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異界は今日も群青色  作者: 新月 乙夜
ひとりぼっちの異界征伐
13/192

風邪1


「グァ……、ゴホッ、ゴホッ!」


 その日の朝、颯谷は喉に強い痛みを覚えて目を覚ました。呼吸が上手くできず咳き込む。真っ黄色いたんを吐き出すと、少し呼吸が楽になった。


「喉、が……。ッツ……」


 右手で喉をさすっていると、ズキリと鋭い痛みが頭を襲う。頭痛だ。ズキズキと痛む頭を手で押えながら、自分の状態を把握する。


「風邪、ひいた……?」


 そうとしか考えられない。そしてそれを自覚すると、今度は身体がだるさを訴えくる。体温計はないが、たぶん熱もあるのだろう。颯谷は「マジか……」と力なく呟いた。原因はたぶん、昨日。


 昨日は朝から雨で、しかし颯谷はそれでも薪集めや怪異モンスター退治を行った。もちろん集めた薪は濡れていたが、中間保管場所に置いておけば乾くだろうし、モンスターだって雨の中でもかまわずそこらをうろついている。


 何より貴重な時間を何もせずに過ごすのが怖かったのだ。それで雨に濡れながらアレコレやったのだが、多分ソレが原因だ。身体が冷えて風邪をひいてしまった。


「サイアクだ……」


 げっそりとした表情で、颯谷はそう呟いた。体調不良は間違いなくリスク要因。彼は頭を抱え、次いで襲ってきた頭痛に顔を歪めた。


 では昨日、外へ出なければ良かったのだろうか。普通に考えればそうなるのだろう。だが颯谷はすぐに「そうだ」とは答えられない。そもそも雨だろうと、お腹を満たすためには外へ出なければならないのだ。


 そうしなければ温身法も外纏法も維持できない。空腹のために動けなくなれば餓死を待つだけだし、体温の維持に支障をきたせば凍死する。食事は文字通り生命線であり、雨が降ったくらいで後回しにはできないのだ。


 そしてそれは、風邪をひいてしまった今の状況でも同じ事。具合は最悪なのに身体は空腹を主張している。いや空腹と言うよりは飢餓感。「食わなきゃ死ぬぞ!」と身体が警告を発している。


「…………っ」


 重い身体をむち打って颯谷は立ち上がる。そして洞窟の入り口を塞ぐために置いておいた薪の束を一つどかした。外の様子を見て、彼は顔をしかめる。昨日からの雨はまだ続いていた。


 しかも風が強くなっている。北寄りの風なのだろう。洞窟の中に吹き込んでくる様子はない。だが外へ出れば風向きは関係ない。容赦なく雨風にさらされることになる。それを想像して颯谷は泣きたくなった。


 だがそれでも。生きるためには外へ出て仙果を食べなければならない。こうしている間にも温身法と外纏法は使い続けていて、つまりエネルギーを消費し続けている。そして昨日持ち帰った分は昨晩に食べてしまった。ここに食べ物は何もないのだ。


「ぅぅ~~~っ」


 声にならない呻きが颯谷の口から漏れる。正直、仮に雨が降っていなかったとしても、動くのは億劫だ。暖かい布団の中で横になっていたい。だがそれをやったらほぼ間違いなく死ぬ。生きるためには、動けるうちに動かなければならないのだ。


「くそぉ……!」


 涙声で悪態をつくと、颯谷はTシャツを脱いで上半身裸になった。決してとち狂ったわけではない。Tシャツはもともとボロボロで、防寒具としてはあってないようなモノ。それなら雨に濡らすのではなく、戻ってきたときタオル代わりに使った方が良い。


 颯谷は頭の中で把握している仙樹をピックアップする。そして向かうべき仙樹を定めた。薪集めはしない。ストックしてある分も運び込まない。そう決めてから颯谷は外へ飛び出した。


「……っ」


 たちまち、強い雨風が颯谷に吹き付ける。彼は顔を歪めて駆け出した。頭が痛い。喉が痛い。肺も痛い。だが時間をかけても良いことはない。雨と風の中、怠い身体を引きずるようにして彼は走った。


 だがそういう時に限って余計な邪魔が入るもの。いや、そういう時だからなおさら邪魔に感じるのか。颯谷の前に現われたのはモンスターの一団。中鬼が1体、小鬼が3体だ。そいつらはもう彼のことをロックオンしていた。


 いまさら戦うのを躊躇うような相手ではない。風邪をひいていなければ。逃げようと思えば逃げられる。いつもの体調なら。戦うにしても逃げるにしても、いつものようにはいかないだろう。


(ならっ……!)


 颯谷はヤケクソ気味に覚悟を決め、駆け足のまま距離を詰めた。モンスターたちも猛然と突っ込んでくる。颯谷は最初に飛びかかってきた小鬼の腕を掴み、ハンマー投げのように身体を一回転させてから中鬼へ投げつけた。


「ギギィ!?」


「グガァ!?」


 中鬼の足が止まる。その間に彼は手刀で2体の小鬼を片付けた。それから改めて彼は中鬼と向かい合う。中鬼は邪魔な小鬼を地面に叩きつけて態勢を整える。小鬼のほうはすでにグッタリしているから後回しでいいだろう。


「ガァァァアアアア!」


「ああああああああ!」


 中鬼の威嚇の咆吼に、颯谷が叫び返す。ただ彼の場合は、威嚇のためというより自分を鼓舞するため。風邪のせいか、やっぱり身体が思うように動かないのだ。だがそれでもやるしかない。


 中鬼の大振りの一撃をかわし、そのまま懐に潜り込む。そして左の太ももを大きく切りつけた。中鬼が片膝を突く。颯谷は下がった中鬼の顔めがけて泥を蹴りつける。目に入ったのか、中鬼は大きく頭を左右に振った。


 その隙に、颯谷は中鬼の背後に回り込む。そして貫手を形成。いつもよりちょっと時間はかかったが、中鬼が顔を拭っている間に仕留めることができた。そして最後に残った小鬼にトドメをさす。全てのモンスターを倒すと、颯谷は近くの木にもたれて荒い呼吸を繰り返した。


「ゼハァ、ゼハァ、ゼハァ……」


 とにかく身体が辛い。さっきまではアドレナリンが出ていたのかあまり気にならなかったが、ズンッと身体が重く感じる。だが同時に空腹もひどい。そろそろ限界である。颯谷はまた歩き始めた。


 その後はモンスターに遭遇することもなく、颯谷は目的の仙樹へたどり着いた。三日以上使っていなかった樹なので、仙果はたわわに実っている。彼はすぐに仙果を食べ始めた。呑み込むときに喉が痛かったが、そんなことは気にせず貪るように食べた。


 ひとまずお腹を満たすと、颯谷は次に手刀で仙果のついた仙樹の枝を切り落とす。外へ出る回数を少なくする為だ。仙果だけなら食べ尽くしても3日ほどで元通りになるが、枝を落とすと元通りになるまでに1週間程度かかる。だから本当はこういうことはしたくないのだが、実を入れるための袋もない以上は仕方がなかった。


 手の届く範囲で枝を4本切り落とし、それを肩に担いで颯谷は洞窟に戻る。腹が満たされたからなのか、少し気持ちに余裕がある。ただ体調は相変わらず最悪だ。そのせいなのだろう。いつもなら気付くはずのことに気付かないまま、彼は寝床の洞窟に入る。そして次の瞬間、驚いて固まった。


「なっ……!」


 彼が驚いて見つめる先、そこにはかつてこの洞窟に不法侵入してきたあの白い野犬がいた。それを見てまた颯谷の頭に血が上る。前と同じように彼は怒りを爆発させそうになった。だがその一拍手前、空気を読まない頭痛がズキリと彼を襲った。


「……っ、ふっざけんなよ……」


 頭痛に顔を歪めながら、颯谷は忌々しげにそう呟いた。だがタイミングを逸したせいか、もう爆発するような激情はわいてこない。怒るにも体力が必要で、今の彼にはそれを振り絞るのさえ億劫だったのだ。


「ウゥゥゥ……」


 白い野犬は姿勢を低くして颯谷のことを威嚇している。ただその程度、彼はもう怖くもなんともない。ややうんざりして「出て行ってくれないかな」と思いつつ、彼は改めて白い野犬のことを観察する。そしてその野犬がずぶ濡れであることに気がついた。そしてもう一つ、お腹が大きくなっている、ように見える。


「お前、妊娠してる、のか……?」


 そう呟くと、颯谷の白い野犬を見る目が少し変わった。野犬がずぶ濡れなのは、この雨の中を歩いてきたからだろう。ということは、以前にここから追い出してから、別の寝床は見つけられなかったのかも知れない。


 今日雨に濡れたということは、昨日も雨に濡れたはず。このままではマズいと思い、かつて追い出されたここへ来た。そもそも野犬は群れを作るはずなのに、コイツは一匹だけだ。仲間はモンスターにでもやられたのかも知れない。


 そういうアレコレが、全て自分の妄想であることを颯谷は自覚している。だがこのずぶ濡れの野犬が孤独なのは確かだ。そこに自分の姿を重ねてしまったらもうダメだった。追い出す気にはもうなれず、彼は「はあ」とため息を吐いた。


 持ってきた仙樹の枝を、ひとまず脇に置く。それから颯谷は白い野犬と視線を合わせ、油断なく近づいた。野犬はうなり声を上げながらジリジリと下がる。彼は腰を落とし、拳を握ってそっと突き出し、軽く野犬の鼻先に触れた。


 野犬が噛付く様子はない。噛付いたら殺してやろうと思っていたのだが、そうはならなくて彼は内心でホッとした。ただし表面上は肩をすくめる。そして拳を解くと野犬の頭を撫でた。


「いいか、糞は外でしろよ」


 それだけ言うと、颯谷は立ち上がった。白い野犬はまだ彼を警戒している様子だったが、しかしもううなり声は上げていない。距離を取って地面に伏せている。颯谷はとりあえずこの野犬については気にしないことにした。


「うへぇ、ズボンもびちょびちょ……」


 そう嘆きながら、颯谷はズボンを脱ぐ。固く絞ると少しだけ泥水が出た。本当はパンツ(トランクス)もびちょびちょなのだが、こっちまで脱ぐのは躊躇われた。


 薪の束を使って洞窟の入り口を大雑把に塞ぐ。颯谷は次いで別の薪を使い、たき火を熾した。火が燃え始めてから、颯谷は脱いでいったTシャツで身体を拭く。それからズボンとTシャツを火にあたる位置に置いて乾くようにした。そして彼自身も身体を小さくして火にあたる。いまさら身体が冷えてきたような気がして、彼は温身法の出力を上げた。


 たき火にあたりながら、颯谷はまずは体を温めることに集中する。省エネとか食料とかいろいろ頭をよぎるが、ここでケチると身体のほうがマズイ。手足の末端にまで血が流れるのを感じて、彼はようやく人心地ついた。


「…………」


 言葉を発しないでいると、耳に届くのは雨と風の音ばかり。外はまだ荒れているらしい。喉が痛み、頭痛がした。体調が悪い上に天候までよくないとメンタルが落ち込む。孤独を強く感じ、颯谷は頑張ってそこから目をそらした。


「近くに仙樹があるといいよなぁ」


 咄嗟に思いついたのはそれだった。とはいえ切実な事柄でもある。寝床にしているこの洞窟のすぐ近くに仙樹があればどれだけありがたいか。風邪をひいてしまい、動くのも億劫な今はなおさらだ。


「挿し木でもしてみようか……」


 ふと思いついて颯谷はそうつぶやいた。決してそうしようと思っていたわけではないが、仙樹の枝なら確保してある。これを地面に挿しておけば、根がついて仙果が実るかもしれない。


 上手くいく保証はないが、どうせ実を食べてしまえば枝は薪にするくらいしか用はない。それならやってみてもいいだろう。颯谷はそう思った。とはいえ、今すぐにやろうとは思わない。外は相変わらず雨風だからだ。


「雨、止まないかな……」


 颯谷はまたそうつぶやいた。挿し木もそうだが、それより切実なのは食料の備蓄だ。仙果を枝ごと確保してきたとはいえ、1日分には足りないだろう。となればまた採りに行かなければならない。それまでに雨は止んで欲しい。そうでないとまたずぶ濡れになってしまう。


 だが彼の願い通りにはならなかった。確保してきた仙果をすべて食べつくしても、雨は一向に上がる気配を見せなかったのだ。風も相変わらず強い。外のその様子を見て、彼はまた朝のように悲痛な顔をした。


 だがそれでも行かなければならない。そうでなければ死ぬからだ。死にたくなければ動けるうちに動かなければならない。そこは何も変わっていないのだ。


 行きたくない気持ちを押し殺す。二度目の覚悟は一度目よりもハードルが低かった。頭のなかで向かうべき仙樹の位置を思い浮かべる。履いたズボンは生乾き。彼はうんざりしそうになるのをぐっとこらえる。そして大きく深呼吸してから、雨風の吹きすさぶ外へ飛び出した。


白い野犬さん「え、いきなり脱ぎだしたんですけど!?」

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― 新着の感想 ―
外界と遮断されてるはずなのに何故か雨が降る。 なんとも不思議がいっぱいですねぇ。 外の環境を再現してるんだろうか…。
女性(野犬)の前で脱ぎ出すなんて…
[気になる点] なんの病気なのかなぁ。 いわゆる風邪というのはほとんどがウイルスが原因、たまに細菌が原因なので、寒さで免疫力が低下しても、一人きりだとうつされる(感染)相手がいません。 南極に(一人で…
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