたのだ。
州浜 九太郎。三潮を付け狙う、秘密結社「麻の葉会」なる怪団体のメンバーだ。
以前遭遇した時には、彼は何もないところから炎を出現させ、三潮へ襲いかかった。
二人が拳をぶつけ合う姿は恐ろしかったが、もっと恐ろしいのは、三潮に何かあることだった。
全身から不幸と不憫を発散している彼に、これ以上傷ついて欲しくなかった。
だから十和は一心不乱に州浜を追いかけて、おんぼろビルのすき間へ体を滑り込ませた。何か策があるわけでもない、完全なる思い付きでの行動だった。
その先の、四方をコンクリートで囲まれた更地に、果たして二人はいた。
三潮は不意打ちを受けたらしい。足を押さえ、手負いの獣の眼差しで州浜をにらんでいる。
州浜は背を向けているため、その表情は分からなかったが……おそらく、慇懃無礼に笑っていることだろう。
それを想像し、十和の頭に血が昇る。
「先生に、酷いことをしないで下さい!」
カッとなった勢いに任せて、足元に落ちていたブロックを拾い上げる。
十和のその声に気付き、三潮が驚きで目を見開いた。まさか彼女がこの場に現れるとは、想像すらしていなかったのだろう。
「やめろ、露芝!」
三潮の制止を無視して放り投げられたブロックは、州浜の後頭部へ到達する前に燃やされ、溶け落ちた。
州浜は一瞥すると同時に、十和目がけて業火を投げつけた。
「きゃあ!」
「露芝ァッ!」
熱波にあおられ、十和は仰向けに転倒する。
ただの威嚇攻撃だったらしく、十和の身体は髪先すら燃えていなかった。転倒した拍子に、背中と頭をしたたかにぶつけていたが。
頭をさすりながらも、十和は州浜をにらみ続ける。
「これ以上、こんな暴力行為は止めて下さい」
州浜も、珍獣を見る目で彼女を見下ろしていた。
「おやおや、一般人でしたかぁ。それにしては、何とも勇敢なお嬢サンで──」
州浜の台詞が、途中でぶつりと切れた。
三潮が消えたのだ。
州浜と十和は、同時に辺りを見回す。
そして彼は、州浜の上空五メートルに出現した。
「へあっ?」
唐突かつ、斬新過ぎる出現場所に、州浜はポカン、となった。その間抜け面目がけ、三潮のかかとが振り下ろされる。
炎で防ぐ暇など、全くないものだった。
「死ねェ!」
怒号と共にぶち込まれたかかと落としは、本当に殺す気満々の速度だった。
頭頂部を蹴り落とされ、鼻と口から水分をぶちまけ、州浜は倒れる。
前回と同じく、眼鏡が吹っ飛んだ。
だが、三潮の報復はこんなものでは済まない。
地面へ着地するや否や、足でごろりと州浜を仰向けにし、そのまま馬乗りになる。
目を回しながらも、州浜は必死に首を振る。
「ま、待って下さい、鶴菱サァン! お嬢サンへの攻撃は反射的なモノでしてぇ、ワタクシも、ぐぇっ」
言い訳をまくし立てる州浜の顔面へ、拳がめりこむ。
「知るかッ! 後悔の末、むごたらしく死に絶えろォォッ!」
「うぐっ……顔はっ……顔は止めてぇ! 女房に怒られますぅ!」
「妻と再会するのは死体となってからだ、安心しろッ!」
マウントを取られて一方的に殴られながらも、州浜は反撃を試みる。両の手に炎を生み出そうとするが、その腕が地面に縫いつけられた。
いや、融合した。
州浜は、殴打の痛みを忘れて仰天する。
十和もよろよろと身を起こしながら、辺りを見渡して驚愕した。
空き地に転がっていたゴミの類が浮き上がり、ぶつかっては融合し、そして二人を中心に高速で飛びまわっている。
州浜はかすれた悲鳴を上げていた。
それはまさしく、断末魔の叫びだった。
そんな彼を助けたのは、彼に襲われたはずの少女だった。
「先生、駄目ぇ!」
つんのめるように三潮へ駆け寄りながら、その背中に手を伸ばす。
ぎゅっと、母に縋り付く幼子のように、彼のシャツを握りしめた。
途端、血に塗れた三潮の両手が止まる。いや、全身が固まった。
「それ以上したら、州浜さんが死んじゃいます。先生は、そんなことしちゃ駄目です」
はらはらと涙をこぼして、十和は三潮の背中に額を押し付ける。
殺意に満ちていた三潮の表情に、温かさが戻る。
同時に、州浜の両腕は地面から分離し、周囲を飛び交っていたゴミも次々と落ちていった。
「露芝……すまん」
振り上げた腕をゆるゆると降ろし、三潮は苦しげな声を絞り出した。
彼の両手は州浜の血だけではなく、自身の血にも染め上げられていた。無我夢中で殴り続けていた際に、両手の皮膚が裂けてしまったらしい。
恐る恐る、三潮は十和へと振り返り、そしてぎょっと目を見開く。
「うぉっ」
かすかに悲鳴を上げながら、十和を突き飛ばす勢いでのけぞり、尻もちをついた。
一方の彼女は涙を流しながら、きょとんと三潮を眺めていた。
その姿に、三潮は鼻血を噴出する寸前まで、顔を赤く染める。
「露芝……お前は、天使だったのか?」
「はい?」
素っ頓狂な声を上げる十和。
次いで、ふと違和感を覚えた己の背中を見下ろし、小さな悲鳴を上げる。
百円ショップで購入した天使の羽が、十和の背中に融合していた。
彼女が驚くと、白い羽がパタパタと揺れた。原理は不明である。
「何ですかこれっ。先生の仕業でしょ!」
「すまん! 意図的ではないんだ!」
こぼれ始めた鼻血を抑えながら、ブンブンと三潮は首を振る。
十和も両手を大きく振りながら、涙声で怒る。
「恥ずかしいから、早く元に戻して下さいっ」
「し、しかし、元に戻すには惜しいというか……可愛らしい、のだが」
「先生の感想なんて知りません!」
一転して能天気な口論を繰り返す二人を尻目に、州浜はこっそりとほふく前進で逃げていた。
ちらりと腕時計を見れば、五時まで三分前。
四捨五入して五時だと判断し、すみやかなる退却を自身に命じた。
「鶴菱サンの暴走も予想外ですが……あんな小娘が、彼を制御していたとはねぇ。これは、結社へ報告しなければいけませぇん」
かそけき声で呟きながら再度腕時計を見下ろし、深々と息を吐く。
文字盤の硝子に、無数のヒビが入っていた。先ほどの殴り合いの二次的被害だろう。
これでは結社よりも先に、時計屋へ行く必要がある。
「九太郎ォォッ! 逃げるなァッ!」
ようやく彼の逃亡に気付いたらしい。三潮が死神の形相で立ち上がり、火傷を負った足を庇いながら州浜を追う。
「九太郎ではなく、州浜とお呼び下さいと言ってるでしょぉ!」
捨て台詞を吐きつつ、州浜も立ち上がって全速力で逃げた。
「あと鼻血も、早くお止めになった方がいいですよぉ!」




