駿河家2
異界は日本国に資源をもたらした。しかし同時に災厄ももたらす。異界を放っておけば被害は拡大するばかりで、そもそも資源を利用できるようになるのは征伐後。となれば異界の素早い征伐は国家の最優先事項の一つと言ってよい。
しかしながら軍隊という組織は異界との相性が悪い。それはもう致命的なほどに。どういうことなのかというと、まずは軍隊の強みについて考えてみる必要がある。
軍隊の強みとは何か。それは組織力であり物量であり、それを支える兵站能力だ。高価な兵器を揃えることのできる資金力もそこに加えていいだろう。言い換えるなら、部隊を編成し、展開し、指揮し、維持する能力。それが軍隊の強みと言っていいだろう。
しかし異界にはそれが通用しない。特に最悪なのはどんな兵器が有効なのか前もって分からないことと、補給ができないこと。これではどんな部隊を送りこめばよいのか分からないし、送り込まれた部隊は常に弾薬の在庫を気にしながら戦うことになる。
撤退ができないことも痛い。作戦遂行が不可能と判断されても、部隊は異界から脱出することはできないのだ。そしてまた次の部隊を送り込むことになる。作戦失敗の要因も分からないまま、だ。
そのほかにも、例えば航空戦力がほぼ使用不能であること、アウトレンジからの攻撃が一切通用しないことなども、軍隊という組織には不利に働く。また異界の中での戦闘は、行ってみればすべてゲリラ戦。それを考えれば軍隊が異界征伐を不得手とするのは当然かもしれない。
それでも異界が出現し始めた初期のころは、主に陸軍が征伐を担っていた。世界が第一次世界大戦で燃え上がっていたころの話だ。このころはまだ異界征伐のノウハウも何もなくて、日本政府は突然現れたこの魔境への対応に苦慮していた。
氾濫をはじめ、モンスターへの対応が必要であることを考えれば、特に陸軍が対処の矢面に立つのは順当だったと言えるだろう。多大な犠牲を払いながらも異界へ対応し知見を積み重ねた軍の功績は大きい。ただ同時に積み重ねた知見は、軍隊という組織が異界への対応を不得手とすることも明らかにしていく。
それでも軍が、つまり国が異界に対応するべきという意見は根強かった。とはいえ常に軍が対応できるわけではない。異界の中に取り残された人々が自力で征伐を成し遂げる場合もある。そういう事例が増えてくると、政府内部でも徐々に「民間の有志に委託しても良いのでは?」という意見が出てくる。
最大の理由はやはりコストだ。これは武器弾薬に限った話ではない。兵士の命も含めたコストである。一兵卒であろうとも一人前にするにはそれなりの手間と金がかかるのだ。また軍の仕事は本来国防であり、異界対応のためにそちらがおろそかになっては本末転倒。まあ異界も十分国難ではあるのだが。
そして軍隊による異界征伐のコストに政府が頭を悩ませていたころ、虹石と天鉱石の資源としての価値が明らかになり始める。コストはこれでどうにかなるだろう。ただ相性の悪さはどうにもならない。さらに今後、兵器は高額化していくことが見込まれ、そうなればコストの問題も再燃する。
ではどうするのか。政府内部で検討された方針は大きく二つ。一つは軍内部に異界征伐専門の特殊部隊を創設すること。もう一つは民間に委託すること。検討が重ねられ、テストケースとして何度か異界征伐が民間に委託されてその結果が良好であったことから、「異界征伐は主として民間に任せる」ことが決まった。
ただ言うまでもなく異界征伐は危険な仕事。それに見合う報酬がなければ誰もやろうとは思わない。そこで政府が目を付けたのが、異界由来の資源から見込まれる収入である。主に虹石と天鉱石だが、これを政府が独占して扱うことで収入を確保し、その一割を異界征伐の報酬に充てることにしたのだ。
これがいわゆる「異界征伐に係わる報奨金」というやつである。基本となるのは「征伐された異界由来の資源から見込まれる収入」だが、これは正確な数字を出そうとするとかなりの時間を要する。
それで現在では過去のデータを参考に異界の大きさから概算する手法がメインになっている。正確な数字で計算してもらうことも可能だが、その場合、調査が終わるまで報奨金は受け取れない。
虹石と天鉱石の需要が拡大していくのに比例して、報奨金もずっと右肩上がりに増え続けている。今回の場合だと、概算で約3500億円。その一割で350億円。通常ならこれを異界征伐に加わり生き残った者たちで山分けするわけだが、今回は一人だけなので颯谷の総取りだった。
ただしこのお金、決してただで受け取れるわけではない。報奨金を受け取った者はその後三年間、政府の特別徴用に応じる義務があるのだ。これはつまり、政府に命じられたら異界征伐に参加しなければならない、ということである。ちなみに正当な理由なく応じなかった場合、報奨金相当額の罰金と懲役刑を科されることになる。
ただ報奨金を受け取る限りずっと義務を課される、というわけではない。五回、異界征伐を成功させると、以後の義務は免除されることになっている。「あがり」が設定されていることは、士気の維持の一助になっていると言われている。
また四肢の欠損などにより引退せざるを得ない場合は、報奨金を受け取りつつその後の義務を免除してもらうことが可能だ。ただしその後に志願して報奨金を受け取った場合は、「能力がある」と判断されて再び義務を負うことになる。
六年前、颯谷は異界顕現災害に巻き込まれて生き残った。この時点で彼には報奨金を受け取る権利があった。彼は異界征伐にまったく貢献しなかったが、異界の外からは貢献度の判断などしようがないので、報奨金の権利は一律なのだ。
とはいえ彼はこれを辞退している。理由は言うまでもなく特別徴用を避けるためだ。ちなみに見舞金にそういう義務はないのでそちらは受け取っている。今回も見舞金は受け取るつもりだ。だが報奨金については迷っていた。
「ふむ……。350億は大金。みすみす逃すのは惜しい。だがベットするのは自分の命。異界征伐に参加して次も生き残れるかは分からない。とはいえ一人で征伐できたことを考えれば、それほど分は悪くないのではないか……。と、こんなところか?」
「まあ、そうですね」
悪戯っぽく問いかける剛に、颯谷は苦笑しながらそう答えた。彼が悩んでいるのはまあだいだいそういうことだ。
「まずは、大金に目がくらんでいるわけではないようで何よりだ」
「数字が大きすぎて現実感がないだけですよ。だいたいこちとら、一年以上貨幣経済から隔離されていたんですから」
「なるほど、そりゃそうだ」
颯谷が肩をすくめると、剛は声を上げて笑った。そしてひとしきり笑ってから、少し真剣な顔をしてあご髭を撫でながらこう尋ねる。
「それで、保護者の方は何て言っているんだ?」
「じいちゃんは、オレの判断に任せるって……」
『正直に言って、じいちゃん、もうソウに危ないことはして欲しくねぇなぁ。だけど、ソウが必死になって頑張ったその成果を捨てろってのも、酷な話だ……。だからソウの好きにすればいい。じいちゃんはそれを尊重する』
それが玄道の言葉だった。それを聞いて剛は大きく頷く。「大した方だ」と本心で思った。そんな彼をうかがいながら颯谷はこう尋ねる。
「それで……、どうしたら、いいでしょう……?」
「この件については、私も同じことしか言えないな。つまり『君の判断に任せる』だ」
剛がそう答えると颯谷は眉間にシワを寄せた。彼が望んでいた答えではないことは分かっている。だが普通に考えてそう答える以外にない。とはいえそれだけでは、せっかく来てもらったかいがないというもの。それで剛は苦笑を浮かべてからさらにこう続けた。
「ただそうだな、仮定の話として少し考えてみようか」
「はい」
「まず受け取らなかった場合。この場合、君が望まない限り、君が異界征伐に駆り出されることはない。権利を主張しなかったのだから義務を負う責任もない、ってわけだ」
剛の言葉に颯谷は頷く。そんな彼に剛はさらにこう話す。
「だがその場合でも、この業界の人間は君に注目するだろうし、接触してくる奴もいるだろう。見合いの話なんかも来るぞ」
「ええっ、なんでっ!?」
「一人で異界を征伐した逸材だぞ? 欲しいに決まってる。なんならウチだって欲しい」
「……マジですか」
「マジだ」
剛が真面目腐った顔で大きく頷く。颯谷はやや放心したように「はぁ」と大きく息を吐いた。話が思いがけない方向へ転がったせいで理解が追い付かない。そんな彼の様子に苦笑を浮かべながら、剛はさらにこう続けた。
「まあ、具体的にどこがどう動くのかは分からん。なにせ前代未聞すぎるからな。だがこれだけは言える。報奨金を受け取らなかったからと言って、君のことが忘れ去られるなんてことにはならない」
「はぁ……」
「大丈夫か? じゃあ、次は受け取った場合だ。報奨金を受け取れば一気に大金持ちだ。その代わり、最低でも一回は異界征伐に駆り出されることになる。当然ながら命の保証はない。とはいえさすがに『一人で突っ込め』とはならんだろうから、まあ条件的には今回よりもマシだろうな」
剛の言葉に颯谷も頷く。正直に言って、だから迷っているのだ。もう一度一人で異界を征伐するなんて真似は絶対にお断りである。それが想定されるなら、報奨金は辞退一択だ。どんな大金も命には代えられない。
だが政府から特別徴用されて、一人で異界征伐をやらされることはまずない。同じく特別徴用された能力者とか、志願した能力者と一緒にやることになる。つまり戦力的には今回よりもマシなわけで、それを考えると350億円はだいぶ惜しくなる。悩む様子を見せる颯谷に剛はさらにこう言った。
「もっとも人数が多ければ異界征伐がやりやすいかと言えば、必ずしもイコールじゃない。要するに腕っぷしに自信のある奴らばかりだからな。当然、我は強い。征伐隊の中でギクシャクすることもあるし、そこまでならなくても気を遣わなけりゃならんことは多い。まあ要するに人数が集まったら集まったでデメリットもあるってことだ。普通ならメリットのほうが圧倒的に多いんだけどな」
最後の言葉はやや苦笑気味に付け足された。剛がわざわざ「普通なら」と言ったのは、戦力が充実することが颯谷にとってメリットであるのか判断しかねたからだ。
戦力を充実させるのは言うまでもなく異界征伐のためだ。だが彼は一人で異界を征伐できるだけの力を備えている。少なくとも剛はそう認識している。
であれば「戦力の充実」は颯谷にとってメリットにはならないのではないか。我の強い連中に「あーだこーだ」言われるよりも、自由に動ける環境の方が彼にとってメリットがあるのではないか。剛はそんなふうにも思うのだ。だが当の颯谷はこう答えた。
「いや、もう一回一人でなんてやりたくないですよ」
「そうか。まあ、良くも悪くも実力主義、いや成果主義の連中だからな。君を軽く扱える奴なんていないだろう」
剛は軽く笑いながらそう言った。颯谷のことが気にくわなくてつっかかったとして、「じゃあお前、一人で異界征伐してこい」と言われたら誰だって怖気づく。むしろどう扱っていいのか分からず、腫れ物に触れるような扱いになるのではないか。そんなふうにさえ思う。
「……話を戻すぞ。基本的に異界征伐は多人数で協力しながら行われる。だが人間だからな、当然顔見知りのほうが協力はしやすい。だからもし君が報奨金を受け取るのなら、早めにこの業界の中で知り合いを増やしておいた方がいい」
「えっと、具体的にはどうしたら……?」
「君の地元にも武門や流門はあるだろうから、早めに顔見せを兼ねて挨拶回りをしておくことをお勧めするよ」
剛はそう答えた。用語の説明を先にしておくと、武門とは「血縁を軸にした、異界征伐を生業とする集団」であり、流門は「流派を軸にした、異界征伐を生業とする集団」である。ちなみにこれでいうと、駿河家は武門のくくりになる。
一度でも挨拶をしておけば、現場においては初対面でなくなる。人間関係においてこの差は大きい。現在駿河家という武門を率いる立場の剛はよく理解している。だからこそ彼は「最低限、挨拶だけはしておけ」と力説した。
「わ、分かりました……。それでその、挨拶以上のことだと、他に何かありますか?」
「流門なら道場があるだろうから、そこに入門したり、出稽古に行ったりなんてことができるな。武門だと、婿入りか……?」
「婿入り……! りゅ、流門のほうが有力かなぁ……」
「そうしてもらえると、ウチにもまだチャンスがあるな」
そう言って剛はニヤリと笑った。その笑みがどこまで本気なのか、颯谷には分からない。彼が困惑するのを見て、剛は「くっくっく」と喉の奥を鳴らして笑った。そしてひとしきり笑い終えてから、彼は真剣な顔をしてこう言った。
「まあそのへんどうするかは君に任せるさ。だがどうするにしても、報奨金を受け取るのなら、特権は得ておいた方がいい」
これまでとは違う雰囲気で、剛ははっきりと自分の意見を告げる。颯谷はごくりと唾を飲み込んでから続きを促した。
颯谷「つまり征伐隊は脳筋ばかり、と」
剛「いちがいに違うと言い切れないのがつらいところだ」




