冬支度1
颯谷が薪集めを始めて幾日かが経った、ある日の夜。その夜は急激に気温が下がった。颯谷の着ているTシャツはもうボロボロで、ほぼ上半身裸と言っていい。寒さはそんな彼に容赦なく襲いかかり、そして苦しめた。
「……、……っ」
歯をガタガタと鳴らしながら、颯谷は必死に寒さに耐える。寒すぎて眠ることもできない。いや、寝てしまったらそのまま目覚められないのではないか。そんな気さえした。
たき火をしようかと思い、彼は首を横に振る。薪を惜しんだわけではない。いや、それもあるが、彼が考えたのはもっと先のこと。真冬になったら寒さはこんなモノでは済まないだろう。
(やっぱり……)
やはり、たき火以外にも何か寒さ対策が必要だ。凍えながら颯谷はそう考える。では何ができるだろうか。まず頭に浮かんだのはいつぞやのクマの死骸。毛皮が暖かそうだった。アレにくるまれば暖かいだろう。
だが颯谷は皮のはぎ方もなめし方も知らない。クマを仕留めることはできるだろうが、適当にやっても腐ってしまうだけだろう。仮にできたとしても、今すぐには無理だ。何か今すぐにできる事はないだろうか。
「……っ、ダメだ、火を付けよう」
寒すぎて頭が働かない。これ以上は無理だと判断して、颯谷は立ち上がった。氣を使い、手のひらの上に小さな炎を浮かべて明かりにする。集めた薪の一部を使って、颯谷は手早くたき火を始めた。
パチパチと燃える火にあたり、彼は身体を温める。九死に一生を得たような気分だった。同時に、こんな体たらくで本当に冬を越せるのかと絶望的な気分になる。だが諦めるわけにはいかないのだ。
(できる事……。何か今すぐにできる事……)
たき火にあたりながら、颯谷は懸命に考える。だが道具もなければ知識もない。できる事など限られている。いや、何もないように思えて彼は情けなくなった。今まで薄っぺらに生きてきたことを暴露された気分だ。そんな彼の頭の中によみがえるのは剛のあの言葉。
『動いて、できる事をするんだ。そしてできる事を増やすんだ。それができたヤツだけが、生き残ることができるんだ』
「できる事……。オレができる事って何だ……」
ちょっと考え込み、「氣功だ」と颯谷は呟いた。この異界の中、彼は氣功能力のおかげで今日まで生き残ってきた。そう言っても過言では無い。
寒さに対しても、彼ができる事の中で何かできそうなのはやはり氣功だろう。だが氣功でどうすれば良いのか。寒さ対策なんて剛からは教えてもらっていない。彼はまた落ち込みそうになったが、その前に「でも」と持ち直す。
「でも手刀も貫手も、教えてなんてもらってない」
自分で考え、やってみて、それでできるようになったのだ。習っていなくたって、それはできないという事じゃない。なら取りあえず何かやってみれば良い。もちろん試行錯誤は必要だろう。だがその中からまた別のアイディアが出てくるかも知れない。
「氣……。氣で寒さ対策……」
たき火の炎を見つめながら、颯谷はそう呟く。彼の頭に浮かんだのはあるテレビCM。「脂肪を燃やす」とか何とか言っていたヤツだ。完全な連想ゲームだが、身体の中で炎が燃えているようなあの演出は、今思い返すととても暖かそうだった。
そこまでアイディアが出てくれば、その先を考えるのは簡単だ。氣で似たようなことをしてやれば良い。つまり氣で体温を上げてやるのだ。できるだろうか、それは分からない。だからやってみるのだ。
颯谷は炎を見つめながら目を薄く閉じる。炎は見えているが、焦点はどこにもあっていない。そのまま彼は頭の中でイメージを膨らませる。思い浮かべるのは炎。そこへ氣という燃料をくべていく。
炎は大きくしすぎない。汗をかくほど体温を上げても仕方がないからだ。重要なのは一定の火力でずっと燃やし続けること。それを意識して颯谷は身体の中で氣を巡らせる。すると徐々に身体が温かくなってきた。
(よし、このまま……、このまま……!)
手応えを感じながら、颯谷はその状態を維持する。一度安定状態にしてしまえば、その後の維持が楽になることは手刀の時に知った。感覚の話だが、スイッチを入れてしまえばあとは勝手にこの状態になるのが理想だ。
(じゃないと……)
じゃないと、夜に眠れない。特に冬。体温を維持できても、睡眠がとれなければやっぱり死ぬだろう。ということは寒さ対策と同時に、それを維持したまま眠れるようにもする必要があるわけだ。別の言い方をすれば、意識しなくても維持できる寒さ対策でなければならない。
じんわりと身体が温かくなると、徐々にまぶたが重くなってくる。寝てしまって大丈夫かと思う反面、結局のところ試してみるのが一番手っ取り早い気もする。颯谷は目をつぶり、「このまま、このまま」と心の中で呟きながら眠りに落ちた。
その晩、颯谷は一度も起きることなく、久しぶりに長時間眠ることができた。朝、目を覚ましても氣功による体温の維持はできている。そのことに彼は寝ぼけた頭でホッとした。しかし彼はすぐに自分の身体の異変に気付く。猛烈にお腹が空いていたのだ。
普通の空腹ではない。餓えだ。身体が飢餓状態に陥っているのである。颯谷自身はそこまで冷静に自己分析できたわけではなかったが、このままでは死んでしまうことは分かる。彼は重い身体を引きずるようにして寝床にしている洞窟の外へ出た。
洞窟の外には霜が降りている。気温は相応に低くて、颯谷は氣功による体温の維持を解除できない。氣功で身体を内側から温めながら、彼は洞窟から一番近い仙樹のところへ向かった。そして仙果を貪るように食べる。
仙果を二房食べたところで、ようやく餓えが和らいでくる。三房目をゆっくりと食べながら、颯谷は自分に何が起こったのかを考え始めた。こんなに強烈な餓えを覚えたのは初めてだ。では一体何が原因なのか。
「そりゃ、たぶん、一晩中氣功を使っていたこと、だろうなぁ」
誰にともなく、颯谷はそう呟いた。それ以外に心当たりはないし、変わったこともしていない。原因としてはほぼ間違いないだろう。ではどんなメカニズムであの強烈な餓えに繋がったのか。それも難しい話ではない。
要するにエネルギー不足だ。氣功は決して無から有を生み出すわけではない。使うためにはそれ相応にエネルギーがいる。それを一晩中使っていたから、かつてなくエネルギーを消費した、ということだ。
「ヤバいな……」
仙果を食べながら、颯谷は渋い顔をしてそう呟いた。もちろん渋いのは仙果ではない。今のこの状況、さらに言うなら自身の実力不足である。
(もう少し、情報を整理しよう……)
心の中でそう呟き、颯谷は改めて考え込む。そもそも彼はレベル上げの最中、つまり氣の量を増やしている最中だった。そして普通に考えれば、氣の量が多ければ多いほど、「氣を一定量消費し続ける技術」を長時間使うことができるはずだ。
剛から教えてもらった限りでは、氣の量は怪異を倒すことで増やすことができる。ただ颯谷の体感としては、「モンスターを倒すことで氣を満たすための器が大きくなる」と言った方が正しいように思える。
つまりモンスターを倒すと「モンスターを倒すと氣が増えた分だけ回復する」わけではないのだ。氣の総量が100で、10を消費してモンスターを倒し器が1大きくなったとして、氣の残量は91ではなく90なのだ。
だが休憩などによって、氣の量は回復する。上記の例で言えば、101まで回復するわけだ。ではこの時、回復するためのエネルギーはどこから来るのだろう。
颯谷はずっとそれは食事だと思っていた。モノを食べることでエネルギーを補給しているわけだ。そしてそれは決して間違ってはいないだろう。ただ少し考えてみると、異界の中に閉じ込められてからの彼の摂取カロリーは、それ以前と比べて多分減っているはずなのだ。
一方で、消費エネルギー量は大幅に増えている。山中を歩き回る運動に加え、氣功能力を多用しているからだ。仮に摂取カロリーが以前より増えていたとしても、消費しているエネルギー量の方が多いはず。ではその差分はどこから賄ったのか。
(普通に考えれば脂肪なんだろうけど……)
つまり痩せたということだ。実際、颯谷は痩せたはず。だが颯谷は違和感を覚える。その違和感を言語化するため、彼はさらに考え込んだ。そしてややあってから、彼は口を開いてこう呟いた。
「……氣功を使うためのエネルギーは、カロリーだけなのか……?」
何となくだが、そうでは無いような気がする。では氣功を使うための、カロリー以外のエネルギーとは一体何なのか。それは颯谷には分からない。何か思いついたとしても、それを確かめる術もない。だが彼は自分の直感に従い、「そういうエネルギーがある」という前提でアレコレと考えることにした。
氣功にカロリー以外のエネルギーも使われているとすれば、今朝の猛烈な餓えはつまり「そのエネルギーを使い果たしたのでカロリーを使わなければならなくなった」と解釈できる。逆に言えば、そのエネルギーを使いきらなければカロリーは消費されないと言うことだ。
さらに言うならば、そのエネルギーの量はたぶん氣の量に比例する。いやそのエネルギーこそが氣なのかもしれない。ともかくレベル上げをして器を広げていけば、保有しておけるエネルギーの量も増える、はずだ。
しかも氣は休憩(主に睡眠)することで回復する。そしてその回復は、おそらく定量回復ではなく割合回復。つまり器が大きければ回復量も多い、ということだ。消費量と回復量が釣り合えば、理論上はカロリーを消費しないことになる。
「つまり十分な量の氣さえあればカロリーは消費しないはず……。でもなぁ……」
颯谷は弱った顔をして苦笑を浮かべた。「十分な量の氣」というが、それがどれほどなのかはまったく分からない。つまりひたすらレベル上げをするしかない、ということだ。だがそちらに時間を割くと、冬支度は後回しにしなければならないだろう。
また真冬になれば、氣を使って身体を温め続けなければならなくなるだろう。エネルギーの消費量は跳ね上がるはずだ。氣一本に絞って果たして冬を越せるのか。我がことながら颯谷は自信がない。
「どうっすかなぁ……」
満足するまで仙果を食べてから、颯谷は改めて腕を組み考え込んだ。氣一本に絞ってレベル上げに集中するのは、リスクが大きいような気がする。「分散投資はリスクマネジメントの基本」と習った覚えもある。ならやはり「こう!」と決め込むのではなく、視野は広くしてやれることはやるべきだろう。
「……薪を集める範囲を、もう少し広くしよう。モンスターももう少し積極的に狩る」
冬支度とレベル上げを両立させる。やはりこれが現実的な落し処だろう。また動き回る範囲を広げれば、その分だけ多くの仙樹を見つけられるだろう。食料確保の観点からも意味があるはずだ。
「それから、氣の消費をなるべく少なくできるように、何か考えなきゃだな……」
颯谷はさらにもう一つ、やることを追加した。つまり氣の省エネ運用法である。ソイツを考えなければならない。限られたリソースは有効に、そして効率よく使わなければならないのだ。
「ま、そっちはあとでやるとして」
日は徐々に短くなっている。昼間の明るい時間、動けるうちに動いておかなければならない。昨晩に使ってしまった分の補充もかねて、颯谷は薪集めをするために動き始めた。
さっき決めたように、彼は薪を集める範囲をこれまでよりも広げる。つまり洞窟から今までよりも遠くへ向かう。まだ手つかずの場所ということもあり、薪として使えそうな枝がそれなりに落ちている。彼はそれを集めた。
蔓草で縛った薪の束を、颯谷はしかしすぐには持ち帰らない。今までより洞窟から距離があるということは、その分だけ移動にも時間がかかると言うこと。何往復もするのは、たぶん効率が悪い。
それで颯谷は雨に濡れない場所を探し、薪を一旦そこに集めることにした。中間保管である。それにまだスペースがあるとはいえ、あの洞窟は決して広くはない。保管できる薪の量にも限りがあるだろう。こうして別に薪を保管しておける場所を確保することには意味があるはずだ。
時折、モンスターを見つけてはそれを倒しつつ、颯谷は薪集めを続けた。中間保管に使えそうな場所も幾つか見つけた。そういう場所に全部薪を詰め込んでいったら、かなりの量になるのではないか。氣功で体温を維持する方法と合せて、颯谷はちょっと冬が越せそうな気がしてきた。
「……場所を忘れないようにしないとだな」
リスは冬に備えて木の実を地面に埋めて隠すが、半分くらいを忘れてそのままになるという。リスの場合はそれでも冬を越せるし、忘れてしまった木の実も森の代謝に役立つ。
だが颯谷の場合、自前の毛皮がないので薪の保管場所を忘れたら死にかねない。また薪は放置しても腐るだけだ。
まあリスが埋める木の実のように何十カ所もあるわけではない。多くても十カ所程度、覚えられるだろう。なにせ人間サマなのだから。
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