第13話 皇帝ヒューゴ・ヴァレリウス・アウステリア
ミーヤは厨房で皿やグラスを洗う役目を割り振られた。
洗うものがシーツやシャツやテーブルクロスから食器に変わっただけなので、そう戸惑うことはなかった。優しく丁寧に、けれど手際良く、洗い物を片付ける。
ミーヤはテキパキと自分の仕事をこなしてはいたけれど、その目はキョロキョロと落ち着きがない。
何しろ、見たこともないくらい、きれいで美味しそうな食べ物が、次から次へと作られて皿に盛り付けられてゆくのだ。
(すごいすごい! お城の人は、こんなの毎日食べてるんだ! だからシュッとしてパァーっとしてるのかな!)
洗練されているとか、華があるとか、そういうことを言いたいのだろうが、毛玉の語彙はそれほど多くはない。
ミーヤの顔より大きな包丁が名前も知らない野菜を細切れにし、ミーヤが二人は入れそうな大鍋がぐつぐつと良い匂いの湯気を立てる。
(あうう……おなかすいた……)
ミーヤは森で暮らしているので、もちろん料理などしたことがない。あと人間の姿の時はたくさん食べ物を食べないとお腹が膨れないので、下女用の賄い以外は何も食べないようにしている。なぜなら毛玉姿に戻れば、ほんの少しのパンやチーズでお腹がいっぱいになるからだ。
ミーヤのお腹がクルクルキューと悲しそうな音を立てた時、イレーヌが厨房へと駆け込んできた。
「ミーヤ、ちょっと手が足りないの。こっちを手伝って!」
イレーヌは元は貴族の令嬢だ。立ち振る舞いも上品なので、舞踏会場の係に割り振られていた。
厨房の人たちに声をかけてからイレーヌに着いていくと広いホールへと連れて行かれた。目の前に広がるきらびやかな空間に、ミーヤの口はパカーンと大きく開いて閉じなくなった。
引き摺るほどに裾の長いドレス、繊細な刺繍の施された礼服、磨き抜かれた大理石の床に映り込むシャンデリアの灯り、静かに流れる楽団の生演奏……。
森の毛玉のミーヤには、まるで別世界のような光景だ。
(あ、でも……こういうの、知ってる……! 絵本とか社会科の教科書で見たことある!)
お姫様と王子様が出会ったり、踊ったりするのだ。悪役令嬢というのもいた気がする。ヒロインを虐めて、王子様に懲らしめられる人だ。
「どうしたのミーヤ、緊張してる? 空いたお皿を下げるだけだから、大丈夫よ。端の方を邪魔にならないように歩いてね」
イレーヌは何でもないことのように言うけれど『邪魔になってはいけない』も『速やかに空いた皿を回収する』も、ミーヤにとっては難易度高めのミッションだ。
ミーヤはヨロヨロと、食器を乗せるためのワゴンを押してイレーヌの後を追った。余裕のない今、頼れるのは彼女だけだ。
しばらく心を無にしてお皿を回収していると、広間の入り口に立つ若者が、パパパパーンとラッパを吹き鳴らした。
「唯一の太陽、ヒューゴ・ヴァレリウス・アウステリア皇帝陛下のご入場です!」
若者の良く通る声が高らかに告げて、両開きの扉の向こうから、背の高い男の人が大股で歩いて来た。
「大変! ミーヤ、私の真似をして! スカートを持って頭を下げるのよ!」
イレーヌが慌てて、けれど声を潜めて言った。ミーヤはコクコクと頷いてぎこちないながらも彼女の真似をした。
(皇帝陛下……。この国で一番えらい人だ……!)
ミーヤはマルタが『背筋がゾクゾクするほどの良い男』と称していたその人を、ちょっと見てみたいと思った。
けれど相手は戦場で人を斬るのが大好きだったという曰く付きの人だ。頭を上げたりして見つかったら、きっと酷い目に遭う。
ミーヤは最弱の毛玉ゆえに、危機察知能力だけは高い。察知したからといって回避出来るかどうかはまた、別問題ではあるのだけれど。
とにかくミーヤは気配を殺し、状況が動くのを待った。皇帝陛下の歩く靴の音だけが、カツカツと広間に響く。やがて、その人が広間を見下ろす高い位置にある席に座った気配がした。
従者らしき人の声が告げる。
「本日は無礼講である。建国記念の佳日を、楽しむようにとの陛下のお言葉だ!」
持って回ったような言葉にミーヤは首を捻りたくなったが、たぶん『今日はお祭りだから、みんな楽しく過ごしてね』という意味だと理解した。自分たちは仕事中なのでそうもいかないのだけれど、その言葉だけならそんなに怖い人じゃないのかもと思った。
楽団の演奏する華やかな曲がホールに流れはじめる。人々が顔を上げて口を開くと、ようやくイレーヌが「ミーヤ、もう顔を上げても大丈夫よ」と声をかけてくれた。
ミーヤが恐る恐る顔を上げると、背もたれの高い豪華な椅子に座った皇帝陛下が遠くに見えた。
ミーヤは野生の毛玉なので、とても視力が良い。地球風に言うとだいたい12くらいだ。
親指くらいの大きさにしか見えない人の顔もよく見える。
頬づえをついて、この上もなく不機嫌そうにしているその人は、マルタの言葉通り、神様が特別に作った作品のようだった。眉間の深い皺がなければ、彫像と間違われるかもしれない。
白い毛皮の付いたマントを片方の肩に掛け、金糸の刺繍が施された長い礼服を着ている。組んだ足は驚くほど長い。
『いくら良い顔を見てもお腹は膨れない』
ミーヤは洗濯場で話を聞いても、そう思っただけだった。
けれど、美しいものを見た時、人の心は震えるのだ。そして、お腹ではない部分が満たされる。
すてきな曲を聴いた時、きれいな風景や絵に出会った時……、美弥の心は感動して、確かに満たされていた。
ミーヤは完成された生命体のような皇帝陛下に向かって、思わずニコニコと笑った。ミーヤなりの『ブラボー』である。
……のだが。
(あれ……?)
ミーヤはその人の気配に、覚えがあった。
大勢の人の気配で気づくのが遅れたが、あの気配は……ミーヤが驚かないように抑えている時の、あの人の気配そのものだった。
(まって、まって!)
まさか、そんなはずはない。
目を閉じて必死に気配を探る。
(えっ、ええ? ええぇー!?)
ミーヤはかっと目を見開いた。
(は、は、ハムの人だ!!!!)
間違いない……! 力が抜けて、へなへなと座り込みそうになる。
(ハムの人、皇帝陛下だったんだ!)
ミーヤはハムの人の顔を、じっくり見たことがなかったのだ。
(い、いつも、手と、色紙の上の食べ物しか見てなかったから……)
仕方ない。興味のあるものに視線が集中するのは、人間も毛玉も同じだ。
「ミーヤ、そろそろ行くわよ。ほら、しゃんとして!」
ぼけっと突っ立っているミーヤの肩を、イレーヌがポンと叩いた。
ミーヤは驚いて「ぴゃっ!」と飛び上がってしまったが、ドキドキしている心臓を押さえて呼吸を整え、ワゴンを押して広間を後にした。
* * *
近隣諸国に豊かさと軍事力を誇る帝国アウステリアには、因縁の戦争を終わらせた若き皇帝がいる。
国の名前を冠した宝剣を携えたその人は、一振りで十人の敵を斬り伏せると、戦場で大層恐れられていた。
『戦好きの戦闘狂』
『戦場しか知らない無能皇帝』
戦場で流れる血の意味を知らぬ者たちは、そんな噂を鵜呑みにした。
だが五年に及んだ戦争を終えて帰城した陛下は、今度は政にその辣腕を振るった。
政治という甘い蜜に群がっていた蟻どもは、悪だくみをする暇もなく城から叩き出されたのだ。
苛烈にして冷酷無慈悲。戦争は終わったというのに、ずるい奴らはいなくなったのに、少しも嬉しそうではない。
誰の手も取らずにたった一人で仕事ばかりしている、笑わない皇帝陛下。
金も権力もあり、容姿にも恵まれている。何もかも持っているように見えるのに、いったい何が気に入らないのか。
偉い人の考えることは、庶民にはさっぱりわからない。
——それが、民たちの正直な感想だった。
ついたあだ名は『人間嫌いの不機嫌皇帝』。
「ちょっと笑ってみて下さい。そうすればモテモテですよ!」
誰か言ってみてはどうかと思うが、そんな勇者は国中探してもどこにもいなかった。
さて、そんな皇帝陛下には秘密の趣味がある。とある森に住む、小さく弱く何の役にも立たない毛玉を愛でることだ。毎日のように森を訪れては不器用な愛を注いでいる。
その秘密を知るのは、ミーヤという名の洗濯下女ただひとりだけ。彼女がなぜそんなことを知っているかというと、日々愛でられている毛玉本人だからだ。
そうして、物語の幕が開く。
正体不明の毛玉と、人間嫌いの皇帝陛下……そして洗濯下女の物語だ。
読んで下さりありがとうございます。
ついに『ハムの人』が身バレしました( ´∀`)
前連載時とちょっと名前変えてます。気づいた人いるかな?
前連載からの方も、本作からの方も、面白かったら☆で応援して下さいねー!
《次回予告》
なぜヒューゴが、森へ通うようになったのか。
『人間嫌い』の背景が、少しだけ明らかになります。
次話『第14話 ミーヤのハムの人』
建国記念中の下女たちの奮闘もちょっぴりあるよ




