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三十九

 人々は辛い季節を過ごしていた。凛達が連れて来られたのは岩とサボテンと潅木の茂みがまばらにあるだけの砂地だった。昼は強烈な陽差しが照りつけ、夜になれば闇が瞬く間に熱を奪って凍えるほどの寒さになる。そして度々砂嵐にも見舞われた。境界線ぎりぎりの場所で強風によってねじれた松の木を見付け、それを使ってティピィーを建てて暮らしていた。

 生活を過酷にしていたのは環境だけではない。政府からの配給の食糧がまた酷かった。かろうじて餓死を免れる量の牛肉と穀物。それも腐っている場合が多い。傷んでいる部位を取り除くと、食べられるのは僅かだった。

 こんな土地では作物を植えることも、また狩りをすることも出来ない。生き物といえば、ちょっとした物音ですぐに隠れてしまう臆病で小さなトカゲと、腐った肉に集る蝿ぐらいのものだった。

 そして月に一度の配給の日には十マイル以上離れた砦まで全員が歩かなければならない。男も女も子供も老人も病人さえも。そうしなければ食料が貰えないのだ。政府はインディアンの人数を確認するため、砦に出向いた者の分しか食料を渡さない。人口を把握し、管理するためだ。

 配給の日には凛とミアも子供達の手を引き、千代丸はウナを背負って砦に出向く。以前は手を借りれば歩くことが出来たウナも、ここへ来て半年の間にとうとう自分では立ち上がることも出来なくなっていた。

 この過酷な日々の中でカイの父親が死んだ。肺を患っていた彼は、自分の命が残り少ないことを知っていた。自分の分の食料を息子に食べさせようとしたが、カイはそれを断固として拒絶した。そのため彼は、カイには内緒で他の小さな子供達に分け与えていたのだ。病に冒されながらも戦士としての魂が衰えることはなかった。家族と部族を守るため、飢えと刻一刻と迫る死の恐怖と戦ったのだ。

 最後の発作に襲われた時、骨と皮ばかりになった身体では耐えられるはずもなかった。酷い砂嵐の夜、彼は息子であるカイの腕の中で静かに息を引き取った。カイの慟哭は風に掻き消されたが、誰もがその戦士の死を嘆き悲しんだ。カイはまたしても自分を責めた。カイは自分の父親を別段強い戦士だとは思っていなかった。その勇敢さと偉大さに気付いたのは彼の死の間際だ。カイは強い後悔と自責の念に駆られ、しばらく誰とも口をきかないでいた。凛はそんなカイが放っておけず、四六時中一緒に居るようになった。次第に打ち解けていった二人の間には特別な感情が生まれ始めていた。カイも以前のように凛に対して憎まれ口を叩くことはなくなった。


 カイの父親の死後も、子供達が飢えを凌いでいられるのには理由があった。時折食べ物の差し入れがあるからだ。誰かが境界線の警備を掻い潜り、夜中に干し肉やとうもろこし等を置いていくのだ。それを兵士に見付からないよう隠して皆で分けていた。

 その姿を見た者はいないが、この食料を持ってくるのはきっとダニエルだ。口には出さないが皆がそう思っている。盗んだのか馬車でも襲撃して奪ったのか、食料の出所は深く考えたくはなかったが、これが届けられる限りダニエルは無事でいるということが分かる。

 千代丸はいつもウナの世話をするミアを手伝っている。最近ウナは昼間でも寝ていることが多くなった。ウナが床に着くと千代丸はミアと散歩をしたり、岩陰で凛とカイと四人で話をしたりして長過ぎる暇な時間を潰す。

 少ししか英語が分からないカイとミアに、小枝を使って地面にアルファベットを書いて読み書きを教えることもあった。兵士同士が話している言葉が分からずに不安になるからだ。奴らが何を考えているのか、それが知りたかったのだ。


「あ~あ、ヒマだなぁ……畑仕事も狩りも出来ないし。しかも、この暑さじゃ……」

千代丸は上着の裾をパタパタと仰いで風を送っている。

「あんまり動くなよ。腹が減るから」

岩に背を預けて呆れたようにカイが言った。

 二週間前の配給はこれまでになく酷いものだった。傷んだ肉だけでなく、挽いたとうもろこしの粉にも虫が湧いていた。さらにダニエルからの食料も途絶えており、空腹とダニエルの安否が気になって皆の気持ちはざわついている。

「メスカルでも探しに行こうか?」

千代丸が提案したが、そうするには境界線の外に出なければいけない。万が一、兵士に見付かればただでは済まないし、最悪の場合、射殺されるかも知れない。凛は静かに首を横に振った。

「今日は無理よ。明日は人数確認の日よ」

兵士が来た時に全員が揃っていなければ大変なことになる。それにもしメスカルを採れたとしても、それが見つかってしまえば境界線の外に出たことがばれてしまう。

「じゃあ明日、兵士が戻って行ったら探しに行こう。このままじゃ皆飢え死にしちまう」

カイは手で庇を作ると、怒り狂ったように照り付ける太陽を恨めしそうに見つめた。

 生きるために何かをしたくても、それが許されない。このままでは飢え死にするのを待つことしか出来ない。

「山に帰りたい」

そんな嘆きがあちこちから聞こえる。皆同じ気持ちだ。山でなら飢えることなく暮らしていける。誰もが山に帰る日を夢見ていた。

「チヨー!」

ティピィーの前で笑顔のミアが手を振っている。千代丸も笑顔で立ち上がり、ミアの方へ駆けて行った。千代丸は凛よりも遥かに大きな身体に成長していた。幼さの残る笑顔が見えない後姿は、大人の男と変わらない。

 千代丸とミアは片時も離れたくないという感じだ。一緒に居るだけで幸せなのだと分かる二人を見ていると、空腹も忘れてしまいそうになる。凛の口元が自然と緩んだ。

「リン、あのさ……」

その場に二人きりになると、俯いたカイが躊躇いがちに声を掛けた。

「何?」

「そ、その……リンの十六歳の儀式の時……お、俺とダニエルと……どっちに……」

 凛がダンスの相手を選ぼうと、隣同士で立っていたカイとダニエルの前に足を一歩踏み出した時、軍隊がやって来て儀式は中断されたままだった。顔を真っ赤にして尋ねてくるカイを眺め、凛は素っ気なく応えた。

「ダニエルよ」

「そ、そうか……」

明らかに落胆した様子で肩を落としたカイを見て凛は唇を噛んだ。

 カイの父親の死後、一緒に居る時間が増えたことでカイの自分に対する想いには気付いている。しかし恥ずかしさからなのか、こうして遠回しに自分を試すような態度のカイに凛は少しじれったさを感じていた。

「だって私、ダンスなんてしたことないのよ。初めてだったら、上手な相手と踊った方がいいでしょ? カイとダニエルじゃ、どう考えたってダニエルの方が上手に決まってるもの」

「えっ? それだけ?」

顔を上げたカイの真剣な眼差しにたじろいだ凛は慌てて頷いた。

「そ、そうよ……だってダンスだけでしょ? 別にその相手と結婚しなくちゃいけないわけじゃないでしょ?」

「そ、そうだよな……」

大きく安堵の息をついたカイを見て、凛は違う意味の大きな息をついた。


 その日の夜中から強い風が吹き始めた。朝になり風は少し弱まったものの、いつもなら陽炎の向こうに揺らめいて見える遥か彼方の山の稜線が今日は霞んで見えない。空には青みがかった灰色の雲が一面に敷き詰められ、太陽の光はいつもよりも弱々しい。まるでこの場所だけが世界から切り取られ、取り残されてしまったような寂しい感じがした。千代丸に背負われているウナも心配そうな顔で空を見ている。

 舞い上がる砂の中を七人の騎馬兵がやって来た。人々は空腹を抱えて難儀そうに立ち上がり、疲れきった身体に汚れた毛布を纏って一列に並ぶ。首から下げた金属の認識プレートを兵士が一人一人確認していく。

「こんな日は外に出るもんじゃない。それなのに軍人さんは律儀だねぇ」

ライフルを肩に担ぎ、しかめつらしい顔で歩く将校に老人が笑いながら声を掛けた。砦から過酷な荒野を渡ってきたそのコナーズ中尉は険しい顔で老人を睨みつけると、いきなりライフルの台尻で頭を殴りつけた。

「ああ……あ……」

殴られ倒れた老人は額から血を流しながら、その小柄な身体を震わせて呻いている。

「ああ! しっかりして!」

すぐに老人の息子夫婦と、まだ幼い孫達が駆け寄った。

「老いぼれのケダモノが! 生意気な口を聞くな!」

非難の目を向けてくるアパッチの一団を憎らしげに一瞥してコナーズ中尉は吐き捨てるように叫んだ。

「いいか! 無駄口は叩くな! 今度は撃ち殺すぞ!」

こんな面白くもない任務は早く終わらせたいのだろう、自分が殴った老人をその家族が抱えてティピィーに運び入れるのを横目に、他の者達の確認を続ける。

 ウナは千代丸の肩を叩き、老人が運ばれたティピィーを指差した。ミアと連れ立って三人で老人のティピィーに入って行く。

 人数確認が終わり兵士が帰ったら、カイと千代丸と共にメスカルを採りに行くことになっている凛は焦る気持ちを何とか押さえ込んでいた。前を通りかかったコナーズ中尉が、そんな凛の顔を陰湿な目つきで執拗に見ていることに気付き、慌てて目を逸らした。

 老人のティピーからすぐに千代丸と孫達が出てきた。

「大丈夫だよ、大丈夫だからね」

千代丸は安心させるように笑顔で老人の孫達に言葉を掛けている。

 きっとティピィーの中では老人の手当てをしているのだろう。しかし今ここには薬にもなるメスカルはない。手当てといっても出来るのは、血が止まるのを祈りながら傷口を布で押さえることぐらいだろう。

 飢えから来る苛立ちと兵士への怒りで、その場には張り詰めた空気が漂っている。溜め込んでいた不満が今にも爆発しそうな雰囲気だ。

 コナーズ中尉が通り過ぎると、凛はカイと千代丸に目配せをした。早めに出発した方がいいだろうと判断したのだ。メスカルを探して持ち帰れば、皆の尖った神経もきっと少しは静まるはずだ。頷いたカイと千代丸は今では一緒に寝泊りしているティピィーへ、そして凛も自分のティピーへと向かった。


 その場に張り巡らされた緊張の糸は突然弾かれた。殴られた老人の息子が猛然とティピィーから飛び出し、鞍にライフルを差して帰り支度をしていたコナーズ中尉に詰め寄ったのだ。

「お前達は何て酷いことをするんだ! それでも人間か? 大体、食料はどうした! 何故お前達は約束を守らない!」

コナーズ中尉は手を止めて黙ったまま、そのインディアンの顔を睨みつけた。それでも溢れ出した不満は止まらない。喚き散らすインディアンを前にコナーズ中尉と、その後ろにいる兵士達の口元に歪んだ笑みが広がっていった。

「暴動だ! 暴動だ!」

コナーズ中尉は叫びながら腰の拳銃を抜くと自分に詰め寄るインディアンの胸に至近距離から発砲した。周りにいる人々は悲鳴を上げた。他の兵士達も鞍のライフルを抜き取ると、怯えている人々に向かって発砲を始めた。


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