第27話 尻尾の使い途
(あとは……どのくらい力持ちかな!)
何かを持ち上げてみたい。ミーヤはヒューゴの寝室の中を見回して、持ち上げられそうな物を探した。
花瓶……は、見るからに高級そうだし、見上げるくらい大きくて水も入っている。おそらく、とても重たい。
(それに、落として割れたら大変だよね……)
ミーヤはパタパタと羽ばたいて、ベッド脇の文机へと移動した。ヒューゴの読み差しの本が何冊かあったはずだ。本なら落としてしまっても、そうそうは壊れないだろう。
シュルシュルと巻きつけて、そっと持ち上げる。
(出来た! ちゃんと力持ちだ!)
驚いたことに、ミーヤの身体よりも大きいハードカバーの分厚い本が、軽々と持ち上がった。そっと下ろして元の場所に戻す。繊細な力調節も難なく出来る。
(これ……すごく便利かも!)
ヒューゴが本を読む時に使う、サイドランプにぶら下がってみた。尻尾の長さを変えながら、ブラーンブラーンと揺れてみる。
(た、楽しい!)
調子に乗って、鉄棒の大回転のようにグルグル回っていたら、酔ってフラフラになってしまった。だが、念願の『尻尾でぶら下がる』が出来たので、ミーヤはとても満足だった。
吐き気と眩暈が治ると、ホクホクと文机の上のインク瓶へと尻尾を伸ばした。瓶の蓋にシュルシュルと巻きつけてキュッと捻る。カポンと小さな音を立てて、蓋が外れた。
(筆みたいに、上手く使えるかな?)
ミーヤはチャポンと尻尾の先を、インク瓶の中に差し入れた。美弥だった頃の、小学校の習字の時間を思い出す。筆の先を揃える要領で尻尾を瓶の縁に押しつけて、ついでに余分なインクを切る。
皇帝陛下の寝室にあるのは、もちろん高級仕様のメモ用紙だ。以前ヒューゴが、経費削減のために裏紙の使用を提案したが却下された。『皇帝の品位の問題です』と説明されたが、ヒューゴは納得いかなかった。
『皇帝の品位』。そんなものはミーヤの頭の花よりも役に立たない。
現に、国旗の透かし模様が入った『皇帝の品位を保つための高級メモ用紙』は、毛玉が拙い文字を練習するために使っている。
ミーヤはまず、自分の名前を書いてみた。
何度か書いて練習してみる。お世辞にも上手いとは言い難い幼さのにじむ文字だが、読めないことはない。指で床に書いた時と、そう変わらない出来栄えだ。
次にヒューゴの名前を書く。
(へーかの名前、長いんだよなぁー)
ヒューゴ・ヴァレリウス・アウステリア
一枚ではとても収まらず、二枚使った。
さて、宛名も差出人(毛玉)の名前も書けたので、いよいよ本文に取り掛かる。
ヒューゴへの最初の手紙だ。
(何を書こうかなー)
ミーヤはふと、美弥だった頃のことを思い出した。
美弥の父親が仕事で遅くなる日が続いた時、交換日記をしていたことがあった。
その日にあったことを書くだけで、お父さんはすごく喜んでくれたのだ。
(今日、あったこと……尻尾が生えたことかな?)
きょう、しっぽがはえました。ものをつかんだり、ぶら下がったりできます。とてもべんりです。
このおてがみも、しっぽでかいています。
わたしは字がよめるので、へーかもおへんじをくださいね。
みーやより
(ふう〜! 書けた! あとは封筒とかあるといいんだけど……)
ミーヤが尻尾を使って、インク壺の蓋をしめようとした、その時。
ヒューゴの部屋の扉が、ガチャンと音を立てて開いた。
ノックをしないで入ってくるのはヒューゴだけだ。ミーヤはちょっと慌てた。
手紙を書いている時に、その相手に会ってしまうのは、なんとなく気恥ずかしい。
慌てて、インク壺の蓋をグリグリと回すと、インク壺は蓋だけでなく本体がクルクルと回り……。
ゴトンと音を立てて、文机の下に落ちた。インクが毛足の長い、高級絨毯に溢れ出る。
「ミーヤ、どうした?」
ヒューゴが長い足でどんどん近づいて来た。
ミーヤは拭くものを探した。雑巾とか、使い捨てのペーパータオルとか、そういったものだ。
だが、皇帝陛下の私室に雑巾はない。あるのは高級手拭いや絹のハンカチばかりだ。
(だ、だめ! 洗い物が増えちゃう!)
ミーヤは洗濯下女なので、汚れものを増やすことを歓迎はできない。すでに高級絨毯に大きなインク染みを作ってしまったのだ。インクの染みは落ちにくい。
(わたし、洗濯下女なのに!)
そんな職業意識が、ミーヤをパニックに陥らせた。オロオロと転がり、文机から落ちて、ピチャンと絨毯のインク溜まりに嵌まった。
インクが飛び散り、ますます染みが広がる。ミーヤは、もうどうしていいかわからずに、インク溜まりの中で固まった。
すると、ヒョイっと、ヒューゴがミーヤを持ち上げた。インクでヒューゴの手が黒く汚れる。
「なんだミーヤ、いたずらか?」
ヒューゴは軽い調子でそう言うと、備え付けのバスルームへと行き、洗面器にお湯を入れる。皇帝陛下のバスルームには、帰る時間にあわせてお湯を張ってあるのだ。
ミーヤを洗面器の中にそっと入れ、高級石鹸を泡立てる。優しく揉み洗いだ。石鹸の香りが心地いい。
だが、ミーヤはそれどころではない。絨毯のインク染みが気になって仕方ない。早く染み抜きをしないと、落ちなくなってしまう。
ミーヤは泡を付けたまま、ヒューゴの手の中から飛び出した。
(この、石鹸の泡で、絨毯の染み抜きをする!)
見上げた洗濯下女魂だ。マルタがいたらきっと、褒めてくれるだろう。
だが、洗濯下女魂よりも、ヒューゴの反射神経の方が上だった。
「こら、ミーヤ!」
空中で捕獲されてしまった。
「あんな染みのこと、気にするな。洗濯係がきれいにしてくれる。城の洗濯下女たちは皆、優秀だ」
ミーヤはびっくりした。ヒューゴは洗濯下女のことなど、考えたこともないだろうと思っていたのだ。
『城の洗濯下女たちは皆、優秀だ』
ヒューゴの言葉を、みんなに聞かせてあげたい。
皇帝陛下は、みんなの仕事を知っているよ。どんな染みもきれいにしてくれるって、信頼してくれているよ。
ミーヤの洗濯下女魂は、春の日差しで花が綻ぶように、咲き誇った。
だが『それはそれ、これはこれ』だ。インクの染みは、早く落とすに限る。
その後、ミーヤの書いた手紙を見せたヒューゴとすったもんだがあり、インク染みを落とすために大量の指示を書き……。
――皇帝陛下が『インク染みの叩き洗い』を完璧にマスターしたのは、また別の話である。
読んで下さりありがとうございます。
洗濯機がない時代に生まれなくて、本当に良かった。下女たちの洗濯の様子を書くたびにそう思っています。庶民の家事労働を考えると、ちょっと気が遠くなりますよね。
《次回予告》
意外な場所で、意外な人物と出会います。
作者お気に入りのキャラが登場ですよ!
次話『《幕間》 影の人』
その人の名は……!




