第52話 ミーヤの門限破り
(ミーヤが帰って来ないな……)
ヒューゴがとっぷりと日が暮れた執務室でため息をついた。
『日が暮れるまでに帰ってくること』。
ミーヤの放し飼い行動を許可する時に、約束したはずなのに。
(全く! 困ったやつだ……。帰って来たら、少し叱らなければ!)
『本当はそんなに怒っていないけれど、今後のためには甘やかしてばかりではいけない』
ヒューゴの思考は、丸っ切り保護者のそれになっている。そのうちに『もう! お味噌汁が冷めちゃうのよ!』とか言い出しそうだ。そうなったら皇帝の威厳も何もなくなってしまう。
だが、そんな呑気なことを言っていられたのは、そこから二時間まで。
ヒューゴは“影”を呼んだ。
「ミーヤが帰らない。今日はどこへ行ったか知っているか?」
“影”こと、さいぞうさんは……いや、本名はザックだった。
ザックは、ヒューゴの命令がなくとも、動いてくれる、大変有能な人だ。聞かれない場合には報告しないが、毛玉の行動は常に、ある程度把握している。
「それに関して、まずは報告させて頂きます。毛玉様は週に何度か人間の姿で、洗濯下女の仕事をしています」
「ああ、なるほど。それで染み抜きに詳しいのか。……お前は、ミーヤが人間になれることも知っていたんだな?」
「はい」
「なぜ、それを……洗濯の仕事のことも報告しなかった?」
「申し訳ありません。毛玉様がご自分で陛下にお話なさると仰っていたので……。影として、間違った判断でした」
「いや……。ミーヤの意思を尊重してくれたのはありがたいと思う。それで、ミーヤの行き先は把握しているのか?」
「毛玉様は、本日は洗濯下女の仕事のあと、市場へ行きクリームパンを買いました。それを持って、同僚の家を訪ねたようです」
「そうか。友だちと仲良くしているんだな。じゃあ、そのうち帰って来るか。楽しく過ごして時間を忘れているのだろう」
二人が顔を見合わせて頷いた。まるで子供のことを話し合っている夫婦のようだ。この場合、夫はどちらだろう?
「俺が迎えに行くわけにもいかんな。悪いが、迎えに行ってやってくれるか?」
「承知しました。行って参ります」
ザックは絶妙に印象に残らない服装へと着替えると、イレーヌの家へと向かった。
* * *
ザックがイレーヌの家の前に辿り着いたのは、月がちょうど森から顔を出した頃だ。
近所の子供たちが『幽霊屋敷』と呼んでいるローマン邸は、夜風でカタカタと窓を鳴らして暗闇に佇んでいた。
明かりが灯っているのは、庭にある使用人小屋のみ。おそらく姉弟はそこに住んでいるのだろう。ザックは小屋の正面の扉をノックした。
二度、ノックをしたが返事はない。少し気を引き締めて足音を殺し、明かりの灯る窓へと近づく。
カーテンの隙間から覗くと、ベッドに顔色の悪い男が横になっていた。
(あれは……!)
三ヶ月ほど前に脱獄した、元ローマン家の当主だ。三年前に断罪されて、湖のほとりにかある監獄に収監されたいた。
(帰って来ていたのか……。毛玉様のご友人の家族ではあるが……)
さすがに脱獄犯を見逃すわけには行かない。
ザックは針金を使い、小屋のドアの鍵を手際よく開けると、音もなく中へと滑り込んだ。
男の襟首を静かに掴み、耳元に低く囁く。
「起きろ」
男はびくりと目を覚ました。暗闇の中に、ザックの光のない目が見えた瞬間——。
「ひっ……!」
「脱獄犯のローマンだな。連行する。立て」
男の目が泳いだ。ザックは無言で、ほんの少しだけ力を込めた。
「は、離せ! 皇帝のペットの毛玉が、どうなってもいいのか?!」
「何だと……?」
* * *
「……詳しく話せ」
ザックは力を緩めずに言った。男は震えながら、断片的に喋りはじめた。
ヴォルガルド帝国。研究所。動物兵器。
“毛玉の研究をしたいだけだ”と言っていた研究員。
ザックは無表情に情報を拾っていく。
「研究所の場所を教えろ」
「……それは、わしの身柄の保証と引き換えだ!」
「貴様……。自分の子供たちが今、どういう状況かわかっているのか?」
ザックは冷ややかに目を細めた。
「毛玉様を連れて行った子供が、帝国に丁重に保護されていると思うのか?」
「友人の研究員は、そう、約束を……」
「帝国の本当の目的は、毛玉様を餌にして陛下を誘き出すことだろう? 三日、観察をしたいだけ? そんな話には子供でも騙されない」
男は口をつぐんで黙り込んだ。
「今頃、子供たちは拘束されている。早くしないと、間に合わなくなるぞ」
その言葉に、男の顔色が変わった。
「研究所の場所を教えれば、子供たちを助けてくれるのか!?」
「…………」
ザックの沈黙が、男を追い詰めていく。
「たっ、たのむ! わしは監獄に戻されてもいい! どうか……、どうかイレーヌとヨシュアを……!」
「俺も陛下も……子供が死ぬのを黙って見ているのは嫌いなんだ」
ザックが静かに言うと、男は膝をついて崩れ落ちた。
「恩にきる……。国境近くの森だ。古い砦の跡に、研究所がある」
読んで下さりありがとうございます!
さいぞうさん、最初に出てきた時は、こんなに育ってくれるとは思いませんでした。これだから小説を書くのは面白い。もちろん読者さまに喜んでもらえるのが一番なんですけどね!
さて、お約束の宣伝です! 続きが気になる方はブクマ、面白かったら☆評価、作者との交流は感想でお願いします!
《次回予告》
ヒューゴが再び剣を手にする時、
作者の語彙が追い詰められる……!
次話『第53話 怒りの皇帝陛下』
本作初の本格戦闘シーン! ガクブルです(作者が)




