風邪2
風邪をひいたその日。雨風のなか飛び出した二度目の食料調達でも、颯谷は怪異に遭遇した。身体はやはり思うようには動かず、転んで彼は泥まみれになった。それでも大きなダメージを受けることなく戦闘に勝利できたのだから十分に及第点以上だろう。気分は最悪だったが。
目的の仙樹のところへたどり着くと、颯谷はすぐに仙果を貪った。相変わらず喉は痛い。だが食べなければエネルギー切れになる。それに持ち帰れる量は決して多くないのだ。だから食べるときに食べておかなければならない。それがきっと外へ出る回数を減らすことにもつながるはず。
「ふう……」
まずお腹を満たすと、颯谷は次に仙果のついた枝を切り落とし始めた。洞窟へ持ち帰るためだ。彼が洞窟へ戻ると、中にいた白い野犬が一瞬身構える。颯谷は他の獣が入り込んでいないのを確認すると、持ってきた仙樹の枝をひとまずわきにまとめて置いた。
火をつけて温まる前に、颯谷は仙果を食べつくした仙樹の枝をもってもう一度外へ出る。そしてその枝を適当な地面に突き刺した。挿し木だ。彼はさらに「これだと太すぎるかもしれない」と思い、もっと細い枝を切り落としてそちらも地面に挿し木する。
挿し木の方法がこれで良いのか、颯谷には分からない。そもそも仙樹を挿し木で増やすことができるのか、そこからして不明だ。だが成功すれば画期的である。「根付いてくれよ」と祈りながら、彼は洞窟の中へ戻った。
火を熾そうとして、彼は自分が転んでしまったことを思い出す。雨に濡れたおかげで大体の泥は落ちているが、まだ細かく残っている。それにズボンは汚れたままだ。まあ、これは今更なところもあるが。
少し悩んでから、颯谷はため息をついてもう一度外へ出た。そして土砂降りの雨をシャワー代わりにして体についた泥を落とす。夏にこれはとても気持ちよかったのだが、冬も近いこの季節はカラスが行水している気分だった。
(風邪には、良くないだろうなぁ……)
颯谷は内心でそう嘆息した。こんなことをしていたら、治るモノも治らないのではないか。正直そんなふうにも思う。だが同時に「今更だ」とも思うのだ。だったら自分の好みを優先させたい。意地になっていた面があるのは、否めないが。
身体を洗い終わると、彼はすぐ近くの、岩にくぼみのある場所へ移動する。そしてズボンとパンツを脱いでくぼみにたまった水で洗った。丁寧には洗わない。どうせ完全に奇麗にはならないから。なら意味があるのかと思わないでもないが、まあこれも意地だ。洗ったズボンとパンツを軽く絞ってから、彼は洞窟に戻った。
入口のところでズボンとパンツをもう一度、今度はしっかりと絞る。今度こそたき火を熾し、ズボンとパンツを火の近くにおいて乾くようにした。もっとも、次に外へ出るまでにちゃんと乾くかはわからないが。
ストックしてある薪の束で洞窟の入り口を簡単にふさぎ、それからようやく颯谷はしゃがみ込んで火にあたって温まる。動かなくなったからなのか、火にあたっているのに身体が冷えていくように感じる。彼は顔をしかめて温身法の出力を上げた。
(あぁ~、くそ、何やってんだろ、オレ)
客観的に見るならば、全裸でたき火にあたっている。喉も頭も痛いのに全裸で、身体を温めるためにはたき火より前にやることがたくさんあると思うのだが、ここではそんな当たり前のことが何もできない。自分がとても惨めに思えて、颯谷はうなだれた。
ただうなだれていても腹は減る。洞窟に戻ってきてからしばらくすると、颯谷は空腹を覚えてノロノロと立ち上がった。パンツがおおよそ乾いているのを確かめてからそれを履き、全裸から卒業。持ち帰った仙果を房ごと枝から採って食べようとする。その瞬間、彼は白い野犬と目があった。
「…………」
白い野犬は、伏せたまま彼のことを見ている。その目はなんだか物欲しげに見えた。颯谷は思わず眉をひそめる。いろいろ頭をよぎることはあったが、一番の疑問は「犬が仙果を食べるのか?」ということ。彼は試しに手に持った仙果の房を白い野犬のほうへ放ってみた。
野犬は戸惑った様子を見せ、仙果の房と颯谷を何度も見比べる。そしてやや躊躇いを見せてから、仙果を食べ始めた。それを見て颯谷は「食べるんだ……」と小さくつぶやき、それから自分も仙果を食べ始める。野犬が仙果を食べる様子を見ていると、ちょっとほっこりした。
仙果を一房食べると、彼はまたたき火の前でじっとした。そこへ野犬が近づいてくる。そして彼の隣で横になった。火に近い、温かい場所に来たと思えば合理的だ。だがそれなら颯谷の隣である必要はない。
(餌付けの成果、かな……)
内心でそんなことを考え、颯谷は躊躇いがちに野犬へ手を伸ばす。野犬は一瞬、耳をピクリとさせたが、嫌がることなく彼の手を受け入れた。野犬の白い毛並みを颯谷はゆっくりとなでる。そうしていると気分が少しだけ上向いた。
それでも、何もしないでいると、ろくなことを考えない。惨めさや寂しさばかりが募ってきそうだったので、颯谷は努めて別のことを考える。かといって楽しく妄想できるような気分でもない。ふと頭に浮かんだのは、食料はこれでもまだ足りないだろうということだった。
(風邪も天気も……)
風邪も天気も、すぐに回復しそうにはない。となればまた具合の悪い体に鞭打って、雨風のなか仙果を取りに行かなければならなくなる。それ自体はもう仕方がない。だがもう少し楽にならないものか。
楽に、ということはつまり労力を省くということ。だが移動手段は徒歩しかないし、カバンや袋のような道具があるわけでもない。ほとんど身体一つしかないこの状況で、どの労力をどう省くのか。
「戦闘がなければなぁ……」
颯谷はぼやき気味にそうつぶやいた。一回目も二回目もモンスターと遭遇した。だがそれがなければずいぶん楽だったはずなのだ。では戦闘を避ければ良いのかというと、それも難しい。
モンスターを避けるために大回りすればその分の労力が増えるし、別のモンスターと遭遇する可能性もある。そして一度捕捉されれば相手は追ってくる。逃げ切るよりはさっさと倒したほうが早い。
「となると……」
となると、モンスターとの遭遇を避けるのではなく、戦闘をより早く終えることを考えたほうが、結果としては労力を省くことになるのではないか。颯谷はそう思った。つまりは戦力強化なのだが、これも言葉で言うほど簡単ではない。
「なんか……、なんかないかな……」
白い野犬の背を撫でながら、颯谷は眉間にシワを寄せながら考え込む。一瞬「コイツが一緒に戦ってくれたら……」と思ったが、すぐに「無理だな」とあきらめる。一回餌付けしたくらいでは、そんな信頼関係はまだないだろう。
次に思いついたのは武器。武器があれば手っ取り早く戦力を強化できる。だがどこにそんな武器があるのか。武器がないから今までずっと素手だったのだ。最初こそ棒切れを振り回していたが、その段階はもう過ぎてしまっている。
「いや、待てよ……」
颯谷は小さくそうつぶやき、さらに考え込んだ。確かに、今更棒切れを振り回したところでたかが知れている。そうただの棒切れなら。
脳裏に浮かぶのは手刀と貫手。どちらもただ繰り出したのではモンスターには通じない。だが氣功と組み合わせることで使えるようになる。これを棒切れにも応用できないか。
つまり木の棒を氣で覆うのだ。あるいは氣を通す。そうやってただの棒切れを強化できないか。颯谷はそう考えた。
(やってみよう……)
颯谷は早速試してみることにした。薪として火の中に入れるつもりだった棒切れを一本手に持つ。そしてそこへ氣を少しずつ流し込んでいく。だが……。
「あ……!」
颯谷が注視するその先で、細い木の枝がパンッと小さく弾けて折れる。それを見て彼は眉をひそめた。流し込んだ氣は微量。枝が細かったせいもあるのだろうが、期待の持てる結果ではない。
だったらと思い、颯谷は別の枝を手に持った。そして今度はその枝を氣で覆っていく。だが今度も途中で枝は折れた。それを見て彼は盛大に顔を険しくする。こちらも期待の持てる結果ではない。
「ダメなのかなぁ……」
颯谷の口から弱音が漏れた。折れた枝を火の中に放り込み、彼は難しい顔をして考え込む。どうして失敗したのか。それを推測するだけの知識も彼にはない。ではどうすれば成功するのか。的外れでもいいので、そのためのアイディアをひねり出す。
「……何か、相性がいいモノがあれば……」
そう呟きつつも、颯谷の口調は弱い。どんなモノが氣と相性が良いのかなんて、彼には分からない。彼はため息を吐いたが、その時ふと目に入ったのは、仙果を食べつくした後の仙樹の枝。彼は立ち上がってそれを手に取った。
五年前、仙果を食べて彼は氣功能力を覚醒させた。ということは仙果、ひいては仙樹は氣功と相性が良いのではないか。少なくとも他の樹木よりはそうだと考えるのは、筋が通っているだろう。
まあ、細かいことはいい。実際のところどうなのかは、試してみれば分かるのだから。颯谷はまたたき火の前にしゃがみ込むと、仙樹の枝を顔の前に持ってくる。そしてまたゆっくりとそこへ氣を流し込み始めた。
(お……)
氣を流し込み始めてすぐ、颯谷はさっきまでとは手ごたえが違うことに気付いた。まだ量は少ないが、枝が内側から弾けるような気配はない。颯谷はごくりと唾を飲み込み、喉の痛みに顔をしかめながら、流し込む氣の量を徐々に増やしていった。
「これは……、もしかして成功……?」
声に喜色を滲ませながら、颯谷がそう呟く。結構な量、体感では手刀以上の氣を流し込んでいるはずなのだが、仙樹の枝が折れたり弾けたりする様子はない。颯谷は一旦氣を止め、仙樹の枝をまじまじと見てから大きく頷いた。
「よしよしよしよし……!」
久しぶりに思ったような成果が出て、少しだけ彼のテンションが上がる。どこまで使い物になるかは実戦で試してみないことには分からないが、ともかく今は可能性をつかんだだけで良しとする。
颯谷はもう一度頷くと、今まで持ってきた仙樹の枝の中から、比較的まっすぐなものを選んだ。そして葉や細い枝を落として、一本の真っ直ぐな棒に整える。出来上がったその棒は、長さがだいたい150センチほど。ただし先端の方はかなり細く、軽く振るうと釣り竿のようにしなった。
次に颯谷は、その棒を氣で覆うほうも試してみる。結果は良好。彼は大きく頷いた。やはり仙樹は氣と相性が良いようだ。それが分かっただけでも、なんだか少し前に進めたような気がした。あとは実戦でどれくらい役に立つのかだが、少なくとも素手よりはマシだろう。
「使えなかったら捨てればいいだけだしな」
あえて気楽にそう呟き、颯谷は自分を励ました。そして木の棒を武器化する実験を一旦終える。それからまた火にあたって寒さをじっと耐えた。
そうやって少しうつらうつらした後、彼は食料調達のため、三度雨風のなかへ飛び出した。この時点ではまだ仙果は残っている。だが明日の朝までは持たない。そして日は確実に短くなっている。明るいうちに終えてしまいたかったのだ。
そしてその途中、やはりというか颯谷はまたモンスターに遭遇。その戦闘で彼は仙樹の棒を試してみた。
まずは棒に氣を流し込むやり方。この方法だと、棒の耐久力は確実に上がった。颯谷が力任せに振り回しても折れなかったのだから、かなりのものと言っていい。ただ武器としてみた場合、有効なのはどうも小鬼まで。中鬼相手だと、ダメージは入るものの、動きを止めたり鈍らせたりするにはなかなか至らないという印象だった。
そこで試したのが次のやり方、氣で棒を覆う方法だ。さらにその棒を覆った氣を、手刀の要領で刃へ変化させる。これは大成功だった、と言っていい。最初の一振りで中鬼の太ももを大きく切り裂いて動きを制限、そのまま一方的に倒すことができた。
「スッゲー……」
あまりにも簡単に倒すことができて、颯谷は思わずそう呟いた。同時に顔には笑みが浮かんでくる。コレがあれば、これからは戦闘をもっと楽にこなせるだろう。やっと一つ物事がうまくいったような気がして、雨風のなかでも彼の足取りは軽かった。
白い野犬さん「今度は全裸!?」