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二十九

 凍てつく長い冬を越えた命は、春にその身を躍らせる。固い蕾が膨らむように。土が若芽を押し出すように。溶けた雪が大地の割れ目を川となって迸るように。全てが光り輝く夏を目指して。


 ティピィーの中、ミアはビーズと鳥の羽根で作った髪飾りを付けていた。

「うわぁ、可愛い!」

凛が思わず歓声を上げると、ミアは嬉しそうに微笑んだ。いつもはふたつの三つ編みにしている髪を今日は下ろしており、右側頭部の一房だけを革紐で結わいて飾りを付けている。そうしていると、ミアはいつもより大人っぽく見えた。

「気に入った? じゃあ、今度リンにも作ってあげるね」

「ありがとう!」

 最近、自分を綺麗に見せたくて仕方のない凛が手を叩いて喜んだ。ミアはミアで鏡を手に髪飾りの具合を入念に確かめている。

「チヨはこんなの好きかなぁ?」

「えっ?」

ミアの呟きに凛は目を丸くした。自分の独り言を聞かれてしまったことに気付いたミアは弾かれたように振り向くと、顔を赤らめながら照れ笑いをした。

 そんなミアがとても可愛くて、凛も思わず口元を綻ばせた。


 恋は一日の大半その心の中を占領する。朝は時間を掛けて髪を梳かし、それと同じくらい長く鏡を覗き込む。それからテントを出る時も、無意識に彼の姿を捜してしまう。居なければ居ないでがっかりするし、居れば自分に何かおかしいところはないかと、気にし過ぎてぎこちなくなってしまう。想いを寄せている相手が、自分より八つも年上となればなおさらだ。何とか子供っぽく思われないように、背伸びをしたくなる。しかし凛がいくら頑張って髪型を変えても、服に新しい飾りを付けても、サンは全く無反応だった。

「リンは今日も可愛いなぁ」

大体は、ダニエルが大げさに社交辞令を述べるだけだ。

「何だよそれ? 似合わなねぇな」

そしてカイが追い討ちを掛ける。その後凛は一人、小川の岸に座って落ち込むのだ。

「似合わない」

そう言ったのはカイだが、きっとサンだってそう思っているに違いない。そんな風にくよくよと思い悩む。

 そしてサンに声を掛けられた日は嬉しくて有頂天になり、眠りにつくまで交わした言葉を心の中で繰り返す。凛は初めての恋に振り回されていた。


 ある日、凛は焚き火を囲む丸太に座り、サンとダニエル、カイと千代丸と共に矢を作っていた。鉄の矢じりを焚き火で炙り、石で叩いて先端を尖らせる。凛は出来上がった矢じりを葦に取り付けていた。

「チヨ!」

大事そうにモカシンを抱えたミアが走り寄って来た。

「今履いてるのがもうきついって言ってたでしょ? だから、新しいの作ったの。どうぞ」

 まさに育ち盛りの千代丸は、その姿を目にする度に大きくなっている。今はサンのティーピーで暮らしている千代丸とは四六時中一緒に居るわけではない。凛の背丈を追い越すのも時間の問題だろう。

 はにかみながらミアが差し出したモカシンを、嬉しそうににっこりと笑って千代丸が受け取った。

「ありがとう」

千代丸のその反応に凛は違和感を覚えた。てっきり「わーい、わーい」と大喜びして飛び跳ねると思っていたのだ。いつの間にこんなに落ち着いてしまったのだろうか。

 こうして笑っている千代丸の横顔は、確かにもうあどけない子供の顔ではなかった。女の子のような面立ちだったのに、きりっとした眉毛に顎もしっかりとしてきて、逞しい男の顔になってきている。

 しばらく二人で微笑み合った後、ミアは弾むような足取りでその場を離れた。千代丸はミアの後姿を崇めるような憧れるような、そんな眼差しで見送っている。

 その様子を見ていたサンとダニエルが互いに顔を見合わせてニヤッと笑った。

「ミアって本当にいい子だなぁ。可愛いし、優しいし」

感心した様子でダニエルが言うとサンが頷いた。

「そうだなぁ。でも、あのミアも年取ったらウナ婆さんみたいになるんだろうな……時間て奴は残酷だよな……」

「本当、本当」

そのやりとりを聞いた千代丸は、サンとダニエルをキッと睨むと猛然と言い返した。

「そんなことないよ! ミアはお婆ちゃんになったって綺麗だよ!」

その勢いに全員が呆気に取られた顔で千代丸を見た。

「千、千代……やだぁ、あんた……」

凛は驚いて声を上げた。ミアが千代丸を気に入っているのは以前から気付いていた。それでもこの二人が相思相愛なのだとは始めて知ったのだ。

「な、何だよ凛!」

最近凛のことを「姉上」とは呼ばず、皆と同じように名前で呼ぶようになった千代丸は顔を真っ赤にしてうろたえている。

 サンとダニエルとカイが一斉に大きな笑い声を上げた。

「だーはっは! チヨは正直だなぁ! 可愛い奴!」

「なぁ! ミアと何かしたのか? 何かしたのか?」

興味津津で訊いてくるカイに向き直り、千代丸は首を千切れんばかりに振った。

「何もしてないよ! 何言ってん……あっ! ゲホッ! ゲホッ!」

急に千代丸の声が掠れ、苦しそうに咳き込んだ。

「どうしたの? 千代、風邪でもひいた?」

「あ、ううん。でも、最近なんか喉が……」

喉を押さえて咳払いしながら首を傾げている千代丸にサンが平然として言った。

「普通だろ? それ」

「えっ? 何で?」

「声が変わるんだよ。お前も大人の声になるんだ」

凛は思い出した。昔、兄にもそういうことがあった。突然兄の声が変わったことに戸惑い、まるで違う人になったように感じたものだ。

「そうだよ。俺みたいな渋い声になるんだよ~」

ダニエルがオペラのテノール歌手のように歌いながら大げさに手を広げる。

「そんな声、嫌だ」

千代丸ににべもなくそっぽを向かれたダニエルはがくっと頭をうなだれたが、すぐに立ち直るとニヤニヤしながら千代丸に顔を近づけた。

「お前そろそろアレじゃないか? 朝起きたらさぁ……」

ヒソヒソと千代丸に話し掛ける。何を話しているのか凛には聞こえないが、千代丸の顔が見る見る赤くなっていくのが分かった。

「なっ、何言ってんだよ! もう! 変なこと言うのやめてよ!」

真っ赤な顔で首を振る千代丸を見て、再びサンとダニエルが大笑いを始めた。凛は顔をしかめると、呆れて肩をすくめた。

「楽しそうね。何の話?」

トゥナというサボテンの果実をいっぱいに載せた籠を持ってターニャが現れた。

「あ……いや、何でもないよ」

ダニエルはまだ笑っているが、サンは手を振って慌ててごまかした。

 ターニャが皆にトゥナを配り、暫しの休憩となった。

「サン、ちゃんと食べるのよ。ウィスキーばっかり飲んでちゃダメよ」

「はいはい……分かってるよ」

普段は皆に優しいターニャが腰に手をあてたしなめるとサンは苦笑いを浮べて頷き、足元に置いてあるウィスキーのボトルを爪先でダニエルの方へ押しやった。

 トゥナが入った重そうな籠を持ち直し、ターニャは踵を返して歩き出した。振り返ったサンは、やおら立ち上がり丸太を跨ぎ越えるとターニャに駆け寄った。

「ターニャ、それ持つよ」

「あら、ありがとう」

 互いに微笑を交わしながら歩いていくターニャとサンの後姿を、凛はトゥナの皮をナイフで剝きながら見つめていた。逞しいサンと美しいターニャはとてもお似合いに見える。何よりもターニャを見つめるサンの顔。あんなに慈しむような優しい顔でサンに笑い掛けられたことなど凛にはない。それを思うと、心の奥の方がずきずきと痛んだ。


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