夫が、年下の公爵夫人とイチャつくのをやめない。注意しても、「嫉妬するなよ」と嘲笑い〈モテ男〉を気取る始末。もう許せない。「遊びだった。ほんとうに愛してるのはおまえだけ」と泣きながら言っても、もう遅い!
ここ最近、私、サフラン・チズム子爵夫人はイライラしていた。
イラつくのには理由がある。
私の夫コルマ・チズム子爵が、仕事と称して、オンナと逢引きしまくっていたからだ。
王都の貴族街の中心に、我がベース王国きっての大貴族ポート公爵家のお屋敷がある。
その白亜の豪邸に、夫は連日、通い詰めていた。
年若い公爵夫人リンデ・ポートに頼りにされて、嬉しいのだそうだ。
夫コルマは、我が家に帰ってくるなり、赤髪を掻き分け、青い瞳をキラキラさせて報せてきた。
「リンデ公爵夫人は、祈願祭の前に、サロンを開きたいそうなんだ。
そのために、カクテルのメニューを豊富にしたいって。
そこで俺の出番ってわけ。
リンデ公爵夫人から、言われてね。
『私、上手くお酒を合わせられる自信がないの。
貴方のような方を旦那様にすれば良かったわ』って。
いやあ困っちゃったよ」
「ふぅん」
と、私は特に気のない返事をしておいた。
だけど、もちろん、内心では気分悪い。
たしかにリンデ公爵夫人は、異国情緒あふれる魅力的な女性だ。
緑色の髪をなびかせ、黄金色の瞳をもつ。
そのうえ、肉付きの良い、いかにもオトコ受けしそうな身体付きをしている。
でも、既婚者とはいえ、私と夫からすれば、七歳も年下、いまだ十八歳の小娘だ。
そんな若い女を相手に、なに舞い上がってんのよ、と言ってやりたい。
先週、王宮で開かれた春の舞踏会で、夫コルマ・チズム子爵は、リンデ・ポート公爵夫人と出逢って酒を酌み交わし、意気投合した。
その際、公爵夫人から、
「そろそろ私も社交サロンを開きたいわ」
と、夫に持ちかけてきたらしい。
かつて我が国の貴族婦人には、晩餐を前に、お酒を飲む習慣はなかった。
女性同士が集まって、午後はもっぱらお茶会を開いていた。
ところが、最近では、お茶の代わりにお酒を嗜む傾向が強まった。
貴族男性の習慣に従い、貴族女性も男性と共に酒の席を楽しみ始めたのだ。
やがて、晩餐前のみならず、晩餐後にもお酒を味わうようになり、その際の集まりを「サロン」と称するようになった。
そして今では、〈お茶会を開くのは、未婚のご令嬢〉、〈サロンでカクテル・タイムを楽しむのは、既婚の貴族夫人〉というのが相場となった。
その結果、有力貴族夫人がサロンを主催するのが流行っていた。
サロンを開いてこそ、真っ当な貴族夫人と認められる風潮になっていたのだ。
だからこそ、十代の若さで、異国から名門公爵家に嫁入りしたリンデは、是非とも立派なサロンを主催したかった。
そのために必要なのは、多種多様なお酒を用意して、サロンを取り仕切る、有能なバーテンダーだ。
貴族夫人が主催するサロンでは、貴族男性が詩やダンスを披露したり、仲良しで固まって恋の鞘当てなどの「遊び」をするものだが、やはり主役はお酒ーーそれも、多様な味覚を楽しめるカクテルを味わうことだ。
カクテルとは、お酒に、別種のお酒や果汁などを混ぜて作る混成酒である。
種類がたくさんあり、その日の気分に合わせてバーテンダーがシェイクする。
サロンの影の主役は、様々なカクテルを提供するバーテンダーだといえる。
だから、サロンを開きたがるリンデ公爵夫人が、バーテンダーとして、私の夫コルマを抱え込もうとするのはわかる。
「ねえ、コルマ・チズム子爵様。
貴方がお酒にお詳しいと伺ったので、お力添えをお願いしたいわ。
私が生まれ育った国では、飲酒が禁じられてたの。
おかげで私、お酒については、まるで存じ上げませんの。
それでも、サロンでは、お酒がつきものでしょう?
貴方が私のアドバイザーになってくれたら、嬉しいわ。
ね、助けると思って、お願い」
と、高貴な年下の女の子ーーリンデ公爵夫人から、夫コルマはお願いされたらしい。
良い格好をしたがりの夫には、断れなかったようだ。
パーティーに参加すると、いつも女性を前にして、得意げにカクテルの話ばかりしていたから、夫にしてみれば、地道な努力が実を結んだ気分だったかもしれない。
「多くの貴族夫人に好まれて、しかも私にも美味しいのは、どんなカクテルかしら?
どうせなら、私も楽しみたいし」
と、リンデ公爵夫人に問われ、夫は得意げに胸を張り、
「強めの酒にオレンジジュースで割ったものとか、ブランデーにバニラや卵黄を混ぜ合わせるカクテルもありますがーー。
なんなら、今すぐ作りましょうか?」
と答えて、実演に入ったそうだ。
携帯用のシェイカーに、材料となるお酒と氷を入れ、シャカシャカと振ってみせる。
そしてパーティー会場で配布されるカクテルグラスに注いで、リンデ公爵夫人にスッと差し出す。
「これ、僕が学生のときに開発したカクテルです。
ブランデーに、黄色、緑色、赤色の三種の薬草を混ぜ合わせたものです。
配合は秘密なんで、僕にしか作れません。
健康にも良いですよ」
そう言ってニッコリ微笑んだら、リンデ公爵夫人は顔を上気させて、こっちを見詰めてきたーーというのが、夫コルマの談だ。
実際、私の夫、コルマは、大の酒好きだ。
夫の実家であるダッシュ男爵家は、式典の礼儀作法を司る家柄なのに、長男である彼は行儀が悪いほどの酒好きで、パリピな男である。
毎夜、パーティーに繰り出しても、苦にならない性分をしていた。
コルマとは学園時代からの付き合いだ。
私には、コルマの他にも、言い寄ってきた男性は多かった。
だけど、私よりも実家の爵位が低いコルマを夫に選んだのには理由があった。
私、サフランが亡父から相続したチズム子爵家は、広大な葡萄畑を所有する。
領地ともども、その葡萄畑もワイン醸成場も、亡き父からの遺産として、私、サフランが引き継いでいた。
その葡萄畑から採れるチズム・ワインはかなり有名で、何代も前から、貴族間で愛飲されていた。
そのワイン目当てで、彼、コルマ・ダッシュ男爵令息は、私に言い寄って来たのだ。
私もワインについての知識は豊富だったから、彼とのお酒談義に花が咲いたのが、付き合うキッカケとなった。
ちなみに、我がベース王国では、飲酒に年齢制限は設けられていない。
年末年始や祝い事の折に、子供もお酒を飲む風習があるため、特に法律で規制されなかった。
それでも、一般的には、「未婚者に飲酒は早い。お酒は結婚して大人になってから」という通念があったため、私のように領地の特産品がワインだとかの事情がない者は、学園時代に、お酒に通じる者は少ない。
だから、当時、ちょっとヤサグレて背伸びしていたコルマが酒に通じていたために、他の言い寄ってきた男性よりも、私の目に止まってしまったのは、運が悪かったかもしれない。
とにかく、コルマとの結婚を選んだのは、彼がカクテルの作成や、利き酒に自負するところがあり、我が家のワイン販売やお酒関連の販路拡大が見込めると思ったからだ。
幸い、私たちが学園生活を送っている頃から、貴族夫人が主催するサロンが流行り始め、私とコルマの将来の展望が明るいものに思われた。
ところが、我がベース王国の貴族社会で、おかしな慣例が成立してしまった。
「パーティーやサロンを主催するには、伯爵以上の爵位が必要」というルールである。
おそらく、貴重なお酒を多数用意するほどの財力があり、しかも貴族の酔客同士の争いを調停するには、高い身分が必須となるからだろう。
そうした慣例が出来たのは、私たちが結婚してすぐの頃だった。
それを耳にした私の夫、コルマ・チズム子爵は、パーティーやサロンを主催出来ないと知って悔しがった。
「それじゃあ、俺たちは自前でサロン、開けないのかよ!?
自慢のワインがたっぷりあるってのに、宝の持ち腐れじゃないか!」
と、新婚早々、私に向かって怒鳴りつけてきた。
そんな都合の悪いルールが出来たのは、私のせいではないし、そもそも私だって残念に思っていたのに、なによ、このオトコーーと思ったけど、その場は飲み込んだ。
夫が悔しがる思いもわかったから。
それゆえ、結婚して五年経った今、小娘のような公爵夫人に頼られた結果、バーテンダーとしてであれ、サロンを仕切れるようになって、夫はよほど嬉しかったのだろう。
それは、わかる。
でも、なんなの、あのデレデレぶり。
妻として、夫が私以外の、年若いオンナ相手に、鼻の下を伸ばすさまは見たくない。
リンデ公爵夫人とのベタつきよう、おかしくない?
「我がチズム家のワインを、大量に買い付けてもらう見返りだよ」
と夫は言うけど、なに? あの表情。
まんざらでもないっていう感じが露骨すぎない?
ヤキモキする私、サフランの顔を、夫コルマは覗き込む。
「心配しなくったって、リンデ公爵夫人から見たら、俺は頼れる〈お酒の先生〉で、兄みたいなもの。
本気で恋人として見てるわけじゃない。
第一、既婚者ーー公爵夫人なんだから。
そういった〈気のあるような態度〉も、暇を持て余した貴族夫人によくある〈遊び〉さ。
あの若さで、しかも異国出身でありながら名門貴族の奥方をやるってのは大変だ。
息抜きも必要なんだろう」
そうは言っても、ここのところ、夫は、家に帰って来てからも気もそぞろ。
落ち着きがなかった。
そうした態度が、二ヶ月以上、続いた。
そして夫コルマが、リンデ公爵夫人と〈街ぶらデート〉をして、衆目の的となったのは、初夏に入った頃だった。
知り合いの貴族夫人から、「貴女の旦那様が……」と報せられたときは、「とても恥ずかしかった」と私が訴えたら、夫は悪びれもせずに、赤い髪を掻いた。
「いやあ、リンデ公爵夫人から、
『私に似合う服、選んでくださらない?』
って言われてね。
仕方なく、久しぶりに手繋ぎデートしちゃったよ。
アクセサリーも買ってあげたら、喜んでいただけた。
俺も跪いて、公爵夫人の手の甲にキスしたよ。
ハハハ。さすがに恥ずかしいよな、アレ」
私はそんなこと、されたことは一度もない。
他家の、しかも年下の若い夫人に対して、妻以上にサービスするって、どうよ?
しかも、そのことを堂々と妻である私に向かって表明するとは。
呆れ返って、ものも言えない。
街ぶらデートが発覚して以降、開き直ったかのように、夫は公爵夫人とより明け透けに付き合うようになっていった。
「サロンの開催準備のため」という口実で、互いにノートに何かを書き連ねては、毎日、やり取りし始めた。
応接間に無造作に置いてあったノートに目を通してみたら、たしかに細々とした作法が書き込まれていた。
『食前酒」には、短い間に飲み干せるショートカクテルを用意すること』
『食後酒」には、じっくりと時間をかけて味わうロングカクテルを用意すること』
などなど。
思ったより、しっかりと注意書きがされていた。
そういえば、夫コルマの実家は式典作法の家柄だった。
こうしてサロンを開催するに当たっての規則をリンデ公爵夫人に指示しているところをみると、反発しつつも、夫に作法にこだわる血筋があることが窺えて面白い。
『ワインをお湯で割り、砂糖とナツメグを入れ、最後にブランデーを入れるべし』
といった、カクテルの作り方についても記されている。
でも、そういった必要そうなメモのほかにも、変なメッセージが一言、記されてあった。
『私、寂しいの』
そこまで私が読んだところで、風呂上がりの夫が、ガウン姿で現れた。
だから、ソファーに腰掛けたまま、半身を翻して、ノートを手に、私は問いかけた。
「なに、これ?
『私、寂しいの』って」
夫は、顔を真っ赤にして、私の手からノートを取り上げる。
「べ、別に、良いだろ。
お互い、気軽に悩みを打ち明けられるようにしてるんだ。
特に他意はないぞ」
ノートを抱き締める夫に、嫌味を言ってやった。
「まるで交換日記じゃない?
学園時代が恋しいの?
相手が十八歳だものね」
夫は膨れっ面になる。
「リンデ・ポート公爵夫人は、お寂しいんだ。
彼女が、未だ国交が樹立していない異国の出身なのは知ってるだろ?
か弱い女性なのに、実家に頼れないんだ。
なのに、頼るべき夫のニーガス・ポート公爵は政務が忙しく、宮廷に通い詰めだからな」
「ふぅん」
私、サフランは、冷めた目で夫を見詰める。
内心では、毒吐きながら。
(あの小娘みたいな奥方が「か弱い女性」ねぇ……。
私なんて、あの奥方と同じ年齢の頃に両親を失い、兄弟姉妹もいない天涯孤独の身で頑張ってきたのに、今になって、唯一の家族である貴方から、粗略に扱われてますけど?
それに、たしかに、あの公爵夫人の旦那様であるニーガス公爵閣下は、貴方とは違って頼り甲斐はあるんでしょうね。
貴方のような「無役」ではないんですから……)
ベース王国の貴族には、「役付き」と「無役」の違いがあった。
王宮に出仕して勤める役職がある貴族を「役付き」と言う。
対して、役職が与えられず、王宮に出仕する必要がない、もっぱら自領経営に専念するしかない貴族を「無役」という。
役職の有無は、家柄の上下だけでなく、個人の資質や能力に応じて決定されているから、「無役」は「役付き」に頭が上がらない。
基本、お屋敷に引っ込んでいるのが当たり前の貴族夫人とは違って、貴族男性にとっては、役職の有無は「男の沽券」に関わる一大関心事であった。
それゆえ、夫コルマは将来、「役付き」となるのを目指して、有力貴族であるポート公爵家に奉仕し、有能であることをアピールするのに必死なのだろう。
でも、だからといって、連日、公爵夫人と「交換日記」を読みあっては逢引きし、挙句、一緒の馬車に乗って、地方にまで遠出するってのは、問題なんじゃないの?
ある日などは、ポート公爵家の家紋が記された馬車を門前で待たせた状態で、夫のコルマは私から視線を逸らせながら言い訳した。
「いや、リンデ公爵夫人がぜひ、一緒に直接、農場を視察してみたいって訊かなくて。
ほら、フルーツパンチを作るのに適した果物を探しにね。
ちなみにパンチってのは、ワインや蒸留酒に果汁なんかを加えたもので……」
私は肩をすくめた。
さすがに既婚夫人と馬車を同乗するのは、貴族社会においては不倫を疑われるという常識ぐらいはわきまえているようだ。
「パンチぐらい知ってるわよ。
そういったお酒ーー特にワインにまつわる知識を教えたの、私じゃないの」
学園時代のパーティーで、私は大きなパンチボウルを持ち込んで、フルーツパンチを作ったことがあった。
本格的なパンチを作ろうとして、ワインに、氷と五種類の果汁を混ぜ合わせていた、そのときーー。
「それ、なんだい?」
と興味深そうに覗き込んできたのが、夫コルマとの出逢いだった。
そのときは顔見知りではなく、お互いに名も告げずに別れた。
が、しばらくして、学園で再会して、お互いにビックリした。
お酒談義に打ち興じて、付き合いだしたのは、それからだ。
昔を思い出したのか、夫は照れ笑いで誤魔化す。
「ハハハ。そうだった。
ワインベースのパンチは、君に教わったんだったな。
でもさ、俺なりの工夫したカクテルもあるんだ。
パンチの他にも、白ワインに薬草をたっぷり混ぜ込んだ、甘いカクテルも作るつもりなんだ。
だからさ、行かせてくれよ」
私は吐息を漏らす。
「わざとらしく、私の許可なんか求めないでよ。
どうせ拒否しても、貴方は隠れて行くんでしょ?」
リンデ公爵夫人と一緒に、と内心で呟きながら。
「ハハハ。妬かない、妬かない」
おどけながらも、即座に身を翻して、夫は馬車へと駆け走る。
馬車で待たせているオンナに気を遣っているのだろう。
やがて馬車は門から離れて、遠ざかって行った。
農家で果実を直接買い付けると言っていたが、ほんとうかどうか。
行き先が、不義密通を働く男女が使う「出逢い宿」だとしても、わかりはしない。
夫のニヤケ顔が頭にチラついて、不快だった。
事実、夫コルマとリンデ公爵夫人の親密度は深くなる一方で、行動もさらにエスカレートしていった。
晩夏になって、私たち夫婦は、ポート公爵邸で開かれるパーティーに招待された。
そのとき、私、サフラン・チズム子爵夫人は、夫のコルマにエスコートされて公爵邸の門に足を踏み入れた。
それなのに、中庭のパーティー会場では、私は放っておかれて、夫はリンデ・ポート公爵夫人と身を寄せ合い、手を取り合ったり、抱き合ったり、イチャイチャし通しだった。
リンデ夫人の夫、ニーガス・ポート公爵閣下は何も言わないのだろうか、と訝ったが、夫コルマとリンデ公爵夫人がイチャつくのは、いつもニーガス公爵の目に止まっていない場所だった。
特に、私、サフランの目の前で、イチャイチャぶりを見せつけてくる。
リンデ・ポート公爵夫人が、私に視線を送り、勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。
露骨に、意識して見せつけているのだ。
さすがに、限界が来た。
私の方から、彼らーー夫と公爵夫人の許へと、荒い足取りで迫った。
「ちょっと、そこのお二人。
距離感、バグってますわよ。
それぞれが、家庭を持っているとは思えない振る舞い。
特に、コルマ、貴方、おかしいよ。
まるで年若いご婦人に買われた男妾みたい」
私、サフランが嫌味を言うと、即座に夫コルマは反論してきた。
リンデ公爵夫人が腕に絡みつき、密接に肌を合わせた状態で。
「失礼だろ。
ポート公爵家の奥方リンデ様に対して、なんて口の利き方をーー」
(そっち?)
私は呆気に取られた。
てっきり、「男妾」呼ばわりされたことに、腹を立てると思ったのに。
相当、重症なようだ。
やがて、夫から身を離し、リンデ・ポート公爵夫人が、カクテルグラスを手に迫ってくる。
緑の髪をなびかせ、金色の瞳を輝かせながら、肉付きの良い身体を押し出してきた。
「このヒトが、コルマ子爵の奥様?
ふうん、なんだか怖いオバ様ね。
青筋なんか立てちゃって」
夫はもっぱら視線を公爵夫人に向けて、愛想笑いを浮かべる。
「ほんとだよ。見苦しい。
寄親のポート公爵家の奥方様が相手なんだから。
こんな程度のスキンシップで、大人げない。
嫉妬すんなよな」
私は手を広げて、夫に言い返した。
「周りを見てくださる?
奇異に見られていることぐらい、おわかりになるでしょ!?」
事実、周囲に集う貴族たちは、気不味い思いをしていた。
紳士たちは見て見ぬふり。
淑女たちは扇子を広げて、ヒソヒソと語り合っていた。
そうした様子に、さすがに気づいたらしく、夫はキョロキョロと首を振り、挙動不審になる。
そこで、私は、改めてリンデ・ポート公爵夫人に詰め寄った。
「奥様。
旦那様のポート公爵に見咎められたら、どうなさるおつもりなのですか?」
だが、夫と違って、リンデ公爵夫人は悠然としたものだった。
黒い扇子を広げて、口許を隠す。
「あら。ポート公爵家の旦那様は、私が『サロンを開きたい』って言ったら、快諾してくださったわ。
そして、『サロンを開くには、彼、コルマ・チズム子爵の協力が欠かせないの』と言ったら、喜んで認めてくださった」
公爵夫人の余裕ある態度を見て安心したのか、夫コルマが怒った顔で近づいて来て、私、サフランの耳元で囁いた。
「せっかく仕事になってるんだ。
彼女のご機嫌を損ねるわけにはいかないだろ?
これは公爵夫人の恋人ゴッコなんだ。
俺はそれに付き合ってるだけ。
大人だったら、軽く受け流せよな!」
そう言い捨てて、夫はリンデ公爵夫人と手を取り合って、私から離れて行った。
そうは言っても、やはりリンデ・ポート公爵夫人は、夫ニーガス・ポート公爵の目を盗んで密会を楽しんでいるようにしか見えない。
夫コルマ・チズム子爵も、それを承知で逢瀬に相乗りしているようにしか見えなかった。
そして、初秋に入ってーー。
リンデ・ポート公爵夫人が主催するサロンが、ついに開催された。
場所は、ポート公爵邸の大広間だ。
その日、私の夫コルマは、当たり前のように、主催者のリンデ公爵夫人をエスコートする。
そして、リンデ公爵夫人と手を繋いで演壇に立ち、一緒に踊るまでしてのけた。
妻の私、サフラン・チズム子爵夫人は、演壇の下にあって、無視されたままだった。
私とコルマが夫婦であることを知る者は皆、呆気に取られていた。
今回のサロンの主催者がリンデ公爵夫人であり、お酒をカクテルするバーテンダーがコルマであると、誰もがわかっている。
それでもなお、別家庭を持つ者同士が男女で手を繋ぎ合っているのは、いかにも良識を疑う光景であった。
が、会場にいる者は、誰もその異様さを口にしない。
むしろ、リンデ公爵夫人の前では、
「面白い趣向ですね」
「よほど、そのバーテンダーがお気に入りなのですのね」
などと褒めそやす。
ところが、陰ではヒソヒソと噂話するのを止めることはできない。
ブース伯爵夫人やリンス侯爵夫人、ブレンダ男爵夫人といったご夫人方が、扇子を広げながら私の許に忍び寄ってきて囁く。
「よろしいんですの、奥様?」
「あのヒト、貴女の夫なのでしょう?
これは由々しき問題ですよ」
「ですから、殿方と酒の席を同席する、サロンという風習が流行るのには反対でしたのよ」
彼女たちの非難を耳にして、私、サフラン・チズム子爵夫人は、青い瞳を閉じる。
そして、「はぁ……」と溜息をついた。
まさか、夫と公爵夫人がここまで悪ノリしてくるとは思いもしなかったからだ。
散々、恥を掻いて、私は足早にサロン会場から立ち去った。
その夜ーー。
先に帰った妻である私の気も知らず、夫コルマは赤ら顔で馬車から降りてきた。
そして、屋敷に入ってくるなり、大声で言い捨てた。
「素晴らしい一夜だった。
やっぱ、サロンは良いなぁ!
ああ……俺はこういう暮らしがしたかった。
自分の屋敷で、年若い女性をエスコートしつつ、酒を楽しむーーそれが貴族の生活ってもんだろう?
そうだよ。俺は派手なことができないから、今まで成長できなかったんだ。
あの娘ーーリンデ公爵夫人と一緒にいると最高だよ。
俺はもっと成長できる。
このまま、子爵家に収まっているだけじゃあ、俺の才能が潰される……」
そのまま、夫は酔い潰れてソファーで眠りこけた。
どこまで意識があるのか、わからない。
酔ったフリをして、私と、このチズム子爵家をディスっているのかもしれない。
涎を口から垂らす、だらしない夫の顔を眺めつつ、私、サフランは眉間に皺を寄せた。
既婚の、しかも七歳も年下の小娘に惑わされる、馬鹿な夫ーー。
コルマとは、お酒についての話が合ったため、将来の我がチズム子爵家の発展を見越して、付き合い始めた。
当時は、父が病気で亡くなる直前で、これからチズム子爵家を自分が盛り立てなくては、と気負っていたから、他にも言い寄る男性はいたけど、彼らとはお酒についての話が出来なかったために、付き合うのは遠慮させてもらった。
その結果、コルマとは恋愛をして結ばれた、という格好になった。
家柄を鑑みて、親がお膳立てをして婚約・結婚という手順を踏まない、当人同士で決定した、貴族家では珍しい「恋愛結婚」だった。
結婚式に出席した、かつての学友たちは祝福してくれた。
「羨ましい」とさえ言われた。
それなのに、夫コルマは結婚した途端、「釣った魚に餌はやらない」とばかりに、私、サフランに対する、思いやりも愛情も示さなくなった。
私にはわかってる。
リンデ・ポート公爵夫人のお相手をするのも、半分以上、本気ではないことを。
家格も釣り合わず、リンデ公爵夫人と結ばれるなんて出来るはずがない。
それを承知の上で、妻である私、サフランが嫌がるのを見てみたい、嫉妬して擦り寄って来てもらいたい、と思っているんだろう。
婿入りゆえの、鬱屈した感情とでも言うべきか。
ひょっとしたらリンデ公爵夫人相手にも「妻を愛していますから」などと言って、私たち女性二人が自分を取り合うーーそういう〈モテ男ムーヴ〉を夢見て、悦に入っているに違いない。
(まったく、安っぽいオトコね。
オンナを馬鹿にして!)
私、サフラン・チズム子爵夫人は、意を決した。
そして、秋ーー。
聖なる祈願祭の日が巡ってきた。
願い事を木札に書いて、神殿に奉納する日だ。
貴族、平民を問わず、ほとんどのベース王国の国民が、最寄りの神殿を参拝して、木札を奉納する。
王都に住まう貴族の大半は、王宮の傍らにあるスタウト神殿に足を運ぶ。
あいにく今年の祈願祭は、平日の開催となってしまった。
ゆえに、日中にあっては、スタウト神殿といえど、人がまばらであった。
「空いているから、今のうちに行こう」
と、夫コルマは、私を誘ってきた。
神殿に参拝するのは、家族と共に、というのが常識だからだ。
でも、夫のわざとらしい誘いの裏ぐらい読める。
どうせ、私との祈願を早めに済ませて、本命のリンデ公爵夫人と、あとで木札を奉納するつもりなのだろう。
案の定、私が「体調が悪い」と言うと、夫は露骨に喜んだ。
「風邪か。だったら、仕方ないな。
じゃあ、俺一人で行ってくる。
おまえの分も祈っておいてやるから」
と言って、夫コルマは一人で馬車に乗り込んだ。
平日の夕方で、官庁ではいまだ仕事時間だ。
貴族の「役付き」紳士は、仕事場に詰めている。
その一方で、「無役」のコルマ・チズム子爵と、リンデ・ポート公爵夫人はフリーだ。
案の定、コルマは馬車でポート公爵邸に出向くと、彼女、リンデ公爵夫人を招き入れた。
そして、リンデとコルマは並んで手を繋ぎながら石段を昇り、神殿の奥に進むと、それぞれ木札に願い事を書き込んだ。
仲睦まじく、お互いの木札を見せ合う。
奇しくも、二人して同趣の内容を祈願していた。
『リンデとコルマ、二人で幸せになれますように』
『コルマとリンデーー来世では、一緒になりますように』
大胆に書き記したものである。
祈願札に名前が記されているのは、祈願者自身が署名する習わしになっているから不思議ではないが、二人の名前を連名する必要はなかった。
だが、この木札は、自分たちが互いに見るだけで、他の者に見られる気遣いはない。
だから、ラブラブな意識のままに、木札に願い事を書き込んだ。
それでも、心配ない。
目の前の台の上に奉納した木札は、あと一時間も経ずして、炎で焚き上げられることになっているから。
事実、彼らの目前には、大勢の人々がそれぞれに祈願した木札が、堆く積み上がっている。
これが順次、奥座敷から出てくる神官によって取り出されて、焼かれていく。
二人は、当然のごとく、そう思っていた。
だが、残念!
山と積まれた木札の中から、彼らの木札だけを抜き取る人物がいた。
もちろん私、サフラン・チズム子爵夫人だ。
夫と公爵夫人とがイチャつくのを見越して、早馬に乗って先回りしていたのだ。
夫コルマは目を見開いて、声をあげた。
「あ、おまえ!
ど、どうして、奥座敷から!?」
私は木札を手にすると、半身で振り返る。
「私だけではありませんよ」
私の後ろから、片眼鏡で白髪の紳士が姿を現した。
ニーガス・ポート公爵ーー彼がこれまで私と一緒に神殿奥座敷で、夫と公爵夫人とが木札を奉納する機会を窺って、ずっと待機していたのだ。
コルマとリンデの二人は、それまで恋人繋ぎをしていたのに、慌ててバッと手を離す。
硬直する二人の男女を見据えて、ニーガス公爵は、深い吐息とともに語り始めた。
「おまえたちが祈願祭でいかなる願いを書くのか気になってな。
神殿奥座敷で待たせてもらった。
神殿の神官には、私と懇意な者もおるから融通をきかせてもらった。
『我がポート公爵家の一大事ゆえ、奥で待たせてくれ』と願ったのだ。
それにしても、昨晩、サフラン・チズム子爵夫人から苦情を入れられたときは驚いた。
いきなり、お忍びで我が家に来て、『妻の管理が、なっていない』と言うんだ。
だから、彼女の勧めに従って、早めに仕事を切り上げて、このスタウト神殿に来た。
すると、どうだ。
我が妻リンデが、他家の男と腕を組んで祈願札を奉納したではないか。
見たくはなかったがーーこれは動かぬ証拠だな」
私が手渡した木札の字を、ニーガス公爵は片眼鏡を光らせて確認する。
『リンデとコルマ、二人で幸せになれますように』ーー。
「ふむ。たしかに妻の字だ。
異国出身ゆえ、たどたどしい筆跡だから、すぐにわかる。
それで、これは、どうしたことだね?
実際、私はサロンを開くのは認めた。
が、他所の家の主人を誑かす許可を出した覚えはない」
青褪めるリンデ・ポート公爵夫人は、コルマから身を離して、喉を震わせる。
「あ、貴方。
これは、違うのよ。
そう、コルマ子爵相手の遊びなの」
「ほう」
リンデの夫は、片眼鏡を嵌め直す。
「神に対する祈願に、戯れを書いたというのか?
それはーーよけいに罪が重いのではないか?」
ニーガス公爵の発言に促されるように、さらに神殿奥座敷から、白い礼服を身にまとった、長い顎髭の老人が進み出てきた。
スタウト神殿を預かるトディー神殿長だ。
老人は嗄れ声をあげて、
「神を前にして戯れるとは。
筆頭貴族家の奥方の振る舞いではございませんな」
と、顎髭を撫で付けながら言う。
そんな神殿長に、ニーガス公爵は淡々と言う。
「しばらく妻を神殿で預かっておいてくれ。
いずれ離縁となるだろう。
このような〈遊び〉を許しては、ポート公爵家の名折れだ」
リンデ公爵夫人は、目を見開き、冷や汗を浮かべる。
「り、離縁ってーー嘘でしょ?
私の故国と国交を結ぶことが、貴方の悲願なんだから、私を見捨てることはーー」
ニーガス公爵は、汚い物でも見たかのように、自分の妻から視線を逸らす。
「ああ、だから好き勝手にしておったのか。
だが、其方の故郷とのツテは他にもある。
それに、妻に裏切られてもなお許すとあれば、其方の故国の風習にそぐわぬ。
其方の故国では、不義密通は死罪だったはず。
我が国では不義密通に対して、それほど苛烈な罰は下さない。
が、ケジメぐらいはつけねば、ポート公爵家の主人としては、格好がつかん。
そうだ、神殿長。
離縁となれば、リンデには行き場がない。
そう考えれば、すぐにでも修道院送りにしても構わん」
リンデは前のめりになって、悲鳴をあげた。
「いやあああ!
お、お許しを!
これには訳がーー貴方、訊いてください。
これはーー」
リンデは必死の形相になって、自分の夫相手に、グダグダと言い訳を連呼し始める。
が、私、サフラン・チズム子爵夫人が、聞く必要もない。
アッチで取り沙汰されるのは、ポート公爵家の話だ。
もはや私にはーーチズム子爵家にとっては、関係ない。
私、サフラン・チズム子爵夫人は、夫コルマに正面から向かい、言い捨てた。
「もう、うんざりしてた。
離婚しましょう」
夫コルマは、キョトンとしている。
震えた声を絞り出すまでに、かなり間が空いた。
「り、離婚? 冗談だろ?
そもそも、俺がリンデ公爵夫人と親しくするのを、おまえが嫌がるってのはーーそれだけ俺が好きってことだろ? な?」
「はあ」と、何度吐いたかわからない溜息を、今回も吐いた。
「コルマ……それだけ他の女とイチャイチャするのを見せつけられたら、愛情も枯れ果てるに決まってるでしょ。
そんなことも、わかんないの?
それに、リンデ公爵夫人と肉体関係があったとしか思えない」
「ご、誤解するな。
関係は持ってない!」
拳を震わせて訴えるコルマに、私は黙って手にした木札を見せる。
『コルマとリンデーー来世では、一緒になりますように』
自ら書いた祈願文を前にして、夫は喉を詰まらせる。
私は銀色の髪を掻き上げて嘲った。
「来世で、リンデさんと一緒になりたいんでしょ?
どうぞ、ご勝手に。
いえ、来世と言わず、今世で一緒になれば?
ーーああ、でもニーガス・ポート公爵閣下が、許してはくれないでしょうね。
残念。
リンデさんの出身地である異国との国交樹立は、ニーガス公爵閣下の悲願だったそうで、出来れば彼女との婚姻関係は維持したかったらしいの。
でも、貴女たちが人々に見せつけるようにイチャイチャしたせいで、これを許すようでは、異国の男どもから舐められてしまうのだそうよ。
『間男に妻を奪われた』とあれば、異国ではもう一人前の男として扱われない、とか。
だから、ポート公爵家の名誉のためにも、リンデさんと、間男の貴方をくっつけるわけにはいかないの。
とりあえず、これからニーガス公爵閣下は、リンデさんを修道院に押し込めて、新しい奥方を異国から娶らなきゃならないから、新たに人選に取り掛からなきゃならないそうで、ほんと、〈役付き〉の高官は、いろいろと大変ね。
そもそも、貴方みたいな〈無役〉のオトコに肌を許すようじゃあ、リンデさんは名門ポート公爵家の奥方に相応しくなかった、ということでしょうね」
夫コルマは、ジリジリとにじり寄る。
「あ、遊びだったんだ。
ほんとうに愛しているのは、サフラン、おまえだけだ。
リンデ公爵夫人とはゴッコ遊びーー彼女が『恋愛したことがない』っていうから、お相手役を務めただけ。
それに、我がチズム家のワインを大量に買い付けてもらう見返りなんだ。
リンデ公爵夫人も、よくお分かりでーー」
迫り来る夫とは逆に、私は神殿奥座敷へと身を退いていく。
いつしか何人もの若い神官が、私を守るように背後で身構えていた。
怯んだ夫の足が止まる。
それを確認して、改めて私は大声で宣言した。
「ニーガス・ポート公爵閣下とお話ししたら、これからも我が家のワインを愛飲してくださるそうよ。
貴方がリンデ公爵夫人とイチャつくまでもなく、ね。
それに、コルマ元子爵!
貴方はこれからウチのワインを『我が家のワイン』と言わないで頂戴ね。
貴方は我がチズム子爵家から、出て行ってもらうのだから」
元々、チズム子爵家の実子は私だけ。
夫コルマは婿だった。
だから、離婚すれば、コルマは実家のダッシュ男爵家に帰るだけだ。
ちなみに、我がベース王国は、寄親貴族の権限が強い。
ニーガス・ポート公爵閣下は詫びの意味も込めて、離縁後には私、サフランが正式に爵位と共にチズム子爵家の家督を継いで、元夫コルマは子爵を名乗れないようにしてくださるという。
それを聞き、コルマは、オイオイと大泣きし始めた。
女性二人が自分を取り合うーーという〈モテ男ムーヴ〉を心ひそかに楽しんでいたつもりが、自分だけが捨てられる事態に陥るとは、考えもしていなかったようだった。
◇◇◇
祈願祭における、スタウト神殿での出来事が過ぎて、一週間ーー。
自尊心の強いコルマにしてみれば、ショックが大きかったのだろう。
すっかり意気消沈して、私が離婚手続きをしている間、家でおとなしくしていた。
ちなみに、リンデ・ポート公爵夫人は、あのまま神殿から修道院に移送させられたらしい。
修道院から夫コルマ宛ての手紙が来たが、夫は封も切らず、私の目の前で破り捨てる。
「リンデ公爵夫人が言い寄って来ても、俺は相手にしてないぞ!」
というつもりなのだろう。
が、冷めてしまった気持ちは、もう元には戻らない。
夫自身が捨てられる恐怖を味わう前に、その態度をしていたら、私も少しはなびいてあげたかもしれない。
でも、もう遅すぎる。
何ヶ月にも渡って、小娘みたいな既婚者と一緒になり、私をからかい続けたのだ。
許せるはずがない。
リンデ公爵夫人から、私、サフランに宛てた手紙もあった。
中身をみれば、『軽い遊びだった』と夫コルマ同様のセリフがあり、続いて、
『貴女が、そんなに本気になって怒っているとは、思わなかったわ。
ごめんなさいね』
と、どこか上から目線に感じられる文章が綴られていた。
さらに、
『言っておきますけど、この度の遊び、貴女の夫であるコルマの方から言い寄ってきたのよ。
たしかに、サロンを開くに当たって、お酒のアドバイザーになってもらうようお願いしたのは私ですけど、
『僕たちが仲睦まじいことを、貴女の旦那様、そして僕の妻に、見せつけてやりましょう。
きっと良い刺激になりますよ』
と提案してきたのは、彼なのですから。
私、リンデが遊びを主導したわけではないのよ。
それをニーガス公爵閣下に、よくお伝えくださいな』
と追伸文があった。
どうやらリンデは、修道院で、朝から晩まで過酷な労働に従事しながらも、ポート公爵家の奥方に返り咲く夢を諦めていないらしい。
そんなこと、常識的にあり得ないのに。
仮に何かしら、彼女の地位が回復する手段があるにしても、どうして私が助力しなきゃならないの?
知るもんか。
ほんと、コルマとリンデは、お互いに疎遠になって、詰り合う関係になった今でも、どこかベタベタしたところがある。
もうすでに、爛れた関係にあったように感じられてならない。
マジで肉体関係があったんじゃないの?
とにかく、署名入り、しかも二人が連名した祈願札という証拠を手にして、ニーガス・ポート公爵閣下に訴えることができたのは、幸いだった。
ただでさえ政務で忙しいニーガス公爵が、リンデ公爵夫人の振る舞いを看過し続けていたら、イライラが募って、私がどうかしていたと思う。
そして、さらに一週間後ーー。
私とコルマとの離婚が、無事、成立した。
離婚後、半年ほどで、私、サフランと、元夫コルマの明暗は、クッキリ分かれた。
元夫コルマの実家ダッシュ男爵家は、式典の作法を継承する家柄だ。
それに反発して、元夫コルマは、パリピな性格になっていた。
が、家風は家風。
七歳も年下の、しかも名門公爵家の奥方を相手にふしだらな関係となって離婚されて出戻りとなったコルマに、実家とはいえ居場所はなかった。
彼の父親も親類も、コルマにダッシュ男爵家を継がせるつもりは毛頭なかった。
ダッシュ男爵家の家督は、コルマの弟センチ・ダッシュに継がせると宣言され、コルマは実家からも追い出された。
父親から勘当を言い渡されたのである。
コルマは依然としてダッシュ男爵令息ではあるが、家督者である父親から勘当されたとあれば、平民に落ちたも同然だった。
何ヶ月もの間、王都の酒屋でバーテンダーをしながら、しばらくは食い繋いでいたようだが、酔客と揉めて以降、姿を見なくなったという。
その後、どうなったかわからない。
一方で、私、サフラン・チズム子爵は、新たに婿を迎えることになった。
寄親であるニーガス・ポート公爵が見繕ってくださったお婿さん候補は、よりどりみどりだった。
他にも、学園時代に、言い寄って来た者のなかにも、辛抱強く、私が独り身になるのを待っていた男性もいた。
幸いにも、コルマとの結婚年数は、わずか三年。
子供もまだだったのも良かった。
再婚にあたっての障害はほとんどなくて済んでいる。
さらに、私、サフラン・チズムには、子爵の爵位と、領地がある。
葡萄畑の実りも豊かで、ワインの出荷も順調。
婿に入りたがる男性に、事欠かなかった。
(今度は、お酒に関係なく、価値観やフィーリングが、私と合うオトコがいいわね。
共に過ごして心が安らぐような……)
私は馬車に乗り、待ち合わせの場所に出向く。
そして今日も、婿選びに精を出すのだった。
(了)
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ちなみに、後日譚ーー。
王都の裏街道にある酒場のカウンターで、コルマは不貞腐れていた。
彼は、かつて不良学生だったときのツテで、酒場と宿屋を経営するオーナーを紹介してもらい、貴族出身の腕利きバーテンダーとして、酒場に住み込んで働いていた。
だが、平民の間では、貴族社会の優雅な振る舞いに憧れるのは女性ばかりで、平民男性は「気取りやがって」と反発する者が多い。
特に酔っ払いとなると、「俺の生活がうまくいかないのは、貴族のせいだ」と悪態をついて、日頃の鬱憤を晴らしている者が大半だった。
しかも、コルマは臨機応変な対応ができる性格をしていない。
結果、彼が調合したカクテルをマズイという酔客と言い争いをすることが頻繁に起こり、そのたびに給料をカットされていた。
仕事を終える朝方に、いつもカウンターの内側で、ジョッキを空けては愚痴っていた。
(俺のような貴族が住むような空間じゃないんだ、こんな場末の酒場は……)
でも、コルマが得意とするのは、利き酒とカクテルの腕ぐらいだから、酒場で稼ぐしかない。
こうして、不満たらたらでバーテンダーを務めて、三ヶ月ほどした頃の早朝ーー。
酒場の前に、いきなり大きな、長距離用の馬車が乗りつけてきた。
そして中からは、なんとリンデ元公爵夫人が姿を現したのである。
彼女は満面の笑みを浮かべながら、コルマに手を差し出した。
「さあ、私と一緒に、この国から出ましょう!」
修道院に閉じ込められていたリンデの許に、異国の実家から連絡がもたらされた。
『馬車を手配した。
これ以上、外国で辱められているぐらいなら、我が家に戻ってきなさい。
噂になってる相手の男性も一緒に連れて来るように』
連日、早朝起床で働かされてきたリンデが歓喜したのは言うまでもない。
彼女は深夜に修道院から脱走し、実家から送られてきた馬車に乗り込んだ。
そしてそのままコルマを迎えに来たのだ。
リンデの相手であるコルマの居場所を、なぜだか実家の手の者が掴んでいたので、その指示で酒場に乗り込んできたのである。
だが、小娘のようなリンデが笑顔で差し出す手を、コルマはすぐには取らなかった。
一瞬、躊躇したのだ。
国を出るにしても、正式な国交を結んでいない異国にまで行く覚悟はなかった。
コルマがためらうのを、リンデは笑い飛ばした。
「さあ、私の手を取りなさい。
こんな国に居たって、酷い目に遭うだけよ。
私の実家は皆、優しくて、私たちをもてなしてくれるわ」
コルマは投げやりになっていた。
平民相手のバーテンダー生活を思い起こし、強く首を振る。
そして、勢いに押されて、リンデの手を取った。
若いリンデは、馬車に引っ張り上げたコルマに、勢い良く抱きついた。
「そうと決まれば、早く出発しましょう!」
こうして、リンデとコルマの二人は、夜逃げするように異国へ向かったのである。
馬車の中では、コルマは、もたれかかったリンデから、延々と愚痴を聞かされた。
「あの人、ニーガス公爵は、いつも忙しくて。
お堅くて、詰まらない人だった。
初めから政略結婚だし、大嫌いだったのよ、あんな人。
貴方と知り合えて、私、嬉しかった!」
リンデから愛を告白されながらも、コルマは彼女が羨ましくて仕方なかった。
自分は素直に「リンデと知り合えて嬉しかった!」とは、言えなかったからだ。
サフランと離婚して以来、後悔ばかりの日々だった。
今もフワフワして実感がない。
不吉な予感がして、胸が締め付けられるようだった。
コルマの「不吉な予感」は、的中した。
夢のような逃避行は、あっさりと終焉を迎えた。
二ヶ月もかけて、異国に入り込み、リンデの実家に到着した。
すると、即座に、地下牢に放り込まれたのだ。
リンデとも引き離されて。
リンデは抑えにかかる男どもに抵抗して、悲痛に叫んでいた。
「やめて、やめて!
お父様、お母様!
娘のリンデです。
遠路はるばる帰ってきたのですよ!?」
が、その言葉もコルマには異国語ゆえに良くわからず、羽交締めにする男どもに唯々諾々と従って地下牢へと降りて行くしかなかった。
そして、三日後ーー。
コルマは両手を縛られた状態で、暗い地下牢から陽の当たる場所に引きずり出された。
そして、家畜のように荷馬車に乗せられ、異国の街を引き回された。
周囲には群衆が取り囲み、罵声を浴びせてくる。
石礫までぶつけられた。
やがて、大きな曲刀を手にした屈強な男が立つ場所へ。
そこは処刑場だった。
その男の後ろにいる年配の男が異国語で何やら喋り、それを横にいる通訳が下手くそな発音で、コルマにわかる言葉で語りかける。
「姦通罪は死刑に処すのが決まりだ。
おまえとリンデは、我が家のみならず、我が国をも辱めた。
許す訳にはいかないーー」
何人もの男によって、強引に跪かされる。
抗いようもなく、コルマは首を垂れる。
地面を見ると、目の前には暗い窪みが穿たれていた。
刈られた後の首が落ちる場所のようだ。
文字通りの「土壇場」に、今、コルマは跪かされているのだ。
窪みの中には先客がいた。
見慣れた緑の髪をした女の子ーーリンデの生首だった。
刈られたばかりなのだろう。
首から血が滴っていた。
黄金色の瞳は大きく見開かれ、目尻からは涙が溢れていた。
コルマは今度こそ、心の底から、周囲の状況に流されやすい自身の性分を悔やんだ。
(リンデとは、軽い気持ちの遊びだったのに。
なんで、こんなことに……)
そう後悔した瞬間、コルマの視界は暗転した。
一瞬の出来事だった。
最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
気に入っていただけましたなら、ブクマや、いいね!、☆☆☆☆☆の評価をお願いいたします。
今後の創作活動の励みになります。
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