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二十三

 凛と千代丸は彼らに受け入れられた。その夜から凛は、ミアとその祖母でシャーマンのウナと一緒のティピィーで眠ることになった。ミアの両親は既に亡くなっているらしい。肉親は祖母だけだ。ミアは凛と一緒に暮らせることをとても喜んでくれた。そして千代丸はサンのティピィーに入って行った。

 凛と千代丸が彼らに受け入れられたといっても、それは客としてではない。次の日からは彼らの一員として、他の者達と同じように扱われた。凛はミアがしている洗濯や繕い物を手伝う。千代丸はとうもろこしや豆が植えられた畑の仕事を手伝い、その合間には小さな子供達の遊び相手をするのが日課になっている。

 ここでの生活は、凛が生まれ育った山間の里である故郷とそう変わらない。トビーはインディアンというのは文明が遅れていると言っていたが、凛にはそうは思えなかった。確かに天蓋付きのふかふかしたベッドも、金の飾りが付いた豪華なティーポットもここにはない。それでも生きていくのに必要な物の全てがあった。

 年下の者は年上の者を敬うが、そこには奴隷も使用人もなく階級もない。あるのは役割だ。全ての人が皆の為にそれぞれの役割を担っている。さらに子供や老人、病人をいたわる彼らには欺瞞も策略も必要ない。そしてここの男達は女性をとても大切にしている。自分よりも力の弱い者をいたわることが出来るというのは、高い文明がある証拠だ。

 元々山育ちの二人だからだろうか。凛も千代丸も、あっという間にここでの暮らしに馴染むことが出来た。


 ある日、籠いっぱいにどんぐりを拾い、戻るために森の中を歩いている時だった。背中に矢筒を背負った男の後姿が見えた。男といっても、凛とそう変わらない年齢の少年だ。

 少年は十メートルも離れていない杉の木に向かって弓を射っている。しかし上手くいかないようで、木の幹に刺さっている矢はなく、周りの地面に何本も落ちているだけだった。その少年が力任せに矢をぐいと引いた。

「エイ!」

掛け声を掛けて放った矢に力はなく、少年の足元から一メートルほどの所にぽとりと落ちてしまった。

「プッ!」

凛が思わず吹き出してしまうと、弾かれたように少年が振り返った。目元まで下がった前髪、太い眉毛に大きな目。その少年の顔は知っている。話をしたことはないが、千代丸と一緒に遊んでいたり、サンやダニエルにまとわりついているのをしょっちゅう見掛けていた。少年は不機嫌そうに凛を睨んでいる。

「あ、ごめんなさい……」

凛は謝ったが、少年はプイとそっぽを向くと木の周りに落ちている矢を拾い集めた。

「英語……通じないのかな?」

このまま立ち去るのも後々気まずくなるだろうし、どうしたものかと悩んでいる凛に向かって少年はつかつかと歩み寄った。そして黙ったまま手に持った弓と矢をつっけんどんに差し出した。出来るもんならやってみろ、と言いたげに。

 凛は頷くとどんぐりが入った籠を足元に置き、少年から弓と矢を受け取った。弓を握った瞬間に胸が高鳴った。父親にせがんで教えてもらった日々を思い出す。父親からは「筋が良い」と褒められたのだ。

「もう何年もやってないけど、上手く出来るかな?」

凛は首を傾げて呟いたものの、顔には満面の笑みを浮べている。久し振りの弓矢が楽しみで仕方ないのだ。矢の束を足元に置き、その中から一本取った。少年は相変わらず不機嫌な顔で腕を組み、傍らで凛の動作を見つめている。

 凛は肩幅に脚を開き、弦に矢羽を引っ掛けた。一度下に向けた弓矢を上げて構えると同時に矢を引いた。かなり張りの強い弦だが、こうすればそれほど力を入れずとも矢を引くことが出来る。

 凛は狙いを定めて矢を射った。矢は空気を切り裂き一直線に飛んでいく。先端に付けられた尖った石が杉の木の側面の皮を抉って遠くへ飛んでいった。

「ああ! 失敗した!」

 凛が狙った幹の中心からは逸れてしまった。足元からもう一本矢を取って構える。さっきは久しぶりのことで気持ちが浮ついていた。凛は目を閉じて大きく息を吸い込む。すると父の言葉が聞こえてきた。

「凛、何も考えるな。心を無にするんだ。的だけに集中しろ。そうすれば、的が浮き上がって見えてくる」

 森の木々のざわめきも、隣で自分を睨んでいる少年のことも凛の頭の中からは追い出された。隣で囁く父の声と、的である杉の幹だけを意識していた。

 凛はゆっくりと目を開けた。

「見える」

まるで木の幹が手の届く所にあるように見える。凛は静かに矢を放った。矢に付けられた茶色い鳥の羽がフワッと凛の頬を撫でる。「だんっ」という鈍く重い音を立て、狙ったとおりの場所に矢が突き刺さった。胸のすくような気持ちで凛は振り返り、会心の笑みを少年に見せた。少年は口をあんぐりと開け目を見開いている。

 幹に突き刺さった矢を抜き、木の向こうに落ちたもう一本を拾い、弾む足取りで少年の元に戻った。

「ね、今の見たでしょう? あなた腕に力が入り過ぎてるのよ」

すっかり気を良くした凛が少年に弓と矢を差し出しながらアドバイスをした。しかし少年はさらに不機嫌そうな顔で弓矢と凛を交互に見ている。

「カイー! カイ!」

凛の右手にある斜面の上から声がした。少年が弾かれたように身体の向きを変え、声のした方を見上げた。斜面の上で千代丸が少年に向かって手招きをしている。凛がいることに気付いた千代丸は振っていた手を止めた。

「あれ? 姉上、そこにいたの?」

凛が千代丸に向かって頷くのを見た少年は、差し出された弓矢をひったくるように取ると斜面を駆け上がって行った。

「何よ、あの子。感じ悪い……」

凛はどんぐりの籠を持ち上げながら呟いた。カイの男としてのプライドを傷付けてしまったことになど気付いてもいない。


 その日から凛は時間を見付けては弓矢の練習をするようになった。ミアや千代丸や他の子供達が見学にやって来ては、凛が矢を的に当てる度に歓声を上げる。カイはいつも少し離れた所から食い入るようにそれを見ている。

「すごーい! すごいわ、リン!」

ミアが手を叩いて歓声を上げる中、凛は照れながら矢を拾い集めている。

 凛の腕前を褒め称える輪の外で、木にもたれかかっていたカイは溜息をついた。

「へぇ~、たいしたもんだなぁ」

不意にダニエルの声がしてカイは驚いて振り返った。ダニエルの隣ではサンが腕を組んで頷いている。

「な、何だよ! 気配もなく来るなよ! ビックリするじゃないか!」

「気付かないお前が悪い。そんなんじゃ、敵にすぐやられちまうぞ」

カイの抗議にサンはぶっきらぼうに応えた。カイは口をへの字にして怒りをぐっとこらえる。ダニエルが笑いながらカイの肩を叩いた。

「お前も戦士になりたいなら、ちゃんと練習しないとな」

「……だったら、俺に矢の特訓してくれよ!」

カイが口を尖らせて訴えたが、サンとダニエルは互いの顔を見合わせて肩をすくめた。

「だったらリンに教えてもらえよ」

サンが追い討ちを掛けると、カイは顔を真っ赤にして怒り出した。

「何だよ! サンのケチ! バカ!」

捨て台詞を吐くと走り去った。

「あ~あ、可哀想に……カイはお前に憧れてるんだぞ」

ダニエルにつつかれたサンは肩をすくめた。

 練習を切り上げた凛が弓と矢が入った矢筒を持って歩いていると、その横にサンが並んだ。

「弓矢をどこで習った?」

『怖い』という印象のあるサンに話し掛けられ、凛は少し緊張しながら答えた。

「父に……」

「僕達の父上は侍なんだよ!」

すぐ後ろで千代丸が自慢げに言いながら胸を張るとサンが首を傾げた。

「サムライ?」

「侍っていうのは、戦が起こると戦いに行くんだ。普段は心身を鍛えて剣術なんかの腕を磨いて戦いに備えるんだよ」

サンは合点がいったように頷いた。

「ふぅ~ん……戦士か……」

「本当はね、今時、戦で弓矢なんてほとんど使われてないの。だけど、精神を集中させるのに良いからって、父はよく練習していて、私も教えてもらったの」

凛は喋りながら、おぼろげな記憶の中にある父の顔を思い出そうとした。最近では意識してそうしなければ思い出すことが出来なくなっている。言われた言葉や声は、今でも鮮明に耳に残ってはいるのだが。

「動く的を射ったことはあるか? 動物とか」

サンの問いに凛は立ち止まって首を振った。

「ないわ! さっきも言ったけど、これは心身を鍛えるための物よ。殺生のためじゃないわ!」

サンは腕を組んで空を仰ぐと、しばらく考えてから凛に向き直った。

「明日、朝食が終わったら、さっきの場所で待ってろ。弓矢を忘れるなよ」

有無を言わせないその口調に凛は慌てて頷いた。


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