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十四

 船が着いたニューヨークはとても大きな街だった。こんな場所で果樹園など出来るのだろうかと凛は不思議に思ったが、ここから大陸を横断し西へ向かうのだと聞いた。通りを行き交う何台もの馬車、そして様々な人種の大勢の人達。ここにいる全ての人間が移民だと聞いて凛は驚いた。色々な国からこの大陸へ仕事や夢を求めてやって来るのだ、と。

 駅へ向かって歩いていると、すぐ傍にある食料品店から出てきた家族連れが目に入った。てっきり日本人だと思って近付いたが、話している言葉が違う。彼らは中国人なのだと分かった。

「ここには元々人は住んでいなかったんですか?」

列車を待つ駅の中、新聞から顔を上げたトビーは凛の問いに首を振った。

「いや、そんなことはないよ。たくさんの先住民がいる。ただ……彼らの文明はかなり遅れていてね、とても野蛮だと聞いてる。入植者や軍隊と度々トラブルを起こしているんだ。過去にも、今でもね」

トビーが新聞の記事を指差した。

『スー族が反乱、政府軍がこれを制圧』

見出しの下には、その衝突の模様が絵で再現されている。首にスカーフを巻き軍服を着た兵隊が、ほぼ裸で長い髪を振り乱し槍を持った男達と戦っている。絵の隅には倒れた裸の男達が累々と折り重なっていた。

「……あまり関わりたくはないね」

トビーは苦笑いした。家に押し入ってきた山賊のような連中なのかと思い、凛は身震いした。

 

 街から森へ、そして長い時間を掛けて渓谷へ。凛は広大な自然の景色に見とれていた。列車には大勢の人が乗っている。ほとんどの人は金を掘り当てるためだ。一発当てれば大金持ち。西部はゴールドラッシュで沸いていると聞いた。

 ある日、列車は草原の中を走っていた。起伏に富んだ緑の大地とその上には青い空、それしかない。果てしなく続く、見渡す限りの大草原だ。

「いったい、この国はどこまで大きいのだろう」

凛がそんなことを考えていると地響きのような音が聞こえてきた。絶え間なく聞こえていた列車の音が、その地響きに掻き消されていく。次第に車内の人々がざわめき始めた。何だろうと凛が周囲に目を遣ったその直後、大きな銃声が響き驚きに首をすくめた。

「何?」

千代丸がきょろきょろと辺りを見回した。クリスティーナの瞳も不安そうに揺れている。彼女はこの旅が始まってから一言も言葉を発していない。知らない土地が怖いのか、いつもトビーの後を影のように歩いていた。

 車内では数人の男達が列車の窓から身を乗り出し、外に向けてライフルを発砲している。外の草原には無数の大きな茶色の塊が動いていた。草と土を大きく巻き上げながら。地響きの正体はこれだ。列車の乗客はその生き物に向けて発砲しているのだ。

「あれは……牛?」

「バッファローだよ」

千代丸の問いに窓の外を眺めながらトビーが答えた。

 群れの中の一頭が倒れると車内から歓声が上がった。それでもバッファローの移動は止まらない。次から次へ銃声が鳴りバッファローが倒れていく。草と土くれを巻き上げ、大きな頭を地面に打ちつけて転がる巨大な生き物。その度に列車まで揺れるような感覚を覚える。もしかしたら、それは乗客の熱狂のせいかもしれない。果たしてどちらなのか、凛には判別が出来ない。

「すごい! すごい!」

興奮に頬を上気させてアンディーが叫んだ。

「仕留めたバッファローは食べるんですか?」

列車は止まらず倒れたバッファローをその場に残して走り去る。やがて先頭を走るバッファローも車窓の後ろへ消えていくと、凛の問いにトビーは短く笑った。

「いや、あんなものを食べたりはしないよ」

凛は驚きに目を剝いた。

「食べもしないのに殺すんですか? どうして?」

「うん。バッファローはね、身体が大きくて鉄道の施設や線路を壊すことがあるんだよ。鉄道会社にとっては厄介者でね。それに、今のは小さい群れだと思うが、大きい群れになると、線路を横切るのに数日掛かることもあるらしい。それじゃあ運行に支障が出るだろう?」

トビーの説明に凛は納得した。だからこそ、列車の窓からバッファローを撃つことが許されているのだ。

『車窓からバッファローを撃ち放題』

見れば、列車の壁にそんなポスターが貼られている。それがこの列車の旅の大きな娯楽となっており、鉄道会社も客を呼び込む目玉にしているのだ。

 そして人間よりも遥かに身体の大きい生き物を一瞬で倒してしまう銃の威力に驚愕した。こんな武器があるからこそ、この広大な自然の大陸を開拓することが出来るのだろうと思った。

 そして草原にはいくつもの白骨化したものや、朽ちていく過程のバッファローの死体が転がっている。時折車内に激しい腐臭が立ち込め、そして消え去っていく。

「俺も撃ってみたいなぁ」

アンディーは、いまだ興奮が冷めやらない調子で呟く。その隣に座るクリスティーナは押し黙り、俯いたまま横目で車窓を見ている。娯楽という名の殺戮を、その瞳に暗い光を湛えたまま。凛の目には、クリスティーナのそんな姿が不気味に映った。


 それから数日後にトラブルは起きた。その日滞在した町ではちょっとした騒ぎになっていた。西部で列車強盗があり、線路が無法者によって爆破されたというのだ。そのため列車はしばらく運行停止になる、と。

「今のうちに馬車を手に入れた方がいいな。列車よりだいぶ時間は掛かるが、復旧するのを待つよりかはマシだろう」

食事に入った店でトビーがアーサーと相談をしていた。

 クリスティーナは落ち着かない様子で周りをきょろきょろと見回している。酒場というわけではなく、パンや豆、ステーキなどの食事を出す店だが、中には煙草の煙が立ちこめ、無骨な感じのする男達がたくさんいる。山高帽を被りジャケットにスラックス姿だが、皆が腰に銃を下げている。彼らは寛いで酒を飲んでいるように見えるが、どこか殺気立った雰囲気があり、決して関わってはいけないと凛の本能が告げていた。

 店の奥にあるテーブルでは四人の男がカードに興じている。時折ブーツを踏み鳴らしては、笑ったり怒鳴ったりの大きな声が響く。

 トビーとアーサーが地図を見ながらこれからのことを話し合い、その他の者は静かに食事をしていたが、突然後ろから椅子が倒れる大きな音がして全員が振り返った。

「てめぇ! イカサマだろう! ふざけやがって、ぶっ殺すぞ!」

カードをしていたテーブルの一人の男が立ち上がり、腰の拳銃を抜いて向かいの男に突きつけた。銃を突きつけられている男は涼しい顔で肩をすくめる。怯んでいる様子は微塵も感じられない。金を賭けているらしく、立ち上がった男は興奮して怒鳴り続けた。

「俺をなめんじゃねぇぞ! 今まで何人殺してきたと思ってる!」

店のあちこちからヒソヒソと囁く声がする。その中から「賞金稼ぎ」という言葉が聞こえ、凛は町中に張られた手配書を思い出した。その首に賞金を掛けられたお尋ね物達だ。罪状は強盗や殺人など多岐にわたる。そんな凶悪な犯罪者を捕まえて賞金を貰うのだ。中には「生死に関わらず」と書かれたものも多い。きっとあの男には、生きたまま捕まえようなどという考えはないのだろう。

「こんな所で銃の撃ち合いが始まったらどうしよう……」

不安になった凛が震えている千代丸を抱き寄せた時、一発の銃声が響き天井から木片がパラパラと落ちる音がした。

 短い悲鳴を上げた凛が肩をすくめ、後ろを振り返った。すると、カウンターの中にいるバーテンダーがライフルを持っていた。上を向いた銃口からは細い煙が昇っている。薬莢の転がる乾いた音が響くほど静まり返った店内にバーテンダーの低い声がした。

「ここで撃ち合いはさせねぇ。やるんなら外へ出な」

「何だと!」

いきり立った賞金稼ぎが向き直るよりも早く、バーテンダーがライフルの銃口を向けた。そしてさっきまで銃を突きつけられていた男も、いつの間にか自分の銃を抜いている。

「くそっ!」

賞金稼ぎが悪態をつくと、その隣にいた男が立ち上がった。

「もうやめておけ。今日はツキがないんだ」

穏やかな声で諌められると賞金稼ぎは小さく舌打ちをして銃を下げた。バーテンダーもライフルを下ろしたが、その目は油断なく賞金稼ぎを見つめている。

「さあ、もう行こう」

連れの男に促された賞金稼ぎが不満そうに店を出るためこちらに歩いてきた。突然ふらついた賞金稼ぎは、クリスティーナの目の前のテーブルに勢いよく手をついた。間近で見るとその男は全体に埃っぽく、帽子から出た長い髪は汚れてもつれている。歯の抜けた口を歪めて笑うと酒の匂いが漂ってくる。賞金稼ぎは、驚きと恐怖で引きつっているクリスティーナを覗き込んだ。

「へへ……いい女だな、あんた幾らだ?」

「なっ……」

トビーが何か言おうとすると、連れの男が賞金稼ぎの身体を支えて起こした。

「悪いな、酔っ払ってるんだ。ほら! しっかりしろ!」

連れの男が申し訳なそうに言い、賞金稼ぎと共に店を出た。

 トビーは溜息をつき、わなわなと震えているクリスティーナの手を優しく叩いた。

「まったく……西部は荒っぽい所だと聞いてはいたが……」

早くこんな場所を抜け出し従兄弟が待つカリフォルニアへ向かいたいとばかりに首を振り、再びアーサーと話し始めた。

 隣の凛が心配そうに見守る中、俯いていたクリスティーナが顔を上げた。

「薄汚い野良犬が……私に触るんじゃないわよ……」

食いしばった歯の間から絞り出すような声でクリスティーナは呟くと、賞金稼ぎが出て行った店のスイングドアを睨みつけた。その目つきは鋭く、マトを殴り殺した時のことを思い出させ凛は慄いたが、それ以外の者はクリスティーナの様子に気付きもしなかった。


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