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異界は今日も群青色  作者: 新月 乙夜
ひとりぼっちの異界征伐
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気配を探る


 炎から少し離れて、颯谷はその明かりをぼんやりと眺めている。薪をくべるのにこの距離は不便なのだが、夜とは言え今は夏。これ以上近づくと暑いのだ。


 颯谷は暇だった。薪を探している最中、枝ごと折って確保しておいた仙果を食べてしまうと、本格的にやることがなにもない。氣功の鍛錬でもすればいいのかもしれないが、そんな気力も今はわかなかった。


 今は何時だろうか。スマホも持たずに裏山に入ったので、時間も分からない。揺れる炎を眺めていると、まとまらない思考が浮かんでは消える。彼は立ち上がり、薪を炎にくべると、もとの位置に戻ってまた座り込んだ。


(本当に……)


 本当に自分はこの異界の中で一人きりなのだろうか。そんなことをぼんやりと考える。もしかしたら熟練の能力者が一緒に巻き込まれていて、そいつが異界を征伐してくれるとか、そんな展開はないだろうか。


 それを否定する要素は、今のところない。だからそういう展開があってもおかしくはない。ただ自分でそう考えつつも、それが都合の良い妄想だと彼は自覚している。でもそんな都合の良い展開になればいいのにと思うのは止められない。


 能力者としては駆け出しで、歳だって少し前に14才になったばかり。そんな自分がたった一人で異界征伐なんてできるのだろうか。昼間は「やってやるっ」と気炎を吐いたが、夜こうしていると不安ばかりがこみ上げてくる。


(せめて……)


 せめて味方が欲しい。それもできることなら頼れる味方が。そう思わずにはいられない。ただいたとしても、この状態から合流するのはお互い非常に難しいだろう。だからどうしても当面は、一人で生き残らなければならない。


「はぁ……」


 颯谷はため息を吐いた。何を何度考えても、現状もやるべきことも、そしてやらなければならないことも、変わらない。颯谷はうなだれた。うなだれ、徐々にまぶたが重くなる。やがて浅い寝息を立て始めた。


 客観的に見て、彼に休息が必要なのは明らかだろう。だが残念なことに、彼は十分に休むことはできなかった。敏感になっていた彼の感覚が、近づいてくる僅かな揺れを捉えたのだ。彼はうっすらと目を開く。炎は小さくなっていて、夜闇の勢いが強い。そして暗闇の向こうから姿を現わしたのは、数体の小鬼と一体の大きな鬼だった。


「…………っ!?」


 颯谷は声も出せずに硬直する。そんな彼に気付いているのかいないのか、大きな鬼は手に持った太い木の棒を振り上げ、弱々しく燃える炎へそれを叩きつけた。ドゴンッ、と鈍くて大きな音が響き、火のついた木の枝が周囲に散らばる。そのせいで明かりの届く範囲が広がったのかもしれない。大きな鬼の赤い目が颯谷を捉え、ギロリと睨んだ。


「グゥォォォオオオオ!!」


「うわぁああああああ!?」


 威嚇の咆吼に、颯谷は悲鳴をあげて跳び上がる。彼はなりふり構わずに逃げ出した。夜の闇の中へ。その帳が自分の姿を隠してくれることを期待して。あちこちに身体をぶつけ、転んでは地面と斜面を転がる。どちらに逃げているのかなんて分からない。あの大きな鬼から遠ざかることができているのかさえ定かではない。それでも彼は足を動かした。


 やがて動けなくなると、颯谷はその場にうずくまった。怖い怖い怖い。ただそれだけが彼の心を支配する。明かりが何一つない闇の中では、自分の輪郭さえ夜に溶けていきそうだ。いや、いっそその方が良いかもしれない。そうすればモンスターに見つかることはないだろうから。


 結局、颯谷はその晩それから一睡もできずに朝を迎えた。群青色の空が白んでくると、彼はすぐに周囲を見渡してモンスターがいないかを確認する。モンスターの姿がないことを確認すると、彼はようやく安堵の息を吐いた。


「ああもう、くっそ……。身体痛ってぇ……」


 固まってしまった身体を、立ち上がってほぐす。それでも痛みは残ったが、颯谷はその場から動き始めた。身体はキツいがメンタルもキツい。そして何かしていたほうが、メンタルは少しマシになるのだ。


 仙樹を探し、仙果を採って食べる。お腹に食べ物を入れると、気分は少しだけ落ち着いた。「仙果さえ食っていれば死なない」。剛の言葉をまた思い出す。本当にその通りだな、と思って颯谷は小さく笑った。


(あの鬼は……)


 仙果を食べながら考えるのは昨夜の大きな鬼のこと。冷静になってよくよく思い出していると、あの鬼は力士くらいの大きさだったように思う。つまりあの鬼は大きかったとはいえ中鬼だ。


「あれで中鬼かぁ……」


 颯谷は嘆息気味の苦笑を浮かべた。朝食代わりに仙果を二房食べると、颯谷は「さて」と呟く。また1日が始まる。また今日1日を生き延びなければならない。そして先は長い。長すぎる。


 昨日はなんとか生き延びることができた。だが昨日のようなやり方では、遠からず破綻するだろう。自分の輪郭さえ分からない闇の中、一晩恐怖に震えていた経験が、彼にそれを確信させる。


『できる事をするんだ。そしてできる事を増やすんだ。それができたヤツだけが、生き残ることができるんだ』


 剛の言葉を思い出す。昨日、颯谷は自分にできる事をした。だが今後もその範囲内でやろうとしても生き残れない。昨日はレベル上げが必要だと思ったが、それ以前の問題だ。昨晩でそれがよく分かった。であるならば。できる事を増やすしかない。


 ではどんな事ができるようになれば良いのか。いや、「できるようになればよい事」は多すぎる。何でもかんでもやろうとすれば、結局何一つできるようにはならないだろう。優先順位を定める必要がある。今まずできるようにならなければならない事。それは何か。


 颯谷は腕を組んで考え込む。彼が出した答えは「モンスターの気配を探ること」と「自分の気配を隠すこと」だった。


 モンスターの気配を探ることができれば、いきなり鉢合わせして慌てなくても良くなるだろう。無理だと思えば、先んじて逃げることもできる。安全性は確実に上がるだろう。レベル上げもやりやすくなるに違いない。


 また自分の気配を隠すことができれば、その分だけモンスターに見つかりにくくなる。これもやはり安全性の向上に繋がるし、レベル上げの時には奇襲に役立つだろう。何より重要なこととして、コレができるようにならなければ、きっとゆっくり休むことができない。寝れない状態が続けば、そのうちそれが原因で死ぬだろう。


(間違いない)


 頭の奥に重鈍なモノを感じながら、颯谷は心の中でそう呟いた。昨晩の経験も踏まえ、颯谷は「モンスターの気配を探ること」と「自分の気配を隠すこと」、この二つの優先順位が高いと考える。ではどうすればそれができるようになるのか。そもそもの話、「気配」とはなんなのか。


 気配とは、辞書的には「何となく感じられる様子」を意味する。日常生活に落とし込んで考えてみると、「気配を探る」とは「小さな音や微弱な振動、感情の変化を感じ取ること」と言えるかも知れない。


 ただ颯谷は曲がりなりにも氣功能力者である。その彼が「気配」と言う場合、その意味合いは一般的なそれとは少し異なる。あくまでも「氣」が中心になるのだ。つまり「気配を探る」とは「周囲の氣を探知する」という意味合いになる。「気配を隠す」も同様で「氣を隠す」となる。


 そしてその方法を、颯谷は剛から教わっていた。彼が言うには、「基本となるのは氣を感じとる」こと。だからまず最初にやるのは「周囲の氣を探知できるようになる」ことだ。そして最も探知しやすいのは言うまでもなく自分の氣。つまりまずは「自分の氣をはっきりと感じ取ること」が最初になるのだが、これに関しては颯谷はもうできている。


 次のステップは「自分が触れている他者の氣を感じ取ること」。そしてその氣は、自分の氣と比べて性質が大きく異なっている方が感じ取りやすい。さらにその相手は人間である必要もない。そもそも氣とは生きとし生けるもの全てが、多かれ少なかれ持っているモノなのだ。ただし覚醒しているかは別問題になるが。


 それを踏まえると、このステップの修行方法としては、「樹木に触れてその氣を感じ取る」というものが浮かぶ。というか、そういう方法を颯谷は剛から教わった。そして、これも颯谷はもうできる。五年間、時間を見つけてはやってきた鍛錬の成果だ。


 さらに次のステップは「直接触れていない他者の氣を感じ取ること」。その距離と対象を徐々に増やして行くのがさらにその次だ。


 そして颯谷はここで躓いている。手で触っていれば樹木の氣も感じ取れるのだが、手を離してしまうと途端に探知が難しくなってしまう。現状、50センチも離れてしまうと感じ取れなくなってしまうのが、彼の探知能力の限界だった。


 そんな程度の探知能力では、この異界で生き残るためにほとんど役に立たない。昨日、特に夜、颯谷はそのことを痛感した。これを鍛えて使い物になるようにしなければ、生き残ることはできないだろう。


「よし。やろう」


 颯谷はそう言って立ち上がり、日差しを避けて木陰へ移動した。季節は夏。そして一日過ごして分かったが、どうやらこの異界は外の環境に大きく影響を受けるらしい。つまり異界の中も夏のように暑い。鍛錬は少しでも涼しい場所で行うべきだろう。


 ふう、と息を一つ吐くと、颯谷は手を伸ばして手頃な木の幹に触れた。それから薄く目を閉じて自分のものではない氣、つまり木の氣を感じ取る。それを感じ取ると、次に手を離し、徐々に遠ざけていく。手を遠ざけるにつれて木の気配は希薄になっていくが、颯谷は必死になって感覚を鋭くし、その気配をたぐり寄せた。


 鍛錬を始めて少しすると、颯谷はあることに気がついた。今までよりもずっと、気配の探知がしやすい。今までの鍛錬の成果がここへ来て開花したのだろうか。だがそれにしても急な成長具合に思える。ゲーム的に言うなら、まるでレベルアップしたかのような成長具合だ。


「昨日、小鬼を3体倒したから、か?」


 すぐに思い浮かぶ心当たりはソレだ。ただ「モンスターを倒すと氣の量が増える」とは聞いているが、「探知能力が向上する」という話は聞いたことがない。剛も「氣の量が増えると、自分の存在感が大きくなってしまって、周囲の氣を探ったり、自分の氣を隠したりするのはかえって難しくなる」と言っていた。「だからこそ鍛錬に終わりはない」とも。


 それで言うなら、颯谷の探知能力はかえって低くなっているはず。だが実際には逆のことが起こっている。自分に起こっていることを上手く説明できなくて、颯谷はなんだか歯の間にエノキの繊維が挟まったような気分だった。


「……まあ、とりあえずいいや」


 長々と考え込んでしまう前に、颯谷は頭を切り替えた。起こっているのはマイナスになるわけではなく、むしろプラスになる。なら今はあれこれ原因を考えるよりも、鍛錬に集中するべきだろう。そう考えて彼は鍛錬を再開した。


 ただ、ずっと同じ場所で鍛錬を続けたわけではない。意図的に場所を変えつつ、彼は鍛錬を続けた。それは仙果を確保するためで、またモンスターに見つからないようにするためだった。


 ただモンスターに見つからないようにしていても、エンカウント率はゼロにはならない。モンスターに遭遇してしまうことも、モンスターを見つけてしまうこともある。


 そういうとき、颯谷はだいたい逃げた。脇目もふらず全力で走るのか、息を殺してこっそりとその場を離れるのかは状況次第。ただ比率としては後者のほうが倍以上多く、「さっそく鍛錬の成果が出ているのでは」と彼は前向きに考えるようにしている。


 逃げないパターンもある。小鬼が一体だけで、しかも奇襲できそうな時だ。そういう時は逃げずに奇襲する。奇襲が成功すれば簡単に倒せるし、失敗して気付かれてもメンタルが戦闘状態になっているので戦える。そして戦えば、実際のところ手こずることはほとんどなかった。


 ただ小鬼が一体だけでも、鉢合わせの遭遇戦だと腰が引けてしまう。「異界二日目にして悪いクセができてしまったなぁ」と颯谷自身も内心でぼやき気味だった。ただ不意の遭遇だと本当に小鬼が一体だけなのかは分からない。近くに別のモンスターがいるかも知れないのだ。


「安全第一」は無理でも、「なるべく安全」に立ち振る舞うのは間違っていないはず。そう考えて彼は自分を納得させる。まずは探知能力をしっかりと鍛えること。そこがちゃんとすれば、不意の遭遇も減るだろう。


 何度目かの移動で、颯谷は水場を見つける。彼は水を飲み、腕や足、頭を洗った。サッパリするとモチベーションも持ち直す。彼はまた鍛錬に戻った。そうやって彼は一日、鍛錬を続けた。そしてまた夜が来る。


 火は焚かない。火を焚けば、たぶんそれを目印にしてモンスターが寄ってくる。モンスターの誘引なんて、今の颯谷には自殺行為だ。仙果を食べてお腹を満たすと、彼は岩と岩の間に身を隠して息を殺した。


 日が沈むと、辺りはたちまち真っ暗になる。その暗闇の中、颯谷は恐怖を紛らわそうとして必死に周囲の気配を探った。そして気付く。朝と比べて、気配を探知できる範囲が広がっている。


 もちろんまだ全然十分ではないし、範囲自体も偏っていたりあやふやだったりする。だがそれでも。今日やったことは無駄ではなかった。それを実感して、彼は小さく笑みを浮かべるのだった。


中鬼さん「明かりが見えれば、そりゃ突撃するだろ」

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― 新着の感想 ―
[一言] ここでの探知能力の描写が、異界の中は氣功能力に親和性が高いという伏線だったのですね。
[良い点] 闇の中の明かりなんて良い目印ですよねw [一言] いかに冷静でおらず安心を求めて行動しちゃったかがわかりますね 少しずつ冷静にはなってきて考えれるようになってきたのはいいな
[一言] 深く考え事をするときに腕を組む癖。 腕組みには「威嚇」や「警戒」、そう言った「脅威から自分を守りたい」的な心理が含まれてるって聞いたことがある。自分で自分を抱きしめるみたいな? いくら取り繕…
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