第七話 飢えた獣のように
結婚初夜は何としても拒否する──。
俺はそう決めた。結婚式での誓いとは別に、俺はそう固く心に誓った。
誓った──筈だった。
なのに俺は、気付けば無我夢中でクロディーヌの身体を貪っていた。しかも、何度も!
「何であんなことになったんだ……」
絶望に顔を覆うも、やってしまったことはどうにもならない。
そう、俺はやってしまった。固く心に誓った誓いを、あっさりと破ってしまったのだ。
「だってあれ……あれはどう考えても、クロディーヌが悪いだろう?」
愛するつもりはないと言ったのに、取り敢えず今日の初夜は保留でと言ったのに、クロディーヌはそんな俺の言葉を無視して、いきなり俺に伸し掛かってきた。
淑女の中の淑女とも言われるクロディーヌが、いつも大人しやかに微笑んでいたクロディーヌが、男の俺を押し倒し、馬乗りになってくるなんて思う筈がない。
あまりのことに驚き、混乱した俺は抵抗すら忘れ、
「え、ちょ、ク、クロディーヌ。一体何のつもりだ?」
と問うことしかできなかった。
俺に跨ったクロディーヌが、あまりにも艶然と微笑むから。
出会ってから今まで、一度もそんな風に微笑ってくれたことなどなかったから。
思わず彼女の微笑みに見惚れていると、その間に俺の服ははだけられ、クロディーヌ自身も羽織っていたガウンを床に落としていた。
ガウンの下に彼女は夜着を着ていたが、初夜目的の夜着など、男の劣情を煽るものでしかない。
「ま、待ってくれ。俺はさっき、君を愛するつもりはないと言ったよな?」
さっきまでの偉そうな態度は何処へやら。
彼女の肢体を見たことによる興奮を悟られないようにするのが精一杯で、態度と言葉遣いを取り繕う余裕など、その時の俺にはなくなっていて。
慌ててクロディーヌの暴挙を止めようと手を伸ばすも、やんわりと腕を掴まれ、動きを止めた。
ここで無理矢理動いて、彼女を傷つけることだけは避けたかったし。男が女に手をあげることだけはダメだと言い聞かされて育ってきたから。
「愛するつもりがないから? だから何だと言うのです? 愛するつもりはないだけで、愛さないとは言われていませんが?」
いやそれ、ただの屁理屈だよな?
そう思ったが、クロディーヌがなんだか傷付いているように見えて、俺は言葉を飲み込んだ。
俺だって彼女に裏切られて傷付いたが、だからといって彼女を傷付け返したいわけじゃない。
第二王子との関係に悩みつつも結婚することを決めたのは、単純に俺が彼女を諦めることができなかったからだ。
俺が身を引けばクロディーヌは幸せになれるのか?
俺がいなくなれば、クロディーヌは第二王子と結婚することができるのか?
何度も何度もそう考えた。でも俺は最終的に、彼女と結婚する道を自分で選んだ。
誰に強制されたわけでもない。たとえクロディーヌが第二王子を想っていても、俺は彼女と一緒にいたいと思ったから。
でも、流石の俺もやられっぱなしは癪だと思ったから、エイミーに助けを借りて、彼女が巷の小説から得た知識そのままに、『君を愛することはない』『結婚は爵位目当て』『心を癒す愛人を持つ』という三つのパワーワードをぶちかました。
まぁ……既にクロディーヌを愛している俺としては『愛することはない』とは言えず「愛するつもりはない」と若干内容を誤魔化してしまったわけだが、まさかそこを突っ込まれるとは夢にも思っていなかった。
そのせいで俺は貞操の危機──実は俺も未経験だった──に陥り、妖艶なクロディーヌに頬を撫でられた瞬間、大きな音を立てて生唾を飲み込んでしまったのだから、本当に笑えない。
「身体から始まる愛があっても良いのではありませんこと?」
クロディーヌの指が、俺の頬から首、胸へと下りていく。
身体から始まる愛ってどういうことだ? まさかクロディーヌは、俺に愛されたいと思っているのか?
いやでも、だったら第二王子はどうなる? 二人は愛し合ってるんじゃないのか?
悶々と考え事に耽っていたら、ふっと耳に息を吹き掛けられた。
「ク、クロッ……き、君は……むぐ!」
抗議しようと開いた口を、クロディーヌの唇によって塞がれる。
初めての口付けが彼女からというのが些か情けないが、そんな気持ちを凌駕する多幸感に恍惚としていると、やがて唇を離したクロディーヌが、頬を染めて恥じらいながら、こう言った。
「私は……その、全てが初めて……なので、下手でも嫌いにならないでいただけると──」
「初めてっ!?」
俺とおんなじ!?
あまりに驚いたせいで、つい、大声をあげてしまった。
だって、そんな……。
身体は許していないまでも、口づけぐらいはとっくに第二王子と済ませていると思っていたのに……。
呆然とする俺に、彼女は何を思ったのか。
恥じらう表情から一転、拗ねたように頬を膨らませると、挑戦的な言葉を吐いた。
「疑うのでしたら今からご確認なさればよろしいでしょう? 私はあなたの妻になったのですから、そうしたところで何の罪に問われることもありません。さぁ、どうぞ」
「だ、だったらそうさせてもらうからな!」
売り言葉に買い言葉。
しかし全てにおいてクロディーヌが未経験だということにすっかり気分を良くした俺は、初夜を拒否することを忘れて、思うがままに彼女の身体を貪ってしまったのだった。それはもう、飢えた獣のように。
本当の初夜は、もっと優しくしようと思っていたのに。
自らの欲に負けて、初めてのクロディーヌを好き勝手に扱ってしまった。男として最低すぎる。
そのため、彼女が破瓜の痛みやらなんやらで意識を失った後、俺は激しい罪悪感に駆られ、一睡もできずに朝を迎えた。
そうして朝食を摂った後、逃げるようにして新居を出てきたというわけだった。