フランス南部異界征伐概要
颯谷にフランスの異界のことを教えてくれることになった軍人は、自分の名前を塚原と名乗った。階級は一尉。もっともそれがどの程度のモノなのか、颯谷には分からなかったが。塚原も階級についてわざわざ解説することはせず、すぐ本題に入った。
「まず異界が顕現したのはフランスの南部、アルプス山脈の麓近くになります。顕現日時は現地の時刻で1月22日の13時頃。フランスは北半球ですし、緯度で言えば日本の北海道とだいたい同じくらいです。当然、真冬ですね」
塚原はまずそう話した。そしてタブレット端末から視線を上げて颯谷の方をちらりと見る。颯谷が小さく頷くと、彼は端末に視線を戻してさらにこう続けた。
「異界の直径は6.7km。日本の区分で言えば中規模ですね。顕現当初は群青色だったようですが、現地時間で26日正午までに黒色化しました。200名弱が犠牲になられたと、レポートには記載されています」
そう告げる塚原の顔色に変化はない。ただ口調は少しばかり沈痛なものになっていた。颯谷も神妙な顔をして唾をごくりと飲み込む。そして彼の次の言葉に耳を傾けた。
「最初のスタンピードが起こったのは現地時間の2月1日の午前10時ごろ。現れたモンスターはヤギ頭の亜人タイプで、『ゴート』と呼ばれることになりました。中鬼と比べると全体的に体格では劣りますが、その分俊敏なモンスターだったようです」
塚原はそう話し、タブレットにゴートの写真を表示して颯谷に見せてくれた。なるほど確かに見事なヤギ頭だ。ちなみに「亜人タイプ」というのは、要するに人間っぽい身体つきの怪異の総称だ。大中小の鬼も、大別すればここに含まれる。スケルトンを亜人タイプに含めるかは学会で紛糾しているという話だが、まあそれはそれとして。
ゴートは亜人タイプであるから、二足歩行で手は自由に使える。それで氾濫で現れたゴートの中には、棍棒などの武器を持っている個体も多くいた。俊敏に動くことも併せて考えれば、モンスターとしての脅威度は決して低くない。
とはいえ、異界の外であれば銃火器が通用する。十重二十重に展開していたフランス軍の防衛線を前に、スタンピードで現れたゴートはほぼ何もできずに全滅させられた。フランス軍の、少なくともスタンピード対策は、有効に機能したと言って良い。
「四回のスタンピードの後、異界は白色化しました。これが現地時間の2月14日午後16時ごろのことです。そして翌15日の午前9時にトリスタン少佐率いるフランス軍の征伐部隊が突入を開始しました」
トリスタン率いる征伐部隊は総員で200名を超える規模になった。その一因は医療チームとその護衛部隊を同行させたから。これはもちろん日本のやり方を真似してのことだ。また異界の中で護衛部隊の兵士らの氣功能力を覚醒させ、次以降の異界征伐に備えるという意味合いもあった。
「突入ですが日本と同じくまずは一番槍、向こうではファーストペンギンと呼んでいるようですが、ともかく顔を突っ込んでの情報収集が行われました。行ったのはヴィクトール少尉ですね」
一番槍もといファーストペンギンによる情報収集とその伝達は、これまた日本から持ち帰ったトリガー型のデバイスで行われた。軍人だけあってモールス信号はお手の物だったらしく、ほとんど訓練も必要なかったとか。そして伝えられた情報は次の通りである。
『ヒル』
『ユキ』
『ガンセキ、タスウ』
『ヌマ』
「異界の中では結構広範囲に変異が起こっていたようですね。地図上には存在しない沼地が多数出現していて、さらには大きな岩石がそこかしこにゴロゴロと転がっていたとか。足元の環境はかなり悪くて、特に車両を動かすのにかなり苦労したとレポートには書かれています」
その様子を想像して颯谷は思わず顔をしかめた。沼地ができていたということは、足元は水気が多かった可能性が高い。そうでなくとも雪が降っていたのだ。分厚く積もったわけではないようだが、それでも当然水分は多くなっただろう。「足元の環境が悪かった」というのは、そういうもの含んでいるに違いない。
「さて、異界に突入してトリスタン少佐がまず取り掛かったのは拠点の設置です。境界のすぐ近くで、岩石をどかしてスペースを作ったようですね。中心部からは距離がありますが、そこは割り切ったようです。同時にドローンを飛ばして異界内の情報を集めています」
その結果分かったのは、沼地の数が思った以上に多い事。このせいで征伐部隊はだいぶ動きを制限されることになった。またドローンを使った探索で核が発見されたのだが、そのコアはとある沼地の真ん中に浮いていたのだという。
「この沼地ですが、異界の中心からは少しずれていたようですね。コアも中心からはズレていて、しかも拠点とは反対側でした。拠点からコアまで直線距離でおよそ4kmとされましたが、実際の移動距離は8kmを超えるだろうとされました」
「征伐部隊にボートはなかったんですか?」
「ありましたが、数は少なかったようです。多数の沼地というのは、どうも想定していなかったようですね」
塚原の言葉に颯谷も頷く。出現したモンスターがリザードマンであれば、池や沼の存在を予期できたかもしれない。だがヤギ頭のゴートではなかなか結びつかないだろう。それでもボートを用意しておいたことはむしろ褒めるべきでは、と颯谷は思った。
「あと、コアだったって話ですけど、ガーディアンは?」
「いましたよ。翼をはやしたゴートです。区別してバフォメットと呼ぶことにしたようです」
翼を持つバフォメットには当然飛行能力があり、コアに近づいたドローンは撃墜されている。ともかくこの守護者が征伐の最大の障害になるであろうことは間違いない。トリスタンもそう判断した。
「バフォメットが確認されるとすぐ、トリスタン少佐は仙樹弾の使用制限を発令しました。対バフォメット用に温存しようと考えたようですね」
「じゃあ、ゴートには通常弾ですか?」
「はい。ゴートは中鬼と比べて同程度か体格で劣ります。通常弾でも対物ライフルなら通用すると考えたようです」
そして実際、ゴートに対してなら対物ライフル(通常弾)でも有効だった。ヘッドショットかハートショットを決められれば一撃で倒せたということだから、ゴートの耐久力や防御力は確かに中鬼以下だったと言っていい。ただし一撃で倒せるのは稀だったという。
「体格で劣る代わりにゴートは俊敏で、足元が悪い中でも動きを鈍らせることはなかったようです。対物ライフルの命中率はあまり良くなかったようですね。そういう意味でも仙樹弾をゴートに使わないことにしたのは英断だったと言っていいでしょう」
塚原の言葉に颯谷も頷く。仙樹弾はまだまだ数が限られている。補給もできない異界の中、使わずに済むならそれが一番だろう。通常弾が有効ならなおさらだ。トリスタンは内心でホッと胸を撫で下ろしたに違いない。
「さてこうして本格的な征伐が始まったわけですが、征伐部隊を悩ませたのはやはり岩石など、足元の環境の悪さでした。足元が悪ければコアに到達するまでに部隊が疲弊しますし、そうでなくともゴートの襲撃に対して不利になります」
足元が悪いだけならともかく、そもそもルートが塞がれてしまっているパターンも多かったという。それでトリスタンは邪魔な岩石を取り除き、ルートを整備しながら進むことにした。
「重機があったんですか?」
「はい。ただゴートの襲撃のため、早々に動かなくなったみたいですね。その後は手作業でした。ただ手作業でやる以上、本当に邪魔な岩石だけを取り除いたようですね。それでもやはり時間はかかります。今回、征伐には40日以上かかっていますが、その大きな理由はコレでしょう」
「岩石って結構大きいんじゃないんですか?」
「そうですね。大きいヤツは爆弾を使って粉砕したようです」
爆弾、と颯谷はやや唖然としながら呟いた。想像していた手作業とちょっと違う。とはいえツルハシがメインでは、征伐も40日では終わらなかっただろう。
「ルートを整備する人間側をゴートが襲撃する。戦闘はだいたいこの形でした。しかもゴートは投石を多用したとのこと。投げる石は大量にありますし、征伐部隊はかなり苦労させられたようです」
「どう戦ったんですか?」
「投石は基本的に盾で防ぎ、対物ライフルで応戦。接近してくるゴートは個別に対応したようです」
もっともそれで全て上手くいったわけではない。逃げるゴートを追いかけ、逆に囲まれてしまうなど、多数の死傷者が出ている。それでもトリスタンは粘り強くルートの整備を続けた。
一方で拠点の移動はしていない。重機が使えない以上、ある程度の面積を整備するのは無理とあきらめたのだ。そのため移動距離が長くなってしまい、それもまた征伐が長引く一因となった。
「そしていよいよコアへのルートが開通します。征伐の最終段階に入ったわけですが、ここでも問題がありました」
「それは?」
「ボートです。征伐部隊はもともと水上や水辺での活動を想定していませんでした。それでボートはあったのですが、それもゴムボートが三つだけ。しかも原動機がないので、オールを使って漕ぐしかありませんでした」
「うわ」
颯谷は思わず声を出した。手漕ぎボートが三隻で、しかも上空には飛行能力を持つガーディアンがいる。さらにバフォメットは全四体で、ボートよりも数が多い。なかなか絶望的な状況に思える。トリスタンはどう戦ったのだろうか。
「トリスタン少佐はボートを分散させ、三方向からコアを攻める作戦を採りました。さらに時間差をつけ、つまり最初の一隻は囮にしたようです。ただし囮で釣れたバフォメットは二体だけでした」
一つ頷き、颯谷は真剣な顔で塚原の話に耳を傾けた。囮で釣れたバフォメットは二体。もう二体は様子を見ている。いや、もう二隻のボートを警戒している。トリスタンとしてはバフォメットを焦らし、もう一体でも囮の方へ引き寄せたかったのかもしれない。だがあまり時間をかければ囮が沈みかねない。トリスタンはもう二隻のボートも出した。
たちまち、バフォメットが反応する。二体のバフォメットがそれぞれ一隻ずつボートへ襲い掛かった。しかしそこへ沼地の縁から銃撃が浴びせられる。ボートに乗らなかったメンバーらの援護射撃だ。この射撃には満を持して仙樹弾が用いられた。
ただいかに仙樹弾とはいえ、ガーディアン相手では効果が薄い。何発かは当たったが、結局バフォメットを倒すことはできなかった。しかしだからこそ衝撃はきっちりと伝わり、空中でバフォメットの身体を大きく揺さぶった。
トリスタンはその隙を見逃さなかった。彼はボートの上からバフォメット目掛けて網を投げつける。その網は見事バフォメットに絡まり、このモンスターを沼に墜落させた。ただこの時、トリスタンは網の端を掴んだままだった。
バフォメットが暴れ、トリスタンもバランスを崩す。このままではボートごと転覆すると思った彼は、自分から沼に落ちた。自分たちの隊長が落ちたのを見て、部下たちは彼を引き上げようとしたが、しかしトリスタンは即座にこう叫んだ。
『かまうなっ、行けっ!』
一瞬躊躇った後、オールが飛沫を上げて水をかく。バフォメットはボートを追おうとしたが、トリスタンは自分を重石代わりにしてそれを妨げた。陸地の残ったメンバーも、援護射撃でバフォメットの動きを封じた。
ここだけ見れば、戦況は征伐部隊優勢と言って良い。だが全体を見れば劣勢だ。ボート部隊はすでに半壊状態。最初の、囮になったボートはすでに沈んでいる。乗っていた兵士たちは沼に落ちたが、それでもどうにか二体のバフォメットの注意を引きつけている。
もう一隻は援護射撃のおかげもありまだ持ちこたえている。ただバフォメットの激しい攻勢にさらされてなかなか前に進めていない。投げた網は逆にキャッチされてしまい、兵士が一人空中へ吊り上げられ、そのまま沼へ投げ落とされた。
どちらも持ちこたえていられる時間はもう短い。トリスタンが乗っていたボートの兵士たちは必死になってオールを漕いだ。しかしもう少しというところで、沼に落ちた兵士たちを弄っていた二体のバフォメットの一体がそれに気付く。そして翼で風を打ち据えて旋回し、コアに近づくボートを側面から強襲した。
『くそっ』
兵士の一人が悪態を吐きながら沼に飛び込む。そして泳ぎながらコアへ向かった。それを見てボートに残った兵士たちは囮になることを決断。泳ぐ仲間の盾になる位置にボートを置きつつ、オールを振り回してバフォメットを牽制した。
その甲斐もあり、泳ぐ兵士はどうにかコアまで到達。しかしそこへ牽制を振り払ったバフォメットが迫る。判断は一瞬。兵士は思い切って水の中へもぐり、急降下してくるバフォメットの爪を避けた。そして水に入るのを嫌ったバフォメットが急上昇するその隙を逃さずに水面へ上がる。同時に腕を伸ばしてコアへナイフを突き刺したのだった。
「おおっ」
「その一撃でコアは破壊され、異界のフィールドは解除されました。征伐完了、ですね」
ただし征伐が完了しても四体のバフォメットは健在である。とはいえ異界が消えれば銃器が通用する。まずは翼を撃ち貫いて機動力を奪い、それから急所へ弾丸が撃ち込まれた。こうして全てのバフォメットが討伐されたのである。
「損耗率は約27%。フランス軍の統計で見れば、画期的な低さですね。三割を切ったのは初めてだとか。トリスタン少佐はこの作戦が評価されて、現在は中佐へ昇進されています」
それを聞いて颯谷は大きく頷いた。そんな彼に塚原はこう付け加える。
「それと桐島君がセミナーで教えた温身法。アレがかなり役に立ったようです。季節は真冬ですし、沼に落ちた方が結構いましたからね。トリスタン中佐もそうですが、下手をしたら凍死していた可能性もあります。それを防げた、とレポートのなかで評価されていますよ」
笑顔でそう告げられ、颯谷はなんともこそばゆい気分を味わったのだった。
颯谷「ゴート……。なんで英語?」
トリスタン「フランス語にしたら、普通のヤギと区別がつかんだろう? あと、前に見たアニメにそんなモンスターがいたから」