中学三年生1
颯谷にとって、中三の二学期が始まった。一応、彼も他の同級生と同じようにクラスに割り振られてはいる。ただ一緒に勉強することはなかった。何しろ一年分、勉強が遅れているのだ。何なら習ったはずのことさえ危うい状態で、結局彼はそれぞれの科目の先生とマンツーマンで教えてもらう形になった。
こういう、言わば特別扱いがまかり通ったのは、彼が特権持ちになったというのも理由の一つとしてあるかもしれない。そう、彼は報奨金を受け取ることにして、特権ももらうことにしたのだ。
そういう選択をしたのは、報奨金の350億円が魅力的だったからというのはもちろんある。ただそれ以外にも剛から「どちらにしても接触やら勧誘やらはある」と言われたのも理由の一つだ。だったら身を守るための特権はあった方が良いと思ったのだ。
特権に付随する義務は理解している。異界をなめているつもりはない。だけど少しくらいは自信を持っても良いのではないか。自分がやってきたことにそれくらいの価値はあるだろう。颯谷はそう思っている。
ともかく報奨金を受け取り、特権も得て、颯谷は異界と関わり続けることを選んだ。であればやるべきことはやらなければならない。剛から言われたとおり、彼は時間を見つけては地元の武門や流門のところへ挨拶に出向いた。
基本的には顔見せなので、あまり込み入った話はしない。剛からまた事前にアドバイスをもらい、颯谷も言質を取られないように注意した。
『仙樹の棒のことを話してやれば、そっちに食いつくと思うぞ』
特にこのアドバイスは有用だった。おかげで見合いだの入門だの話は、そもそも出ないようにすることができた。もっともそうやって気を使わなければならないこと自体、まだ子供の彼にとってそれは結構大変である。とはいえ一緒に挨拶回りをしてくれた玄道のフォローもあって、彼はどうにか最初の大仕事を波乱なく終えることができたのだった。
挨拶回りが終わると、次に考えなければならないのは、「どこかに所属するのか、それとも一人でやっていくのか」という問題だった。とはいえ一人でやっていくのはさすがに不安が大きい。玄道とも相談して、やはりどこかに所属した方が良いだろうということになった。
ではどこに所属するのか。まず大きく分けて武門か流門かのどちらかだが、武門は入ろうとするとややこしいことになるので、ここは流門一択だ。流門ということはつまり「〇〇流の△△道場」みたいなところに入るということだが、挨拶回りをしたときに一通り案内みたいなのはもらっていたので、それを並べながら颯谷は腕組みして考える。
『やっぱり剣術とか槍術とかが多いな……』
やはりそのあたりが王道というか、多数派なのだろう。翻って颯谷自身のことを考えてみると、習うべきはやはり剣術だろうか。テレビ通話で剛に仙樹の長棒を見せたときには「杖術がいいかも」と言われたのでできれば杖術が良いのだが、さすがにそんなマイナー武術を看板に掲げているところはなかった。
なお剛に仙樹の長棒を見せたとき、彼が「杖っぽい」と言ったので今後は仙樹の長棒を「仙樹の杖」、仙樹の短棒を「仙樹の棒」と呼ぶことにする。
閑話休題。颯谷の仙樹の杖の使い方を振り返ってみれば、ほとんど剣代わりと言っていい。ならやはり習うべきは剣術だろう。だが剣術だと逆にメジャーすぎて絞り込めない。颯谷は腕組をして眉間にシワを寄せた。
(なんか別の条件みたいなのあるかな……)
仕方がないので、習う内容以外でも条件を上げてみる。まず通うことを考えると家から近い方が良い。また道場に通うのは一緒に異界征伐をすることを見越してのことである。ならばその方面でも実績のあるところがいいだろう。
(あ、いや、でもなぁ……)
実績があり、組織も大きいと、指揮系統はしっかりしているだろう。つまり役割分担はきっちりとされているということ。となると実戦ではあまり自由に動けないかもしれない。また一人で異界征伐するのはイヤだが、あまりギチギチに縛られるのも気乗りしない。ある程度自由に動けるところがいいな、と彼は思った。
(となると……)
となると、道場としての規模はあまり大きくないところ、だろうか。もらってきた資料やパンフレットを見比べながら、颯谷は絞り込みを進めていく。最終的に彼が選んだのは「北天無涯流」という古武術を教える、「千賀道場」という道場だった。
挨拶に行ったときに教えてもらった話だと、この辺りで四代続く道場だったと記憶している。つまりそれだけ異界征伐と関わってきたということで、実績としては十分だろう。教えているのは剣だけでなく、槍や薙刀、弓なんかもやっている。ただ家からだと、自転車で通うのはちょっと大変そうだ。
これはどの道場でもそうだが、門下生のすべてが氣功能力者で異界征伐に関わっている、もしくは関わることを志している、わけではない。趣味の範囲で通っている者や、仕事に関連して武道や武術を習っている者も多い。
この点で言うと、千賀道場の能力者と非能力者の割合はほぼ半々。ただしいわゆる「能力者組」の中には、まだ氣功能力が覚醒していない、つまり将来的に能力者として活躍することを目標としている門下生も含まれている。
流門全体としてみれば、千賀道場の能力者組の比率は高い方だ。道場の規模が大きくなれば能力者組の比率は下がっていく傾向にあるので、千賀道場の規模はそれほど大きくないと言っていい。確か門下生の数は「150人くらい」と言っていたはずだ。
だとすると、いわゆる能力者組は75名ほどか。そのうち本物の能力者が50名として、征伐一回につき二割が参加するとしてその数は10名。決して多いとは言えない。そして颯谷にとっては都合が良い。
『もちろん無理強いするつもりはないが、来てもらえるなら、ぜひウチに来てほしい。要望があるなら、可能な限り聞こう』
挨拶に行ったとき、対応してくれた千賀道場の師範、千賀茂信もそう言っていた。それを思い出し、颯谷は入門の話をしに行ったときに思い切ってこう自分の要望を伝えた。
『自由にやりたいです』
『……それはつまり、ウチの看板だけ貸せ、ということかな?』
『あ、いや、そういうわけじゃないですけど……』
颯谷は視線を彷徨わせてしばし黙る。そして考えをまとめてから改めて自分の要望をこう述べた。
『特に異界の中では、自由に動ける権限というか、そういうのが欲しいんです』
茂信は「ふむ」と呟くと、あご先を撫でながら少し考え込む。それから彼は颯谷にこう尋ねた。
『それは、異界征伐の際には常に一人でやりたいと、そういうことかね?』
『そういうわけじゃないですけど……。何ていうか、方針に納得できなかったら自由に動いていい、みたいな……』
茂信はもう一度「ふむ」と呟く。颯谷の要望を彼は自信と不安の表れと受け取った。彼は一人で異界征伐を成し遂げたのだ。相応の自信や自負は持っているだろう。だがもう一度一人でやることには不安がある。
だが同時に、組織に加わることで納得できない指示を受けるのではないかという不安もある。だから「一人で動いた方がマシ」と思える場合には一人で動けるよう、こうしてあらかじめ予防線を張っているというわけだ。
これがもし異界童貞の中学生なら、茂信も「馬鹿なことを言うな」と一喝しただろう。異界征伐はそんなに甘いものではない、と。だが相手は他でもない桐島颯谷。そしてこの業界は成果主義。誰が桐島颯谷に上から目線で偉そうなことを言えるというのか。
(それに……)
それに、茂信が彼の要望を容れなければ、彼は別の道場へ行くだろう。それこそ彼の要望を聞いてくれるところへ。そういう選択肢が自分にあることを、彼もまた理解している。そして彼は逃すには惜しい人材だ。それで茂信はゆっくりと考えをまとめながらこう話した。
『大前提として我々は部隊で、つまり協力しながら、異界征伐を行っている。桐島君も基本的にはそこへ加わるという認識でいいかな?』
『まあ、はい、そうですね』
『では私からもお願いがあるのだが、いきなり個人で動くことはやめてくれ。意思伝達はしっかりしておかないと、全体に影響が出る。それから個人で動いたとしても、情報共有は積極的にしてほしい。これを承知してくれるなら、桐島君の要望も容れよう』
茂信の出した条件について、颯谷は少し考え込む。それから彼はおもむろに頷いた。ともかくこうして彼は千賀道場に入門することになったのだった。
当初は「問題児を引き受けてしまったかも」と思っていた茂信だが、道場に通う颯谷はいたって従順だった。言われたとおり、黙々と木刀を振っている。
普通、この年頃の子供、特に男の子は地味な素振りや型稽古は嫌がるものだが、彼の場合そんなことはない。また自分の功績をひけらかすようなこともしない。
そういう彼の姿勢はもちろん他の門下生の目にもとまった。正直に言って、彼らはこの大型新人との距離感を測りかねていたのだ。
前述したとおり、この業界は成果主義。つまり実力のある者が偉いのではなく、結果を出した者が偉いのだ。だがその一方で、体育会系の年功序列的な上下関係も根強い。
たいていの場合この二つは矛盾しないのだが、颯谷の場合、新参者のくせに誰にも真似できないような結果を出している。それで彼がそういうふうに振舞えば、軋轢や反発は免れなかっただろう。
だが颯谷はいわば波風立てるようなことはしなかった。黙々と基礎鍛錬に励み、師範から指導されれば素直に従った。そういう彼の姿勢は他の門下生たちの目に好意的に映ったわけである。颯谷は徐々に他の門下生たちと多少込み入った話もするようになっていった。
『へえ、東堂さんって、武門の人だったんですねぇ』
『そうだよ。っていうか、東堂家にも挨拶に行ったんだろ?』
『同姓の方かと思ってました』
『なんでだよ』
『武門と流門って、完全に別々だと思ってたんですよ』
『結構ごちゃまぜだよ。実際、家族経営の道場なんてほとんど武門みたいなもんだし』
『そうそう。千賀道場もそんな感じのところあるしな』
『武門として鍛錬用の道場を持っているところも結構ある。ただ、ちゃんとした指導ができる人って、案外少ないんだよ』
『それなぁ、腕が立つっていうのと指導能力があるってのは別なんだよな』
『だから、武門の中に指導者がいない場合は、どうしてもどっかの道場に通うことになる』
『あとは、指導者はいても得物が違う場合とかな』
『そんなことあるんですか?』
『あるある。新しく手に入れた仙具を死蔵するのももったいないから、「お前コレ使え」みたいな』
『はあ……』
『それに実際問題、武門の全員が同じ武器ってのはなかなかない。ある程度バリエーションがないと、戦術も限られてくるし』
『だから征伐行くときも、ある時は武門のくくりで、別の時は流門のくくりで、みたいなことは結構ザラ』
そんな裏話的なことを、颯谷は興味深く聞いた。そんな彼に別の門下生が武門と流門のかかわりの別の面をこう話す。
『あとはスカウト目的もあるな』
『スカウト?』
『そう。これはと思った奴を自分とこの武門に引き入れるの』
『引き入れるって、どうやって……?』
『そりゃ、見合いだよ。一門の中から相手を見繕って、「この子どう?」って紹介すんの』
『逆に、ソウみたいに武門の出じゃない奴は、引き抜きを狙って道場に来てることもある』
『あ~、いるね。露骨にアピールしてる奴とか、たまにいるわ。千賀道場はそういうの少ないけど』
『でも武門に入って、具体的に何をするんですか?』
『一番期待されてるのは、当然征伐の時の活躍。つまり戦力として、だな。あと子作り』
『はあ!?』
『顔真っ赤にしちゃって、ウブだねぇ、中学生。でも実際大切よ、子作り。この業界、死亡率高いから』
『特に武門の場合、外から人を入れるのも簡単じゃない。武門同士で婚約者を出したり貰ったりはしてるけど、年齢の兼ね合いもあるし、何より狭い世界だ。すぐに血が濃くなる。結果を出している新しい血っていうのは、武門にとっては喉から手が出るほど欲しいんだよ』
『そういうわけで颯谷君。お見合いしてみる気はないか? 今ならかわいくて気立てのいい子を紹介できるぞ。胸はないがな』
『東堂さんとこの当主、の奥さんに報告しときますね』
『おい、バカやめろ』
『逆に引き抜かれる、武門に入るメリットって何なんですか?』
『流しやがったな……。一番大きなメリットは、やっぱり看板だな。武門は地元で尊敬されてることが多い。そういう信頼をすぐに得られるのはやっぱり大きいと思う』
『あとは政治力。地元で尊敬されてるってことは、票田を握ってると言ってもいい。となれば政治家は武門を無視できない。何かを要望すれば通る、こともある』
『つっても、そんな発言力があるのは当主だけだぞ。それを勘違いすると、ロクなことにはならない』
『はへぁ』
颯谷は変な声で返事をした。政治力とか発言力とか言われても、今の彼にはちょっと想像が及ばない。素振りしてる方が気楽でいいな、と颯谷は思うのだった。
颯谷「道場の掛け持ちってあるんですか?」
先輩「あるよ。理由はたいていの場合しがらみだがな」