高校入学2
今年のゴールデンウィークは前半と後半に分かれてしまった。世間では最大十連休と騒がれているが、役所と学校はカレンダー通りである。カレンダーの休日の並びを見ながら、木蓮は颯谷にこう尋ねた。
「颯谷さんは、ゴールデンウイークに何か予定があるんですか?」
「いや。特に何もないけど」
「でしたら前半のどこかで一緒にお買い物に行きませんか? いろいろと買いたいものがあるのですが、このあたりのお店は良く知らないので……」
「良いよ。じゃあいつ行く?」
颯谷は軽い感じで了解した。それから二人は簡単に予定をすり合わせ、土曜日に出かけることになった。あの査問会から、木蓮とはまだ突っ込んだ話はしていない。その機会があればいいな、と颯谷は思った。
そして当日。二人は木蓮のマンションの最寄り駅で待ち合わせ、そこからバスで大型のショッピングモールへ向かった。バイクを使わなかったのは、玄道に「二人乗りはまだやめておけ」と言われたのと、荷物が多くなった時に不都合があると思ったからだ。
件のショッピングモールは、県内でも最大規模の大きさ。ここなら食料品も衣服も雑貨も、なんでも揃う。ただ全国展開しているモールなので、木蓮も新鮮味はないかもしれない。だが彼女に気にした様子はない。むしろ案内図を見て「知らないテナントがいっぱい」と喜んでいた。
木蓮との買い物は、思いのほか良く歩いた。彼女が珍しがって、色々なテナントを見て回ったからだ。メンズのお店にも入り、彼女は颯谷にあれこれと衣服を合わせて楽しそうに笑う。ちなみにそのうちの幾つかを彼は実際に購入した。一年間異界に閉じ込められていたせいで、サイズの合わなくなった服が結構あるのだ。
木蓮自身も、モール内のお店を回りながら自分の買い物を済ませていく。颯谷は基本的に荷物持ちだ。時折、「どっちが良いと思いますか?」とか聞かれるので、その時には「アッチがいい」とか「コッチがいい」とか答えた。
そして、一通りモール内を見て回った後、二人は遅めの昼食のためにフードコートへ向かう。木蓮が「アレが食べたいです」と言ったのはチキンのバーガー。ジャンクなそのチョイスを、颯谷はちょっと意外に思った。
「木蓮も、こういうの食べるんだ」
「はい、食べますよ。そんなに頻繁じゃないですけど」
ポテトをつまみ、指についた塩を舐めながら、木蓮はそう答える。そして颯谷の視線に気づいてちょっと顔を赤くした。行儀の悪いところを見られた、と思ったのかもしれない。颯谷はそれに気づかないフリをして、ドリンクのコーラをストローで啜る。それから彼女にこう尋ねた。
「向こうにいたときは、どこで買い物をしてたの?」
「結構どこでも行きましたよ。ショッピングモールも百貨店も、専門店に行くこともありました」
「へえ。なんでも買ってもらえた?」
「そんなわけないじゃないですか。基本的にお小遣い制で、その範囲内でやりくりしてました」
木蓮が少し口をとがらせてそう答える。もしかしたら、向こうにいたころも同じような勘違いをされていたのかもしれない。聞けば、一人暮らしを始めた今も一か月の予算は決められていて、それを超えた分は借金になるのだという。
「しかも利息は十日一割なんですよ。いくら何でもひどいと思いませんか?」
「それはタケさんが?」
「いえ、お母様から言い渡されました」
「厳しい人なんだ……」
「はい。お金には厳しい人なんです」
そう言って木蓮は「はあ」とため息をついた。ちなみにその時、薫子からは「自己破産は認めないからね? 身体で返してもらうからね?」と脅されたという。
「いや、それはさすがに冗談……」
「いいえ、目がマジでした!」
木蓮はそう断言した。こちらも目がマジである。食べ終えたバーガーの包みをクシャクシャにしながら、彼女は「絶対に借金はできません」とブツブツ呟いている。そんな彼女の様子を見ながら、颯谷は内心で「たぶん薫子さんの思惑通りなんだろうなぁ」と思うのだった。
「颯谷さんはどうなんですか?」
「どうって?」
「えっと、じゃあ、こういうのは良く食べるんですか?」
「食べるけど、良くは食べないかな。家で食べることが多いし、家で食べるときは基本ごはんだし」
それで桐島家の食卓は基本的にごはんに合うおかずになる。ただ魚よりは肉が多い。この辺りは颯谷の好みが出ている。ちなみに玄道が料理を作るときは野菜が多くなる。なお、使う野菜の多くは自分で作ったり近所からもらったりしたものだ。
「ああ、でも、異界の中にいる時はこういうジャンクなのが食べたかった。コーラとか夢に見たし」
「まあ」
颯谷の話を聞いて、木蓮はおかしそうに笑った。颯谷も笑いながらまたコーラを飲んだ。そして「これこれ」と思うのだが、実のところ彼はそんなにコーラが好きなわけではない。こうしてたまに出先で飲むくらいで、家にペットボトルを常備しているとか、そういうわけではないのだ。そのことを木蓮に話すと、彼女は不思議そうに首を傾げた。
「それなのに、夢に見たんですか?」
「そうなんだよ」
「ほかにも何か夢に見たりとかは……」
「ないんだよなぁ、これが」
そう言って颯谷はポテトを口に放り込む。例えば彼はラーメンも焼肉もお寿司も好きだが、しかしそういうのを夢に見ることはなかった。夢にまで見たのはなぜかコーラだけ。彼自身「そんなにコーラ好きだったっけ?」と首をかしげてしまったほどだ。
「もしかしたらですけど……」
「ん?」
「もしかしたら、颯谷さんにとってコーラは、自由とかお出かけとか、そういうのを象徴する味なのかもしれませんね」
「……ああ、なるほど。そうかも」
木蓮の推察は、すとんと颯谷の腑に落ちた。早く異界の外に出て、ぶらりと出歩いて好きにコーラが飲めるような、そんな生活に戻りたい。コーラが出てくる夢は、そういう欲求の発露だったのかもしれない。
「でもコーラの飲みすぎは身体によくないですからね?」
木蓮は右手の人差し指を立てながら颯谷にそう言った。「たまにですよ、たまに」と言い聞かせる様子は、まるで弟を相手にした姉のよう。「末っ子みたいだし、お姉ちゃんぶりたいのかな」と思い、颯谷は小さく笑った。
「む、何ですか、颯谷さん」
「いいや、なんでも?」
颯谷はそう言って誤魔化した。ちなみに彼女のドリンクは烏龍茶。コーラよりは大人っぽいと言えるかもしれない。
さて昼食を終えると、ちょうどバスの時間だったこともあり、二人はショッピングモールを後にした。荷物が結構多くて、それを持ちながらあちこち見て回るのも少し億劫だったのである。
最初に待ち合わせした駅に戻ってくると、二人は歩いて木蓮のマンションへ向かう。駅で別れても良かったのだが、颯谷が荷物持ちを買って出たのだ。彼女のマンションは駅から歩いて十分ほどで、荷物を持ってだと少し遠く感じた。
「通学の時も歩いてるの?」
「いえ、いつもは自転車です。今日はその、荷物が多くなるかもと思いまして……」
「ああ、なるほど……」
両手に持った買い物袋に視線を落としながら、颯谷は納得してそう呟いた。確かにこれだけ荷物があると、自転車は危ないかもしれない。
「颯谷さんはバイクの免許を取ったんですよね。通学には使わないんですか?」
「あ~、学校に聞いたら、一年次はダメだって。二年からだとさ」
「バイクの免許は普通16歳以上ですからね。高校二年生になれば16歳以上、ということなのかもしれません」
「たぶんね」
そんな話をしているうちに二人はマンションに到着した。木蓮がロビーのオートロックを開けて二人は中に入る。彼女の部屋があるのは真ん中くらいの階で、なんでも最上階はすでに埋まっていたのだとか。大金持ちの自覚がない颯谷は「お金ってあるところにはあるんだなぁ」と内心で呟くのだった。
「どうぞ、上がってください」
鍵を開け、木蓮はマンションの部屋に颯谷を招き入れた。買ってきた荷物はひとまずフローリングに置いてもらい、彼にソファーを勧める。そして自分は台所でお茶の用意をする。「緑茶でいいですか?」と尋ねると「大丈夫」と返事があったので、彼女は急須に茶葉を入れた。
「おお、何か本格的だね」
目の前でお茶を淹れていたら、颯谷が感心した様子でそう呟く。それがなんだかおかしくて、木蓮は小さく笑いながらこう答えた。
「そうですか? 分量もお湯の温度も、適当ですよ?」
「分量とお湯の温度を気にする時点で本格的」
颯谷がしたり顔でそう断言する。「本格的」のハードルが地面すれすれに低くて、木蓮はまた笑った。お茶請けは彼女の実家からの荷物に混じっていた和菓子。あんこたっぷりのそれを食べながら、颯谷は彼女にこう尋ねた。
「駿河家は和菓子が多かったの?」
「そうですね。そうかもしれません」
「そういえば、タケさんと会った時も緑茶と和菓子だった」
「あの緑茶は水出し緑茶なんですよ。暑くなってきたら作ろうと思ってるんです」
「へ、へえ」
ペットボトルのお茶だと思っていたので、颯谷は少し驚いた。というか、駿河家で和菓子が多いのは木蓮のせいではなかろうか。いや、駿河家が緑茶と和菓子推しだったので彼女もそれに染まったのか。あんこのように業が深いな、と颯谷は慄くのだった。
「ところで、さ……」
緑茶で一服してから、颯谷はおもむろにそう切り出した。言いづらそうな彼の様子を見て、何かを察したのか木蓮も背筋を伸ばす。そんな彼女に颯谷は言葉を選びながらこう尋ねた。
「その、なんていうかさ、今更こんなことを聞くのもアレだと思うんだけど……」
「はい」
「その、木蓮がこっちに来た理由、をもう一回ちゃんと聞いておいた方が良いかな、って思って……」
「ああ……」
木蓮は納得したような、少し困ったような顔をした。彼女はすぐに答えるのではなく、湯呑を両手で転がしながら、言葉を探すように考え込む。居心地の悪さに耐えながら、颯谷は彼女を待った。やがて木蓮は口を開いてこう言った。
「わたし、小さいころは征伐隊に入りたかったんです」
「……それを、タケさんとかに反対された?」
「いえ、父も叔父も反対はしませんでした。でも何て言うのかな……、容赦もしてくれませんでした」
「わたしも異界征伐するっ!」と言った幼い木蓮に対し、彼女の父は「ふむ」と呟いてから立ち上がり、彼女の前に30キロの米袋をドンッと置いた。そして目を丸くする彼女にこう言ったという。
『木蓮、コレを持てるか?』
当然、持てるわけがない。しりもちをついた幼い彼女の頭を撫でながら、彼女の父は言い聞かせるようにこう言った。
『征伐隊の隊員の装備と背嚢を合わせた重さが、だいたいこれくらいだ。コレを二つ担いで走れるようになったら、征伐隊に入れるよ』
『二つもなの?』
『そうだよ。だって、誰かが怪我をしたら、本人はともかく最低でもその人の荷物は持って走れるようじゃないと』
『でも征伐隊には、他にもたくさんいるんでしょ?』
『征伐隊の基本は助け合いだよ。木蓮が助けてほしいなら、木蓮も誰かを助けられなきゃいけない。それができると示すための、最低限の能力がこれ二つ分、かな』
そう言って木蓮の父は米袋をパンパンと叩いた。その音を彼女は今でも覚えている。
木蓮父「ネームドに昇格希望」




