第一話 君を愛するつもりはない
その日は快晴だった。
お互いの両親や友人、親戚の方達、仕事関係の繋がりがある人達……とにかく沢山の人達に囲まれて、私達はどこからどう見ても幸せな結婚式を挙げた。
婚約者になった時から頻繁に互いの家を行き来し、デートやお茶会を重ね、誕生日などの記念日には必ず贈り物を交換し──政略によって結ばれた婚約だとは思えぬほど、私達は仲睦まじく過ごしてきた。
だというのに、心も身体も真実の夫婦になるための結婚初夜で、夫となったばかりの彼は、盛大にやらかしてくれた。
なんと、巷の小説でよくある「君を愛することはない」の一言を言い放ったのだ。
私は思わず耳を疑った。
「あの……ごめんなさい、もう一度仰っていただいても?」
もしかしたら聞き間違いってこともあるかも? と、僅かな期待に縋って聞き返す。
けれどやはり残念ながら、そんなことはなかったらしい。
私の言葉に夫はポカンとしたような顔になった後、みるみるうちに怒りで顔を真っ赤にすると、叫ぶように言ったのだ。
「なっ……! 君は僕を馬鹿にしているのか? 僕は、君を愛するつもりはない! と言ったんだ!」
馬鹿にしていると言いながらも、キチンともう一度繰り返してくれるところが律儀だな、と思う。
というか、聞き間違いかも? と思ったから聞き返しただけで、馬鹿にするつもりなんて全くなかったのに。
どちらかというと、初夜にそんな非常識なことを言い出す方が、よっぽど人を馬鹿にしていると思うのだけれど。
それに、今は真夜中と言ってもいいような時間帯なのだから、できれば大声を出すのはやめてほしかったわ。
しかも、内容が内容なのよ? もうちょっと気を遣って欲しい。
婚約者として付き合っていた頃は、気遣いのできる素敵な人だと思っていたけど、本性はこんなにも無神経な人だったのね。一体今まで何匹の猫を被っていたのかしら。
と言いつつ、正直私も、人のことを言えた義理ではないけれど。
「一つだけ……お聞かせいただいてもよろしいですか?」
取り敢えず、低姿勢で話を切り出してみる。こういう輩は女子供に偉そうにしたいタイプが多いから。
でも最初だけよ。聞くこと聞いたら形勢逆転してやるんだから。
決意を秘めた私の様子など、全く気にも留めていないらしい夫が、したり顔で腕を組む。
「そうだな……君も突然このようなことを言われて驚いただろうし、質問があれば答えてやっても良いだろう」
まぁ偉そうに。何故自分の方が立場が上だと思っているのかしら。理解に苦しむわ。
私がそんなことを考えているとも知らず、下手に出られたことで気分を良くしたのか、夫が偉そうに鼻を鳴らす。
そんな顔ができるのも今のうちよ。
結婚するまで本性を隠してきたのは、あなただけじゃないんですからね。
「ではお聞かせ願いたいのですが、私を愛するつもりがないのなら、どうして結婚したのでしょうか? 嫌なら婚約破棄でもなんでもしたら良かったのでは?」
私はヒースメイル侯爵家の長女。彼はストライナ公爵家の三男だから、家格的には我が家より上なのだし、婚約破棄だろうが解消だろうが、申し出ることはできた筈。
なのに何故それをせず、わざわざ結婚してからこんなことを言い出したのか。
しかも婚約者時代は、非の打ち所がない婚約者を完璧に演じていたくせに!
今更こんなこと言われるぐらいなら、最初から冷たくしてくれれば良かった。そうしたら、好きにならずに済んだのに。
そう……たとえこんな無神経な男でも、十年という長い婚約期間の間に、私は彼のことを好きになってしまっていた。
だって彼は容姿端麗でスポーツもそこそこできるし、成績だってギリギリ学年の上位にいるぐらいには良いのよ? 加えて婚約者としての対応は完璧だった……あれ? こうして考えてみると、顔と婚約者としての対応以外は、特にこれといって特筆すべき点はないわね。
どうして私、この人のこと好きになったのかしら?
「………………」
思わず考え込んでいると、夫は何を勘違いしたのか、いきなり私を抱きしめてきた。
へ?
「そんなに悲しまずとも大丈夫だ。俺は君を愛するつもりはないが、妻として大切にすることは約束する。なにしろ俺の将来は、君にかかっているのだからな」
ん? どういうこと?
夫の突然の豹変ぶりについていけず、私はぽかんとしながら夫の顔を見上げる。
すると彼は、続いてこんなことを口にした。
「俺が君を大切にする理由はな、君が侯爵家の跡取り娘だからだ! 君を逃せば継ぐ爵位のない俺は、平民になるしか道がなくなる。俺は大してモテないからな……」
最後の方だけ、やたらと声が小さかった。
意外とご自分のことを理解されているようで、結構ですこと。
でもそんな悲しそうな顔をされると、なんだか可哀想になってしまうわ。
惚れた贔屓目からか、つい夫に同情的な思いを抱いてしまう。けれど、そう思ったのも束の間。次の瞬間、彼はすぐさま勢いを取り戻すと、まるで舞台俳優であるかのように、大仰な手振りでもって自分の胸に手を当てた。
「だからこそ! 俺は例え君を愛するつもりはなくとも! 妻としては君を大切にすると己に誓ったのだ! 俺の立場を盤石なものとする為に! 分かったか!」
「そ、そうですか……」
幾らそういう目的があったとはいえ、普通ここまで明け透けに暴露するものかしら。
こんなにも堂々と『爵位狙いでした!』なんて言ってしまって、それを理由に離婚されるかも? とかは考えないの?
学園の成績は上位でも、一般常識には欠けるのかしらと、少しだけ残念な者を見るような目で夫のことを見つめてしまう。
お父様の跡を継いで侯爵になるのは私だけど、配偶者が馬鹿なのは困るのよね。
私としては、恋愛結婚だろうが政略結婚だろうが、結婚したからには協力して領地を治めていきたいと思っているから。