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異界は今日も群青色  作者: 新月 乙夜
ひとりぼっちの異界征伐
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群青色の希望


 やはり命の危険が差し迫った状況だと、潜在能力が解放されるのだろうか。颯谷は10日ほどで気配探知を最低限と自分が思えるレベルに仕上げた。途中、雨が降った日もあったのだが、結果的にはそれが良かったのかも知れない。その時は濡れるし足下はぬかるむしで良いことなどないと思ったのだが、その分だけ腰を据えて鍛錬ができた。


 探知できる範囲は、半径でおよそ五歩分。もちろん常に円形で探知できるわけではないし、平均を取ればもっと狭いだろう。ただこればかりやっているわけにもいかない。鍛錬は続けるが、集中的にやるのは区切りを付けることにした。


 ともかく気配の探知は形になった。では自分の気配を隠すのはどうか。鍛錬を始めた三日目から、颯谷はこちらも並行して鍛えていた。隠形の鍛錬をしていたのは主に夜。暗闇の中、必死に息を殺しながら、彼は自分の気配を抑える術を手探りで身につけていった。


『隠形、つまり自分の気配を隠すって言うのは、一言で言えば無意識のうちに漏れ出す氣を可能な限り絞るってことだ。そうすることで、その氣を探知されにくくするんだ』


 そう教えてくれたのも剛だ。ちなみに漏れ出す氣を完全にゼロにすることは基本的にできない。それは言ってみれば呼吸を止めることに等しく、短時間ならば可能だがずっとは不可能なのだ。それで剛の言っていたように、できる限りゼロに近づけることが最初の目標になる。


 颯谷の感覚で言うと、隠形はそれほど難しく無かった。なぜかというと、そもそも彼の保有する氣の量が少なかったからである。つまり無意識のうちに漏れ出す量も少なく、絞る量も少なくて済んだのだ。もともとの難易度が低かったのである。


 そのおかげで、颯谷は少しずつ夜に眠れるようになった。姿勢や寝床の問題もあり、ぐっすりと長時間、というわけにはいかない。だが一睡もできないということはなくなり、それがコンディションとパフォーマンスの維持に繋がった。


 だがこの先、レベル上げをして氣の量が増えていくと、その分だけ隠形は難しくなっていくことになる。しかしだからといって氣の量を増やさないという選択肢はない。氣の量に合せて鍛錬を続けていくしかないのだ。


「よし、いこう」


 朝食代わりの仙果を食べ終えると、颯谷はそう呟いて立ち上がった。今日からレベル上げ中心にシフトしていく。つまり自分から積極的にモンスターを探し、そして討伐していくのだ。彼はそう決めていた。


 獣道すらない山の中を歩きながら、彼は神経を研ぎ澄ませて周囲の気配を探る。そうやってモンスターを探すのだ。もちろん周囲に気配(氣)は幾つもある。だが植物は動かない。だから動いている気配があれば、それはモンスターか動物だ。さらにモンスターの気配はこの数日でだいたい覚えた。モンスターと動物の区別はつく、はずだ。


 さらに颯谷は主に前方の気配だけを探っていく。方向を絞ることで探知できる距離を伸ばしているのだ。これは剛から教わったやり方ではなく、自分で見つけたやり方だ。もっとも元ネタはサブカルチャーだし、そちらの元祖ネタは能力者関係だったはずなので、ある意味では還流してきたと言えるかも知れない。


 まあそれはともかく。拾った木の枝を手に歩いていると、颯谷の耳が沢の流れる音を捉える。彼がそちらに足を向けると、徐々にそこへ小鬼が騒ぐ声が混じりはじめる。彼はスッと視線を鋭くし、気配を隠しながら沢へ近づいた。


「ギギィ!」


「ギィ、ギィ」


 沢にいたのは二体の小鬼。沢で捕まえたのだろう、魚を食っている。それを見て颯谷は顔を険しくした。今まで倒してきた小鬼は全て単独行動していたところを奇襲して倒している。複数の小鬼を一度に倒したことは、まだない。


「……っ」


 脳裏によみがえるのは初戦の苦い記憶。颯谷は努めて自分を落ち着かせた。あの時は三体。今は二体。それにこの先ずっと、複数のモンスターを避けていくわけにはいかないだろう。今回はむしろチャンスだ。彼は自分にそう言い聞かせる。


 気配を隠しながら、颯谷はジリジリと距離を詰めていく。小鬼たちに気付いた様子はない。木の棒を握る手にも力がこもる。そしてあと数歩というところで、一体の小鬼が不意に彼の方に振り向いた。彼の気配に気付いたわけではない。だが目が合った。


「っ、うぁあああああ!」


 気付かれた。だが颯谷は退かなかった。悲鳴のような雄叫びを上げ、棒きれを振り上げて突撃する。バシャバシャと沢の水を跳ね上げながら、彼は一気に距離を詰める。驚いているのか、小鬼たちの動きは鈍い。その隙につけこみ、彼は最初の一撃を喰らわせた。


 奇襲はかろうじて成功した。だがまだ小鬼は一体も倒せていない。初戦と同じ轍は踏まないよう、颯谷はすぐに二発目を繰り出す。その攻撃も当たったが、小鬼はまだ倒れない。さらに無傷のほうの小鬼が彼に襲いかかる。


「ギギィィ!」


「っく、この!」


 飛びかかってきた小鬼を引き剥がして地面に叩きつける。水が跳ねて飛沫が上がり、颯谷の顔にかかった。彼は思わず顔をそむけそうになりながら、小鬼を力任せに蹴り飛ばす。そうやって距離を開けてから、彼は一体目の小鬼に三発目を叩き込む。小鬼は沢のなかに倒れ込み、そのまま黒い灰のようになって崩れ落ちた。


「ギィ! ギギィ!」


 蹴り飛ばした小鬼が犬歯を剥き出しにして威嚇する。颯谷は臆することなく向かい合った。小鬼が一体だけならこれまでに結構な数を倒している。リーチ差を生かしつつ、彼は落ち着いて戦うことができた。そして何度目かの突きが決まると、ようやく小鬼は黒い灰のようになって崩れ去った。


「ふう……、やった……」


 二体の小鬼の討伐が終わり、颯谷は大きく息を吐いた。喜びよりは安堵が先に来る。足下を見ると、水と泥で靴がグチョグチョだ。靴の中の水っぽい感じに、彼は苦笑を浮かべた。


 たいへん気持ち悪いが、ここで靴を洗ってもたぶん同じことなので、足下のことは一旦棚上げする。視線を靴から動かすと、今度は小鬼が貪っていた魚の死骸が目に入った。それを見て颯谷はちょっとせつない気持ちになった。


「ヤマメか? これ……」


 祖父の玄道が釣って来て、塩焼きにして食べさせてもらったのを思い出す。けっこう美味しかった。そのヤマメを小鬼が食べていた。一方で颯谷は異界に閉じ込められてからこれまで、仙果しか食べていない。


「小鬼のほうが良いモン食ってる……」


 もちろん生のヤマメを食べたいわけではない。ただ「仙果さえ食べていれば死なない」というが、さすがに飽きてきたのだ。ヤマメの塩焼きの味を思い出して、彼の口の中に唾液が溢れた。


 思わず沢の流れを目で探る。小鬼が食っていたということはいるはずなのだ。ここに、ヤマメが。火は熾せるのだし、捕まえれば焼いて食えないだろうか。そんなことを超特急で考え、しかし彼は首を横に振った。


 川魚を捕まえて食べなければ飢えて死ぬ、という状況ではないのだ。生き残るために必要なのは氣功能力を鍛えることで、そのための時間が食事のために潰れるのは避けたい。それに火を焚けばモンスターが寄ってくるかも知れない。そういうリスクを負ってまで焼き魚を食べたいわけではなかった。それにいま気付いたが、塩もないし。


「食べるのは、仙果だけでいい」


 颯谷はそう決めた。食事がただの栄養補給というか、燃料補給になってしまうが、それも生き残るためだ。そしてそう決めてから、改めて小鬼が貪ったヤマメの死骸を見る。腹部が大きく食い千切られている。彼自身、こうなるかもしれない。「死ぬもんか」と小さく呟いてから、颯谷はその場を離れた。



 § § §



「ソウ……、生きてるかぁ……?」


 颯谷の祖父、桐島玄道は避難先のアパートのベランダから自宅の方角を眺めてそう呟いた。一日のうちに何度も彼はこうしている。いや、こうしてしまう、と言うべきか。彼の視線の先では、群青色をしたドーム状の異界が、今日もかわらずそこに鎮座している。


 玄道の自宅のすぐ近くに異界が顕現したのは、およそ二週間前のことである。幸いにして自宅は異界の内側に取り込まれず、家にいた彼も難を逃れた。しかし彼はそのことを少しも喜べない。その時、孫の颯谷が裏山に入っていて、そのまま異界に呑み込まれてしまったのだ。


『ソウ! どこだ、ソウ!?』


 あの日、家から飛び出した玄道は必死に颯谷を探し回った。異界の中には入れないが、その境界に沿って歩き、孫の姿を探したのだ。しかし彼の姿はどこにもない。異界の群青色が、心底恨めしかった。


 やがて警察が来てすぐに避難するように言われた。だが玄道はなかなかそこから動くことができなかった。彼は避難を促す警察官にこう懇願した。


『孫が、孫がいないんだ! なあ、探してくれよ!? どこかにいるはずなんだ。異界の中になんて、いるはずがないんだ……!』


 警察官が捜索を約束してくれたので、玄道は断腸の思いでその場を離れ、一時避難所へ向かった。その日の夜には県が借り上げたホテルに移り、さらにその三日後には避難先として用意されたアパートに入ることができた。迅速な対応だと言っていい。だが玄道の心は少しも晴れない。


 結局、颯谷は見つからなかった。他に行方不明者はおらず、ドーム状の異界の色は今も群青色のまま。それで彼は異界の中に取り残されてしまったのだと結論された。その結論を伝えられた時、玄道は膝から崩れ落ちた。


『なあ、助けてくれよ……! なんであの子が、二回もこんな目に遭わなくちゃいけないんだ……!』


 結論を伝えに来た担当者に、玄道は縋り付くようにしてそう言った。無理な話だと自分でも分かっている。群青色の異界には何人たりとも立ち入ることができない。だがそれでも。「はい、分かりました」と冷静に受け止めることなど、彼にはできなかったのだ。


 今からおよそ5年前。颯谷が9才のとき、彼と両親は異界顕現災害に巻き込まれた。そしてその災害で彼は両親を失った。その時にどんなことがあったのかを、彼はあまり話そうとしない。玄道も強いて聞こうとはしなかった。ただ「モンスターに襲われた」とだけ聞いている。


 この国で、いや日本だけではない。例えば中国やインドネシア、トルコなどでも、異界顕現災害で肉親を亡くす例は多い。「ありふれている」というほど頻発しているわけではないが、例外的と言えるほど少なくはない。犠牲者の数はケース毎に大きな差があり、数人程度のこともあれば数万人規模にまで膨れ上がることもある。それが異界顕現災害だった。


 今回のケースで言えば、異界の中に取り残されたのが一人だけだったというのは、むしろ幸運だったと受け止められている。犠牲者が少なくて済むからだ。もちろんそんなことを馬鹿正直に発言する政治家やコメンテーターはいない。だが彼らがそう考えていることは言葉の端々から感じられる。少なくとも玄道にはそう思えてならなかった。


 政府を含め、世間はすでに氾濫スタンピードに備えている。報道もそちらが中心だ。そのことも玄道にとっては苦々しい。ホテルで見たある報道は、彼にとってはらわたの煮えくりかえる思いだった。


『懸念されるのはスタンピードですが、国の対応はどうなっているのでしょうか?』


『関係筋の話によると、三日ほどで部隊の展開は完了するとのことです』


『三日ですか。間に合って欲しいですね』


 その発言は、完全に颯谷の死を前提にしているものだった。それどころか「三日ぐらいは耐えてから死ね」と言っているようにさえ聞こえる。玄道は必死に自分を抑えなければならなかった。


 分かっている。異界の中、たった一人で取り残され、そこから生き残るのがどれだけ困難な事か。冷静に考えればまず生き残れない。遅かれ早かれ死ぬだろう。その公算が極めて大きい以上、その後のことに備えるのは当然だ。


 だがそれでも。颯谷がすでに死んだものと扱われていることが、玄道にはひどく辛い。両親を異界の中で失い、颯谷自身も異界に殺されようとしている。そして玄道にとっても息子夫婦を異界顕現災害で失い、そして孫までも奪われようとしている。そんな理不尽がなぜ許されるのか。


 玄道はひどく落ち込んだ。食事も喉を通らず、このまま死んでしまおうかとさえ思った。そんな彼を踏みとどまらせたのは、皮肉にも異界だった。異界は今日も群青色。つまりまだ颯谷は生きている。生きて、足掻いて、生き延びようとしているのだ。


 それなのに玄道が諦めてしまうわけにはいかない。颯谷が異界を征伐したとき、彼を出迎えてやれるのは玄道だけなのだ。


 朝、カーテンを開けるのが怖い。もしも異界の色が黒くなっていたらと思うと気が狂いそうになる。いつ黒くなるのか、そう考えると気が気では無い。だがそれでも。群青色の異界が彼の希望だ。


「ソウ……、頑張れよぉ! じいちゃん、待ってるからなぁ……!」


 その希望があるかぎり、玄道は耐えられる。


玄道「ワシが先にくたばるわけにはいかんのだ!」

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― 新着の感想 ―
お爺ちゃんの周囲の状況、国や自治体等の動き、お爺ちゃんの心理描写…よく練られていて、共感できる点も多い 各話に点数をつけるなら、1番点数が高いのはこの話ですね
木の枝よりましな武器はいつになるのか。
センカだけに絞った判断はストイックかつ英断でしたね 群青である間は孫が頑張っているのがわかるわけで、そこが救いかな。 爺様の情緒にお見舞いと励ましを。
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