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異界は今日も群青色  作者: 新月 乙夜
ひとりぼっちの異界征伐

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凝視法


 野犬の群れに追われたその日の夜。暗闇のなかで息をひそめながら、颯谷は隠形の鍛錬を行っていた。コレ自体は特別なことではない。気配探知と隠形の鍛錬は毎晩、というより時間を見つけてはやっている。そしてその成果も実感していた。


 ただ今晩の、特に隠形の鍛錬は、今までとは少し違う。今までは体外に漏れ出す氣を少しでも小さくすることが目標だった。これが隠形の基本なのだが、今夜からはさらに一歩進める。そしてそのやり方を教えてくれたのも剛だった。


『いいか、坊主。隠形はまず気配を消すこと、つまり体外に漏れ出す氣の量を最小にすることが基本だ。だがそれだけだと、勘の良い奴には気付かれることがある。不自然に気配が薄いってヤツだな。何も感じないのが、逆に不自然って事だ。特に山林とかだとそういうことがある。じゃあ、どうすれば良いのか。逆転の発想だ。氣を隠すんじゃない。氣を似せる、もしくは混ぜるんだ。木を隠すなら森の中ってことさ』


 颯谷は剛の言葉を反芻する。彼が隠形の、いわば応用に入ろうと思ったのは、やはり昼間の野犬の群れがきっかけだ。この異界の中にいる脅威は怪異モンスターだけではない。そのことが彼の危機感を高めたのだ。


(まあ、正直言って……)


 正直に言って、隠形の応用ができるようになったからといって、それで野犬対策になるかと言えばたぶん違うだろう。隠形とはあくまでも「氣」を中心にした考えの枠組み。一方でイヌが優れているのは何より嗅覚。つまり臭いで探されたら氣を誤魔化しても意味がない。


 とはいえ臭い対策と言っても、今の颯谷にできることには限りがある。というか、風呂にも入れないこの状況で自分の臭いを誤魔化すなんて無理だ。相手がイヌならなおのこと。あるマンガでは動物の糞尿を使っていたが、それこそ風呂にも入れないのにそんなことはしたくない。


 だがその一方で、何もしないでいるのも辛い。それで隠形の応用に手を出したのだ。野犬相手では効果がないかもしれないが、モンスター相手なら効果がある。鍛錬自体は無駄にならないという見込みもあった。


 さて肝心の隠形の応用だが、剛はこの技術を「迷彩」と呼んでいた。迷彩のためにまず重要なのは、周囲の気配を良く知ること。似せる氣を良く知らなければならず、そのためには鋭敏な気配探知が欠かせない。颯谷もまずは周囲の気配をより詳しく探ることから始めた。


 探る範囲の半径は、だいたい五歩分。以前はこれが最大範囲だったが、今では安定して維持できる範囲になっている。その範囲内の気配を、颯谷は注意深く観察した。知っていることと、真似ること似せることはまったくの別。彼は感覚を研ぎ澄ました。


 そうしている内に、颯谷はあることを思いつく。昼間、彼は「手に氣を集めて刃を形成する」という運用を行った。だが氣を集めることができるのは手だけではない。肘でもいいし、足でもいい。なら目はどうだろうか。


(氣の可視化とか、できる……!?)


 その可能性に思い至り、颯谷はぶるりと身体を震わせる。彼は思わず目を見開いたが、当たり前に視界は真っ暗。彼はもう一度目をつぶり、気配探知は一時中断して、氣を両目に集める。そして再び、ゆっくりと目を開いた。


「ぉぉおう……!」


 変化は劇的だった。真っ暗だった視界に「氣」が可視化されてぼんやりと浮かび上がる。イルミネーションより淡い光で、玄道に見せてもらった蛍の光に近い。それは神秘的な光景で、颯谷は素直に「きれいだ」と思った。


 ただいつまでも見とれているわけにもいかない。颯谷は意識を引き戻した。そして改めて周囲を確認する。樹木などの輪郭がはっきりと見えるわけではない。だがゆっくりとなら歩き回れるのではないか。そう思えるくらいには視界が確保されている。


 さらに颯谷はその状態で自分の手元に視線を落とす。すると自分の氣も同じように可視化されている。それを見て、暗闇の中、彼は笑みを浮かべた。自分の氣と周囲の氣、見比べてみれば違いがよく分かる。


 そして違いが分かれば、似せていくことができる。しかも目の前にお手本があるのだから、イメージもしやすい。颯谷はゆっくりと自分の氣を周囲に同化させていく。もちろんいきなり上手くはいかない。だが颯谷は確かな手応えを感じながら鍛錬を続けた。


 さて、この目に氣を集める使い方だが、颯谷は昼間にも試して見た。だが夜に使った時のような劇的な効果はなかった。たぶんぼんやりとは見えているはずなのだが、太陽光のほうが強くてかき消されているのだ。昼間に月や星が見えないのと同じ理屈である。ただまったくの成果なし、というわけではない。


 氣がぼんやりとしか見えないのは、要するに量が少ないからだ。逆に言えば、それなりの量が外へ放出されていれば、それは昼間であっても目に氣を集中させることで捉えることができる。そして異界の中にはそういう存在が多数いた。


 言うまでもなくモンスターである。目に氣を集める使い方はモンスターの早期発見、つまり探知能力の向上に役立ったのだ。また同じモンスターであっても、小鬼と中鬼ではやはり違いがある。それで小鬼に対してはより遠くから気配を隠すことで奇襲の成功率が上がり、中鬼に対しては気付かれる前に離れることで危険が減った。


「疲れやすいのが、ちょっと困るけど……」


 目と頭の奥に“ずぅん”と重いモノを感じるので、颯谷は水場で腰を下ろして休憩を取る。目と頭が少し軽くなると、彼は立ち上がって水を飲み顔を洗った。ちなみに少し後のことになるが、彼はこの氣の使い方に「凝視法」と名付けた。


 凝視法は集中力がいるし、氣の使用量も多くなる。それが疲労として蓄積していく。ただそうだとしても、颯谷はこの使い方を止めるつもりはなかった。メリットとデメリット、あるいはベネフィットとリスクを考えてみると、メリットやベネフィットの方が大きいのだ。


 実際、不意の遭遇戦や全力で逃走する回数は明らかに減った。そこでいわば無駄に消耗していた体力のことも合せて考えれば、収支はむしろプラスではないだろうかとさえ思う。それに使い続ければいずれは慣れるだろう、という見込みもある。


「何事も鍛錬、だな」


 冷たい水を頭からかぶり、水のしたたる髪を掻き上げながら、颯谷は自分に言い聞かせるようにそう呟いた。鍛錬することが多くてイヤになる。そもそも最近は鍛錬しかしていない。


「なんてストイックな生活だろう、クソ食らえだ」


 肩をすくめながら、颯谷はそう愚痴る。クーラーの効いた部屋でダラダラと寝っ転がってゲームがしたい。夜遅くまで起きていて、朝は遅く起床しても死なない夏休みに戻りたい。肉が食べたい。ラーメンが食べたい。寿司が食べたい。風呂に入りたい。柔らかい布団に身体を伸ばして寝たい。


「はあ……」


 突発的に湧き上がってきたどうしようもない欲求を、颯谷はため息一つで散らした。ストイックなのは仕方がない。理解している。全ては生き残るためだ。助けが来ない異界の中で生き残るためには、できる事を増やして行くしかない。そしてそのためには鍛錬を続けるしかないのだ。


 また、凝視法を使ってモノを見ていたら、成果と言えるほどではないが、面白いことも分かった。普通の樹木と仙樹では、後者のほうが氣の量が多いようなのだ。そして仙果はさらにより多くの氣を内包している。少なくとも颯谷の目にはそう見えた。


(確か仙樹って……)


 仙樹は異界の外ではすぐに枯れてしまうという。仙果も同様で、こちらは急速に黒ずんで腐り、食べられなくなるという。だがその一方で異界のなかでは急速に成長する。颯谷も閉じ込められたその日に仙樹を見つけ仙果を食べている。これらの事実が意味することは一体何か。


「異界の中って、氣功的に言うとビニールハウスみたいなもんなのかな……」


 颯谷はそう呟いた。ちなみに温室ではなくビニールハウスと例えたのは、そっちのほうが彼にとって身近だったから。そしてそこからまた彼の頭の中で閃きが生じる。彼は顎先に手を当ててこう呟いた。


「ってことは、異界の中だと氣功能力が使いやすい……?」


 ただの憶測、思いつきだ。ただそう考えると、納得のいくことは多い。探知能力の成長速度や短時間で手刀を形成できたことなどだ。今までの成果の全てが自分の才能によるものではないかもしれないことに気付き、彼はちょっとガッカリした。


 だが客観的に考えて、少なくともネガティブな情報ではない。むしろポジティブな情報だ。この先、生き残ってこの異界を征伐するため、できるようにならなければならないことは多いだろう。それをやりやすくなるなら、それは前向きに考えていいはずだ。颯谷はそう思うことにした。


 探知能力を上げるのと同時に、颯谷は手刀のほうも磨きをかけている。これは彼が身につけた、現状唯一と言っていい武器。これが使い物になるかどうかは、彼の生存確率に大きく影響する。そして10日も経ったころには、やはり異界の中だからなのかは分からないが、手刀はかなり使い物になってきたと彼は感じていた。


「よしっ。また一撃だ」


 単独行動していた小鬼を一撃で倒すことができ、颯谷は満足げに笑みを浮かべた。今回は後ろから忍び寄り、手刀で小鬼の身体の真ん中を貫いた。2,3日前から、手刀を使った場合に小鬼を一撃で倒せる率がかなり上がってきた。


 慣れてきたおかげもあるのだろうが、やはり手刀の練度が上がってきたからだと颯谷は思っている。前は硬いモノ、たぶん骨に引っ掛かってしまうことが多かったが、今はそういう事が少ない。そういう事柄から、手刀が鋭さを増してきている、と彼は判断していた。


 その一方で手刀の欠点も分かってきた。一番気になっているのは間合いの狭さ。手刀の間合いは打拳とほぼ同じ程度しかない。だからいくら鋭くても、しっかりと踏み込まないと一撃では倒せない。


 この欠点を補うべく、颯谷は手刀の刃渡りを伸ばそうとしてみたことがある。手刀はいわばナイフだが、これを本当に刀にできないかと思ったのだ。だが結果は失敗。伸ばすこと自体はできたが、その状態を維持できなかったのだ。


 原因はたぶん、氣の量の不足。繋がっているとは言え、身体から離れた位置で氣を維持しようとすると、その要求量が指数関数的に増加することを、颯谷はこの時初めて学んだ。まだまだ氣の量が足りない。これでは大鬼も守護者ガーディアンヌシも、討伐するのは夢のまた夢だ。


「レベル上げしないと……」


 颯谷はそう呟いた。そしてレベル上げをする上でも、異界を征伐する上でも、避けては通れない相手がいる。中鬼だ。


 今までは徹底的に避けていた。挑んでも勝てないと思ったからだ。だがこのまま小鬼だけを狩り続けていても、氣の量はなかなか多くならないだろう。


 それに生き残るためには、中鬼よりも強いモンスターとも戦わなければならない。小鬼は結構安定して狩れるようになってきたし、そろそろ頃合いかとも思うのだ。


「中鬼かぁ……」


 颯谷は苦笑を浮かべた。彼の声には弱気が滲んでいる。中鬼というと、最初の夜のあのイメージが強い。あの時は戦うなんて選択肢、頭に浮かんでもこなかった。


 その後も見つかれば逃げ、見つければ逃げた。中鬼に対して逃げ腰になってしまっているというのは、彼自身も自覚している。そして同時に、いつまでも逃げてはいられないということも。


「ま、まあ、良さげなヤツがいたら、だな」


 いずれ中鬼と戦うことは否定せず、さりとて逃げ道を残しながら、颯谷はそう呟いた。要するに先送りだ。夏休みの宿題と同じである。後になって後悔するパターンが多いが、さて今回はどうだろうか。我が事ながら颯谷は苦笑を浮かべた。


「にしても、夏休み、か……」


 やや寂しげに颯谷はそう呟いた。異界に閉じ込められたのは夏休みに入ってすぐだったが、夏休みはもう終わってしまっただろうか。日付の感覚はもう曖昧になってしまっている。ただ朝晩は少し涼しくなってきたように感じる。


 新学期が始まれば、ニュースに興味のないクラスメイトや同級生も、颯谷のことを知るだろう。教室の座席は常に一つ空く。悪ふざけでそこに花を飾るヤツがいるかもしれない。それを咎める人はいるだろうか。


「……っ」


 押し寄せてくる寂しさを、颯谷は必死にかみ殺して呑み下す。涙の一滴でも流せば、何かが決壊してしまうように思えた。


「フーッ、フーッ」


 荒い呼吸を繰り返して感情を抑える。目元に溜まった涙を乱暴に拭うと、颯谷は顔を上げた。必ず、生き延びる。その決意を新たにして、彼はまた歩き始めた。


颯谷「夏休みの宿題は、こまめにはやるけど、最後まで残しちゃうタイプでした」

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― 新着の感想 ―
[気になる点] この時点の颯谷は、征伐隊でいうところの後方支援隊レベルの強さでしょうか?まだ中鬼は倒せないですし。
[一言] 時々思い返しながらも実しか食べないなどのストイックな生活を続けられる精神力があるのはいいですね 上達などの達成感があるからこそのギリギリなんでしょうけど
[一言] お、凝だ。 能力者バトルの基本能力だからその内役に立つんだろ。
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