第48話 ローマン家の事情
感謝祭を祝う鐘の音が、秋空に高く低く響く。イレーヌにはその音が、どこか遠い国の御伽話の中の出来事のように聴こえた。
* * *
脱獄したと聞いた時、父のことはもう諦めようとヨシュアと二人で決めた。
たとえ父が逃亡の果てに接触してきたとしても、屋敷に迎え入れずに関係を断つ。
それが私たちローマン家の姉弟が出した答えだった。
元はといえば、洗濯下女の仕事をはじめたのも『贖罪のために苦労している』というアピールだった。
断罪され爵位を取り上げられた家の人間が、まともな暮らしなどしていては目を付けられる。
『ローマン家の姉弟は、父親の罪を償いながら慎ましく暮らしている』
そう、世間に知らしめることが、私たち姉弟には必要だったのだ。
私はともかく、ヨシュアは……。ヨシュアだけは、陽の当たる場所へと連れて行きたかった。そのためには何でもしようと思った。
毛玉様の報償金があれば、ヨシュアを上級学校へ進学させることができる。屋敷を売って、少しずつ生活を立て直して……。
平民としてでも、ヨシュアと二人、胸を張って生きていくつもりだった。
それは手の届く範囲の未来だった。届くと……思っていた。
感謝祭の三日前までは。
あの日……。
洗濯の仕事を終えて、市場で赤い刺繍糸とオレンジの小さな房飾りを買った。
ヨシュアのお祭りの晴れ着を少し縫い直そうと思ったのだ。
(最近また背が伸びたから、ズボンの裾上げを解いて……上着の裾に刺繍を入れて……)
自分用のスカーフも買った。毛玉様の報償金のおかげで、余裕のある生活が送れている。
房飾りは毛玉様への贈り物を作るつもりだ。そんなものでは、皇帝陛下の寵愛する毛玉様には、受け取ってはもらえないかもしれないけれど。
洗濯室に毛玉様が迷い込んだ偶然を、心から感謝している。チョンチョンと楽しそうに跳ね回り、最後は自分から洗濯カゴの中へと収まってくれた。
(あれは……。本当に偶然だったのかしら……?)
そんなことを考えながら、屋敷の門をくぐった時。後ろから、聞き覚えのある声に名前を呼ばれた。
「イレーヌ……久しぶりだな……」
「お、お父様……!?」
「しっ、大きな声を出すな!」
腕を取られ、足早に門の中へと引き入れられる。
(ダメ! 屋敷に入れてはダメよ! お父様と一緒に堕ちるわけにはいかないわ!)
お父様は……見る影もなかった。頬はこけて髪は乱れ、仄暗い目をして……卑屈な笑みを浮かべている。
着道楽で、光り物が大好きで、何よりも身なりに気を遣っていた人が……。擦り切れて、汚れたシャツを着ている……。
親が落ちぶれた姿を見るのが、こんなにも辛いことだとは思わなかった。
買い物袋の中の、自分のために買ったスカーフが『親がこんな姿でいるのに、自分だけ着飾るつもりか?』と、私を責めた。
「なぜ……、脱獄などしたんですか……。戻って罪を償って下さい」
「馬鹿なことを言うな! たかがあの程度の汚職や横領で投獄などあり得んよ。陛下が間違っているんだ」
「なんてことを……」
「姉上、どうしました?」
門の脇で揉み合っていると、ヨシュアが窓から顔を出した。
「父上……!」
ヨシュアの顔が、ぱっと明るくなった。その笑顔を見た瞬間、胸に鋭い痛みが走った。
ヨシュアは父を慕っていた……。まだ……十歳の子供なのだ。親の存在を求めても無理はない。私では……足りなかったのだ。
「ほら見ろ! ヨシュアは喜んでいるぞ」
父が、勝ち誇ったように言った。
* * *
仕方なしに、住居にしている使用人小屋に招き入れてお茶を出す。
「なんだ、こんな小屋で暮らしているのか? イレーヌは下女の仕事をしているらしいな? ローマン家の娘がなんてことだ!」
全てが、この人のせいなのに……。
私が二年もかけて整えた、慎ましくも居心地のいい住処を馬鹿にされるのも、洗濯下女の仕事を蔑まれるのも、癇に障った。
「真っ当な仕事をして、きれいなお金で暮らしています」
我慢できなくて口にすると、バツが悪そうに口を濁した。
ヨシュアが「父上、夕食を食べていって下さい。僕が育てた野菜をごちそうします」と言って、庭の畑へと出て行った。
「ローマン家の嫡男が畑仕事だと? みっともない……」
父の中では爵位を取り上げられたことは、なかったことになっているのだろう。
「イレーヌ、陛下のペットを見つけ出して、報償金をもらったんだろう? 少し用立ててくれんか? 資金が底を尽きそうなんだ」
資金……。逃亡のための資金のことだろう。それを渡したら、明確な“協力者”になってしまう。
「あのお金は、ヨシュアの上級学校への進学費用なんです」
「なんだ、そんなことか。わしはお前たちを迎えに来たんだ。一緒にヴォルガルド帝国へ行こう! また家族で一緒に暮らすんだ!」
「な、何を言って……」
「イレーヌ……。ここまで本当によくやってくれた。生粋の貴族の娘であるお前に、こんな苦労をかけてすまなかった。もう心配はいらんよ」
父が、私の手を取った。アカギレになっている指先を、そっと撫でてくれる。
そして『苦労をかけたな』『迎えに来た』。その言葉に、報われる。報われてしまうのだ……!
『迎えに来てくれた! 嬉しい!』と、喜んでいる自分を自覚せずにはいられない。
「イレーヌ、母さんに似てきたな。しっかり者のところもそっくりだ」
イレーヌに亡き妻の面影を見ているのだろう。父の目が潤んで揺れている。
母は五年前に亡くなっている。ヨシュアはまだ五歳だった。それからはこの父が、母の分まで愛情を込めて、イレーヌとヨシュアを育ててくれたのだ。
「お父様……」
「ヴォルガルドで、動物の研究をしている友人がいるんだ。陛下のペットは珍しい動物らしいな? 研究のために連れてきてくれと言われている」
「毛玉様を……?」
「ああ、簡単な検査や観察をするだけだ。二、三日で終わるらしい。そうしたら返せば、そう問題にはならんだろう? イレーヌはどこでそのペットを捕まえたんだ?」
父は毛玉様が行方不明になった時の、王宮の騒ぎを知らない。噂では陛下は身代金を払うために、ダイヤモンド鉱山を売ろうとしたらしいのに。
お父様は、私たちを騙しているわけではない。本気で、帝国に渡ることが“家族の幸せ”だと信じているのだ。
貴族は平民より上で、
政治のうまみを得るのは当然で、
珍しい動物を研究のために差し出すことなど、大したことではないと――。
「父上、姉上! カボチャが食べ頃でしたよ。焼きますか? スープにしますか?」
ヨシュアが葉もの野菜をいくつかと、見事に実ったカボチャを収穫して戻ってきた。
父が立ち上がって迎え「大きくなったな!」とヨシュアの頭をくしゃりと撫でた。
「スープにしましょう。お父様、好物でしたよね?」
「ああ……。覚えていてくれて嬉しいよ」
父が、昔と同じ……穏やかな笑みを浮かべた。
* * *
家族三人で小さな食卓を囲む。カボチャのクリームスープとパン、野菜クズのピクルスの質素なメニューだったが、父はおいしいと言って、全部食べてくれた。
そうして「また連絡する。少しずつ荷物整理をしておくように」と言って、玄関から出て行き……門を出たところで、ドサリと倒れた。
「お父様……?!」
ヨシュアと二人駆け寄ると、真っ白な顔色で脂汗を流している。二人で必死に担いで、客間のベッドへと寝かせた。
読んで下さりありがとうございます。
イレーヌは十七歳、ヨシュアは十歳くらいですね。イレーヌ父は財務省の主任補佐官とかで、贈賄と横領で断罪された感じです。ざっくりしてて申し訳ない笑
シリアス展開中ですが、ブクマも☆評価も感想も、絶賛募集中です。どーか、よろしく!
《次回予告》
父への情と倫理観の間で揺れるイレーヌ。
さて、彼女の決断は……!?
次話『第49話 もう戻れない』
またまたネタバレしてるー!!!




