第三十七話 寝込んだ後
私がぼんやりと目を開けた時、室内は光に満ち溢れていた。
「ん……眩しい……」
今日は頭がスッキリしている。
昨日寝入った時は、まだ全身が怠いような、頭が重いような感じがしていたけれど。
ようやく体調が良くなったようだ。
こんなにスッキリした気分は久しぶりだと、私はベッドの上で伸びをしてから身体を起こした。
「どのぐらい……寝ていたのかしら?」
熱を出していた間の記憶が曖昧で、あまりよく覚えていない。
何となく……夢うつつでアストル様が手を握ってくれたような気がする。
「で、でもそんなわけないわよね。愛してもいない妻の看病なんてする筈ないし……あれはきっとメイサだったのよ。そうに決まってるわ」
珍しく熱なんて出したから弱気になって、願望を現実のものとして捉えてしまってるのよ、うん。
自分に言い聞かせるかのように幻を打ち消し、サイドテーブルにある水差しへと手を──伸ばそうとしかけて、そこに目的の物がないことに気が付いた。
「あら……? おかしいわね、いつもならここに水差しが置いてあるのに」
私が寝込んでいる間に別の場所へと誰かが移動したのだろうか?
そう思い、室内を見回そうとした、その時。
不意に扉が開く音がしたと思ったら、水差しを持ったアストル様が入室して来た。
「あ、アストル様……」
何故彼が水差しを持っているんだろう?
そんなことは使用人がやるべきことなのに。
「クロディーヌ!」
私に気付いたアストル様は驚いたかのように大きく目を見開き、足早に近付いてきたと思ったら、ぎゅっと私を抱きしめてきた。
「良かった……。目が覚めたんだね。このまま目を開けなかったらと思うと、気が気じゃなかった」
いえあの、なんだか大袈裟に仰っていますけど、ちょこちょこ目を覚ましていましたからね?
丁度毎回私が目を覚ました時に、周囲には誰もいなかっただけで。
「ああ、良かった……。クロディーヌ、クロディーヌ……良かったよぉ……」
アストル様の声が泣いているみたいに震えている。
だから大袈裟ですって。
ちなみに言わせてもらうと、アストル様水差し持ったままですよね? ベッドの上に溢れないか不安なのだけど、先に水差しをテーブルに置いて下さらないかしら。
「あ、あの、アストル様」
「なんだい?」
ふにゃっと泣きそうな顔をしたアストル様が可愛い。じゃなくて。
今は先に水差しを手離してもらわなければ。
「私……喉が渇いてしまいましたの。その手に持たれているのは水差し……ですよね?」
彼が驚いて水を溢さないよう、そっと水差しに手を添えながらアストル様に尋ねる。
すると彼は「あっ」という顔をした後、何故かベッドの上に乗り上げ、私の肩を抱き寄せてきた。
「え? アストル様?」
オロオロする私の隣で、アストル様は徐に水差しの水を自分の口へと流し込む。
え、ちょっと待って。
何故私よりあなたの方が先に水を飲むの? というより、グラスは使わないの?
疑問に思う私にアストル様が顔を近付け──唇を塞がれた。
「んっ……んんっ!?」
少しだけ冷えた水が口の中へと流し込まれ、私は必死になってそれを飲み込む。
「ちょっとアストル様! 何を──」
唇が離れた隙に抗議しようと開いた口は、再びアストル様に塞がれ……そうして何度か強制的に水を飲まされた後、私は羞恥によってアストル様の胸へと顔を埋めた。
「もう、もう、なんてことをなさるのですか! あんな、あんな方法で水を飲ませなくとも良かったではありませんか……」
最後の方は怒りよりも恥ずかしさが勝ってしまい、声がとても小さくなってしまった。
まさか私が、こんな愛し合う夫婦がするようなことをアストル様とするだなんて、思いも寄らなかったから。
「ごめんねクロディーヌ。水差しの水は冷たいから、口移しの方が温まるかなと思ったし、何よりグラスを忘れてしまって」
何ですって!?
それではグラスは使わないのではなく、使えなかったのね!?
だからといって、あれは……。
「忘れたのなら、取りに行けば良かったではありませんか」
そうしたら、あんなにも恥ずかしい思いをしなくても済んだのに。
恨みがましくアストル様を見上げて言うと、優しく微笑んだ彼は、私の額に口付けを落とした。
「っ!?」
なんなの? なんなのこれは? アストル様はどうなさってしまったの!?
愛されない妻の筈が、まるで愛されているかのように感じてしまい、私は目を白黒させる。
そんな私を見て、アストル様はまるで愛しいものを見つめるかのように目を細めると、私を腕の中に閉じ込めて、大きなため息を吐いた。
「はぁぁ……クロディーヌは可愛いなぁ。俺がグラスを取りに行かなかったのは、君の傍から離れたくなかったからだよ。それに俺達は夫婦なんだから、口移しで水を飲ませても問題はないだろう?」
「それはっ……!」
反論しようと口を開くも、切な気なアストル様の瞳に出会い、「そ、そうかもしれませんが……」と肯定してしまう。
「だよね? だったらこれからも食事の時以外は俺が君に水を飲ませるから、喉が渇いたらいつでも言ってくれ」
「え。で、でもそれは些か面倒というか──」
「ん? なんだって?」
良い笑顔で微笑むアストル様に、私はそれ以上の反論ができなかった。
私は……愛されない妻なのよね?
それとも、彼の態度は単に『妻として大事にしている』だけなの?
なんだかよく分からないわ……。