二十一
凛は自分の膝が震えていることに気付いた。トビーが言っていたことや、新聞に書いてあったことを思い出したのだ。インディアンとは、やはり人を殺して物を盗ったりする野蛮な人種なのだ、と。だとしても疑問が募ってくる。
「どうして、私達だけ……」
サンは射るような眼差しを凛に向けて答えた。
「お前が俺に助けを求めたんだろう? 俺は最初、お前らを別のバンドのアパッチだと思った。白人に捕まっているんだと。馬車に繋がれていたな。あいつらの奴隷だったのか?」
確かに彼らの顔立ちは、白人よりも自分達と似ている。黒い髪も黒い目も。凛も初めは、彼らが日本の侍だと思ったのを思い出した。
「私と弟の千代丸は、あの人達の使用人だったんです……奴隷とは違うと思います……」
そうは言いながらも、マトの一件があってからは自分達の立場に自信が持てなかった。
「フン、白人は使用人にあんな仕打ちをするのか? あの状態じゃ、日が暮れるまでに二人とも死んでいただろうな」
冷たく突き放すようなサンの言葉に、凛は俯いて涙が滲みそうになった目を隠した。
「最初は……奥様はとても優しかったんです。でも……」
「白人は皆そうだ。最初は友達みたいな顔をして近付いてくるが、その後すぐに裏切りやがる。お前も騙されてたんだ」
凛は顔を挙げ、吐き捨てるように言ったサンを見た。その目には激しい憎悪が浮かんでいる。サンは続けた。
「俺達は元々この山に住んでいたわけじゃない。ここよりももっと南の平地に住んでいたんだ。人もたくさんいた。ある日、アメリカ軍が休戦協定を結びにやって来た。俺達が度々衝突していたメキシコ軍から国境を守るためだと言って。奴らは俺達の村の隣に砦を造って駐留した。酒を持ってきたり、畑仕事を手伝ってくれたり。最初は上手くやってたさ。でも、俺達の畑のとうもろこしが収穫の時期を迎えた頃、あいつらは掌を返すように村を襲ってきた。戦士が狩りに出ている隙を狙って女と子供を殺したんだ。俺の家族も全員殺された」
凛は眉をひそめた。
「そんな……何があったんですか?」
「何もない。あいつらは最初からそうするつもりだったんだ! あいつらが約束を守ったことなんて一度もない!」
サンは声をつい荒げてしまったことに気付き、口をつぐんで咳払いをした。
「……ここにいるのは、その時に逃げ出した生き残りだ」
サンは怒りを抑え込んだ低い声で呟いた。
凛にはどうも理解できない。軍の兵隊がそんな非人道的なことをするとは。
「ほ、本当に?」
凛はダニエルに顔を向けて訊いた。ダニエルは薄茶色の目を凛に向け、がっしりとした割れた顎を撫でながら頷いた。
「ああ、本当だろうな……というのも、俺は実はよそ者でね……」
「おい、そんなことを言うなよ」
サンがダニエルに咎めるような声を上げた。それは大事な仲間から疎外されたような、少し傷付いたような声でもあった。ダニエルは柔らかな笑顔で頷き、サンの肩に手を置いた。
「まぁいいんだ……俺は見ての通り、白人の血が入ってる。元々はここより西にある居留区で生まれて、アパッチの母親に十歳まで育てられた」
「お父さんが……白人なんですか?」
凛が尋ねると、ダニエルは口元を歪めて笑った。
「父親なんかじゃない。俺に父親はいないよ。白人の種から生まれただけだ。それが誰なのかも分からない。軍にいるクソ野郎だってことだけだ。母親はそいつに犯されたんだ」
凛はマトのことを思い出して俯いた。今ではそれがどういう事かぐらいは分かっている。
「ある時、政府からの命令で場所を移れと言ってきた。その時に俺は白人との混血だってことでインディアンの寄宿舎に入れられたんだ。奴らの言うところのきちんとした教育と、文明的な生活を身に付けるためだ。英語を叩き込まれ、改宗も迫られた」
凛と千代丸はキリスト教徒ではないが、トビーにもクリスティーナにも改宗を迫られたことはなかった。食事の前などに神に感謝の祈りを捧げる彼らを見て、その場の厳かな空気を乱さぬように一緒に頭を垂れてはいたが、彼らが崇める神に祈ったことなどない。信じてもいない物を信じろと迫られるのは辛いことだったに違いない。凛はそう思った。
「あいつらの聖書も読んだよ」
ダニエルは苦笑いをしながら首を振った。
「別に聖書が正しいとか、正しくないってことじゃないんだ。その聖書によると、この世界の全てのものは神が創ったと書いてある。でも、あいつらがやってることは何だ?口では神の偉業を讃えながら、その神とやらが創ったはずの山を切り崩し川を汚して、掘り出した金属で殺しまくる。いったいそこに何の信仰がある?」
陽気そうだったダニエルの表情が固くなり、凛は緊張して身じろぎも出来ずにいた。
ダニエルは重ねて凛に尋ねた。
「あいつらが何故、食いもしないバッファローを殺すか知ってるか?」
その理由は凛も知っている。列車の中でトビーに教わった。
「それは、バッファローが鉄道の施設を壊すからだと……」
「フッ!」
サンが嘲るような笑い声を上げ、凛は言葉を切った。
「表向きはな。実際はインディアンを殺すためだよ」
「な……なぜ、それが?」
サンの言葉に戸惑った凛にダニエルがその後を繋いだ。
「多くのインディアンはバッファローを糧にしてる。そのバッファローを殺すことで、インディアンを飢えさせて殺そうとしているんだ」
凛は列車の窓から見た夥しい臭気を放つバッファローの死体の数々を思い出した。殺すだけ殺して放置し、腐るがままにしてあった。インディアンは野蛮だと聞いていたが、それが本当ならそんな行為は野蛮以上のものだろう。顔をしかめた凛を見てダニエルは肩をすくめて続けた。
「話は戻るが、その寄宿舎を出たところで行き着く先は炭鉱ぐらいだ。そこで死ぬまでこき使われるだけだし、ほとほと嫌気が差してきた頃、寄宿舎に俺の母親が乗り込んできた。居留区を逃げ出してね。『息子を返せ』と……そこで母さんは……」
そこでダニエルは言葉を切り、唇を噛みしめた。
しばらくの後、ダニエルは震える声を絞り出した。
「母さんは……その場で門兵に陵辱されてなぶり殺しにされた。叫び声に気付いて駆けつけた俺に門兵は……切り取った母さんの乳房を投げつけて笑ったんだ。『そんなに母親が恋しいなら、思う存分しゃぶってろ』って」
凛は瞬きも忘れ、戦慄を覚えながらダニエルの話を聞いていた。
サンはウィスキーのボトルを出して一口呷ると、そのボトルをダニエルに渡した。その時後ろの方から子供達の歓声に混じって千代丸の笑い声が聞こえてきた。三人が揃って声のした方を向く。千代丸は自分よりも小さい子供達と追いかけっこをして遊んでいる。
「あのボウズと同じくらいの歳の頃だ」
ダニエルはサンから受け取ったウィスキーをぐいと飲み、大きく息をつくと続けた。
「その夜、俺は闇に紛れて母さんを殺した門兵の喉をナイフで切り裂いて寄宿舎を逃げ出したんだ。その後は、まぁ色々やったな……白人のならず者と家畜を盗んだり。その時の仲間に裏切られて無一文で彷徨ってたところを、ここの酋長のレッドベアに拾われたんだ」
ダニエルは元の明るい表情を取り戻した。
この一見陽気そうな男の過去がどれほど壮絶だったかは、今の凛にはまだよく分からない。ただ、目の前で母親が殺されたこと。凛自身もあの時の悪夢のような出来事は忘れたくても忘れられないでいる。きっとダニエルもその時の悪夢にうなされ続けているのだろうということは容易に想像できた。