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「姉上、姉上起きてよう」

千代丸に揺すられて凛は目を覚ました。細く目を開けて隣を見ると、敷布団に手をついて上体を起こした千代丸が掛布を纏ったまま困った顔をしている。

「漏れそうだよう……一緒に来て」

辺りは暗く、千代丸の向こうにある障子だけが白くぼんやりと浮かび上がっているのが見える。まだ真夜中だ。それに加えて凍てつくように寒い。凛は薄い掛け布団を肩まで引き上げた。

「もう七つでしょ? 一人で行っておいで」

「い、嫌だよう……後生だからさあ……」

 反対側を見遣ると、母が口を半開きにしたままぐっすりと眠っている。いつも疲れている母を起こすのは忍びない。凛はため息をついた。

 母を起こさないよう静かに二人で半纏を着込み便所へ急ぐ。氷のように冷たい板張りの廊下を爪先立ちで歩き、三人の兄の寝所の前を通り過ぎる。降り積もった雪のおかげで灯りはなくとも辺りが見渡せた。

 渡り廊下の突き当たりにある便所の前で、凛はかじかむ素足を擦り合わせながら千代丸が用を足し終わるのを待っていた。

 前の年までは千代丸はこんなことを凛に頼ったりはしなかった。いつも母に甘えてばかりいたのだ。きっと父がいないせいだろう。

 父は前の年の戦に駆り出され、そこで死んだ。それからは十五歳の兄を筆頭に何とか生活しているが、母の負担は増すばかりだ。千代丸も幼いながらに母に迷惑を掛けてはいけないと思っているのだろう。

 兄達もいつ戦に出向くことになるか分からない。今日は屋根の雪下ろしなど、力仕事をしてくれていたが、それもそのうち自分達でやらなければならなくなるだろう。

 その時、突然母屋の方からドタドタという大勢が足を踏み鳴らすような大きな音が響いた。

「何……?」

「ギャアアア!」

「うわあああ!」

叫び声と怒声、そして何かがぶつかったか倒れるような衝撃と、障子や襖が軋み切り裂かれる音がした。母屋全体が揺れているような気がするのは、自身の心臓が激しく鼓動を打ち鳴らしていたせいかもしれない。

 訳が分からず怯えている凛の腕に何かが触れた。息を飲み弾かれたように振り向くと、いつの間にか便所から出た千代丸が恐怖に目を見開いて震えていた。

「あ、姉上……あれは?」

「シッ!」

人差し指を口にあて、黙るように促した。

 これはただごとではない。そう感じた凛は千代丸を背中に隠し、壁の影から様子を窺う。押し込み強盗だろうか。凛の背中に冷たい汗が伝った。

「あああー!」

障子と共に母が廊下に転がり出てきたのが見えた。怪我をしているのだろうか、這って廊下を進もうとしているが思うように動けないらしい。

 飛び出して行って母を助けたい衝動に駆られたが、背後には千代丸がしがみ付いている。それに何よりも、脚が震えて動けない。

 部屋からゆっくりと刀を持った大男が出てきた。獣の毛皮を纏った姿は、きっと山賊だろう。いやらしい笑い声を上げているのが聞こえる。刀を逆手に持つと、這いつくばる母の背中に突き立てた。

 母の断末魔の叫びが途切れると、ガチガチと鳴っているのが自分の歯なのだと凛は気付いた。

「くそっ! ロクなもんがねぇ!」

「こんな田舎侍の屋敷じゃ……押し入るだけ無駄だったか」

悪態をつく男達の声が聞こえる。

「家人はこれで全部か?」

「いや、この女の寝所に空の布団があった。もしかしたら若い娘っこでも居るのかも知んねえな」

「売り飛ばせるな……捜せ!」

 凛は反射的に千代丸を連れて庭へ出た。しかし降り積もった雪は千代丸の膝ほどもある。見つかって追いかけられたら逃げられないだろう。

 辺りを見回したが、庭木はすっかり葉が落ちていてとても隠れられそうにない。家の壁の前に今日の日中に兄が下ろした雪がこんもりとした塊になっている。凛は千代丸を連れて壁と雪の間に入り込んだ。その間も母屋からは粗野で大きな足音や、男達の声が聞こえている。

「ねえ、冷たいよ……」

千代丸も凛も冷たく固まった雪の上で素足のままだ。

「辛抱するんだよ」

千代丸の泣き言を諌めたが、それも無駄な努力だということがすぐに分かった。

「こっちだ! 雪に足跡がある!」

兄達の声ももう聞こえてはこない。恐怖と絶望が凛を襲い、脚ももはや感覚がなく動くことも出来ない。

「どうしよう……」

「ふふ……見つけた! こっちだ!」

ぬぅっと出てきた岩のような大男が満月を遮り影を作った。この男が発するすえた匂いが漂ってくる。ごつごつとした顔に髪を結わいた頭からはボサボサの後れ毛が、背に受けた月の光にピンピンと突っ立っているのが分かる。肩から掛けた毛皮は所々が汚れ、毛がゴワゴワと固まっている。この男自身が獰猛な獣のようだ。

 凛はごくりと唾を飲み、何とか千代丸だけでも助けたいと考えた。兄達が全員殺されたとなれば、この家の跡取りはまだ幼い千代丸だけということになる。なんとしてでも守らなければならない。家から数人の男達が出てくる中、震えが止まらない自分の身体をやっとの思いで動かし、千代丸を庇うように自分の背後へ隠した。

「女だ!」

四人の男が顔を突き出し、凛をまじまじと見つめた。

「何だ、まだ子供じゃねぇか!」

すると年長者と思える小柄な男が後ろから顔を出した。右の目尻から顎にかけて大きな刀傷がある。皮膚が引きつれているせいなのか、それとも実際に凛を見てそういう表情になったのか、気味の悪い薄笑いを浮かべている。

「今はな……だが、すぐに女になる。幾らかの金にはなるだろう……ん?」

男は凛の後ろで縮こまっている千代丸を見つけた。凛は千代丸を隠すために後退った。

「もう一人、小僧がいる」

年長者の男が呟くと、その後ろにいる大男が声を張り上げた。

「男か! 面倒くせぇ! 殺っちまうか?」

凛は慌てて首を振った。さらに身体を背後に居る千代丸に押し付ける。千代丸が殺されるくらいなら、自分がその身代わりになるという決意に満ちた顔を年長者の男に向けた。

 男は凛の前にしゃがむと千代丸の顔を覗き込んだ。

「ちょっと待て。ほほぅ~これはこれは……」

顎に手をあて感心したように頷いた。

 千代丸の顔は女の子のように可愛らしく、つぶらな瞳はいつも大人を魅了する。この山賊も例外ではなかった。

「この坊主も使えるだろう。お梅に頼めばいい。あの婆さん、裏にも表にも顔が利くからな」


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