にばんめのはなし
私には足と手、それぞれに10本ずつ指が生えている。つまり足と手がにほんずつあって、それはほとんどの人間と同じ形で存在している。体にも脳にも、なんの障害もなく生まれてきた。私は母親の腹の中で生活している時の記憶は持っていないから、苦しかったとか、温かかったとか、優しかったとか、切なかったとか、そんなことは分からない。けれど生まれ落ちる前、母は先生に言われたそうだ。「お子さんは、何かしらの障害を持って生まれるかもしれません。それでも産みますか。」と。
母が決意してくれたから私は今、ここにいるわけで、先生が心配するようなハンディキャップは、幸いながら――という言い方はしてはいけないのかもしれないが、私にはそれ以外の言葉が見つからなかった――持たずに生まれることができた。強い母には感謝しているし、小さい頃は母のような人になりたいと、本気で思ったものだ。
そんな母と、ふたりで出かけていた時のこと。少し遠出をすることになって、私たちは車で高速道路を走っていた。その日は天気がよく、私たちの他にも家族連れの車がたくさんあったように思う。一時間ぐらい走って、パーキングエリアで休憩をしていた私たちの耳に届いたのは、私たちがこれから向かう先で事故があったという情報だった。詳細はよく覚えていないけれど、確かよにんの家族が乗った自家用車と高速バスがぶつかり、通行止めになったというものだったと思う。その話を聞いた私は、いつもの悪い癖がでてしまった。その事故にあった車に乗っていたのが私たちだったら、という想像をしてしまったのだ。
天気はいい。視界も良い。道路には障害物などあるはずもなく、事故なんか起こるはずがない。誰もがそう思うような場所を私たちは進んでいた。スピードも出しすぎてはいない。メーターの針は80~90キロをふらついている。事故なんて、起こるはずがなかった。大好きなアーティストの音楽を聴きながら、母は上機嫌で運転している。不図前を見ると、高速バスがふらついているのが見える。怖いねーなんて呑気に話す母はそのバスを追い越すため、いちばん右の車線に移動しそのまま進んだ。すると、追い越したバスはすごい勢いで私たちの車に、後ろからぶつかってきた。痛くて苦しくて涙が出てきた。私は車の下敷きになっていて、辺りは真っ暗だった。さっきまで明るかったのに、さっきまで楽しかったのに、さっきまでお母さんと一緒にいたのに。
目が覚めた。少し寝てしまっていたようだ。真っ白な天井に真っ白なベッド、動かないからだ。そうだ、私、事故にあったんだ。お母さんはどこ、どこ、どこどこどこどこ?先生、と呼ばれる白い人が来て私に話しかける。残念ながら、お母さんは――。そんな言葉は知らない。会わせて。
もちろん、想像の話。私は怪我なんてしていない。母も生きている。きちんと目的地に行き、たくさん遊んできた。ふたりで。
その後ニュースで見た話だと、事故にあったよにん家族は13さいの弟以外の、16さいの姉と母親は即死、父親は病院に着いたあと、亡くなったそうだ。ひとり生き残った彼は、このあとどう暮らしていくのだろうか。私だったら、きっと。