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二十二

「それでお前はどこから来た?」

サンの問いに凛はハッとして顔を上げた。

「ロンドン……でも、元々は日本です」

「日本?」

サンとダニエルは互いの顔を見ながら肩をすくめた。その時凛は大事なことを思い出した。

「あの、私達、サンフランシスコって所に行かなくちゃいけないんです。そこなら日本へ行く船があるかも知れないんです! 日本に帰りたいの!」

「無理だ」

サンの言葉に凛は愕然とした。

「どうして?」

「サンフランシスコがどこにあるか知ってるのか?」

凛は俯いて首を振った。知っているのは町の名前だけで、場所まではよく分かっていない。サンは呆れたように溜息をついた。

「西の果てだ。途中には険しい渓谷がありモハーヴェ砂漠があって、さらにシェラネヴァダ山脈を越えなくちゃいけない。お前とあの小僧だけで行ける訳がない」

凛はどうしても諦めきれないし、サンの冷たい言い方にも段々と腹が立ってきた。上目遣いにサンを見ると、口を尖らせた。

「だ、だって……元はといえば、あなたが馬車を襲ったりするから……」

「先に発砲してきたのはあいつらだ」

そう言われると何も言い返せない。それでも何とかしてサンフランシスコまで行かなければいけない。自分だけの問題ではなく、千代丸の人生をも左右することなのだ。

 今までは周りの大人達に自分の行き先を決められてきた。自分の力の及ばぬことだと、半ば諦めていたのだろう。でも今は、確かに大人とは言えないかも知れないが、かといって小さな子供でもない。そろそろ自分の道は自分で決める時期だ。その為の手段など選んではいられない。

 目の前の男達は自分より遥かに身体も大きく屈強に見える。しかも偉大なアメリカ連邦政府に反旗を翻すインディアンであり、確かにさっきまでは恐怖を感じていた。しかしこの二人が戦士だというなら、自分だって武士の娘だ。怯む必要はない。

 凛は意を決して顔を上げるとサンを見据えて口を開いた。

「私達をここへ連れて来たのはのはあなたです。あなたには責任がありますよね……」

凛の強い決意とは裏腹に、その声は震えていた。さらにサンは凛のそれよりも強い眼力でその決意を打ち砕いた。

「俺にサンフランシスコまで送って行けと言いたいのか? 冗談じゃない! そこに行くまでには軍隊も賞金稼ぎもウロウロしてるんだ。奴らは皆アパッチを狙ってるんだぞ。俺は戦士だ。ここの部族を守るのが俺の使命だ。お前達と一緒に死ぬわけにはいかないんだよ」

ダニエルも困ったような顔をして頭を掻いている。冷たい口調でサンはさらに続けた。

「それにお前、自分達は運が良かったと思えないのか? さっきも言ったが、あのままだったら今頃はコヨーテの餌だ。ま、お前らみたいなやせっぽっち二人じゃ、コヨーテも満腹にはならないだろうがな」

 凛は自分の不甲斐無さに情けなくなった。こんな自分で千代丸を守ることが出来るのか、と。自然と溢れてきた涙を隠すために下を向いた。

「おいおい、サン、そんなにきつい言い方しなくてもいいだろう……相手は女の子だぞ。リン、泣くことないぞ~、サンが悪いんだからな~」

ダニエルがこの場を和ませようと身を乗り出して、おどけた口調で凛に呼びかけた。

 凛が手の甲で乱暴に涙を拭いて顔を上げると、相変わらず自分を睨みつけているサンの目に会った。サンは凛から目を逸らすと、傍らの拳銃を手に取って弄びながら静かに口を開いた。

「それに……お前達をどうするかは、俺達が勝手に決められることじゃない」


 その後、凛はミアに誘われ広場の焚き火の前で夕食を摂った。凛達が乗っていた幌馬車から略奪した食料の干し肉と、とうもろこしのパンを食べている時に酋長のレッドベアを目にした。ここの一番偉い人物だと聞いていた凛は、きっと殿様のような人だろうと想像していた。しかしレッドベアは、ここの多くの人達と同じように飾り気のない鹿革の上下の服を着、白髪混じりの長い黒髪を背中に垂らしている。

 レッドベアは大きな身体でゆっくりと歩きながら、深く皺が刻まれた顔を凛と千代丸に向けた。穏やかだが思慮深い眼差しでしばらく二人を眺めた後、黙ったまま自分のテントへ入って行った。

 自分と千代丸の運命はあの老人が握っているのだと確信した凛は落ち着かない気分になった。そんなことは全く気にしていない様子の千代丸は、小さな子供のためにパンを小さくちぎり、それを口に運んでやっている。すっかりここに馴染んでいるようだ。

 ところが夕食の後、話し合いがもたれると聞き、男達はレッドベアのティピィーと呼ばれるテントへ集まり、そこへ千代丸も呼ばれた。どうやら酋長が全てを独断で決めるというわけではないようだ。その証拠に凛はミアに手を引かれ、女達が集まる別のティピィーの中へ入った。


 そこには若い女も歳をとった女も子供達も、あらゆる年代の女達が集まっていた。全員がティピィーに入ってきた凛を興味深げに眺め回している。

 ミアはその輪の中に入っていき、凛に座るように促すとティピィーを出て行った。そこかしこで話し声がするが、何を喋っているのか凛には全く分からず不安は募るばかりだ。

 凛は恐る恐る周りを見渡した。目が合うと微笑んでくれる女もいるが、不審そうに目を細める者もいる。自分がここの人々にどう思われているのか、これから自分と千代丸はどうなるのか。もしかしたら殺されるなんてこともあり得るのじゃないか、そう考えると毛布の上に座っているにもかかわらず冷たい風が凛の全身を吹き抜けていった。

 恐怖で身体が震え始めた時、ティピィーの入り口が開いてミアが顔を出した。ミアは身体の小さな老婆の手を引き、腰の曲がった背中に片手をあてていた。それまで思い思いに喋っていた女達の声が一斉に止んだ。

 老婆はミアの手を借りて、凛の正面であり全員の顔が見渡せる場所に座った。前屈みになり顔を前に突き出して小さな身体をさらに縮こまらせたその姿は、しょぼくれた年寄りの猫が蹲っているように見える。ほとんどが白髪の長い三つ編みの先端が毛布を敷いた地面に輪っかを作っている。

「私のお祖母ちゃんよ。シャーマンなの」

この部族の巫女である老婆の隣にちょこんと座ったミアが凛に微笑んで伝えた。

 鳥の羽や石が付いた重そうな首飾りを揺らしながら老婆が口を開き、凛には分からない言葉を呟いた。すると凛の後ろから一人の女がそれに応え、その後も次々に一人ずつ発言していく。老婆は目を閉じて、その一人一人の声に頷いていた。

 凛には、自分の分からないところで話が勝手に進んでいるような気がしてならず、どうにも落ち着かない。すると最後にミアが老婆に向かって何かを喋り、老婆は目を開いて真っ直ぐに凛を見た。

 垂れ下がった瞼から覗くその目に凛は身動きが出来なくなった。優しいとも恐ろしいとも言えないその眼差しに、凛は頭がクラクラとして吸い込まれるような感覚を憶える。やがて老婆の瞳が揺れると、ゆっくり右手を凛へ伸ばした。

「手を……合わせて」

ミアに呼び掛けられ凛は戸惑いながら、ひび割れた皺皺の手に触れた。すると老婆は頷きながら何かを呟いた。

「リンの霊が見えるって……悲しみに満ちてるって……」

ミアが心配そうに表情を曇らせ老婆の言葉を凛に伝えた。

 最初は乾いた冷たい手に驚いた凛だったが、やがて合わせた両の掌の間から湧き上がって来た熱に何とも言えない安らぎを感じた。この手にいつまでもすがっていたい、そんな気持ちになり、凛は目を閉じて俯くと老婆の手の甲に額を付けた。

「この娘は我々に災いをもたらすような存在ではない」

老婆が集まっている女達に告げると、安堵の溜息がそこかしこから聞こえた。

 老婆は左手を凛の肩に回した。すると何故かは分からないが、凛の目から涙がとめどなく溢れ出してきた。

 家族が殺されて千代丸と二人になってしまってから、常に強くあらねばと張り詰めていた自分を解きほぐし、隠していた涙を開放することを許されたのだ。凛は涙を拭こうともせず流れるにまかせ、声を上げて泣きじゃくった。


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