第8話 手のあるうちに
木箱の蓋は固かった。ずっと閉めたままだったせいか、木の繊維がくっついてしまっている。
無理やり開こうとすると、ミリミリと繊維が千切れる音がした。
ミーヤは顔を赤くして踏ん張り、木箱の下の方を膝で挟んで、力任せで押し切った。
バリバリバリ!
蓋の一部が剥がれて外れた。だが、中には大人用の靴下が一足だけ。
(えーっ、こんなに大きな箱なのに……)
とはいえ、靴下だ。人間の足の皮膚の薄さに辟易していたミーヤにとっては、非常にありがたい。
くんくんと匂いを嗅いでみると、意外にも臭くなかった。比較的汚れも少ない。
ミーヤはさっそく履いてみることにした。
(あ、いいかも。それにあったかい!)
大人用なので踵部分は持ち上がってしまうが、無防備で心許ない感じが和らいだ。
(えへへ、長靴下になっちゃった。……あ、そうだ!)
ミーヤは紐で縛ってあった新聞紙を何枚か引っ張り出して、ちょうど足の裏の大きさに折ると、靴下の中に入れて底に敷いてみた。靴の中敷のような感じだ。
トントンと何度か足踏みをすると、新聞紙は足の裏に見事にフィットした。
(いい感じ! 雨が降ったらダメだけど、充分靴の代わりになるね!)
使用感は良いかも知れないが、ミーヤは今は素っ裸なのだ。全裸靴下はちょっと……。
次に開けた木箱には、くたびれたタオルが入っていた。
(首に巻いたら……。うん! マフラーになった!)
ミーヤよ、なぜ首に巻く。もっと隠さなくてはいけない場所があるだろう。
(あっ! カーテン発見!)
擦り切れて汚れてはいるが、小花模様のカーテンだ。ミーヤは洗濯物を干す時の要領で、勢いよくパンッと振った。途端に埃が辺りに舞い散る。
(まだまだ!)
続けて何度もパンパンする。咳き込んだので、タオルで鼻と口を覆った。
十数回も繰り返すと、ようやく埃が出なくなった。
(もう大丈夫かな?)
ミーヤはお風呂上がりにバスタオルを巻くように、カーテンを身体に巻きつけた。
(やっと、はだかんぼう、卒業だね! へへっ、拾ったカーテンだから、ゴミ捨て場の拾インかな!)
ここでまさかの前話タイトル回収。そして安定の駄洒落だった。
ミーヤはその後も上機嫌で拾インを続けて、山ほど入った瓶の箱から割れてないものを何本か見つけた。
大収穫だ。そろそろ引き上げようかと思ったその時。視界の端に缶製のお菓子の箱が目に入った。
(お母さんが、ああいうの、好きだったなー)
美弥のお母さんが、可愛いお菓子缶を集めていたのを思い出した。
幸いそう錆びてはおらず、簡単に開けることができた。
中を見た瞬間……ミーヤはこぶしを天に突き上げた。
(さ、裁縫箱! ゲットだぜーーー!)
中身の詳細な確認もそこそこに、ミーヤは拾った物を全部抱えて、最速で遺跡まで帰った。ここで毛玉に戻ってしまっては悔やんでも悔やみ切れないからだ。
新聞紙の中敷入り靴下のおかげで、来た時よりもかなり速く歩くことができた。
石室の床に荷物を下ろして、ホッと息を吐く。『手のあるうちに』の第一段階クリアである。
ミーヤはパタンと座り込み、膝の上に裁縫箱を乗せると、期待に胸を踊らせて蓋を開けた。
中身はほぼ美弥の知る、裁縫道具そのものだった。小さなフェルトの針山に、まち針が五本、頭に糸を通す穴のある縫い針が二本刺してある。
糸は木片に巻いてあり、白と黒。白い糸はほんの少ししか残っていないが、黒は比較的余裕がありそうだ。
小さめのハサミも入っていて、最低限の針仕事なら充分にこなせる。他にも木製の大きなボタンが二つ、小さなくるみボタンが三つもある。
ヨレヨレの幅広ゴム、布の端切れ、短いけれど紐が二本……。ミーヤはこの裁縫箱を捨てた人が心配になった。
こんな素晴らしいものを捨ててしまって困っていないだろうか?
だが、返す宛などあるはずもない。そもそも捨てたものなのだ。戻ってきたら困る。
ミーヤはゴクリと生唾を呑み込み、一本の縫い針と黒い糸を取り出した。
針穴目指して糸を差し込む。糸を摘んだ指がプルプルと震えた。
(は、入らない!)
とても繊細な作業だ。指先が思うように動いてくれない。
何度も挑戦した。時には糸をねじって撚り直したり、息を止めてみたり。だが糸の先が針穴を通ることはなかった。
思えば立つのも歩くのも覚束なかった毛玉なのだ。針の糸通しはハードルが高かった。
ミーヤはしょんぼり肩を落として、針を針山へと戻した。
(でも、練習すれば……! だって美弥はできたもん!)
美弥のお母さんは、ものづくりの好きな人だった。よくお菓子缶の裁縫箱から針と糸を取り出し、色々なものを作っていた。そして美弥も、一緒に針を握っていたのだ。
学校の体操服を入れる巾着袋や、給食のランチョンマット。可愛らしいアップリケを付けたりもして、美弥のお気に入りだった。
ミーヤは手のひらを開いたり閉じたりしてみた。今はまだ、ぎこちない。
だが、大した根拠なんかなくても自分の未来を信じていいのだ。それが子供と毛玉の特権なのだから。
ミーヤは小箱の中から、石鹸のカケラを持ち出して、一番近い小川へと向かった。カーテンはパタパタしたとはいえ、埃くさいし汚れもある。
せっかくの洗濯日和だ。『手があるうちに』の第二弾を済ませてしまおう。
左右の足を順番に前に送り出す。手を互い違いに出すことも思い出した。
(いち、に、いち、に……!)
順調に歩いていくと、小川の向こう岸のけもの道に覚えのある気配があった。
ミーヤは茂みの中にコロコロと転がり込んだ。転がったのは毛玉の時の癖だ。
やがて、立派な馬に跨ったハムの人が現れた。
顔が見えた瞬間、ミーヤは飛び出しそうになった。家の外で飼い猫に会うとやけに嬉しく感じるアレと似ている。
いつもと違う場所で知っている顔を見かけて、テンションが上がってしまったのだ。しかも久しぶりだし。
ミーヤはグッとこらえて踏みとどまった。
今は毛玉ではなく、人間の姿だ。
(大人は忙しいからなぁ。このところ会わないのは、馬で来てすぐ帰っちゃってたのかも。でも……)
けれどいつもより覇気を感じないし、何となく元気がないように見える。
ミーヤはハムの人の後ろ姿が見えなくなるまで、ずっと見送った。
(大人はすぐに疲れたって言うけど……)
なぜだかとても気になる。かと言って追いかけるわけにもいかない。
しばらくして、ミーヤはそろそろと茂みから這い出した。小川へ行き、大きめの石の上でしゃがみ込んで、じゃばじゃばとカーテンを洗う。
石鹸を擦りつけてゴシゴシこするのは、案外と力任せでも何とかなったし、意外に楽しかった。だが、絞るのはとても大変だった。
顔を赤くしてぎゅうぎゅうと何度もしぼり、どうにか水気を切ると、ミーヤは遺跡へと戻った。
木の枝にカーテンを干すと、布は風を受けてパタパタと揺れる。陽射しを浴びた小花模様が、ゆらゆらと揺れていた。
春先の陽だまりは、川の水で冷えたミーヤの手を、ポカポカと優しく包んでくれた。
その様子をのんびりと眺めているうちに、ミーヤは眠くなってしまった。
ウトウトしたのは、ほんの数分のことだったと思う。目を覚ますと、ミーヤは毛玉に戻っていた。
カーテンはまだ湿り気を帯びていて、お日様の光で温まって、微かな陽炎ができて揺れている。
(あーあ、戻っちゃった……)
毛玉に戻って……少し残念な気もする。『手のあるうちに』やりたいことは、まだまだあった。
けれど、それは全部、人間のミーヤに必要なこと。毛玉のままなら、今まで通りチョンチョン跳ねて、森で暮らしていけばいい。
ミーヤはよくわからない複雑な気持ちを抱えたままチョンチョンと跳ねて、大きな木へと向かった。
読んで下さりありがとうございます。
ミーヤの回想に、ちょいちょい猫が出てくるのは、美弥が猫を飼っていたからです。名前はミャー子。美弥と同じ日に生まれた茶トラの女の子です。
《次回予告》
人間の身体に四苦八苦するミーヤ。
その努力が身を結ぶ日は近い……?!
次話は『第9話 人間の街へ』
春の森に、ミーヤの決意の風が吹く!




