第九話 口付け
「それにしても、アストル様の言っていた愛妾になる予定の方というのは、一体どのような人なのかしら……」
心を癒すような人なのだから、恐らく可愛らしい人なのでしょうね。
けれど愛妾になさるということは、既に離婚歴のある方か、もしかして平民ということもあるかもしれない。
その方とアストル様がどんな風に愛を育んできたのか、とか、何故愛妾に迎えることになったのか、など分からないことばかりではあるけれど、どのみち私に反対する権利はなさそう。
本音を言えば、そんなの嫌と泣いて縋って愛妾を迎えるのなんてやめてもらいたい。だけどそれは、私の性格的に無理すぎる。
私のように強気な女が泣いて縋ったところで、気持ち悪いことこの上ない。アストル様に泣いて縋る自分の姿なんて、想像すらしたくないほど脳が拒否する。
私のキツイ性格を表しているかのような釣り上がった目と、冷たさを感じさせる水色の瞳。艶のある金髪は自慢だけれど、次期侯爵として舐められないように普段から頭上で纏めているため、人目を惹くことはない。
身長も女性にしては高く、ヒールの高い靴を履くと、アストル様と身長が並んでしまうほどだ。極め付けは細身の体型で、スレンダーと言えば聞こえは良いけれど、お胸もスレンダーなため、女性としての魅力は皆無。
「初夜だけは何とかなったけれど、こんな身体じゃ二回目なんてないかもしれないわね……」
思わずポツリと、そう呟く。
昨晩のアストル様は、とても興奮していたように私には思えたけれど、本当はただ自棄っぱちになっていただけかもしれない。
彼には別に愛する人がいるのに、私と結婚した義務を果たすために無理矢理初夜を……。
「で、でもアストル様は、妻として私を大事にすると仰って下さったし」
だからそんなに心配することはない。考え過ぎだ、と自分で自分を叱咤する。
たとえそれが、爵位のためであったとしても──。
どれだけ前向きに考えようとしても落ち込む気持ちは止められず、私は庭園から玄関のある方角へと回り込む。
すると、玄関近くにいた使用人達が、ヒソヒソと小声で話している声が聞こえた。
「坊っちゃまは相変わらず、あの平民とお付き合いなさっているようね」
「結婚したらスッパリ別れると思っていたのに、いつまで続けるつもりなのかしら?」
「平民女からしたら、貴族の恋人なんて得しかないんだし、別れたくないんじゃない?」
話しているのは、アストル様が公爵家から連れて来た使用人達。つまり彼女達は、アストル様の恋人の存在を知っているのだろう。
私が側に来ていることにも気付かず、彼女達は門の方へと目を向けて話に花を咲かせている。
「それにしてもあの女、上手くやったわよね。週に何度も配達へついて来ては、坊ちゃまに言い寄って……」
「本当よね。坊ちゃまも最初は冷たく遇らっていらしたのに、いつの間にか絆されてしまって」
「男は頼られるとコロッといっちゃう生き物だから……」
やれやれ、どうしようもないわね。と彼女達が首を振る。
そうなのか、知らなかった。
思えば私は、アストル様に頼ったことなんて今まで一度だってなかったような気がする。
いつだって次期侯爵として気を張って、舐められてはいけない、立派でいなければいけないと、肩肘張って生きてきた。
アストル様とのデートの時もそれは変わらず、女々しいところなど見せてはいけない、何処に他人の目があるか分からないから、情けない姿なんて見せてはいけないと、彼に甘えることなどなかったように思う。
男の人からしてみれば、そんな女、可愛くないのは当然で。一緒にいても疲れるだけだから、アストル様は他へ癒しを求めたのだろう。度々邸へと訪れる、平民の可愛らしい女性に。
私は足音をたてないように使用人達から離れ、門がよく見える位置へと移動する。
そこからそっと窺えば、門の外でアストル様が、平民らしき女性に顔を近付けているのが目に入った。
「アストル……様……」
あれはもしかしたら、口付けをしているの?
昨晩私と初夜を済ませてしまったから、悲しむ彼女を慰めようと?
目に見えない鋭い物が、胸に突き刺さるかのような痛みを感じる。
咄嗟に胸を押さえた私は、歯を食いしばり、足早にその場から立ち去った。