生き残るための最低限の知識
「あったっ!」
颯谷は歓声を上げた。彼が見つけたのは赤黒い木の実。あめ玉ほどの大きさの木の実が房状に実っている。
この木は仙樹と言い、実は仙果と言う。仙樹は別名「兵糧樹」とも言い、その名前からすぐに予想できるように、この木の実、つまり仙果はそのまま食べることができる。
しかも栄養豊富で、最悪コレさえ食べていれば飢え死には避けられる。その上、実の付くスピードが早い。房をとっても、3日ほどで元通りになる。
そんな、世界の食糧事情を一変させそうな仙樹と仙果だが、残念ながら異界の外ではすぐに枯れてしまう。だが異界の中なら少し探せばすぐに見つかる程度にはありふれている。異界の中で手に入る、重要な食料だった。
「『まずは仙樹と仙果を探せ』。そうだったよな、タケさん」
5年前にいろいろと教えてくれた能力者、駿河剛の言葉を思い出し、颯谷はそう呟いた。実際あの時も、颯谷たちは仙果で命を繋いだのだ。
『いいか、坊主。異界の中に入ったら、まず最初に仙樹と仙果を探すんだ。仙果さえ食っていればとりあえず死なない。後の事はそれからだ』
剛の言葉を思い出しながら、颯谷は仙果の房に手を伸ばす。房は簡単に木から採れた。さっき吐いてしまったせいで胃の中は空っぽだ。彼は黙々と仙果を食べた。一房では足りず、二房目に手を伸ばす。「食べられるときに食べておかないと」と思い、結局食べ過ぎた。
空腹が収まると、すこし気分も落ち着いてくる。ただ少し視線を上げれば、空は閉ざされて群青色の檻が周囲一帯を覆っている。それを見ているとまた不安がこみ上げてくるので、颯谷は意図的に目をそらして別のことを考えた。
「まず、異界には核がある。それをぶっ壊さないと、外には出られない」
それはこの国の人間なら誰もが知っている一般常識。もちろん活用する機会なんてないほうが良いのだが、しかしこれを知らなければ異界から脱出することはほぼ不可能だろう。一方で方法論だけでも知っていれば、それは希望になる。
「コアを見つける。それをぶっ壊す。主の場合は、ソイツをぶっ飛ばす。それが最終目標だ」
颯谷はそう呟いて一番の目標を定めた。もっとも、それが果てしない目標であることも分かっている。現時点でどれくらい果てしないのか、それも分からない。だがそこにこだわるとまた不安がこみ上げてくる。だから彼はすぐにそこから目をそらした。
「コアの周囲には守護者がいる。コアがモンスターと同化してヌシになっている場合もある。どっちも強力なモンスターだけど、その異界に出現する普通のモンスターから、ガーディアンやヌシがどんなモンスターなのかはある程度推測できる」
次に颯谷はそう呟いた。これは剛から教えてもらったことだ。つまり情報収集をしろということ。颯谷は一つ頷いてから立ち上がった。まずはこの異界にどんなモンスターが現われるのかを確かめる。次のことはその後だ。
颯谷は山の中を進んだ。この山は祖父である玄道の持ち山。だいたいの地理は把握している。途中、彼は木の枝を拾い、それを杖代わりにして山の中を歩いた。この木の棒はきっと武器代わりにもなるだろう。
「ギィ、ギギィ!」
耳を澄ましながら歩いていると、今まで山の中では聞いたことのない音、いや声が聞こえていた。颯谷はすぐに身をかがめて声がした方に視線を向ける。そこにいたのは三人の小人、いや三体の小鬼。ヨーロッパのほうではゴブリンと呼ばれることもある怪異だ。そいつらが何やらキノコらしきモノをつついて遊んでいる。
(小鬼か……。ってことは、中鬼と大鬼もいるな……)
大中小の鬼、これはもうセットと思って良い。5年前に颯谷が巻き込まれた異界顕現災害でも小鬼が現われ、中鬼と大鬼も現われている。強さの順番は言うまでもなく強い方から大中小で、数が多いのは逆で多い方から小中大だ。
ちなみに大中小の鬼の分類の仕方だが、小鬼は人間の子供サイズ、中鬼は成人男性サイズ、大鬼はそれ以上、とされている。ではここで問題だが、「身長2メートル体重200キロ」の鬼は果たして中鬼か大鬼か。
正解は中鬼。なぜなら身長2メートル体重200キロは成人男性としてあり得る体格だから。だが中学二年生として平均より少し小柄な颯谷からすれば、身長2メートル体重200キロは間違いなく巨人だ。
つまり一口に中鬼と言っても幅は広いし、その中でも「巨体」と言えるサイズは多いことになる。さらに大鬼となれば、これはもう全てバケモノと言って良い。つまりこの異界の中ではバケモノが跋扈しているのだ。そしてガーディアンやヌシはそれ以上。颯谷はこみ上げてくる不安を何とかしてかみ殺した。
(目の前にいるのは小鬼だ……!)
颯谷はそう心の中で呟いて自分を鼓舞した。そして途中で拾った木の棒を握りしめる。どの道、この異界の中で生き残り、そして脱出するには、モンスターとの戦闘が避けられない。だが最初から大鬼やガーディアン、ヌシと戦うのは自殺行為だ。最初に戦うならやっぱり小鬼。そしてその小鬼が今目の前にいる。
(オレだってこの五年間、なにもしてなかったわけじゃない……!)
五年前、何かと颯谷の世話を焼いてくれた駿河剛は能力者だった。では何の能力なのかというと、その力、日本では「氣功」と呼ばれている。ヨーロッパやアメリカでは「魔力」や「マナ」とも呼ばれているが、要するにそういうモノだ。
能力者とはこの氣功の力を操る者たちのことを指す。そして広義の意味で言えば、颯谷もまた能力者だった。
能力者となるには、まず氣功の力を覚醒させなければならない。その方法は主に二つ。異界の中でモンスターを倒すか、仙果を食べるか、だ。そして颯谷は五年前に仙果を食べている。この時、彼は能力者として覚醒したのだ。
ただし能力者として覚醒したからといって、それですぐに超人的な力を振るえるようになるわけではない。むしろ覚醒したての能力者など、覚醒前の人間とほとんど変わらない。氣功の力とは覚醒後にそれを鍛えてはじめて身につくものなのだ。
氣功の鍛錬は二本柱。氣の量を増やす鍛錬と、氣を制御するための鍛錬だ。まず前者だが、残念ながら氣の量は自然にはほとんど増えない。成長や身体の鍛練によって多少は増えるがそれは微々たるモノ。誤差みたいなもんだ。
ではどうやって氣の量を増やすのかというと、その方法は一つしかない。異界の中でモンスターを討伐するのだ。これにより氣の量は少しずつ増えていく。ただ弱いモンスターばかり倒していても頭打ちになることが知られている。つまりより強いモンスターへシフトしていかなければならない、ということだ。
ただ異界の中でやるわけだから、言うまでもなく命がけである。一度異界の中に入れば、征伐するまで外には出られないのだから。軽い気持ちで行える鍛錬ではない。というより、鍛錬のつもりで異界に突入する者はいない。だから一般に「氣功の鍛錬」というと、それは「氣を制御するための鍛錬」のことを指す。
氣の制御とは、一言で言えば思った通りに氣を扱うということ。その鍛錬法は門派・流派によって様々にある。ただ共通して言えるのは、氣の量が多いほど制御は難しくなると言うこと。また仮に氣の量が同じでも制御力で上回っていれば優位に立てる。それで氣功能力者を名乗る限りはこの鍛錬を続けるというのが常識だった。
剛は颯谷に氣功の鍛錬方法、つまり氣功の使い方も教えていた。もちろんその時の颯谷は10才にもならない子供だから、教えたのは基礎の基礎だけ。だがその基礎を、颯谷はこの五年間、時間を見つけては繰り返してきた。
モンスターを倒したことはないから、覚醒した時点から氣の量はほぼ増えていない。しかしだからこそ、ある程度は思い通りに氣の力を扱うことができる。颯谷自身が実感できる程度には、鍛錬の成果が出ているのだ。
よって今の颯谷は、能力者として熟練者とは言えないが、しかし全くの素人でもない。だから彼は「できる」と思った。三体いるとはいえ、相手は小鬼。モンスターの強さで言えば、小鬼は底辺だ。むしろここで勝てなければ、異界の征伐など夢のまた夢だろう。
(氣の量を増やさないとなんだ。じゃないと……!)
ガーディアンやヌシには、今のままでは勝てない。颯谷もそれは分かっている。そういう強敵と戦って勝つには、とにもかくにも氣の量を増やさなければならない。つまりモンスターを討伐するのだ。手始めはやはり小鬼だろう。
「ふうぅぅぅ……」
鼻から息を吸って丹田に呼気を落とし込む。そしてその息を口から吐く。剛から教わった呼吸法だ。颯谷はその呼吸法で氣を身体に巡らせる。身体が軽くなったような感覚。氣功の最も基礎的な能力である、身体能力の強化だ。彼は少しだけ身体を起こし、拾ってきた木の棒をギュッと握りしめた。
「ああああああっ!!」
悲鳴のような雄叫び、いや雄叫びのような悲鳴を上げながら、颯谷は木の棒を振り上げて背中を見せている小鬼に殴りかかった。完全に不意を突かれ、小鬼たちの反応は鈍い。颯谷は一体の小鬼の後頭部を木の棒で痛打する。彼の先制攻撃は成功した。
「はぁ、はぁ、はぁ、やった……!」
だがそこで彼は動きを止めてしまった。奇襲が成功したことで、緊張の糸が途切れてしまったのである。それは大きなスキで、小鬼たちはそれを見逃さなかった。
「ギィ! ギィギィ!」
「ギィギィ!」
いまだ無傷の二体の小鬼が敵意を全開にして颯谷に飛びかかった。颯谷は一瞬反応が遅れ、さらにむき出しの敵意に気圧されて一歩下がる。その瞬間に戦いの流れは決まった。颯谷はたちまち防戦一方になった。
いや防戦と言うより、「リンチをひたすら耐えている」と言った方が正しいかも知れない。それくらい一方的だ。いつの間にか倒せていなかった三体目も加わり、小鬼たちは殴って蹴って颯谷をボコボコにする。
「うわぁ! うわぁああ!?」
颯谷はもうワケが分からなかった。恐怖だけで頭がいっぱいになり、冷静に対処法を考えられない。木の棒を振り回しても全然当たらないし、小鬼たちはむしろそれをかいくぐって 殴りかかってくる。
「ぐふぅ……!」
小鬼の拳がボディーブロー気味に颯谷の腹部をえぐる。「もうダメだ」と思い、颯谷は背を向けて逃げ出した。当然、小鬼たちはその背中を追う。飛びかかって背中を殴りつけたり蹴り飛ばしたりした。
颯谷は前につんのめって転びそうになりながら必死に足を動かした。反撃はせず、逃げることに集中する。否、反撃なんて選択肢は頭の片隅にも浮かばない。「早く逃げなきゃ」と、彼の頭はそれでいっぱいだった。
颯谷は斜面を転げ落ちるように走る。茂みの中に飛び込み、それでも振り切れず、後ろから聞こえる小鬼のわめき声に泣きそうになる。彼は急勾配の段差で大きくジャンプし、木の枝を掴んで上に上がった。
小鬼たちは身長が足りず、同じようには上に上がれない。だが小鬼たちは執拗で、両手両足を使って急勾配を上る。颯谷は恐怖に顔を引きつらせながら、上ってくる小鬼たちを蹴り落とした。
「ギギィ!」
「ギィギィ!」
段差の下から小鬼たちが颯谷を威嚇する。颯谷は顔を引きつらせ、身を翻してまた逃げ出した。小鬼たちは彼を見失ったのか、耳にきんきんくるわめき声が徐々に遠くなっていく。それでも恐怖は消えなくて、彼は震える足を叱咤して動かす。
いつの間にか小鬼たちの声は聞こえなくなっていた。そのことに気付き、颯谷はようやく足を止めた。木の幹に背中を預けると、途端に肺が空気を求めだす。全身から汗が噴き出し、彼はぜぇぜぇと荒い呼吸を繰り返した。
こみ上げてくるのは安堵。そして情けなさ。彼はズルズルとその場に座り込んだ。目から涙が溢れてきて、彼は左手で顔を覆った。口からは嗚咽が漏れる。全身が痛かったが、泣いているのは別の理由だ。
「オレは……、弱い……」
その現実がたまらなく辛かった。小鬼は最底辺のモンスターのはずなのだ。その最底辺のモンスターに、彼は手も足も出なかった。相手が三体だったとはいえ、なんと惨めな結果だろう。これで本当にこの異界を生きて出ることなんてできるのだろうか。なけなしの自信さえ木っ端微塵だった。
「う、うう……!」
汗は止まらず、涙も止まらない。鼻水まで出てきた。そうやって颯谷はしばらく泣き続けた。この泣き声がモンスターを引き寄せるかもとか、そんなことは少しも頭に浮かばない。そして汗が引いた頃に涙もかれる。意気消沈していた颯谷はゆっくりと顔を上げ、次の瞬間、彼の顔から血の気が引いた。
「ここ、どこ、だ……!?」
見渡す周囲は、まったく見覚えのない景色。そんなに長い時間、小鬼たちから逃げ回っていたわけではないはずなのだが、しかし颯谷は自分の現在地が分からなかった。
「まさか、迷った……?」
言葉にすると、また恐怖がこみ上げてくる。小鬼たちに追いかけられていた時に感じたのとは、また別の恐怖だ。
「どうする……? どうしよう、どうしよう……!?」
混乱が彼を襲った。
小鬼さん「通り魔に襲われたけど返り討ちにしてやったぜ!」