第25話 正式契約(ミーヤの場合)
エレンとミーヤが早めだが仕事の準備をはじめていると、続々と下女たちが出勤してきた。
「あら、エレンもミーヤも、早いのね」
イレーヌが控え室に顔を出した。
「今日は夕方から天気が崩れそうだから、大きな物は早めに干しちまいたいねぇ」
朝から良い天気だけれど、マルタの天気予想は、意外なほどによく当たる。
今日もいつも通りに、忙しい日がはじまった。
洗濯下女の仕事は、山のように運び込まれた汚れ物の仕分けからはじまる。
素材、汚れの種類、汚れの程度によって細かく仕分けする。数種類の浸け置き、すぐに洗わなければいけないもの、染み抜き作業が必要なもの……。
刺繍の入った貴婦人の下着やハンカチ、シルクのシャツやスカーフは特別な洗濯液で繊細な揉み洗いを行う。
食べ物の油汚れが多いテーブルクロスなどは、重曹を溶いたお湯に浸け置きしてから、丁寧につまみ洗いだ。
口紅やインクなどの染料の汚れは、濡らさずに専用のオイルをつけた布でトントンと叩く。
騎士や兵士の制服に多い血液汚れには、根野菜のすり下ろし汁を使う。
染み抜きはひたすらに根気と、諦めない根性を必要とする作業だ。ミーヤは染み抜きが得意だ。
「こりゃ、落ちないんじゃないかい?」とマルタが呆れる頑固な染みも、辛抱強くトントンと叩く。汚れが広がらないように当て布を変えながら、夢中になってトントンする。
じゃぶじゃぶと濯で、無事に染みが取れた洗濯物を広げた時には、清々しい達成感が胸いっぱいに広がる。
「さあ、シーツが洗い上がったよ! みんなで干しに行こうか」
裏庭の干し場で、真っ白に洗い上がったシーツの両端を、イレーヌと片方ずつ持ってパンッと皺を伸ばす。
この時に息が合わないといい音が出ない。『パンッ!』と会心の音が鳴ると、思わずふふふと笑い声が漏れるほど気持ちがいい。
背の小さなミーヤは、掛け声と共にジャンプする。精一杯両腕を伸ばしてシーツの端をギュッと握って、イレーヌの掛け声を待つ。
「行くわよ! せぇーの!」
パンッ!
小気味良い音と共に細かい水滴が散り、陽の光を反射してキラキラと光る。天気が良いので小さな虹が出来た。
ミーヤはこの作業も大好きだ。
お昼ご飯を挟んで、午後の作業に入ると、雲が出て日が陰ってきた。
(おかみさんの天気予想は当たるなぁ)
野生生物なので、実はミーヤも天気の予想はできる。毛先で湿度を感じるのだ。なので、人間の姿の時は精度がかなり落ちてしまう。
「曇ってきたね。乾いたものは取り込んで来ようか」
取り込んだ洗濯物を畳んでいると、案の定、外が真っ暗になり、ポツポツと大粒の雨が落ちてきた。あっという間に土砂降りになる。
「今日はもう、仕事にならないねぇ。だいぶ早いけど、上がっていいか聞いてくるよ」
洗濯場の責任者であるマルタが、女中長のところへ行ってくれた。下女たちはみんなちょっと嬉しそうだ。
無事に女官長の許可がおりて、傘を持っている下女たちは帰宅していった。
「みんな用意がいいよな。あたしは傘なんて持ってこなかったよ」
「わたくしもよ。だって、朝は天気が良かったもの」
エレンとイレーヌがちょっと困った顔をして話している。まるでタイプの違う二人は、とても仲良しだ。そして、何かとミーヤの世話を焼いてくれる。
「しばらく様子を見ようか?」
「そうね。ミーヤは傘、持っているの?」
着ているものも、上から下まで全部一式エレンに用意してもらったミーヤだ。傘など持っているはずがない。
ミーヤはフルフルと首を振った。
「じゃあさ、ミーヤ。字の勉強でもしてみるかい? あんた、文字は全然なんだろう?」
それは願ってもないことだ。街で文字が読めればと思ったことは何度もある。毛玉の時だって、文字が書ければヒューゴと意思の疎通ができるかもしれない。
ミーヤはお願いしますと、二人に頭を下げた。
「この国の文字は、26個。全部覚えれば、読むのも書くのもできるようになるぞ」
「まずは全部、書き出してみるわね?」
イレーヌが床の乾いている場所に、水で濡らした指で書きはじめた。
(26個かぁー。多い気がするけど、五十音だって覚えられたもんね)
美弥は小学四年生だった。五十音どころか、漢字もローマ字も習得済みだ。
フンスと腕まくりして、ミーヤも指を水で濡らした。
「そうそう……。ミーヤ、覚えがいいじゃない!」
「じゃあ、自分の名前を書いてみろよ。コレと、コレ、んで、こう!」
(コレと、コレ……そんで、こう!)
「うまいうまい!」
続けて、エレンのイレーヌの名前も書いた。あとは……ヒューゴの名前も書いた。でも、長くて全部は覚えていない。
(ヒューゴ、なんとか、アウステリア。後ろのはこの国の名前だった。真ん中が思い出せない……)
「あら、ミーヤ。陛下のお名前を覚えていたのね! ミドルネームは“ヴァレリウス”よ。ヒューゴ・ヴァレリウス・アウステリア皇帝陛下」
(むずかしい……。えっと、ヒューゴ、ヴァレリウス・アウステリア……)
ミーヤがヒューゴの正式名称を書き記したその瞬間――。突然、身体の周りをキラキラとした蝶の鱗粉のようなものが舞いはじめた。
パンパカパーン! パッパッパ! パンパカパーン!
そして、例のファンファーレが鳴り響く。いや、いつもより若干荘厳で長い。
「ほぇ?」
思わず間の抜けた声が出た。
《個体名ミーアリーヤと、守護者“ヒューゴ・ヴァレリウス・アウステリア”との正式契約が成立しました》
ミーヤは口を押さえた。もっと間抜けな声が出そうになったからだ。
「どうした? 大丈夫かい?」
ミーヤはコクコクと頷きながら、必死に文字を書き続けた。おかげで、頭の中に聞こえた声が、全然頭に入ってこない。
(えっ、いま、なんて言ったの? ミーアリーヤってだれ? 契約が、どうしたの?)
もう一回……、もう一回、お願いします。
ミーヤは心の中で呟いた。
読んで下さりありがとうございます。
アウステリア皇国の識字率は、そう高くはありません。ヒューゴが作った平民学校が、ようやく軌道に乗りはじめたばかり。独学で文字の読み書きをマスターしたエレンは、実は非常に優秀です。
《次回予告》
頭の花、背中の翼。
次に生えるのは何?
次話『第26話 三つ目の生やす』
ミーヤの選択やいかに!




