第二十一話 アストル様のせい
突然、応接室の扉が開いて、アストル様が室内へと駆け込んで来た。
「俺の妻に何をしているんです!?」
私の手から殿下の手を引き剥がし、代わりにアストル様が私の手を握ってくれる。
温かい……。
アストル様の手の温もりは、冷え切った私の心までも溶かしてくれるよう。
嬉しくなって思わず私がアストル様を見つめると、それを阻止するかのように第二王子殿下が声を上げた。
「なんだ貴様は! 不敬だ──」
「クロディーヌは俺の妻です!」
気弱なアストル様にしては珍しく、強い口調で殿下の言葉を遮る。
相手は第二王子殿下なのに、普段から穏やか──と言えば聞こえは良いが、本当は気弱なだけ──なアストル様が、こんな風に強気な態度に出るなんて。
つい、本物? と疑いの気持ちが湧いて、アストル様へと向けた視線が訝しげなものへと変わってしまう。
そんな私と同様に、第二王子殿下も今のアストル様の態度には度肝を抜かれたようで、言葉を遮られた状態のまま固まっている。
分かるわ……。
特に殿下は普段から権力を傘にきて他人を脅してばかりいるから、他者に声を荒げられることなんてないものね……。
多分だけれど、親である国王陛下や王妃様からも怒られたことがないのではないだろうか?
そう思えてしまうほど、普段の殿下は横暴すぎて。
いい気味だわ、と殿下を見つめながら内心で笑みを浮かべていると、不意にアストル様の手が私の腰へと回され、半強制的にソファから立ち上がらされた。
「え!?」
わけが分からずキョトンとする私を抱きしめるようにしながら、アストル様が言葉を紡ぐ。
「殿下、クロディーヌに何の用事があったのかは分かりかねますが、彼女の夫として、人妻にこのような真似をする相手とこれ以上話をさせることはできません。申し訳ないですが、本日はもうお引き取り下さい」
別人バージョンのままのアストル様は殿下にハッキリとした声で告げ、深々と頭を下げる。
慌てて私もそれに倣い頭を下げると、アストル様は私に「行こう」と言うが早いか殿下を残し、私を連れてサッサと応接室を後にしてしまった。
混乱のあまりアストル様に促されるままに廊下を歩き、何処かの部屋へと誘導されながら、私はぐるぐると考える。
アストル様は突然どうされてしまったの? こんなことをして大丈夫なのかしら? 後で不敬だと言われて処刑されたりしないわよね?
不安になってアストル様の顔を見上げるも、私の視線に気付いた彼は、優しく微笑んでくれるだけ。
この表情、好き……いや違う、そうじゃない。今はそんなこと思っている場合じゃないんだってば。
思わずメロメロになりかけた自分を叱咤して、私は口を開く。
「あの、アストル様。第二王子殿下にあのような態度をとって……大丈夫なのですか?」
途端に、私から目を逸らし、微妙な表情をするアストル様。
「う~ん……あまり大丈夫じゃない……かも?」
あ、この言い方。
自分の発言に自信のないこの言い方は、私の知ってるアストル様だわ。
さっきの強気なアストル様も良かったけれど、やっぱり此方の方が私は落ち着く。
「大丈夫じゃないって……だったら如何なさるおつもりなんですか?」
まさかの考えなし。勢いのみに則った行動だと知って、私は軽い眩暈を覚える。
そんな私にアストル様は、困ったように微笑んだ。
「如何しよう……ね? つい気持ちのままに行動してしまったけど……困ったなぁ」
困ったなぁ……じゃないんですけど!?
あれは明らかに不敬と思われる態度だったし、その上放心したままの殿下を置いてきてしまったし、何やらもう色々とやらかしちゃった感しかない。
こんなことで処罰されたらどうするつもり? 今からでも謝罪した方が良いんじゃない?
そう思った私は、腰へと回されていたアストル様の手を振り解くと同時に、くるりと身体の向きを変えた。
「クロディーヌ?」
「アストル様、ちょっと私行ってきますね」
「え? ちょっ、クロディーヌ!」
制止しようとするアストル様の声を振り切り、私は応接室へと早足で戻る。
先程私を助けてくれた時のアストル様は、とても格好良かった。
登場の仕方といい、タイミングといい、物語に出てくるヒーローみたいで、本当に素敵だった。
あの方はどこまで私を好きにさせたら気が済むのかしら。そんなあなた自身は、私を愛するつもりなどないくせに。
そう思った瞬間、鼻の奥がツンとして自分が泣きそうになったことに気付き、慌てて思考を切り替える。
いつから私はこんなに涙脆くなったんだろう? 泣いたことなんて、今まで数えるほどしかなかったのに。
それもこれも、全部アストル様のせい。
彼が私を変えたのに、彼自身は私ではない別の人を選んだなんて、皮肉なものよね。
そういえば、アストル様はいつ愛妾の方を邸に迎え入れるのかしら?