セミナー3
セミナー二日目の午前はこれまでに確認された怪異の特徴や対処法が扱われた。この講義では主に実例を上げながら、実際にどう対応してきたのかその経験知などを学ぶ内容となっている。
「まずモンスターとしての特徴はフォルムに大きな影響を受けます。簡単に言えば、二本足であれば人間を含む霊長類に近い動きをしますし、四本足であれば獣のように動きます。翼や羽があれば飛ぶことが考えられますし、甲殻があれば防御力が高いといった具合です」
講師役の二尉の話は、「それはそうだろう」と思うが、あまりにも当たり前のことに思える。だがこれはまだ導入だ。
「つまり、そのモンスターに似た現実の動物、昆虫などからその特徴を推察できるということです」
例えば視界。人間の視界は前方が良く見えて距離感が分かりやすいようになっている。人間とフォルムが似たモンスター、例えば大中小の鬼も同様の視界であると推測できるわけだ。確かに背後からの不意打ちが有効だったことを思い出し、颯谷は小さく頷いた。
他方、例えば鹿やウサギなど、顔の側面に目がついている場合、視野が広くて側面もカバーされている。すると鹿に似たモンスターなどは視野が広いと推測できる。であれば不意打ちはし辛いかもしれない。
講義ではそのようなことが扱われ、半分は生物の講義でも受けているようだった。また初見のモンスターを相手に、フォルムからその特徴について読み解く方法も学ぶ。もちろん分かることには限りがあるが、どういうところに注目すれば良いのか、そのポイントを教えてもらった。
(とりあえず全部ぶった斬ればいいんだろ?)
そう思ってしまった颯谷は疲れていたか、もしくは研究者としての資質がないのだろう。
午後の講義では怪我をした時の処置方法など学ぶ。座学ではどういう場合にどの道具をどう使うのかを教えてもらった。そしてその後で、実際に自分たちでやってみる。颯谷は包帯を巻くのが下手で、もたついていたら「はい、出血多量で死亡~」とか言われてしまった。
「ってか、今回はアレやらないんだな」
「アレって?」
「ステーキ肉を使った、傷口の縫合の練習」
「そんなことまでするんですかっ!?」
「するよ。医者なんていないんだから。全部自分たちでやらないと」
「おっちゃん、結構上手いんだぞ。やってやろうか?」
「遠慮しておきます!」
颯谷は必死になって遠慮した。ちなみにリラックスしてくると、こんな裏話も教えてくれる。
「消毒用とか言って、ウィスキーとか焼酎持ってくる奴がいるんだよ」
「いるいる。主に食道と胃の消毒用」
「え、それって……」
「いいか、“消毒用”だからな。“消毒用”」
「……業が深いっスね」
颯谷がしみじみそう言うと、相手は肩をすくめていた。彼がお酒を持ち込んだことがあるのかは別としても、一杯か二杯、ともすれば三杯か四杯くらいはもらったことがあるのかもしれない。
セミナー三日目の午前はサバイバル関連の知識を座学で学ぶ。防衛軍が提供している背嚢の中身についても解説してもらった。風邪薬も入っていて、颯谷は「さすが」と大きく頷いた。
講義の中では情報収集に使われるドローンについても扱われていた。パソコン関係の話も多く、サバイバルという字面から連想するよりずっとテクニカルな講義だった。
昼食は飯盒を使って自分たちで作る。メニューはカレー。キャンプみたいで結構楽しかった。火起こしからやるのだが、さすがにライターやマッチを使う。その際、着火剤についても実物を使っていろいろ教えてもらった。文明の利器を使用した火熾しを体験し、颯谷は感動に打ち震えた。
「着火剤とマッチ、楽すぎる……!」
「桐島は、どうやって火を熾していたんだ?」
「枯れ枝を拾ってきて、それを薪にしてましたね。濡れてると火が付かないし、生木はちょっと置いといたくらいじゃ乾燥しないし、結構大変でした」
「……火種はどうしたんだ?」
「こうしましたけど?」
そう言って颯谷は指先に火を灯して見せる。それが外氣功の応用であることは、その場にいる者なら誰でも分かるだろう。だが多くの者が息をのんだ。微妙に張り詰めた空気の中、首をかしげる彼に受講者の一人が躊躇いがちにこう尋ねた。
「それって、攻撃に使えたりするのか……?」
「いえ、まさか。そんな火力を出したら、コッチが干上がっちゃいますって」
颯谷は笑いながらそう答えたが、「本当に?」みたいな顔をしている受講者が多い。とはいえフリーズしていてもカレーは完成しないので、受講者たちはポツポツと自分の作業に戻っていった。ちなみにカレーは(雰囲気込みで)結構おいしかった。
そして午後からは午前に習った知識を演習場で実際に試していく。ドローンの操縦や集めたデータの処理などは見ているだけだったが、テントの張り方、片付け方などはとても役立ちそうだった。
「テント……! これがあったらなぁ……!」
「桐島はどうしてたんだ?」
「基本野ざらし。雨風防げたら最高!」
「……苦労したんだな」
同情された颯谷だった。苦労したのは事実なので、彼も大きく頷く。ただ、テントがあっても早い段階でモンスターにダメにされていたような気もする。そう思い、彼は内心で肩をすくめていたりもするのだった。
セミナーの四日目と五日目はオリエンテーリング。受講者たちは朝から準備を整えて演習場の一角に集まった。その中には颯谷もいる。彼は半長靴と長袖の迷彩服、それにヘルメットという姿。すべて道場を通じて注文した、国防軍の制式採用品である。同じ格好の受講者は多い。国防軍主催のセミナーなので、その辺を勘案したのかもしれない。
さてオリエンテーリングとは簡単に言うと、地図とコンパスを頼りにいくつかのチェックポイントを回る競技、もしくは訓練である。今回は国防軍の野外演習場を使ってこのオリエンテーリングが行われる。
参加者たちにはまず背嚢が配られた。ここには食料などの基本的な物資が入っている。それから彼らは、それぞれ3~4人ほどの組になった。そのグループでこのオリエンテーリングに挑むのだ。
ただ参加者のほとんどは素人。下手をすると迷子になって帰ってこられなくなるので、それぞれの組にはインストラクター兼サポーターとして本職の軍人が付きそうことになっていた。軍人には無線機と発信機が渡されていて、何かあった場合にはすぐに救助できる体制が整っている。
「颯谷君、よろしく」
「こちらこそ」
颯谷は小野寺健太と同じ組になった。三人目は佐々木大輝といって、異界征伐に参加したことはなく、オリエンテーリングも初参加だという。付き添ってくれる軍人の名前は原正、階級は軍曹だった。年齢は三十代の半ばか。経験豊富そうに見える。彼は三人の素人にまず地図を見せてこういった。
「これが、私たちが回るチェックポイントになります。まずどういうルートで回るのかを決めてください。……あまりに無茶苦茶なルートはやめてくださいね。二日間で戻ってこられるルート設定にしてください」
後半部分は冗談めかしていたが、だからこそ切実さが伝わるような気もした。ともかく颯谷たちは地図を囲んで座り、あーだこーだ言いながらルートを決めた。もっともルートは正から散々にダメだしされる。
曰く「ここは等高線が密になっている。つまり勾配がきつくて通るのには向かない」
曰く「ここはアップダウンが激しすぎる。もっと歩きやすい場所を選んで」
曰く「時間的には、たぶんこの辺りで夕方。テントを張れそうなところはある?」
曰く「……」
指摘される度にルートを直すこと十回以上。ルート設定だけでだいぶ時間を使ってしまった。すでに大半のグループが出発している。ただ最後ではなくて、そのことにちょっと安心した三人だった。そしていよいよ演習場の森の中に入る。その手前で正は三人に声をかけてこう言った。
「さてこれから森の中に入るわけですが、今わたしたちは現在地がはっきりと分かっています。だから地図上で現在地を確認し、コンパスで方位を確認し、その方角へまっすぐに歩いていけば最初のチェックポイントにたどり着ける、ということになります。ですが森の中、整備された道もないのにまっすぐ歩くなんてことは人間にはまず不可能です。かといってずっとコンパスを睨みながら歩くのも現実的ではない。ではどうすればいいと思いますか? はい、桐島君」
「が、がんばる?」
「はい、君は遭難しました」
「遭難します」ではなく「遭難しました」というところがミソだろう。なかなか厳しい。肩を落とした颯谷を無視して、正は次に健太に意見を求める。彼は少し考えてからこう答えた。
「……目印となるモノを定め、そこへ向かって歩く、ということができます」
「良いですね。ですがそうやって歩いても、必ず誤差は出ます。その誤差をどう修正しますか、佐々木君」
「……最初からズラしておき、例えば川に出たら川沿いに西へ、と言った具合にプランを立てて置けば誤差は修正できると思います。あるいは高い位置から双眼鏡などでチェックポイントを目視できれば、そこで誤差を修正可能です」
「なるほど。ではそれらを勘案し、最初のチェックポイントへどう向かうのか、計画を立ててみましょう」
そう言われ、颯谷たちはまた地図を手にあれこれと話し合った。そしていよいよ木々が生い茂る森の中へ入っていく。颯谷も最初は緊張していたが、周囲にモンスターがいないことも思い出し、歩いているうちに緊張はほぐれていった。ただ背嚢の重さは変わらない。こちらはなかなか足にくる。
(ぐぬぬぬ……)
四人の体つきを比べると、颯谷が一番線が細い。つまり筋肉量が少なくて体重も軽い。体重比でみて背嚢をより重く感じるわけだ。他の三人のペースが特別に速いわけではなかったが、それでも彼は遅れ気味だった。
(仕方ない……!)
足を引っ張るわけにはいかないと思い、颯谷は氣功能力を使い始めた。内氣功による身体能力の強化だ。ただし全力は出さない。氣功的な意味で息切れしてしまうわけにもいかないからだ。低出力で長く使うことを意識しながら、彼は木々の間を歩いた。
途中、何度も正からアドバイスをもらいながら、四人は最初のチェックポイントに到着。時間的にもちょうどいいということで、彼らはそこで昼食にした。ただ火を熾すわけではない。食べるのはレーション。正は「いい経験になりますよ」と笑っていて、颯谷はその意味をすぐに理解することになった。
「う~ん、微妙……」
颯谷は眉間にシワを寄せながらそう呟いた。美味しくはない。ただ不味いかと言われると、彼的にはそんなに不味いとも思わなかった。まあ、食べるのが苦痛なほど不味かったらさすがに現場から不満の声が上がるだろうし、改善されてきてこの味なのだろう。
「ところで原さん。一つ気になっていたんですけど、聞いていいですか?」
「なんですか?」
「スタンピード対策は主に国防軍がやっていますよね。異界の外に出てきたモンスターを倒しても、氣功能力って覚醒するんですか?」
「そういう話は聞いたことがありませんねぇ」
原軍曹は苦笑しながらそう答えた。彼自身、何度かスタンピード対策の最前線で戦ったことがあるという。だがこれまでに氣功能力は覚醒していない。そして覚醒したという話も聞いたことがない。
「それはやっぱり、銃器がメインだからですか?」
「どうでしょう……。異界の中と比べて銃器が効きやすくなっているという話は聞きますし、実際そうだと思います。ただ私はナイフで小鬼を倒したこともあるんですが、それでも覚醒はしなかったので、やっぱり外だと覚醒しないんだと思いますよ」
原軍曹は少し考えながら、自分の考えをそう話した。異界の外であってもモンスターを倒せば氣功能力に覚醒できるのであれば、軍には多数の能力者がいるだろうし、彼らを駆使して異界征伐も行えるだろう。だが現実にそうなっていないということは、つまりそういうことなのだ。考えが浅かったな、と颯谷はちょっと反省した。
さて手早く昼食を食べてから、四人はまた歩き始めた。目指すのは二つ目のチェックポイント。素人だった三人も徐々に慣れていき、何とか時間内にオリエンテーリングを完走することができた。
オリエンテーリングが終わると、セミナーも終了。受講者たちは解散となった。希望者は風呂に入れるというので、颯谷も泥と汗を流してから帰路につく。バイクを走らせ、家が見えてくると、不覚にもなつかしさがこみ上げてきた。
「ワン、ワン、ワン!」
家の敷地に入ると、気付いたマシロたちが駆け寄ってくる。颯谷はバイクから降りると、三匹の頭をワチャワチャと撫でてやった。そしてマシロたちが騒いだのを聞きつけたのだろう。玄関から玄道が顔を出し、颯谷を見つけて破顔した。
「おう、ソウ。おかえり」
「ただいま、じいちゃん」
こうして颯谷のセミナー受講は終わった。なお、学校に提出するレポートはまだ終わっていない。
飲兵衛「いっそスピリタスのほうが説得力があるか?」