第55話 最後の『生やす』
ミーヤは檻の中で、うとうとと丸まっていた。いや、元々丸いのだが。
湿った空気と、遠くで響く金属音が、眠りを浅くする。どうやらここは地下らしい。
(イレーヌたち……大丈夫かな……。ロボたちもいなくなっちゃった……)
毛玉の体内時計は、もうじき日付が変わる頃だと告げている。
ガチャリ。
扉が開き、兵士がミーヤを檻から引きずり出した。
「おい、毛玉。出番だぞ」
(えっ……出番? やだよ、だってきっとロクなことじゃないもん)
ミーヤはプイプイと抗議したが、兵士には通じない。小さな檻へと移し替えられて、地上へと運ばれていく。
* * *
大きな建物から出ると、開けた草原だった。真夜中の冷たい風が頭の花を揺らす。
血の匂い。
鉄の匂い。
そして──ヒューゴの匂い。
(へーか……?)
視界が開けると――。
そこには、血に濡れた皇帝が夜の中心に立っていた。
真紅のマントは裂け、肩口からも太腿からも、滴る血が地面へぽたぽたと落ちている。
右腕が力なく垂れ下がり、左手で地面に突いた宝剣に寄りかかるようにして立っている。
額にも頬にも傷が走り、ヒューゴの整った顔を凄惨に染め上げる。
呼吸は荒く、胸が上下するたびに傷口から新しい血が滲む。
それでも──青い瞳だけは、飛びかかる前の獣のように鋭い。
ミーヤの知るヒューゴは、ハムの人と呼んでいた頃から、絶対的な強者だった。そのヒューゴが、なぜこんな姿に?
あたりを見回すと、大猿と虎、それにロボが倒れていた。
(戦ったの? あのボスたち全部と? へーかが勝った……! すごい……、でもへーかも怪我してる……)
ミーヤはさらに周りを見回した。誰か……、知っている人が、誰かいないのだろうか。
(さいぞうさんはどこ? せんせい(獣医師)は……? 誰か、へーかの怪我を何とかしてくれる人はいないの?)
「次は、誰の番だ? ほら、かかって……こいよ」
ヒューゴが、不敵にニヤリと笑う。
誰かが呟いた。
ああ──
これが“戦場でしか笑わない”と噂された所以なのかと。
「ふん、強がりを言いおって! あの黒いネズミなら待っても無駄だぞ。何か地下を必死になって走り回っておった。お前より、大切なものがあるらしいぞ」
(黒いネズミ……? きっとさいぞうさんのことだ! さいぞうさんも地下で何か大切な仕事があるんだ……)
「さて、ウヒヒ……! おい、毛玉をこっちへよこせ!」
それを聞いた瞬間、ヒューゴの顔色が変わった。その顔に浮かんだのは……。
怒りでも憎悪でもなく──
恐怖だった。
バルガスはそれを見て、さも嬉しそうに笑った。
「ははっ! ようやく顔色を変えたな! しかし、本当にこんな毛玉が大切なんだな? わしには少しもわからんよ。なんなんだ、この花は?」
そう言って、ミーヤの頭の花を引っ張った。
「やめろ! 花を引っ張るな!」
ヒューゴが叫んだ。
その声は、今まで聞いたことがないほど必死だった。
(へーか……! わたしの花なんて、すぐにまた咲くのに……)
「ハハッ、いい気味だな! 何が軍神だ! 下らない毛玉にうつつを抜かしているただの若造じゃないか!」
バルガスは檻の格子戸を開け、ミーヤを乱暴に掴み出した。
「おい、アレを連れて来い! もう面倒だ。毛玉共々、踏み潰されてしまえ!」
ペイッ!
ミーヤはヒューゴの足元へ投げ捨てられた。
「ミーヤ!!」
ヒューゴは宝剣を放り出し、膝をついて震える腕でミーヤを抱き上げた。
「良かった……ミーヤ……! 無事だったんだな!」
(やだやだ! 全然良くないよ! へーかは無事じゃないし、血だらけだし、いっぱい怪我してるよ!)
ミーヤは必死にヒューゴの胸に頭を擦りつけた。何もできない。ヒューゴに抱きつくことさえできない。
ヒューゴの怪我の治療も、背負って逃げることも、大丈夫かと、声をかけることも……。
(わたし……何もできない毛玉だ……)
「大丈夫だ……大丈夫だよ、ミーヤ……」
ヒューゴは笑って抱きしめてくれた。眉間の皺も伸びている。
(大丈夫じゃないよう……! へーかは全然、大丈夫じゃない!)
背後からガラガラと、車輪を転がす大きな音がする。振り向くと、巨大な檻が引かれてくる。その中からは、覚えのある気配がした。
グオオオオオオオオッ!!
大きく低い唸り声に、ミーヤがピキリと固まる。
「ハッハーッ! 愉快愉快! さあ皇帝陛下、ドラゴン様のお成りだ!」
闇の奥から、巨大な影が姿を現した。
(あの時の……ドラゴンさん……!)
それは、かつて遺跡の泉で「また会おう」と言って別れた、あのドラゴンだった。
その目にあるのは、狂気と怒りだけ。
「見ろ、これが伝説の『竜王』! 我がヴォルガルド帝国の最高傑作だ!」
ドラゴンは大きくのけぞり天を衝くような咆哮を上げた。その音圧だけで砦の窓ガラスが次々と砕け散る。
狂った巨躯は、狙いを定めたかのようにヒューゴへ向かって一気に加速した。
ドゴォォォンッ!
巨大な前足が振り下ろされ、ヒューゴが間一髪で避けた場所の石畳が、まるで焼き菓子のように砕けた。飛び散った石の礫が、ヒューゴの頬をまた切り裂く。
ドラゴンは止まらない。太い尻尾を鞭のようにしならせ、なぎ払う。
「……くっ!」
ヒューゴは片腕でミーヤを抱きかかえたまま、宝剣を盾にしてその衝撃を受け止めた。
だが、重戦車に跳ね飛ばされたような衝撃に、ヒューゴの体はゴロゴロと転がる。
支えにしていた宝剣が石畳を削り、バキッと嫌な音を立てて折れた。
「……逃げろ、ミーヤ!」
ヒューゴの掠れた声が、耳元で響いた。
「森へ跳ねて行け! お前なら逃げ切れる。ひとりでも生きていける! 大丈夫だ! 行け!」
(やだ……やだよ、わたしはへーかの“放し飼い毛玉”だもん! 森の……独りぼっちの毛玉に戻るのはイヤだよ!)
ドラゴンは、倒れ伏した獲物を見下ろすと、ゆっくりと首をもたげた。赤い瞳が、真っ直ぐにヒューゴとミーヤを射抜く。
前足が、再び振り上げられる。先ほど石畳を粉々にしたのと同じ攻撃だ。今度は、きっと避けきれない。
(は、『生やす』、して下さい! ポイントありますか?!)
ミーヤは咄嗟に、システムを呼んだ。
ピコン
いつものお知らせ音が鳴り、いつもの無機質なアナウンスが応える。
《残ポイントを確認します。…………。17回の『生やす』が可能です。何を生やしますか?》
(う、腕を! ドラゴンさんの攻撃を受け止められる腕を、へーかを抱えて走れる足を! 強い尻尾を! 大きな爪を! あとは、あとは……、何でもいいから、生やして!》
《ヒューマンモデルに変化した時、それらが反映されますが、よろしいですか? この質問に答えると、取り消しも変更もできません》
《はい/いいえ》
(いい! へーかを守れるなら、それでいいよ。ポイント全部使って、へーかを守れる毛玉にして!)
《返答を受け付けました。今後、変更と取り消しはできません》
《『愛されポイント』全消費》
《利用可能オプション数:17》
《警告:対象の表面積が大幅に足りません》
《オプション3回分を表面積補完に自動充当します》
《実質利用可能オプション数:14》
《準備完了。実装します》
読んで下さりありがとうございます。
次話は、ヒューゴとミーヤの正念場です。
本日18:10投稿です。




