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異界は今日も群青色  作者: 新月 乙夜
高校三年生

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桐島、車を買う


 颯谷はどうにか夏休み中に自動車の運転免許証を取得することができた。マニュアルではなくオートマチックにしておいたことが、最大の要因だろう。実は「あ、ヤバいかも」と思っていたのだが、誰にもそんなことは言わなかったので、新学期彼は何食わぬ顔で真新しい免許証を披露した。そして木蓮にこう提案する。


「車を買ったらさ、ドライブに行こうよ。受験勉強で大変だと思うけど、たまに息抜きするくらいは良いでしょ」


「それは楽しみです。ぜひ」


 微笑みながら木蓮はそう答えた。颯谷の言う通り、このところの木蓮は受験勉強で忙しい。夏休みも、実家に帰っていないくらいだ。ただ彼女はもとから計画的に勉強を進めていて、大一番を前に大わらわというわけではない。よほど急でなければ、半日程度予定を空けるのは難しくなかった。


 具体的な計画はこれからとはいえ、木蓮からデートの約束を取り付けて、颯谷は嬉しそうに笑みを浮かべる。内心では「勉強の邪魔かな」とちょっと心配していたのだが、予定を空けられないなら木蓮はそう言うだろう。だから颯谷は彼女の「楽しみです」という返事をそのまま受け取り、早速頭の中で候補を挙げはじめた。そんな彼に木蓮がこう尋ねる。


「ところで、どんな車を買うつもりなんですか?」


「まだコレとは決めてないけど、中古の軽を探すつもり。あ、じいちゃんからは『四駆にしとけ』って言われた」


「…………もう少し、いろんな方と相談してみてはいかがでしょう」


「え、そう?」


「はい。例えば、そう道場の師範の方とか」


 木蓮がそう言うと、颯谷は「う~ん」と唸って少し考え込んだ。どんな車を買うのかというのは完全にプライベートな事柄。征伐隊や氣功能力に関することならまだしも、そんなことで相談するのは筋違いかと思ったのだ。


 とはいえ、膝を付き合わせて意見を請うほどの話題でもない。雑談ついでに意見を聞いてみるのはアリだろう。それで颯谷は木蓮に「分かった」と答えた。そしてその日の放課後、彼は千賀道場へ赴くと早速件の話題を振ってみた。


「ところで師範。免許取ったんで、今度中古の軽でも探そうかと思ってるんですけど、どう思います?」


 颯谷は非常に軽い気持ちでそう尋ねた。彼が予想していたのは「好きにしたら」と反応で、何ならお勧めの車種くらいは聞かせてもらえるかと思っていた。だがその予想に反し、茂信がまず発したのは深い深いため息だった。そして彼は言い聞かせるようにしてこう続けた。


「妙な車、というとメーカーさんに怒られそうだが、それでもピンキリがあるのは事実だ。もうちょっと真剣に考えなさい」


「そうだぞ、桐島。車って言うのは凶器なんだ。しかも小回りが利かないし、すぐに捨てて逃げるってわけにもいかない」


「お前さんが事故を起こすって言っているわけじゃないぞ。ただお前さんにその気がなくても事故は起きるんだ」


「信号で止まっていたら後ろから追突されたとか、信号無視の車が突っ込んできたとか、そういうのはどうしてもあるんだ。むちうちはキツいって聞くぞ」


「まあ要するにだ、値段だけじゃなくてそういうところもちゃんと考えた方が良いぞ、って話だ」


 茂信だけでなく先輩門下生たちからも口々にそう言われ、颯谷はちょっと圧倒されてしまった。とはいえ、言われて気付く。確かにそれほど真剣に考えていなかったかもしれない、と。大袈裟な言い方をするなら、車は命を預ける乗り物なのだ。


 乗り物というなら、彼はすでにバイクを乗り回している。ただバイクと自動車では、今後使う頻度が段違いだろう。今だってバイクではなく玄道に軽トラを出してもらうことが多々あるのだ。であればそれに比例した安全意識を持つのはむしろ当然と言って良い。


 そんなわけで颯谷は「もうちょっと考えてみます」と答えたのだが、さらにその日の晩、今度は彼のスマホが鳴った。剛からだ。「どうやら木蓮から連絡が行ったらしい」と察して、颯谷は苦笑を浮かべる。応答してみると、話はやはり車のことだった。


「別に、高級車を買えと言っているわけではないんだ。だが価格の事だけを考えているなら、それは違うと思うぞ」


「安全のこと、ですよね」


「そうだ。余計なお世話かもしれないが、安全性能がしっかりした車を買いなさい。颯谷の身体と能力は、車よりよほど価値があるのだから」


 剛にもそう言われ、颯谷はさすがに中古の軽自動車は止めることにした。玄道が昔からお世話になっている自動車の整備・販売を行っている会社にお願いして、適当な車を見繕ってもらうことにする。その際、「四駆、安全性能高めで」とお願いした。


 勧められた車種は三つ。そのうちの一つはバッテリータイプの電気自動車だったので、その時点で颯谷は興味を失った。田舎に充電スポットはないのだ。それなら自宅に作るという手もあるが、そこまでしてどうしても電気自動車に乗りたいわけではなかった。


 彼が選んだのは国産のハイブリッドSUV。普通の乗用車も提示されたのだが、最後はデザインで決めた。お値段は諸々込みで500万円ほど。「中古の軽なら3,4台買えちゃうな」と思った彼は、やはり根っこが庶民らしい。


(まあ、カッコいいからいっか!)


 九月の中旬、納車されたSUVを眺めながら、颯谷は心の中でそう呟いた。口元をニマニマさせながら、艶やかな車体をそっと指で撫でる。木蓮とどこへドライブに行こうか、彼は早速考え始めた。余談になるが、このSUV、あとでちょっとした問題が発覚する。それは……。


「車体もタイヤも重い!」


 タイヤ交換の際、颯谷は思わずそう声を上げた。もしかして個人でタイヤ交換することは想定していないんじゃないだろうか。そんな気さえする。さっさと業者に頼んでしまうのが一番楽だったのだろうが、彼もなんだか意地になってしまっていて、結局氣功能力を駆使してタイヤ交換を完了したのだった。


 さて九月の初頭、颯谷がまだ車選びをしていたころ、千葉県に異界が顕現した。場所は房総半島の真ん中よりやや北側で、直径はおよそ1.6km。沿岸部は飲み込まれなかったものの、住宅地が被害に遭って一千名に近い住民が内部に取り残された。


 房総半島異界と名付けられたこの異界は、区分の上では中規模だが、その中でもかなり小規模寄りの中規模である。そして規模が小さいおかげで被害も少なくて済むかと言えば、そんなことはなかった。むしろ今回何が最悪かといえば、この異界の小ささこそが最悪だった。その範囲内に有力な武門や流門がなかったのである。


 これは後で分かったことだが、房総半島異界の内側には氣功能力者が全くいなかったわけではないらしい。人数だけなら二十名ほどいたという。だが彼ら自身がそのことを把握しておらず、結局集合することも連携することもできないまま、個々に動いて命を散らすことになった、と推測されている。


 そして九月の末頃、房総半島異界のフィールドが黒色化した。それは内部に取り残された住民が全滅したことを意味している。そしてこれから氾濫スタンピードが起こることもまた意味していた。


 関係者からすると、この異界のフィールドが黒色化してからスタンピードが起こるまでの間が最ももどかしく、そして恐ろしい。どんなモンスターが現れるか分からないからだ。もちろんヌシ守護者ガーディアンクラスが外へ出てこないことは分かっている。しかしそれでも、厄介なモンスターというのはいるのだ。


 まして今回、異界が顕現したのは房総半島。東京湾の向こう側には東京都がある。東京都から見て今回の異界は決して対岸の火事ではない。特に飛行能力を持つモンスターが外へ出てきた場合、東京都はすぐ目の前と言って良いのだから。


 そしてこういう「あり得るかもしれない」という未知が、人を最も恐怖させる。最悪を際限なく悪化させていくからだ。あるいはそういうことが積もり重なったのかもしれない。とある国会議員がこんな発言をした。


「今回の異界、もう少し大きければ良かったと思いますね。そうすれば、内部の人たちだけで征伐可能だったでしょう。そうすればスタンピードも起こらず、最終的な被害だってもっと少なくて済んだはずです」


 異界がもう少し大きく、その内側に有力な武門か流門を吞み込んでいれば、彼らが征伐を行ってくれたはず。そして征伐が短期間で完了すれば被害は少なくて済む……。恐らくはそういう趣旨の発言だったのだろう。


 ただその言葉の裏側には、「内部の人たちが自力で征伐してくれていれば、東京が危険にさらされることはなかった」という意識が見え隠れする。そしてそれは同時に、自力征伐が叶わなかった被災者らのことを「役立たず」と罵っているに等しい。


 もっとも、そういう裏読みをしなくても、この発言が不謹慎で人々の神経を逆撫でするものであったことは間違いない。結果、この発言は炎上した。件の国会議員は連日釈明に追われ、それでもバッシングは止むことなく、最終的には議員辞職へ追い込まれたのである。


 このような場外乱闘がありつつも、房総半島異界への対応は着々と進められた。まずは近々起こるスタンピードに対処しなければならない。近隣住民の避難が行われ、異界の周囲には国防軍の部隊が展開する。そしてここでもまた、疑惑が噴出した。


 異界の西側に展開した部隊の方が、陣容が厚かったのである。房総半島の東京湾沿いには大規模な工業施設が立ち並んでおり、それらの施設をスタンピードから保護するため、というのが国防軍の説明だった。


「確かに西側のほうにより多くの戦力が配置されております。これは個々の状況を鑑みての決定であります。一方で東側ですが、決して東側の陣容が薄いわけではありません。むしろこれまでの例と比べても、十分な戦力が配置されております。国民の皆様におかれましては、安心して国防軍の指示に従っていただきたく存じます」


 国防軍の報道官はそのように説明したが、メディアは収まらなかった。ワイドショーでは識者が族議員を介した大企業の介入を予想。あるいは先日の国会議員の発言と結びつけて、「政府が自分たちを守るため東京湾側により多くの戦力を配置させた」と主張した。


 結局、疑惑は疑惑のままというか、闇が暴かれたり不祥事が明らかになったりすることはなく、時間とともに自然とこの話題は下火になった。工業施設群への被害が軽微で済んだことも、その一因だろう。国防軍は良くやったと言っていい。ただこういう騒動を東北から眺めていると、颯谷などは「やっぱりこの国の中心は東京なんだな」と思ってしまう。


「地方に異界が現れても『ああ、またか』みたいな反応なのに、関東に現れた途端にこんなに騒いじゃってさぁ。なんだかな、って感じですよね」


 千賀道場で、颯谷はついそう愚痴ってしまった。そんな彼を先輩門下生たちがこうなだめる。


「まあ、そう言ってやるな。関東の、中でも東京の人口が多いことは事実なんだ」


「それに注目度が高いってことは、プレッシャーもかかるってことだ」


「あ~、東京とかその近場の武門とか流門って、政治家からの連絡が多いって聞くからなぁ」


 先輩門下生たちのそういう話を聞くと、颯谷は「うっ」と言葉を詰まらせた。確かにそういう注目のされ方はあまり嬉しくない。ただ何となくモヤっとする気持ちは晴れなかった。


(……ま、考えても仕方ない、か)


 自分にそう言い聞かせ、颯谷は気分を切り替える。良くも悪くも、房総半島異界は世間の注目を集めた。それはたぶん、無関心に晒されるよりはマシなのだ。


 そしてそんな中で異界は静かに白色化し、いよいよ征伐隊が突入する。そのニュースをテレビで見ながら、颯谷がふと思い出したのは大分県西部異界のことだった。


 あの異界もまた市街地を呑み込んで大きな被害をだした。また避難民が多くなったことで早期の征伐が望まれ、しかし第一次征伐隊が全滅したことで、颯谷のもとへ赤紙が来ることになった。


(また来るかなぁ……)


 颯谷は内心でそう呟いた。征伐報奨金を受け取る者に課される五回の義務の内、彼がこれまでにこなしたのは四回。あと一回、残っている。であれば今回の房総半島異界も、第一次征伐隊が失敗した場合には、彼のもとへ赤紙が来るかもしれない。


(東京が近いし、前例があるし、政治家のハードル下がりそう……)


 このあたりの予想は颯谷の独断と偏見まみれなのだが、だからこそ彼はウンザリしてしまう。いや実際問題、このタイミングで赤紙が来ると、受験スケジュールその他諸々がグチャグチャになりかねない。本当に止めて欲しいというのが正直なところである。彼は征伐隊へ自分勝手なエールを送るのだった。

 

颯谷「中古車をうんぬん……」

木蓮(なんとか軌道修正しないと……!)

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― 新着の感想 ―
むしろ中古の軽にしとけってアドバイスしちゃうなぁ 金持ちはやっぱり考えが違うんだなぁ…
「桐島颯谷が高校卒業するまでは赤紙を出さない」 というのは「批判殺到したからとりあえずそういうことにした」と党内で申し合わせただけだろう。 (颯谷が「このタイミングで赤紙が来たら困る」と考えていること…
最初のクルマなんてぶつけるのがわかりきってるんだから中古車でって考え方は最近はないんですかね。最近は衝突防止センサーあるから気にしないのかもしれませんが
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