大学入学2
大学からの帰り道。車の助手席に乗せた木蓮によると、剛も鉄室に興味を持っているという。鉄室は単純な設備だ。作るのは難しくない。もしかしたら駿河家として鉄室を一つ用意するのかもしれない。
(あ、いや、駿河仙具として、かな?)
心の中で颯谷はそう呟いた。鉄室でやるとしたら仙具の検証だろう。それならば駿河仙具の業務の一環としてやってもおかしくはない。それに駿河仙具で鉄室を用意すれば、その費用は丸ごと経費にできる。
(オレも使わせてもらおうかな)
使い道の分からない仙具なら、颯谷も幾つか持っている。それを検証するのに使わせてもらえたらありがたい。そう思ったのだが、考えてみれば諏訪部研のほうがずっと近い。貸してもらうなら諏訪部研の方が良いだろう。
(ま、いつになるか分からないけど)
諏訪部研は今とても忙しいだろうし、颯谷も今すぐに検証を始めたいわけではない。「まあ、ぼちぼちやるさ」と彼は声には出さずに呟く。そしてそんな彼に木蓮が話題を変えてこう言った。
「それから、颯谷さんが以前に提案された仙樹糸を使った新商品ですけど」
「ああ、アレね。なんか結果出た?」
「はい。インナーと腹巻とサラシを作って実験してみたようです」
このうち、インナーと腹巻は実験結果が思わしくなかったという。氣を通しても防御力不足だったということだ。一方でサラシはなかなか良好な結果を残したという。
「分厚く巻いてやると、結構良かったみたいです。サラシに絞って商品化を目指すと言っていました。後は派生品として、テーピングテープみたいなのも考えているみたいですよ」
「なるほどねぇ」
木蓮の話を聞いて、颯谷は小さく頷いた。現在、駿河仙具が提供している防具シリーズである仙甲シリーズはヘルメット、胸当て、籠手、脛当て、肩当て、肘当て、膝当て、グローブの八種類。そしてこのラインナップを見て気付くのは、腹部をカバーする防具がまだないということだ。
鎧の形で腹部までカバーしようとすると動きにくくなる、というのはあるだろう。颯谷も仮にそういう鎧があったとして実際に使うかは微妙だ。そんな中で腹部を手当できるこのサラシは、良い補完になるのではないか。そんな気もした。
「サラシが商品化されたとして、仙甲シリーズに加えるのかな?」
「どうでしょう……。少なくとも“甲”って感じではありませんけど……。ロープなどもすでに商品化されていますし、普通に仙樹糸を使ったサラシとして売り出すような気がします」
「なるほど。それもそうか」
木蓮の予想に颯谷も頷いて同意する。ちなみに仙樹糸のロープは颯谷も一本買った。現在駿河仙具で売り出しているロープは5mと10mの二種類で、彼が買ったのは5mの方。現在、色々な結び方を練習中である。
さてそんな話をしているうちに、車はとあるレストランの駐車場に入った。チェーン店なのだが、ふわトロのオムライスが食べられる専門店だ。お昼をどこかで食べていこうと提案したのは颯谷だが、このお店をチョイスしたのは木蓮である。スマホでお店のレビューを見せられた時には、思わず「えっ」と声に出してしまった。
『「えっ」てなんですか、「えっ」て』
『いや、なんでもないよ。うん、いいね、オムライス、うん』
ちょっと不満げな顔をする木蓮にそう答え、颯谷はこの件を誤魔化した。本当は木蓮らしくないチョイスだと思ったのだ。一体どんな心境の変化があったのか。彼は内心で首を傾げた。
店内に入ると、四人掛けのボックス席に案内される。ウェイトレスが持ってきてくれたお冷を飲みながら、二人はそれぞれメニューを手に取った。そしてメニューを眺めながら、颯谷はなんでもないふうを装いつつ木蓮にこう尋ねる。
「……ところで、このお店はどこで見つけたの?」
「法学部の友達から教えてもらったんです。『この前、彼氏と行ってきた』と言っていて、それで、その、わたしも……」
少し赤くなってしまった顔をメニューで隠しながら、木蓮はそう答えた。颯谷はやはりなんでもないふうを装いながら、「そっか」と答える。ともかくこれで謎は解けた。メニューに視線を向けつつ、彼は内心の動揺を鎮めた。
「決まった?」
「はい。決まりました」
注文が決まったところで店員さんを呼ぶ。颯谷が頼んだのはデミグラスソースのオムライスで、木蓮が頼んだのはキノコソースのオムライス。どちらもサラダとスープがついている。ちなみにスープはお代わり自由だ。
「……そう言えばさ、諏訪部研の先輩から、時間割が決まったら教えて欲しいって言われたよ」
ウェイトレスがテーブルから離れると、メニューをスタンドに戻してから颯谷がそう言った。十中八九、実験の話だろう。いろいろと計測をやらされるに違いない。思わず口元には苦笑が浮かんだ。
「面倒なら、断ってしまっても良いのではないですか?」
「う~ん、まあ、そうなんだけど。いや、でもやるかなぁ」
苦笑を浮かべたまま、颯谷はそう答えた。確かに面倒ではある。ただその一方で興味もあるのだ。自分の能力がどれほどなのか、客観的な数字として出てくるそれを知りたいという気持ちはやはりある。
「それに、筋トレ用の器具にも興味があるんだよね」
颯谷は家を建て替えた際、車庫の二階にトレーニングルームを作った。今はまだ何の設備もないが、徐々に色々な器具を入れていこうと思っている。ただ颯谷はこれまでジムに通って身体を鍛えたことはない。つまりどんな器具があるのか、そもそも知識がないのだ。
もちろんネットで調べれば一通りのことは分かるだろう。だが一番良いのは実際に試してみること。諏訪部研の実験に協力すれば、色々な筋トレマシンを実際に使ってみることができる。自分の買う時の良い参考になるだろう。
「まあ、あまりにも時間がとられるようなら、一部は断るよ」
「はい。学業優先ですね」
「諏訪部研からすれば、それこそ学業の一部なんだろうけどね」
「まあ。それもそうですね」
そう言って木蓮は楽しげに笑った。それからふと顔に疑問を浮かべ、彼女は颯谷にこう尋ねた。
「今まであまり筋トレをしてこなかったのなら、何をして鍛えていたんですか?」
「氣功と武術の鍛錬は道場で。あとは、マシロたちと裏山を駆け回っているうちに、足腰は自然と鍛えられたかな」
颯谷がそう答えると、木蓮は「ああ、なるほど」と納得した様子を見せた。さらに付け加えるなら、いわゆる筋力は内氣功で十分に補えていたのだ。不便というか、筋力の不足を感じる場面がなく、ならばと体力をつける方を優先していたので、筋トレは後回しになっていたのである。
ただ剛も言っていたが、筋力は大切だ。諏訪部研で握力を計測したことも、意識をそちらへむけるきっかけになっている。これからはもう少し筋肉を鍛えていくつもりだ。そのためのトレーニングルームだし、実験への協力はその契機になるだろう。
「色々と器具を買ったら、木蓮も使ってみる?」
「う~ん、どうしましょう……?」
「ま、ダイエットに使いたくなったら言ってよ」
「うっ、そ、その時はよろしくお願いします……」
怒りたいような、でもそれ以上に恥ずかしいような。そんな顔をしながら、木蓮は小さく頭を下げた。いや、目を伏せたのかもしれない。
「でもまあ、しばらく必要ないだろうけどね」
颯谷がそう付け加えると、からかわれたと思ったのだろうか、木蓮が小さく顔を上げて上目遣いに彼を睨んだ。ただし、ちっとも怖くない。むしろ若干頬が膨れているのが、かえって子供っぽかった。
そうこうしているうちに、注文した料理が運ばれてきた。木蓮はパッと顔を輝かせてスプーンを手に取る。そして一匙オムライスを食べると、たちまち顔をほころばせた。そんな、ころころと変わる彼女の表情を見ながら、颯谷も同じようにオムライスへ手を付ける。そして内心でこう呟いた。
(ダイエットが必要になるのは、案外早いかもしれないなぁ)
もちろん、口には出さない。オムライスと一緒に飲み込んだ。さらにもう二口ほどオムライスを食べてから、颯谷は話題を変えて木蓮にこう尋ねた。
「木蓮って、部活とかサークルとか、どうするつもり?」
「やるならドラムが叩けるところが良いですね。せっかく覚えたわけですし、忘れないように」
「じゃあ軽音系?」
「そうなると思います。でも勉強もありますし、息抜き程度にしておきたいので、サークルかなぁ」
そう言って木蓮はサラダのミニトマトにフォークを突き刺し、口元へ運んだ。部活とサークルの違いは、一言で言えば大学公認か否かという点である。もちろんサークルであっても登録が必要な場合は多い。ただ予算や指導者の面では、やはり部活動のほうが有利だ。
一方でサークルのメリットは自由に活動できることだろう。部活動ほど結果が求められないので気楽でもある。木蓮のように趣味の延長くらいの範囲でやりたいのなら、サークルのほうが無難かもしれない。
「颯谷さんはどうするんですか?」
「オレは『氣功能力者倶楽部』ってところに入るつもり。あ、これサークルね」
「へぇ……。名前からして、氣功能力者の学内互助組織ですか?」
「う~ん、どうだろ……。たぶんそこまで大したモノじゃないよ。『ゆる~く横の繋がりを作るのが目的の一つ』って言ってたし」
そう言っていたのは諏訪部研の伊田で、颯谷を氣功能力者倶楽部に誘ったのも彼だ。彼が言うには、氣功能力者俱楽部はサークルだが、結構歴史のあるサークルなのだという。
氣功能力者だからと言って全員がそれ関連の進路を選ぶわけではないし、また同様に全員が征伐隊に志願する訳でもない。つまり学内にはいわゆる能力者社会とは関わりのない能力者も多数いるのだ。
そういう者たちとの最初の接点になることが期待されているのが、この倶楽部だった。本人が希望すれば道場を紹介することもあるという。もっとも、そういう斡旋がメインの活動というわけではないのだが。
「本当にズブの素人が来たら基礎の基礎くらいは教えるらしいけど、普段は駄弁ってるだけらしいよ。稽古も何もしないって」
「まあ」
木蓮はおかしそうに笑った。ただ、そうやって雑談する場所が結構重要だったりもする。武門も流門も、放っておくと内々でかたまりがちだからだ。だがこの倶楽部に入れば、他の武門や流門の能力者とも知り合うことができる。
例えば伊田と同じ諏訪部研の宮本は武者修行で東北へ来ているが、本来は関東の流門がホームグラウンドである。そんな彼もまた氣功能力者倶楽部には所属していて、つまりこの倶楽部に入って彼に話しかければ関東の流門に伝手を作れるのだ。
聞けば、遠く九州から進学してきている能力者もいるとか。学部や学科が違えば、そういう遠くの地域の能力者とは、普通なかなか知り合う機会はない。だがこの倶楽部に入れば、比較的容易にその機会を得られる。時折OBやOGが顔を出すこともあり、それもまた人脈を広げる機会になっていた。
「社交場みたいですね」
「もっと気楽な感じみたいだけどね。でも伝手があるといろいろ楽って言ってたよ。遊びに行くときとか」
「まあ」
木蓮はまたおかしそうに笑った。せっかく人脈を築いても、その程度のことにしか使えないのならもったいないと思ったのかもしれない。もっともそれは、武門や流門が基本的に地域完結型であることの裏返しとも言える。
彼らの一大事と言えばすなわち異界征伐であり、ではそのために東北から九州へ行くかと言えばそんなことは基本的にしない。そういう大前提がまずあるので、そもそも人脈の価値というモノが低くなりがちなのだ。
とはいえだからこそ、氣功能力者が集まっても駄弁っているだけという、ゆるい活動が容認されているわけだが。厳しい社交界に飛び込みたいとはまったく思っていない颯谷からしてみれば、そういうゆるさはかえってありがたいのだった。
諏訪部研の実験=間違いなく学業の一部。ただし単位は出ない。