さいしょのはなし
私は、何かが起こる時や何かを始めようとする時、いちばんわるい事態を想像する。いちばんわるい事態というのは、考えている物事にもよるが基本的には死や怪我に関わることである。それは自分自身にふりかかる時もあるし、自分の大切なモノが傷つく時もある。20ねん生きてきて、この習慣はもう15ねんくらい続いている。初めてこんなふうに頭の中が渦巻いた時、私は自分のことが嫌いになった。
私の通っている幼稚園には「動物の命の大切さを知ろう」という目的で――実際の目的が本当にそんなものなのかは分からないけれど――にひきのウサギを飼っていた。ひとつは真白な大きいウサギ。もうひとつは真黒な小さいウサギ。私は不釣り合いなそのウサギたちを、何か得体の知れない不気味な組み合わせだと思っていたようだ。
園庭にある小さいふたつの檻。にひきは其処に閉じ込められていた。檻の中でもそもそと動くそれえらを、私は毎日ひとりで見に行った。ウサギという動物にも感情はあるらしく、ヒトが近づくと喜んでいるかのように飛び跳ねている。私は、シロ(白く大きい方)に近づき、じっとその目を見続けた。キラキラと赤く光るビー玉のような目は、まるで私の心を見透かしたような、私の心は汚いのだというかのような、そんなふうに言っているみたいで、私は少し悲しくなったのを覚えている。休むとこなく上下に動き続ける鼻に、静かに手を伸ばしてみた。遊具で遊ぶ園児の高い声が聴こえる。時間がゆっくりと、まるでスローモーションのように流れていく。
手を伸ばしてどのくらい経っただろう。未だにシロと目が合っている、ずっと。そらせない。この手を檻に入れたら、私の指はきっと。きっと喰いちぎられる。あ。血がふきだし、私の指はシロに喰われている。目からは涙が落ちる。痛い、いたい、イタイ。歪んだ視界の端で、シロが二ヤっと笑った気がした。
私はそれ以来、最悪の事態を想像するようになった。今でもシロのことは覚えている。忘れるはずがない。確か、クロ(黒く小さい方)は私が卒園した翌年、病気で死んだ。シロのことは分からない。けれど生きているんじゃないかと思う。アイツは死なない。私の指を喰ったのだから。
これは私の想像の話。私の指は20本、全て健在だ。