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三十四

「ハァッ……本当にこんな山ん中にいるのか? メキシコに向かったんじゃなかったのか?」

太陽が僅かに西に傾き始めた頃、森の中の獣道を二人の偵察隊の兵士が歩いていた。

「斥候からの報告だ。逃げたアパッチかどうかは分からんが、とにかくインディアンがいることは間違いないらしい」

「気に入らねぇ……何でインディアンの指図を受けなきゃならねぇんだ……」

 三十代半ばの兵士がライフルを担ぎ直しながら、草が茂る足元に唾を吐いた。もう少し年上の兵士が油断なく辺りを見回しながらたしなめる。

「おい、大きな声を出すな。仕方がないんだ。あいつらを見つけ出すには、同じインディアンを使った方が手っ取り早い……ん?」

その時、二人の遥か前方を何かが横切った。かつっと微かな音がした方を見ると、それは一本の矢だった。二人の兵士は足を止めた。がさがさと森の中が騒ぎ出し、木々の間を逃げていく動物達の茶色の毛皮がちらちらと見える。二人は同時に身を屈めてライフルを構えた。

「驚いたな、本当にいるとは……」

年長の方の兵士のこめかみを一粒の汗が伝い落ちた。


「クソッ! 外した!」

カイが弓を握ったまま悔しそうに歯を軋らせた。その横でサンは大きな溜息をつく。

「はぁ……やっぱりリンを連れて来た方が良かったかな」

聞き捨てならない言葉にカイは太い眉毛を吊り上げてサンを睨んだ。サンも負けずにカイを見返す。

「何か文句があるのか? あんな至近距離で外しやがって。あ、そうか!」

サンが何かを思いついたようにニヤッと笑った。

「お前リンのことが好きなんだよな? 男としてのプライドが傷付いたか? 悪い、悪い」

「べ、別に好きじゃねぇよ、あんな奴! お、女だなんて思ってねえし……」

顔を真っ赤にして否定するカイにサンは続けた。

「そうかぁ? まぁ、俺から見ればまだちょっと子供っぽいけど、もう少しすれば割といい女になると思うぞ。リンもあと数ヶ月で十六だろ? そうしたら一人前の女として認められるし」

「興味ないね!」

なおも突っ張り続けるカイをからかうのが楽しいサンは、腕をカイの首に回して顔を近づけた。

「気取るな、気取るな。何だったら俺が、女の喜ぶ台詞でも教えてやろうか? ん?」

凛の気持ちを知らないとはいえ、あまりにも無神経なサンの言葉にカイは猛烈に腹が立った。

 カイは肩を弾いてサンの腕を払いのけると、うんざりして顔を背けた。

「もういいよ! 放っといてよ!」

「何怒ってるんだよ?」

「うるさい! 結婚したからって調子に乗るな!」

立ち上がりざまに怒鳴ったカイに、サンは驚いて目を見開いた。

「な、何だお前?」

年長者に向かって罵声を浴びせるなど言語道断である。しかし怒りが収まらないカイはサンに背を向けて森の中を大股で歩いて行く。

「おい! どこへ行く?」

カイは振り返りもせずに、投げやりな返事をよこした。

「あの鹿、仕留めりゃいいんだろ? 一人でやるよ!」

「無理だ! 戻れ、カイ! 深追いするな!」

その時、サンの耳に「ガチッ」っという金属音が微かに聞こえた。首を巡らせ音がした方に目を遣ると、茂みの間から森の中では異質な青い色が見えた。そしてその先には、木漏れ日を受けて鈍く光る銃口。それはカイに向けられている。カイは気付いていない。サンは走り出した。


「アパッチだ……まだ若いな、十五か十六のガキだ……」

 戦闘用の鉢巻と両頬を繋ぐ黄色の条を確認して、ライフルを構えた年下の兵士が舌で乾いた唇を湿らせながら呟いた。

「脚を狙え。殺すなよ。生け捕りにして砦に連れて帰り、その後仲間の場所まで案内させる」

 狙いを定めながら年長の兵士の指示に頷き、引き金を引いたその時、もう一人のアパッチの男が標的の前に飛び込んできた。


「サン!」

サンに突き飛ばされたと同時に銃声が鳴り響き、驚いたカイは地面に手をついたまま叫んだ。がくっと膝をついたサンの右の大腿部が真っ赤に染まっている。カイはサンに駆け寄った。

「もう一人いる! まずい! 殺せ!」

年長の兵士が立ち上がり、ライフルを構えた。

「くそっ……」

歯を食いしばりながらサンは背中のライフルを手に取ると構えて兵士に発砲した。それと同時に兵士も引き金を引く。

 サンが撃った銃弾は年長の兵士の額を貫いた。兵士はライフルを落とし、音もなく後ろの草の中に倒れていく。兵士が撃った銃弾はサンの腹を捉えていた。硝煙が細く立ち昇るライフルを握ったまま後ろに倒れかけたサンを、背後からカイが受け止めた。

「サン! サン!」

「カイ……このバカ……早く逃げろ……」

ゴボッと血を吐きながらサンはカイを睨んだが、カイはサンを抱き締めたまま離れようとしない。


 額を撃たれ目を大きく見開いたまま倒れている仲間を呆けた顔で凝視していた兵士は、年少のインディアンが発した叫び声を聞いて我に返った。

「畜生! 二人とも殺してやる……」

兵士はライフルを構えた。撃たれたインディアンはもう虫の息だ。その横で泣き喚いている少年の頭に狙いを定める。その時、右側にある茂みが揺れたかと思うと、右手首に重い衝撃を感じてライフルを落としてしまった。

 突然のことに驚いた兵士が顔を上げると、傍らにナタを持ったアパッチの男が立っている。そして、今まで経験したことのない痛みに吐き気を催した。顔を下に向けると、ライフルと一緒に地面に落ちている自分の手が見えた。

「う……うわぁー!」

兵士は絶叫すると、血を噴出している右の手首を左手で抱え込んだ。


「サン! 嫌だぁ! サン! 死ぬなぁ! サン! サン!」

カイの泣き叫ぶ声が森の中に響いている。銃声が聞こえて駆けつけてきたダニエルは、もがき苦しむ兵士の横でナタを持ったままそちらへ顔を向けた。

 サンは既に目を閉じており、力無くカイに身を委ねている。ダニエルはゆっくりと、手首を押さえて蹲る兵士に向き直った。カイの慟哭を背に受けながら兵士の肩に足を掛けて強く押した。兵士はもんどりうって仰向けに倒れる。

「あ……あ……」

兵士は呻きながら交互に膝を立て必死に後退さろうとする。ダニエルはその左の膝を思い切り踏みつけた。

「あああー!」

グシャッと膝が砕けた音が響き、兵士はのた打ち回った。ダニエルは兵士を跨ぐと、全くの無表情で見下ろす。しかし身体中からは煮えたぎるような激しい憎悪を漲らせている。

「ハァッ、ハァッ……」

苦痛と恐怖に顔を歪めた兵士は真正面からダニエルと向き合った。冷たい汗に滲む視界の中、そのインディアンの顔を凝視した兵士は驚いたように目を見開いた。

「お、お前を……知ってるぞ……」

手首から先のない右腕を震えながらダニエルに向けた。

「だろうな」

ダニエルは抑揚のない声で応えると、手にしているナタを握りなおして一歩前へ出た。兵士は顔を引きつらせながら、泣き出しそうな声で命乞いを始めた。

「ひっ! や、やめろ! やめてくれ! 助けてくれ……ああ、神よ……」

「神か……」

吐き捨てるようにその名前を口にしたダニエルは、空を見上げて声を張り上げた。

「神よ! 居るなら出て来い! 出て来て俺を殺せ! お前の息子が助けを求めてるぞ!」

 ダニエルの叫びを飲み込んだ空は青いままで、すぐに静けさを取り戻した。鳥さえも鳴くのを止めている。ダニエルはゆっくりと兵士に向き直った。

「残念だったな……」

唇を歪め残忍な笑みを浮かべると、ダニエルはナタを頭上高く振りかざした。


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