イレギュラー1
時間は少し遡る。和歌山県東部異界に颯谷が突入したまさにその日。千賀茂信、楢木十三、駿河剛の三人はミーティングアプリを使って顔を合わせていた。
これまでにも電話などでやり取りはしてきた。ただ画面越しとはいえ、こうして顔を合わせるのはこれが初めてである。それで三人はまず自己紹介から始めた。
「え~、では私のアカウントを使っているわけですし、私から始めさせてもらいます。千賀道場師範の千賀茂信です。本来であれば私などがこうして進行役をやるのはおこがましいのですが、ともあれ本日はよろしくお願いします」
「いやいや、まとめ役はぜひとも千賀師範にやってもらわなくては。何しろあの桐島颯谷を指導しているというのだからな。私などではどうしてもしり込みしてしまうだろう」
「道場ではむしろ、大人しい子なんですけどね」
茂信が困惑気味にそう言うと、十三は画面の向こうで大笑いした。そしてひとしきり笑ってからこう挨拶する。
「失礼。楢木十三だ。よろしく頼む」
「お噂はかねがね、楢木殿。駿河剛です。よろしくお願いします」
「こちらこそ。駿河家と言えば、40年ほど前か、あの一件が強く印象に残っている。武門とはかくあるべしと思ったものだ」
「恐縮です。祖父も喜ぶでしょう」
十三の言葉に剛は小さく頭を下げてそう答えた。それぞれの自己紹介が終わったところで、茂信がさっそく今日の議題に入る。彼はまず簡単な経緯の説明から始めた。
「事の発端は桐島君に二度目の赤紙が来たことです。一度目も含めてですが、これまでの通例と比べてこの頻度は明らかに異常です。酷使と言ってもいい。本人から相談を受け、まず私の方からお二人に声をかけさせていただきました」
茂信がそう言うと、十三と剛は小さく頷いた。それを見てから茂信はさらにこう続ける。
「当初の予定では、国防省に対して『征伐から征伐までの間は一年以上間を置く』という方針の徹底を求め、それによって釘を刺すつもりでした。ただ声が小さくては圧力になりませんので、お二人にはそれぞれ賛同者集めをお願いしました」
十三と剛がまた揃って頷いた。十三は主に東日本と北海道で賛同者を集め、剛は西日本を担当した。ちなみにそういう経緯に加え、颯谷と直接面識があるということで、今回の一件ではこの三人が中心となっている。
「お二人のおかげで、賛同してくださる武門や流門は大変多く集まりました。ただだからこそというか、『当初の方針では弱いのではないか』という声が各方面から上がっています」
「選抜チーム構想が出てきたから、ですな」
剛がそう言うと、茂信はゆっくりと頷いた。つまり赤紙を駆使することによって優秀な能力者を集め、それを実質的な選抜チームとして運用するようなことにはならないか。そういう懸念を各地の武門や流門が持ち始めたのである。
「釘を刺すとは言っても、所詮は口約束だからな。いざとなれば反故にされるのではないか。そう考えても無理はあるまい」
「それらしい理由をつけて赤紙を出すというのは、すでに前例がありますからね」
十三の言葉に剛がそう答える。前例というのは言うまでもなく颯谷のことだ。その言葉にうなずきつつ、茂信はさらにこう続ける。
「とはいえ、国防省としては一年間を置くことについて法制化することには消極的です」
なぜなら異界顕現災害は自然災害だからだ。いつどこで起こるのか分からない以上、その対応のための柔軟性を失いたくないと考えるのは当然だろう。その点については三人とも理解はできる。それを踏まえたうえで、茂信はいよいよ本題に入った。
「ただ、ではどうすればより強く掣肘できるのかという話になります。お二人とも、何か良い方策はあるでしょうか?」
「ふむ。では国防大臣の辞任か更迭を求めてはどうだろうか」
そう言ったのは十三だった。彼はさらりとそう言ったが、言っている内容は重大だ。剛はやや深刻な顔をして考え込み、茂信はごくりと唾を飲み込んでからこう言った。
「それでは……、その、国防省といわば喧嘩をすることになりませんか? 今後の征伐に支障が出る可能性も……」
「だが赤紙を出す出さないの最終的な責任者は国防大臣だ。己の首が安泰だと思えばこそ、判子も軽くなる。違うかな?」
「……実際問題として可能ですかな。求めたとして、実現しなければ、我々の立場はさらに弱くなる」
剛がそう尋ねると、十三は視線に力を込めてこう答えた。
「やれる、と私は思っている。この前、いわゆる征伐族の議員たちとも話をしたが、彼らも今回の件で『苦言を無視された』と不満を持っている。そして集まった賛同者の方々が次の選挙でこぞって与党を見限れば、政権交代はかなり現実的。その可能性が高いと思えば、国防大臣の首くらい挿げ替えるだろう」
「……分かりました。私はその方針で良いと思います」
剛が十三の提案に賛成する。それを見て茂信も腹を決めた。そしてこう宣言する。
「分かりました。では国防大臣の辞任もしくは更迭を求める、この方向で行きましょう」
大きな方向性が決まると、そこからは細々とした手順の話になる。集まった賛同者への通知と説明は剛と十三がやることになった。根回しが済んだら、オンライン上での全体説明会だ。そこで最終的な賛同を得てから、実際の行動に移ることになる。そしてこの日のミーティングの最後に茂信はこう言った。
「奇しくも今日、桐島君が異界に突入しました。彼が征伐を終えるまでに、こちらもどうにか道筋をつけたい。そう思っています。ご協力、お願いします」
「承知した」
「分かりました。大人も少しは働かなくては」
十三と剛がそう答える。しかしそうはならなかった。
§ § §
「ん……」
小さく身じろぎして、颯谷は目を覚ました。どうやら少し眠ってしまったらしい。腕時計を見ると、どうやら寝ていた時間は十分ほど。ちょうどいいと思い、彼は立ち上がって身体をほぐした。
彼が休んでいたその場所には仙樹があって、まだ仙果が残っている。出発する前に彼は手を伸ばしてまた仙果を食べた。これで氣が完全に回復したかは分からない。だがかなりマシな状態にはなったはず。そう思い、一つ頷いてから彼はまた中心部を目指して歩き始めた。
スケルトンはまったく現れない。先ほどのスケルトンの大量出現でリソースを消耗したのかもしれない。静かな暗闇の中の道を、それでも颯谷は慎重に進んだ。そしてしばらく進むと、進行方向よりやや左側に青白い炎が見えた。かなり近い。どうやら何かの陰になっていたらしい。
颯谷はごくりと唾を飲み込むと、左手に持ったポータブルバッテリーの角度を調節して、LEDライトの光を下向きにした。そして迷彩を使いつつ小走りになって、青白い炎がもっと良く見える位置へ移動する。
耳をすませば、物音が聞こえてくる。小さいが、どうやら戦闘音のようだ。つまり何かが戦っているのだ。ただ青白い炎に照らされてはいるものの、まだ距離があるのとやっぱり薄暗くて、目を凝らしても戦闘の様子はよく分からない。
ただ人影のようなモノが動いているように見える。凝視法を使ってみると、どうやら一対多の構図のようだ。また青白い炎はずっと燃えっぱなしなのではなく、付いたり消えたりを繰り返しているようである。LEDライトで照らしてやればもっとよく分かるのだろうが、そうするとあそこで戦っている何者かに気付かれてしまうかもしれない。
颯谷は来た道を少し戻ると、その何者かに見つからないよう、LEDライトを中心部とは反対方向に向けて道路の上に置いた。背嚢もポータブルバッテリーの隣に置き、そこから双眼鏡と懐中電灯を取り出す。そして懐中電灯で足元を照らしつつ、迷彩を維持しながら先ほどの位置に戻って今度は双眼鏡を覗き込んだ。
「……!」
颯谷は息をのんだ。双眼鏡を使っても、見える光景はやはり薄暗い。しかし誰が戦っているのか、肉眼よりははっきり見える。戦っている一方はスケルトンだ。これは驚くにはあたらない。コアの欠片が伝えてくる反応もスケルトンのモノだ。
そしてもう一方、こちらも怪異である。しかしスケルトンではない。一言で言うなら、その姿は「妖狐」。三尾の妖狐だ。四つ足ではなく、人の姿をしている。モンスターに性別があるのか分からないが、女物の和服を身に纏っていた。
「おいおい……」
あまりに予想外で、思わず颯谷はそう呟いた。彼が見る先では、三尾の妖狐が狐火だろうか青白い炎を幾つも浮かせ、それをスケルトンに放っている。狐火を受けたスケルトンはたちまち青白い炎に包まれ、そして燃え尽きた。颯谷が篝火のようだと思っていたのは、どうやらこれらしい。
(イレギュラー、ってヤツか……)
頭の中から知識を引っ張り出して、颯谷はそう判断した。イレギュラー、つまり明らかに異質なモンスター。その最大の特徴はモンスター同士の同士討ち。三尾の妖狐はその条件を満たしている。イレギュラーとみてまず間違いないだろう。
双眼鏡を下ろすと、颯谷は一旦その場から離れた。荷物を置いておいた場所に戻り、水筒を取り出して水を一口飲む。イレギュラーが現れるとは想定外だ。懐中電灯の明かりを消して、彼は次にどうするかを考え始めた。
(イレギュラーは……)
イレギュラーは守護者クラスのモンスターだと言われている。つまり強い。だがガーディアンではないし、まして主でもない。つまり戦って倒しても、それが直接征伐へ結びつくわけではない。
それを考えれば、無視するというのも一つの手だ。実際、北海道北部異界ではイレギュラーモンスターとして鳳凰が現れたが、征伐隊はこれとは戦わずに征伐を達成している。この異界でも同じことは可能なはずだ。
(ただ、なぁ……)
ただあの三尾の妖狐がいるのは異界の中心部なのだ。ヌシにしろ核にしろ、征伐の鍵は中心部にあることが多い。よって征伐のためには中心部を調べる必要があるのだが、そのためにはあの妖狐との戦闘は避けられないだろう。
(待つ、か……?)
ある程度時間が経過すれば、ヌシなりコアなり、撃破するべき対象の大まかな位置をコアの欠片が示してくれるだろう。それを待つのも選択肢の一つだ。諸々はっきりしてから動けば無駄は少ないし、あの妖狐もスケルトンの物量に圧倒されて倒されてしまうかもしれない。だが颯谷は首を横に振った。
最大の問題はバッテリーである。ポータブルバッテリーのLEDライトが使えるのは、たぶんあと十時間程度。この他にはさっきも使った懐中電灯とヘッドライトがあるが、これらが使えるのは数時間程度で、合わせても十時間はもつまい。
つまりあと二十時間弱が、颯谷の行動限界である。これを超えてLEDのライトが使えなくなったら、この真っ暗な異界の中、彼は探索と戦闘にかなりのハンディを抱えることになる。
(仕方がない、か)
颯谷は腹をくくった。あのイレギュラーを、三尾の妖狐を倒す。それを決意したのだ。あの妖狐さえ倒せば、中心部やその周辺の探索は行えるだろう。それでヌシなりコアなり見つかれば良し。見つからなかったら、その時はその時だ。
そう思いつつ、颯谷は背嚢と仙樹の杖を右手に持った。ポータブルバッテリーは左手で持ち上げて歩き出す。先ほど双眼鏡を覗いた場所まで来ると、彼は背嚢を道路に下ろした。そしてLEDライトを異界の中心部へ向ける。その強力なライトは、スケルトンと戦う三尾の妖狐の姿を暗闇の中に浮き上がらせた。
スケルトンがその光に反応した様子はない。やはり光を認識してはいないのだろう。しかし妖狐の方は気付いた。視線が颯谷のほうを向いたわけではない。そもそも妖狐は目元を隠す仮面、いや金属製の眼帯のようなものをつけていて、その目は彼の方からは見えない。だが雰囲気が明らかに変わった。
(誘われている……)
颯谷はそう直感する。光を向ければこちらに気付くだろうとは思っていた。気付いてこちらへ向かってくるなら、伸閃・朧斬りで迎え撃つ。そう考えていたのだが、どうやらそのアテは外れたようだ。むしろ妖狐は颯谷の側が来ることを望んでいるらしい。襲い掛かっては来ないが、しかしLEDライトの光を避けようとはせず、その姿をさらし続けている。
(仕方ない、か)
颯谷は心の中でそう呟くと、LEDライトはつけっぱなしにしてポータブルバッテリーを道路の上に置いた。そして仙樹の杖と腰に差した脇差を確認してから、ガードレールを乗り越えて道路の下へ降りる。そこは広々とした草原になっていた。
LEDライトの光を背に受けながら、颯谷はゆっくりと歩く。伸びた影の先では、相変わらず三尾の妖狐が群がるスケルトンに狐火を放って炎上させている。その動きはまるで舞でも舞っているかのように優美だった。
一歩近づくごとに、妖狐の顔も良く見えるようになる。金属製の眼帯のせいで目元は完全に隠れているが、鼻や口は露出していて、それだけも端正な顔立ちであることがよく分かる。そしてその美しい唇が凄絶に弧を描く。次の瞬間、颯谷に向かって青白い炎が放たれた。
「っ!」
放たれた狐火は三つ。そのうちの二つは回避し、残る一つは仙樹の杖で斬り払う。だが次の瞬間、颯谷は目を見開いた。
仙樹の杖が燃えている。いや、彼はすぐに違うと気付いた。仙樹の杖に纏わせている氣が燃えているのだ。彼は一旦その氣を遮断し、それからもう一度仙樹の杖に氣を纏わせた。
(厄介だな……!)
颯谷は足を止め、表情を険しくした。氣が燃やされるというのは想像もしていなかった。だが氣を纏わせなければ仙樹の杖はただの木の枝と変わらない。攻撃力は落ちるだろうし、何よりやっぱり普通に燃えるだろう。
(どうすっかなぁ……!?)
思いがけないマイナス要素を突き付けられて、颯谷は眉間にシワを寄せた。
茂信「本当になんで私がこの立ち位置に……」




